テントの内には、いたって豪奢な調度が揃っていた。
砂漠の真ん中とも思えない。
その豪奢な調度に囲まれて――
十数人の武者たちが、僕らの到着を待っていた。
武者たちは中国風の大鎧を纏っていた。
僕やカジワラさんの大鎧とは、少し雰囲気が異なっている。
正しくは、彼らの鎧が中華風で、僕らの鎧が日本風――いや、東涯風――なのだろうが――
一人だけ大鎧を纏っていない者があった。
少年だ。
歳の頃は十二、三であろう。
派手な衣装を纏っている。
縫い付けられた刺繍が目立ちすぎて、どうにもアンバランスだったが――
どうやら官服を纏っているらしかった。
この少年が、
――中華宮の公子様
であることは、間違いない。
少年は堂々たる態度で、康子を手招きした。
幼い顔立が奇異に感じるくらいに堂々としている。
康子が中国語らしき言葉で応じた。
少年も、それに応じた。
康子は、少年に導かれ、主賓の席に腰を落とした。
康子の席から向かって左前方に僕――
僕の左隣にカジワラさん――
カジワラさんの左隣に例の男――僕らをここまで案内した男――温湯浸――が座った。
少年は康子の右隣に腰を落とした。
康子の随身は、僕も入れて十二名――
中華宮側も、ほぼ同数が宴席についた。
◆
宴は、和やかな雰囲気で始まった。
宴席に着いた皆が、日本語でもなく中国語でもない言葉で、談笑を始めている。
弦楽の調べが、宴席に彩りを添えていた。
宴も酣(たけなわ)になると――
弦楽の調べが熱を帯び始める。
それに乗じて――
一人の武者が立ち上がり、熱っぽい調べに合わせて、手足を動かし始めた。
舞踏のようである。
ふと――
耳元で声がした。
――御油断めさるな。
僕は左右を振り向いた。
右隣には誰もいない。
左隣はカジワラさんだ。
カジワラさんの目線は、踊り始めた武者に向けられていた。
無骨な警戒心が露になっている。
が――
耳元の声は、カジワラさんのものではなかった。
カジワラさんの声には、もっと誠意がこもっている。
後ろを振り返る。
誰もいない。
不意に何かが気になって、康子の横顔をみた。
胸騒ぎがした。
康子は、僕の心配をよそに、黙って微笑み、武者の踊りに見入っていた。
弦楽の調べが、ますます熱を帯びていった。
踊っていた武者は、ついに感極まって、両手を突き上げ、何やら天に向かって吠えている。
そのとき――
武者の両手が光り始め、光は形を成し、いつしか光の剣が姿を現した。
オレンジの光である。
剣の先端には、チロチロと炎が舞っている。
それが通常の剣でないことは、一目瞭然だった。
おそらく、魔術の剣である。
剣の刃は、ときに撓(たわ)み、ときに伸び、ときに縮み、変化自在に空を切った。
あの剣の刃が、康子の白い喉元を狙うのは、至極、容易に思えた。
カジワラさんが腰を浮かしかけた。
それを、康子が厳しく見咎め、首を左右に振った。
――動くな。
ということだった。
やむなく、カジワラさんは腰を落とした。
代わりに、立ち上がったのは――
例の男であった。温湯浸である。
「古来より、剣舞は二人で仕(つかまつ)るもの――某(それがし)が、お相手をいたそう」
温湯浸の掌から、白い光が溢れ出た。
光は、みるうちに手斧と化し、鋭い切っ先が周囲を威圧した。
その刹那――
温湯浸は康子に踊りかかった。
(あ!)
と思ったときは、温湯浸の手斧が、康子の胸を深々ととらえていた――
が、その前に――
康子の右手が青い炎を握り締めていた。
青い炎の剣である。
青い炎が、白い光を受け止め、はねのけた。
その勢いで――
白い光の手斧の切っ先が、康子の右隣に座っていた少年の額に、深々と突き立てられた。
少年は声にならない声をあげ、一瞬で姿を掻き消した。
さながら白い光に焼き尽くされたかのように――
座は静まり返った。
康子の動きは素早かった。
即座に宴席を離れると、瞬時に舞踊の武者に襲いかかり、抵抗の機会を与えないままに、首を切り落とした。
髭面が床に転がり、雲散霧消した。
武者の躰も、すぐに後を追った。
「来て!」
康子は、僕の右手を掴み、僕をテントの外に連れ出した。
外は乱戦になっていた。
どこからともなく中華風の鎧を纏った者たちが現れ、東涯風の鎧を纏った者たちと切り結んでいる。
振り返ると、テントの中も乱戦だった。
康子に付き従っていた随身たちが炎の剣を振り回している。
一人の武者が駆け寄ってきた。
随分、小柄な武者だった。
「カヨ――」
と、康子が呼び掛けた。
「は――」
と、武者が返事をする。
よくみると、武者は女だった。
若くはない。
が、精悍な顔立をしている。中性の魅力に溢れた顔立だった。
「状況は?」
「この地に伏せていた者どもは、大した数ではありませぬ。が、新手の敵兵三千ほどが、この地を包囲しておりまする」
「〈場〉の張源(はりもと)は?」
「太平天国の残党どもにござりまする」
「中華宮ではないのね?」
「は――」
康子は安堵の息をついた。
――賭けに勝った。
とでも云いた気である。
「彼は?」
「すでに立ち退きましてござります」
「相変わらず逃げ足の早い――」
「追いまするか?」
「いいえ――」
康子は笑った。
「彼は私に手を貸した」
「手を?」
「今後も私を使い続けるつもりなのでしょう――女優として――」
康子は苦い笑みをこぼした。
長剣を引っ提げ、カジワラさんが駆け寄ってきた。
「じきに囲まれます。一刻も早くお立ち退きを――」
康子は首を振った。
「まさか――皆を捨てて逃げるわけにはいきませぬ」
「では、いかがなさりまする?」
康子は云い放った。
「突破する」
◆
戦いは、ものの十五分で終わった。
味方が敵の全員を討ち果たしたようである。
「御当家の精兵が、賊徒どもに敗れるわけがない」
と、カジワラさんは胸を張った。
「賊徒」というのは、いわゆる、
――太平天国の残像を追い求める連中
である。
今回の一件は、彼らの一派が、中華宮と東涯宮との仲違いを狙ったものらしい。
中華宮が東涯宮主を襲ったと思い込ませようとしたのだろう。
「計略だと、いつ気が付いたんだ?」
と、僕が康子に問うと、
「中華宮の公子殿なら、何度か会っている。公子殿は、あのような紅顔の美少年ではなく、齢二百を数える好々爺の身なりを好む」
と云った。
「下調べ不足だったんだな」
「でしょうね」
ニコリともせずに、康子は云った。
すでに康子の気持ちは切り替わっているようだった。
遠巻きながらも三千人の敵兵に囲まれているという。
味方は三百――十倍の兵力を相手にしなくてはならない。
「隊伍を調えよ」
と、女武者が叫んだ。康子に「カヨ」と呼ばれた武者である。
カジワラさんも遠くで何かを叫んでいる。
数分して――
三百の人馬が整列した。
康子は、駆け寄ってきた馬に飛び乗り、皆の前に躍り出、矢継ぎ早に下知を飛ばした。
「先鋒はカヨ――」
「は!」
「二番備えはヤスマサ――」
「は!」
「殿(しんがり)は余が務める」
「ヤスマサ」と呼ばれたのはカジワラさんであった。
康子は剣を高々と突き上げた。
「よいか! 全員、生きて、この〈場〉を立ち退くぞ!」
男たちの「おう」の唱和が、空に響き渡った。
「お先に御免!」
「カヨ」と呼ばれた女性は、百ほどの人馬を従え、駆け出した。
◆
それからあとのことを――
僕は、よく覚えていない。
敵の騎馬隊と遭遇した弾みで、僕は馬から落ちたが、康子の右腕が僕の胴を拾い上げ、僕は馬上で康子の背中にしがみつくことになった。
もちろん、魔術の手妻に違いない。
あの細い右腕に、そんな力が宿っているとは思えない。
◆
気が付くと――
僕らは泉の畔(ほとり)で休憩をとっていた。
皆、一緒であった。
カジワラさんもいる。「カヨ」と呼ばれた武者もいる。
他にも、見覚えのある武者たちの姿を大勢みかけた。
皆、一様に安堵の表情を浮かべている。
敵軍の囲みを破ったことは、間違いないようだった。
康子は乳白色の法衣を脱ぎ捨て、泉に入って水を浴びていた。
濃青の革服が裸体と変わらないシルエットを浮き彫りにしていた。
「さすがにジョウミョウの世に躰を保つ者――身の描き方が違う」
僕の後ろでニヤニヤ笑っている男がいた。
例の男――温湯浸――である。
乱戦の中を一度は逃げ出したが、また戻ってきたらしい。
今は小岩に腰掛け、暢気にくつろいでいた。
「ジョウミョウの世?」
「人は誰しも母親の胎内から生まれ出る。お前もそうだし、私もそうだ。我々が生まれ出て最初に体験する世界が――」
――定命の世
だという。
寿命が定められている者たちの世界――ということである。
康子は〈定命の世〉に自分の肉体を保っているので、こちらの世界では我が身を美しく描くことができる。
「描く」というのは「〈祈文〉で描く」ということだ。
康子は、温湯浸が戻ってきたのをみると、足早に陸地に上がってきた。
「私たちに、まだ何か用でも?」
康子は、魔術の手妻で取り出した白いタオルで、解いた髪の毛の水気を吸っていた。
濃青の革服に包まれた胸元や太腿を、水が滴り落ちている。
「いや、この男に用はない。きみだけに用がある」
男は、魔術の手妻で紙の束を取り出し、それを康子に差し出した。
紙の束の下には黒色の布地が、端正に折り畳まれている。
「これは次の芝居の台本?」
「そうだ。その下にある衣は、水浴びを終えたきみへの、ささやかな贈り物だ」
「ありがとう」
康子は全く表情を崩さず、それらを受け取ると、黒色の布地だけを綺麗に雲散霧消させた。
男は、おかしそうに口笛を吹いた。
「相変わらず、手厳しいね」
康子は、それには答えず、
「太平天国の片棒を担ぐとは、あなたも堕ちたもの――」
どこからともなく取り出した新しい法衣を纏いながら――
康子は、男に言葉を向けた。
「彼らには借りがあったのでね。色々な意味で厄介だったので、今回、まとめて処分させてもらったよ」
「私たちを体よく利用したの?」
「そうとってもらってもいい」
「最初は裏切られたのかと思った、断りなく私の結界を破るから――」
「裏切りには慣れただろう?」
「あなたに裏切られても、驚きはしない」
「安心したまえ。そう簡単には裏切らないよ」
男のニヤついた笑みは一向に消えゆく気配がない。
この表情が男にとっては最も自然なのだろう。
「あんな乱戦だったにも関わらず、当家の者たちは誰も討たれなかった」
「それは何よりだったな」
「あなたの手配りでしょう?」
「きみの機嫌を損じては、次の芝居に差し障りがあるのでね」
「この一件も、あなたが書いた芝居のようだけど――」
「今回も、なかなかに巧みな女優ぶりだったよ」
「芝居と政治とを混同させたくはない。次は二度と応じないから、そのつもりで――」
「気を付けよう」
男は、小岩から立ち上がった。
「行くの?」
と、康子が声をかけた。
「ああ――」
「ヤスマサたちにみつかると、あとがうるさい」
「わかっている。静かに立ち去ろう」
男は、数歩ほど進んで振り返った。
「太平天国の残党どもに借りがあるのは、きみもだろう?」
声は、明らかに康子に向けられたものだったが、康子は、すぐに返事はしなかった。
「――それも、かなりの借りだったはずだ」
男は、なぜか僕に一瞥をくれた。
康子は、たっぷり十秒は沈黙したあと、
「もうすぐ、返し終わる」
とだけ答えた。
「――なのだろうな。こうして連れ回しているところをみると――」
もう一度、男は僕の顔をみた。
もちろん、僕に男の言葉の意味はわからない。
気が付くと――
男の背中は、煙となって消えていた。
つい今まで、ここに座って無駄口を叩いていたのが、信じられないくらいだった。
「あれが温湯浸かい?」
と、僕は尋ねた。
「そうよ」
と、康子は答えた。
「やっぱり、きみの仲間なんだろう?」
「そうではない」
「随分、仲良さそうに喋っていたじゃないか」
康子は機嫌を損ね、天を仰いだ。
「あなたは彼の本性を知らない」
「本性?」
「彼が私に何をしたかを――それを知れば、あなたもわかる」
「何をされたんだい?」
が――
康子は答えなかった。
ますます機嫌を悪くしたことは明白だった。
きっと、耐え難いことをされたに違いない。