真に無惨をみたいなら――
世にも可憐な生娘(きむすめ)に――
戦装束(いくさしょうぞく)まとわしめ――
思うさまに嬲るがよい――
そんな生娘に、
――お前なら、なれる。
と云われたことがあるそうである。
康子のことである。
「誰だい、そんな酷いことを云ったのは?」
と訊いてみたのだが――
首を横に振るだけであった。
口元は艶やかに、ほころんでいる。
「そんなことを云うヤツの話なんか、まともにきく必要はないよ」
と云うと、
「なぜ?」
と云う。
「だって、そんなことを云うヤツは、人非人(にんぴにん)に決まってるじゃないか?」
「そうかしら?」
「そうさ」
康子は納得がいかないようだった。
「なぜ、そう云い切れるの?」
「なぜって云われても……」
「あなたも男でしょう?」
「男だね――」
「――なら、あなたの心にも闇はあるはず――男が抱く心の闇が――」
決めつけられたので、ムッとした。
「男は、みんな人非人だって云いたいのかい?」
と抗議をすると、
「そうではない――」
と笑った。
「――あなたの闇を、私はみないで済んでいる。けれど、みないで済んでいる――ただ、それだけのこと――」
その笑みは予想していなかった。
笑った康子をみていたら、ムッとした自分が子供じみて感じられた。
「男というものは――」
と、康子は云う。
「――結局、女を辱めることでしか満たされない」
「酷い云い方だな」
「そう思うようになる。幼い頃から女優をやっているとね――」
康子は「女優」を自称する。
そんな女は、そうはいないに違いない。
が、康子は、事も無げに自称する。
それが、また、よく似合った。ごく自然な自称であった。
――君主が女優を兼ねるとき――
と、康子は云う。
実態は違う。
――女優が君主を兼ねている。
であった。
魔術師が女優をやっていると考えるから、おかしくなる。
女優が、たまたま魔術師だった。
◆
TVで下品な映画をみていたら――
ちょっと気持ちがクシャクシャしてしまったので――
レンタルDVDショップへいくことにした。
街を歩いていると――
気が付いたときには、隣に康子が並んでいた。
「どうしたの? 恐い顔をして――」
などと訊く。
「そっちこそ、どうしたんだい?」
と問うと、
「あなたの姿をみかけたから、ついてきたの」
と云う。
「それなら、もっと早く声をかけてくれよ」
「だって、今日のあなたの顔、恐かったんだもの」
「恐い? きみに恐いものなんてあるのかい?」
「もちろん――」
と口元を緩める。
「――恐いものだらけ――」
「嘘だろう?」
と切り返したが――
康子は、それ以上は、のってこなかった。
代わりに、
「今日は、どこの喫茶店に入るの?」
と問う。
「残念ながら、そんな気分じゃないんだ。TVで映画をみていたら、急に落ち着かなくなってね」
「どんな映画だった?」
「お姫様が騎馬武者に連れ去られていく映画だよ」
「それで落ち着かなくなったの?」
「ああ――」
気持ちがクシャクシャというのは、ハラワタがムスムス蒸れてくる感じである。
脳裏に煙りが立ち込める感じと云ってもいい。
「だから、口直しに純愛映画のDVDでも借りようかと思ってね」
「効果があるかしら?」
「試してみるさ。どうせ、本なんか読める気分じゃないんだし……」
気付いたら、レンタルDVDショップの前に着いていた。
「どうぞ――」
と云って、康子が扉を指し示した。
◆
DVDの詰め込まれた棚が狭い店内で押し合っている。
その隙間を、僕らは進んだ。
「きみは、僕らの世界でも女優なのかい?」
「『僕らの世界』?」
「きみら魔術師の世界じゃなくて、こちらの世界という意味だよ」
「なぜ、そんなことが気になるの?」
「だって、もし、ここに、きみの作品があるんなら、みてみたいと思ったからさ」
康子は笑って首を横に振った。
「残念だけど、ここでは、みられない」
と云う。
「じゃあ、どうすれば、みられるんだい?」
「〈場〉の世界にきてもらえば――」
「じゃあ、今度、連れてってくれよ」
「私の演技をみるために?」
「ああ――」
「後悔するかもよ」
「なんで?」
「あなたは私の素顔を知りすぎている」
「素顔を知ってると、何か困ることがあるのかい?」
康子は答えなかった。
通路の両側には、おびただしい数のDVDが迫ってきている。
そのグロテスクな壁に挟まれて、康子は歩いている。
僕は康子の背中についていった。
細い背中の柔らかそうな感触が、白いブラウスごしに感じとれた。
その背中の向こうに――
――アダルト・コーナー
の看板がみえた。
その看板の下から――
太った中年男性が、ちょうど何枚ものDVDケースを抱え、出てきたところである。
康子の細い背中が止まった。
その背中からは、いかなる動揺も読み取れなかった。
むしろ、しっとりと微笑んでいるように感じられた。
不意に――
康子が僕を振り返った。
「女優の仕事というのはね――」
と云う。
僕は康子の視線を正面に受け止めながら、康子の次の言葉を待った。
康子は云った。
「人の心を喰う仕事――」
(また難しいことを云い始めたぞ)
と思う。
しかも、レンタルDVDショップの中などで――
でも――
実は、そうやって抽象的な言葉を投げかけてくる康子が、そんなに嫌いではない。
(むしろ、好きなんだろうな)
だから、ついつい相手にしてしまう。
「きみの云いたいことは、少しはわかるよ」
と、僕は応じた。
「本当に?」
「『人の心を喰う』って云うのは、つまり、男の気持ちを手玉に取るってことだろ?」
「そうではない。『人』というのは物語の中の人――」
「物語の中の?」
「物語が描き出す虚構の人物――」
「じゃあ『喰う』っていうのは?」
「虚構の人物に成りきるということ――その虚構の人物の心を飲み込み、噛み砕き、擦り潰し、自分のものにする――つまり、喰う――」
「なんだか恐ろしい云い方だな」
「当然でしょう」
「当然?」
「あなたは、人がモノを喰うところを、みたことがある?」
「もちろん、あるさ」
「じっくりと、みたことがある?」
「じっくりと?」
康子は横を向いた。
横顔の康子は、どこか冷たい。
その冷たい横顔が口を開いた。
「今度、じっくりと、みてみるといい」
「なんで?」
「多分、気味が悪くなるから――」
そう云われると――
そんな気もしてきた。
昔、人が飯を喰うシーンだけを、延々と流す映画があった。
口元だけを映す。顔や手は映さない。食べ物が口に吸い込まれていく様子だけを映す。
たしかに、気味が悪かった。
「人は、モノを喰うときに、卑しくなる。けれど、モノを喰わなければ、生きてはいけない。それが人の悲しみ――」
「それは、あくまで食べ物のことだろう? 台本に書かれている役どころと一緒にするのは、どうかと思うなあ」
「そうかしら。私には大した違いには思えないけれど――」
そう云えば、いつかの老人が云っていた。
康子は人の心を喰う、と――
あの老人は、このことを云っていたのか。
が、
「いいえ」
と、康子はソッポを向いた。
不機嫌そうに、うつむいている。
「あの老人は、違った意味で云ったはず――」
「違った意味?」
「もっと浅ましい意味――」
「どういう意味だい?」
が、康子は答えない。
答えたくなかったのであろう。何か都合が悪かったに違いなかった。
答えないものは仕方がない。
僕は話題を変えた。
「人はモノを喰う――それが人の悲しみだと、きみは云ったね」
「ええ――」
「でも、僕はそうは思わない」
康子は僕の方を振り向き、小首を傾げた。
「では、どう思うの?」
「僕には、悲しみじゃなくて喜びに思えるんだ」
「なぜ?」
「だって、食べてるときは純粋に嬉しいじゃないか」
「そう?」
「きみは嬉しくないのかい?」
「いいえ、嬉しくないことはない」
「それでも、きみは食べることが悲しみだと云うのかい?」
「ええ――」
「なんで?」
康子は云った。
「嬉しいから――」
「なんだって?」
「嬉しいから悲しいの。モノを喰い、悦ぶ自分が卑しいから、悲しい」
康子らしくない云い草だと思った。
卑屈すぎる。僕の知る康子とは、微妙にずれていた。
康子が通路脇の棚に手を伸ばした。
1枚のDVDを取り出している。
――新皇妃の末路
というタイトルだった。
「新皇(しんのう)」とは平安期の武将・平将門のことである。京の朝廷に傲然と弓を引いた坂東武者であった。
弓を引いた結果、兵が差し向けられ、容赦なく討伐された。愛妾の多くも、虐殺の憂き目にあったという。
「あなたがみた映画は、多分これね」
と、康子が云った。
そうかもしれなかった。
パッケージに書かれた梗概によると、映画『新皇妃の末路』の物語は、ヒロインの新皇妃が嬲り殺しに合うところで、終わっている。
感じの悪い終わり方だと思った。僕が先ほどTVでみた映画と、よく似ている。
「そんなに眉をひそめることはない」
と、康子は云った。
「どういう意味だい?」
「物語は、しつらえられたもの――作家が女を生み出し、その女の心を喰ってみせた女優がいる。それ以上でも、それ以下でもない」
「ずいぶん思いきった割り切り方だね」
と、僕は苦笑した。
が、康子は笑わなかった。
あい変わらず、冷たい横顔をみせている。
何となく気になったので――
訊いてみることにした。
「きみも、こういう役を演じてみたいと思うのかい?」
康子は、僕を振り返ると、上目遣いに僕の目をみた。
「恋は、夢見心地に、まどろむ悶え――」
艶かしい気色が立ち上っていた。
「どういう意味だい?」
と問うと、
「女優の業(ごう)――」
と云う。
「女優の業?」
「純情可憐の女を演(や)るならば、被虐無惨の女も演ってみたい――それが女優の業というもの――」
なるほど――
これは大変だ。
たしかに、僕は康子の演技をみないほうが良さそうである。
康子の穏やかな顔をみているとき、
――いつか酷い目に遭わせてやりたい。
と感じたことがあった。
康子の顔には気品がある。その気品は、男を変な気持ちにさせてしまう気品だった。
そういう康子の演技を一度でもみてしまったら――
僕は自分の理性に自信を持てなくなるに違いない。
「獣(けだもの)たる男の性(さが)を否定しても始まらない」
と、康子は云う。
「どうしてだい?」
「人の歴史の大半は、獣たる男の性が編んできた。そこを否定するから、歯車が狂いだす。なすがままに受け入れざるをえない」
「だから、きみは君主を務めるのか、そのほうが争いが少なくて済むから――」
いつだったか、康子は云っていた。
――私が芝居で女の迷いを晒すから――
と――
だから、社禝は安泰たり得るのだ、と――
男たちの争いの芽を、康子が未然に摘み取っている。
――女優の身で購(あがな)っている。
と云っても良さそうだ。
「――けれど、それは、かえって危険な綱渡りだと云う人もある」
「かえって危険?」
「真理の一面を突いていると、私も思っている」
「どういう真理だい?」
康子は『新皇妃の末路』のパッケージ写真を見下ろした。
衣装の乱れた女優が、大地に横たわっている写真である。
「女優の君主ほど、纂奪しがいのある君主はないかもしれない、ということ――」
横を向いた康子の頬が、僅かに上気したのを――
僕は見逃さなかった。
いや――
見逃せなかった。
あのとき――
康子は、纂奪される君主の女優の心を喰ったのかもしれなかった。