大正浪漫ぞ遥かなる(7)



     第7話 嫉妬


 岩井権左が散らかった部屋の片付けを始めた。

「こちらへ――」
 さくらは郡山を促し、廊下に出た。

 二人は、郡山たちが最初に通された応接間――玄関脇の急ごしらえの応接間――へと向かった。

 さくらは珍しく多弁であった。
 矮人を屠った興奮が覚めやらないようである。
 さくらほどの実戦経験を積んだ者でも、戦闘後の平常心は難しい。

「最近、この手の襲撃は、とても多いんです」
「最近とは、いつ頃からです?」
「五年くらいです」
「そんなに前から?」
「軍部の人たちの中には、米田司令や私の存在を疎ましく思う人が多いんです」
「情けない。国難だと世相を煽っておきながら、陰で味方を害そうとするとは……」

 それには応じず、さくらは郡山を振り返った。
「屋敷の周りを御覧になりました?」
「ええ――」
「塀を茂みで覆っているのは霊力の仕掛けなんですよ」
「防御の仕掛けですか?」
「いいえ……」
 さくらは首を振った。
「――誘い込んだ敵を逃さないためです」

 それを冗談ととって笑おうとしたが、笑えなかった。

 郡山にとって、恩師に裏切られたことはショックであった。
 長年にわたって師事してきた人である。

 いよいよ、誰を信じたらよいのか、わからない時世であった。
 自分の身は自分で守らねばならない。

「逃げてばかりでは身を守れません」
 さくらは、にこりともせずに云った。

「――しかし、さくらさんなら、帝劇にいれば安心でしょう?」
 と問うと、
「そうでもないんです。帝劇では、このような思いきった仕掛けがとれなくて……」
 おそらく、塀の茂み以外にも工夫がされているに違いない。

「屋敷全体が罠なのですね」
「――こうでもしなければ、向こうの意図がつかめなくて……」

 さくらによれば、身を守るには襲撃者の真意を掴むのが一番だという。
 そのためには、敵を客人としておびき出し、騙された振りをして、色々に話をきき出すのがよい。

「危険ではないのですか?」
「もちろん、危険です。母は嫌な顔をします。付近の人たちから、ますます疎まれると……」
 さくらは苦笑した。

「ご近所との交流が、あるので?」
「祖母が生きていた頃は活発でした。いまは、この通り――私は年に数えるほどしか屋敷におりません。母は、このところ病気がちですし……」

「では、あまり上手くはいっていないのですか? 近所の人たちとは……」
「権左が、まあ何とか繕ってくれています。あとは陽多が、もう少し大きくなれば……」

 たしかに陽多少年は幼い。
 さくらの代わりがつとまるのは先のことであろう。

「息子さんは、ずっとこちらに?」
「――ええ。権左に剣術の稽古をつけてもらっています。真宮寺の家を継ぐ者ですから……」
「これからの人なのですね」
「そうです。今日のところは格好の悪いところを、おみせしましたが……」
 と、さくらは笑った。

 母親の笑顔になっていた。

   *

 郡山を応接室に案内したあと、さくらは一旦、奥に引きこもった。
 寝具を着替えるためだろう。

 先ほどの闘いで純白の寝具は矮人の黒い血に染まっていた。

 さくらが戻ってきたのは思いのほかに早かった。
 この辺が、さくらの感覚である。
 紛れもなく武人としての感覚であった。
 普通の婦人なら、こうはいくまい。

「ちょっと、落ち着きませんが許して下さい。我が家は、いま改築中なんです」
 新たに、さくらが纏ったのは和装の部屋着であった。
 やはり、さくらには着物が似合う――と郡山は思った。

「改築中とは?」
「母屋を拡大することにしました。陽多を養子に迎えたので……。いずれ嫁を迎え、子を成すでしょうから……」

 物の云い方が、すっかり当主らしい。

 郡山は先代の当主――さくらの祖母――に一度だけ会ったことがある。
 亡くなる数年前のことだったと記憶している。
 武家の棟梁らしい厳かな立ち居振る舞いが印象に残った。
 今のさくらにも、それはあった。

「あの……、御高診の結果を伺いたいのですが……」
 さくらが遠慮がちに促した。

「――ああ、そうでした」
 郡山は苦笑した。

 郡山は、事実だけを淡々と話していった。
 霊力に衰えはあるものの、まだ十分に実戦域にあること――
 少なくともあと一、二年は衰えないであろうこと――などである。

 さくらは、黙って郡山の話をきいていた。
 表面上は何も変化をみせなかった。

 郡山が一通り説明を終えると、
「――そうですか。実戦に支障はありませんか……」
 と言葉をかみしめた。

「あくまで医学的には、です」
「――と、云われますと?」

 少し間を置いてから、郡山は話を口を開いた。
「これは霊子医としての助言なのですが……」
 郡山の口調が自然と熱を帯びた。

「もし、さくらさんに、少しでも後ろ向きなお気持ちがあれば、実戦はおやめになったほうがいい」
「なぜです?」
「霊力の盛衰は、心の動揺と密接に関連すると云われています。若い頃なら多少、心が乱れても心配はいりません。――が、いまのさくらさんのお歳では保証しかねる。気持ちに少しでも迷いをお持ちなら、光武から降りられることをお勧めします」

 説明には誇張がある。
 所詮、さくらを戦場に行かせたくない一心での詭弁だ。

 が、構わない。
 医療人の倫理よりも大事なものは、ある。

 さくらは黙った。

「失礼します」
 居室の後片付けを終えた岩井権左が、お茶を乗せた盆を抱え、やってきた。

 その岩井が無言の内に引き下がるを待って、さくらは口を開いた。
「――実は私、既に覚悟を決めたんです」
「覚悟?」
 郡山は無意識に身を乗り出した。

「仮に自分の霊力が衰えていたとしても、私、戦場に行こうと思うんです……」
「なぜ?」
「今度の大戦は、私にとっても、もう他人事じゃないんです」
 さくらの口調は、ゆっくりで、重かった。

「ノモンハンが、きっかけでした」
「ノモンハン?」
 郡山は、せり出した我が身に気付き、ソファに腰掛け直した。

「ノモンハンには、かつての仲間たちが従軍していました。いずれも霊力を失い、既に光武は操れない躰になって――でも、みんな戦場に出たんです。指揮車に乗り込み、若い娘(こ)たちを率いて蘇緯埃(ソビエト)軍と闘いました」

 さくらは言葉を、すぐには継がなかった。
 郡山は黙って次の言葉を待った。

「結果は先ほども申し上げた通りです」
 さくらの声が震えた。

 それでも、さくらは言葉を絞り出す。
「一支隊が全滅しました。その中には、かつての私の仲間たちも含まれていたんです」

(やはり、そうか)
 と郡山は思った。

 さくらの地位なら、ノモンハンで何が起こったかを知り得ないわけがない。
 それを今日まで郡山に話そうとしなかったのは、機密に触れるからではなかった。
 単に触れたくなかっただけなのだと郡山は思った。

「やはり、華撃団の皆さんは、関東軍の命令で無理矢理、参陣させられたのですか?」
 郡山の何気ない言葉が、さくらを激させた。
「違うんです!」
 予想外の厳しい語調だった。

「そうじゃないんです。みんなは大神さんの説得に応じたんです。決して、関東軍の命令なんかじゃないんです!」

 郡山は反論を試みた。
「――たしかに、大神さんは、いい人なのでしょう。でも、あの人も軍人だ。最後は軍人的な見方をされるはず……」

「違います!」
 さくらの語調が、さらにきつくなった。

「大神さんは軍人である前に、まず私たちのリーダーであろうとする人なんです。大神さんは決して軍の理屈を押し付けない。いつだって、まず私たちの気持ちを大切に考える人です。だから、私たちは、あの人の下に結集することができるんです」

 さくらの熱のこもった抗弁に、郡山は嫉妬を覚えた。
 大神一郎という男への嫉妬である。
 会ったこともない男に、自分は激しく嫉妬している。
 青白い炎を燃やしている。

 見苦しいと思った。

「いまでも、大神さんを思っていらっしゃるのですね……」
 郡山の言葉は、郡山の目線とともに重く沈んでいた。
(莫迦な……)
 と思った。

(余計だ)
 と思った。

 次のさくらの言葉を、郡山は恐れた。
(そうです)
 という、さくらの返事を恐れた。



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