大正浪漫ぞ遥かなる(6)



     第6話 襲撃


「――そうですか。先生の目には、そう映るんですね」

 さくらは視線を脇にそらした。
「……あ、いや……。お気を悪くされたら申し訳ない。ただ……、その……」
 郡山は自分の言葉を悔いた。

 しかし、さくらは口元に笑みさえ浮かべて云ったのである。
「――そうですね。そうかも知れません」

 その笑顔が、郡山には眩しかった。
「すみません」
 と頭を下げるしかなかった。

「――でもね、先生……」
 と、さくらは肩から僅かにずれ落ちた打ち掛けを右手で直した。
「――私は今、とても幸せなんですよ」

「幸せ?」
 と郡山は問うた。

「はい。幸せなんです。――こんな私でも、まだ必要としてくれる人たちがいる――それだけで、私は十分に幸せなんです」

(必要としているのが、あの陸軍の参謀たちであっても?)
 との言葉は、さすがに飲み干した。
 隣に小坂中尉がいることに思いが及んだのである。

 はたして――
「そろそろ本題に入って頂きたい!」
 と小坂中尉が怒鳴った。

 その言葉が唐突だったので、一瞬、座が白けた。

 このとき――
 注意深い者は、小坂中尉の怒鳴り声に特別の意味を見い出し得たであろう。

 小坂中尉が郡山の雑談に痺れをきらしたことは間違いない。
 が、そこに怒鳴るほどの必然はなかった。

 その不自然に気づいた者が二人いた。

 一人は、先ほど茶を運んできた少年――さくらの養子――

 いま一人は――
 さくら、その人である。

 次の瞬間――
 さくらの緋色の打ち掛けが、宙に舞った。

 郡山は仰天し、腰を浮かそうとする――
 その暇さえなく、さくらは「えい」と踏み込み、何かの切っ先が小坂中尉の首をかき切っていた。

 一瞬のことであった。

 さくらの手元は銀色に光っている。
 懐刀である。

 小坂中尉の声にならぬ咆哮が屋敷中に響き渡った。
 胴は頭部を失い、頭部を失ったままで、庭に向かってヨロヨロと歩みだす。

 切断面からあふれる鮮血の色は、驚くことに、赤ではなかった。
 黒とも紫ともつかぬ色である。

 その鮮血が、さくらの純白の寝具を濡らしていた。

「――さ、こちらへ!」
 と、さくらが声をかけた。

 郡山は気が動転したままだった。
 数分前まで和やかに談笑していたことが、まるで遠い昔日のことのように思える。

 さくらの手に引かれ、ようやくのことで安全と思われる廊下に滑り出た。
「……首を刎ねたのか……?」
 と問うと、
「はい」
 と、さくらの返答は毅然だった。

「なぜ……?」
 郡山が呻く。
「この者は人ではありません」
「人ではない? ――では何だと?」
「禍々しき獣とでも呼べましょう。人が霊力で生み出した……」

 それで思い当たった。
「――わ、矮人(わいじん)か?」

 さくらは、うなずいた。

 矮人とは人工合成の人体である。
 有機物の集合体に霊を漲らせ、生理的に統合せしめた有機物塊といってよい。
 生身の兵士にかわる新兵器として、欧米諸国の軍事研究者が今世紀初頭から開発に取り組んでいた。

「信じられん……。矮人は理論段階に幾つも難題を抱えていたはず……。まさか……」
「――でも、そのまさか、です」

 首を失った胴は、最初こそバランスを失い、部屋のあちこちをさまよっていたが、いまや、すっかり体勢を立て直していた。
 腰に帯びていた軍刀を握り、さながら講談の剣術師のような大袈裟な構えをみせている。

「陽多(ようた)!」
 と、さくらが叫んだ。

「はい!」
 と先ほどの少年が現れた。

 手に二本の太刀を持っている。
 そのうちの一本を、さくらに手渡した。
 かの有名な霊剣・荒鷹であろう。

 受け取るなり鞘を捨て、さくらは身構えた。
 隙がないのは素人目にもわかった。

「陽多!」
 と、さくらが叫んだ。

「はい!」
「母の前で、見事、仕留めますか?」
「やります!」
「――では、かかりなさい!」

 凛とした声とともに、少年が矮人に挑みかかった。
 矮人は、先ほどまでの緩慢な動きが嘘のように、素早い身のこなしをみせた。

 激闘となった。
 居室の調度が散らかっていく。

 少年の剣技は明らかに未熟だった。
 普段の稽古が十分でないのか、それとも稽古の成果が発揮されていないのか――
 首のない矮人の剣さばきに、少年は次第に圧倒されていった。

 やがて、矮人の軍刀の柄が少年の脇腹を捉えた。
「――う!」
 と一言、呻き、少年は昏倒した。

「陽多!」
 さくらが叫んだ。

 その叫びに呼応したかのように、首のない矮人が上体をもちあげた。

 失神した少年には見向きもしない。
 さくらに向かって、そろり、そろりと近づいていく。

 さくらは舌を打った。
「――狙いは私だと云うのですか?」

 矮人は、首の切断面から、時折、獣の泣き声のような声をもらした。
 それが、さくらへの返答のようでもあった。
 が、その音は、あまりにも小さかったので、ほとんど、ききとれなかった。

 さくらの白い掌の内で、霊剣・荒鷹が輝きを増す。
 白く、青く――鈍色の輝きである。
 正当な持ち主に柄を握られ、喜び勇んでいるようにもみえた。

 さくらとの切り合いになると、矮人は二合ともちこたえることができなかった。
 あっという間に胴を裂かれ、ただの有機物塊と化す。
 敵ではなかった。

     *

 郡山が我にかえったとき、さくらは既に、どす黒い血糊を拭って霊剣・荒鷹を鞘に収めるところだった。

 さくらは、すぐに少年の躰を抱え起こす。
「大丈夫?」

 少年は、もうろうとした意識のまま、何度か頷いた。
 が、言葉は声にはならなかった。

「もう少しの稽古が必要ね――」
 さくらの口調は厳しくない。
 むしろ、慈愛に満ちていた。

 手負いの少年を退室させてから、
「申し訳ありませんでした」
 と、さくらは詫びた。

「――いや、そんな……。こちらが助けて頂いたのに……」
 郡山の息は、まだ荒かった。

「お話を仙台の実家で――と申しました。その理由が、これです」
 さくらの指した先には矮人の骸があった。

「――では最初から、これを予期して……?」
「はい。先生に付き添って矮人が訪れることは諜報の者たちが知らせてくれました。物騒なことになりそうでしたので、屋敷の者は母も含めて皆、出払っております」

 いわれてみれば、そうだった。
 深夜とはいえ、これだけの騒ぎがあったにもかかわらず、屋敷内は、やけに人気(ひとけ)が少ない。

 そういうことだったか、と郡山は思った

「しかし、何のために……?」

 さくらは淋しそうに微笑んだ。
「私の霊力の内偵でしょう」
「誰が……?」
 いわずもがな――であった。

 さくらの霊力を、どこよりも把握したがっているのは軍部である。

「……陸軍参謀本部の差し金……?」
「可能性の一つです」
 さくらは澄まし顔で頷いた。
「莫迦なことを……」

 責任の一端は郡山にもあった。
 郡山は、さくらの今回の診断結果を外部に一切もらさない方針をとっていた。
 それが陸軍参謀たちの気に触ったかもしれない。

「何か圧力はありませんでしたか?」
 さくらの問いに、郡山は力なく首を振った。
「いや、特には……」

 嘘であった。
 実際には、圧力はあった。

 帝都で恩師と今後のことを協議したときに、
(診断結果は、しばらく伏せて頂きたいのです)
 と上申した郡山に対し、恩師は明確に異を唱えた。
(そんなことをして、陸軍を敵に回す気か?)

 手を変え、品を変え、様々に説得を試みたが返事は同じだった

(――では、せめて、ご本人に伝えるまでは待って頂きたいのです)
 と拝み倒すに至り、最後は渋々、認めた。

(あれが圧力であったのかもしれぬ)
 と郡山は思った。
 恩師は既に陸軍に取り込まれている。

(誰を信じたらよいやら……)
 郡山の心は泥中深く沈む鉛であった。



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