その駅に、そのホームはない。
東京駅の11番ホームである。
1番から10番ホームまでと、12番、13番ホームとがあった。
11番ホームだけがない。
11番線はある。
11番線は業務用で、客の乗降のためのホームは必要なかった。
今は12番、13番ホームもない。
東北・上越新幹線が乗り入れたときに、撤去された。
つまり――
11番ホームは、初めから存在していない。
東京駅には、存在したことがない。
なのに――
僕が神咲康子(かんざきやすこ)と出会ったのは、東京駅の11番ホームがきっかけである。
「そうだっけ?」
と、康子は首をかしげる。
が、間違いはない。
僕と最初に会ったときのことを忘れるなんて、康子も酷いヤツだ。
「怒らないでよ――」
と、康子は意に介さない。
「――付き合いが長くて、わからなくなっただけじゃない」
と笑う。
◆
20年くらい前のことになる。
僕は恋人と別れ、東京駅の構内をさまよっていた。
「別れ」というのは、いわゆる「さよなら」のことであった。
その夜、田舎に帰省していた彼女が、東京駅に戻ってくることになっていた。
出迎えた僕に一言、
「好きな人ができた」
と云う。
「そうか」
と云って――
僕らは別れた。
他に、どんな言葉があったというだろう?
顔が真っ赤になった。
頭は真っ白になった。
彼女のことが、まだ、
(好きだ……)
と気が付いた。
八重洲中央口から、総武線・地下ホームのエスカレータに向かって歩いていると――
小さな女の子とすれ違った。
ピンクのワンピースと幼稚園児風の黄色い制帽――背には大きな緑色のリュック――
東京駅を一人で歩くにしては幼すぎる。
僕と目が合った。
すぐに――
女の子は泣き出した。
けたたましい泣き声が耳をつんざいた。
そのまま通り過ぎるのは、ムリだった。
そんなことをしたら、きっと、こっちまで泣きたくなる。
僕は、足下に寄り、
「どうしたんだい?」
と覗き込んだ。
当時の僕は、幼子の扱いには慣れていた。
別れた彼女には十歳くらい年上の兄がいた。
その兄には子供があったのだ。
もっとも――
このときの僕は、そういう経験など、どうでもよかった。
むしろ、虚しかった。
ただ、ひたすらに、虚しかった。
女の子は、ワンワンと泣きながら、
――11番ホームが、わからない。
と云う。
(11番ホーム?)
よくきくと、そこに母親が迎えに来るそうだ。
早速、駅員を捕まえ、11番ホームの場所を聞き出そうとした。
が、
「11番ホームなんて、ありませんよ」
と、駅員は云う。
僕は、そのときになって初めて、東京駅には、11番線はあっても11番ホームはないことを、知った。
「11番線は業務用です。プラットホームはありません。ホームがあるのは1番線から10番線までと、12番、13番線です」
では、この子の云っていることは何なのか?
「たぶん、何かの間違いでしょう」
と、駅員は笑った。
昔、女の人が男をふるときに、
――東京駅の11番ホームで逢いましょう。
などと云ったそうである。
もちろん、幼女にそんな嘘をつく必要はない。
たしかに、ただの間違いだと、僕も思った。
「お子さんのお名前を伺いましょう。迷子のアナウンスをしておきますよ」
と、駅員が云うので――
名前を聞き出そうと、振り返ったら――
もう、そこに幼女の姿はなかった。
「どこいったんだ?」
と舌を打ったが、あとの祭である。
「――では、もし、また、みかけたら、お知らせ下さい。こちらでも気を付けてはおきますけど……」
と、駅員は云った。
「すみません」
と、僕は詫びた。
駅員と別れてすぐに、幼女が駆け寄ってきた。
「どこにいってた?」
と問うても、首を振るばかりである。
泣き腫らした目は、何かに脅えているようでもあった。
僕は、ゆっくりと事情を説明し、駅員のところに行って、お母さんを呼び出してもらおうと勧めた。
が、幼女は首を振る。
――どうしても嫌だ。
と云ってきかない。
延々30分近くにわたって説得を試みたが、無駄だった。
途方に暮れた。
そこに――
声をかけてきた女がいる。
「どうしました?」
若い女だった。
白い巻きスカートには黒いタイツが映えた。
やはり黒色のウエアには無駄がなく、華奢な躰の線が露になっていた。
僕と同い年くらいだったのだが――
落ち着きをたたえた目元が、母性の慈愛を宿していた。
まさに、
(地獄に仏――)
であった。
(この人なら、ダダッ子もうまく扱えそうだ)
と思った。
今にして思えば、何の根拠もなかったのだが――
「11番ホーム?」
と、女は訊いた。
「駅員に云ったら、そんなホームはないって云うんだけど……」
「他に心当たりは?」
「いや、何も……」
女は、幼女の足下に寄り、何事かを話し始めた。
すっかり疲れ果てた僕は、その様子を、黙って見守っていた。
やがて――
「行きましょう」
と、女が云った。
「どこへ?」
と問うと、
「11番ホーム」
と云う。
「本気か? 11番ホームなんて、存在しないんだぞ?」
「嫌なら、いい。一人でいくから――」
冷たい言葉とは裏腹に、女の顔は微笑んでいた。
◆
それからのことは、よく覚えていない。
気付いたら、僕はホームに立っていた。
無人のホームだったと思う。
11番線には、ブルー・トレインが車体を休めていた。
乗降口が開き、列車の中から人が走り出てきた。
子供の名前を叫んでいる。それが母親だった。
幼女も、
「お母さん!」
と叫んで、駆け出した。
「どうも、ありがとうございました」
と、母親が云うので、
「どういたしまして――」
と、女は頷(うなず)いた。
「本当に、何と御礼を申し上げたらいいのやら……」
母親の言葉には違和感があった。
たしかに、迷子の我が子と再会できたのだから、感謝するのは当然にしても、
(そこまで、へりくだるものか?)
と思った。
女は母親の肩に手を乗せ、無言で乗車を促した。
「もう二度と、この子は離しません」
母親は、そう誓い、列車の中に消えていった。
その後のことも曖昧だ。
女とは、そのまま特に挨拶をすることもなく、自然と離ればなれになった気がする。
◆
それから数日後――
僕は自宅近くの喫茶店で週刊誌に目を通していた。
パラパラとページをめくっていて、
(あれ?)
と思う。
――東京駅で母子、投身自殺。身元は?。
という記事であった。
母親が幼い少女を抱え、東京駅の11番線に飛び込んだ。
10番ホームから線路に飛び降り、次いでホームのない隣の11番線に飛び込んだという。
母親は即死に近かった。
子供は、しばらく生死の境をさまよったが、1週間後に亡くなった。
走行列車への投身自殺は珍しくはない。
それが週刊誌の記事になったのは、この親子の身元が最後まで判明しなかったからである。
――極めて異例のこと――
であって、
――気味が悪い。
という記者の感想が、その記事を締めくくっていた。
事件は1ヶ月前だと書かれてあった。
母親は即死――
子供は、だいぶ遅れ、1週間後に死んだ。
(母親に遅れて……?)
僕は、11番ホームからブルー・トレインに乗っていった親子のことを思い出していた。
奇妙な符合ではある。
(――もしかして、僕のみたものは亡霊か?)
などと勝手に想像を膨らませた。
そこへ――
「亡霊ではない」
と声がした。
みると、向かいの席に女が座っていた。
あのときの若い女だった。
「カンザキヤスコ――よろしく――」
と挨拶をする。
「カンザキ」は「神崎」だと思った。
が、違う――「神咲」であった。
「亡霊じゃないんなら、なんなんだい?」
と訊いてみた。
が、女は答えない。
「そのうちに説明する」
と、はぐらかすだけであった。
以来、20年近く、説明は受けていない。
そう――
あれから、もう20年が経っている。
康子は今も若い。
不思議なことに、あの頃と何も変わらない。
(そんなバカな)
とは思う。
が、それが実感である。