ドアの開く音がした。
明梨がビニール袋を提げ、戻ってきた。
「どこ行ってた?」
と問うと、
「ちょっと、そこの酒屋さん」
と云う。
「酒屋?」
「そう。ビールだよ」
明梨はロング缶を五、六本ほど抱え、居間に入ってきた。
「誰が飲むんだい? こんなに……」
「あなたと私――」
と云うので、
「あんまり、いけるほうじゃないんだがなあ……」
と苦笑すると、
「大丈夫、私はいけるほうだから――」
と明梨は微笑んだ。
「折角だから、きく?」
と明梨は云った。
何のことかと思った。
「私の曲――」
と云うので、僕は、
「ああ……」
と、うなずいた。
「――きかせてくれるなら喜んで……」
「とりあえず、アレンジが済んでるものを、ね……」
明梨は本棚まで行儀悪く這っていき、そこから二、三本のカセット・テープを取り出した。
「一つは、中学時代に作ったもの。もう一つが高三の時につくったもの。最後が、先週、家に帰ったときに作ったもの。できたてホヤホヤの新作だよ」
と明梨は笑った。
四つん這いになってカセット・テープをセットする明梨の後ろ姿を、僕は何とはなしに見入っていた。
*
明梨は、言葉とは裏腹に、あまり飲まなかった。
その代わり、明梨は、ここでも、よく喋った。
まるで、これまでの雰囲気が壊れるのを恐れるかのように……。
「あなたの話も、ききたいな」
と明梨は云った。
「僕の話?」
「話すのは嫌い?」
と問うので、僕は笑った。
「僕は、本当はお喋りだよ」
「……なら喋ってよ」
「本当にいいのかい?」
大して深い意味があっての言葉ではなかったが、明梨は、そうは思わなかったようだ。
「興味あるな、あなたが話すこと」
そう改まられても困ると、冗談めかして云ったが、
「とことん聞いてあげるよ」
と明梨は云った。
このまま、喋り通しで朝を迎えたいと思っているらしかった。
別に腹は立たなかった。
僕だって、明梨を抱くことなんか、考えてもいなかったから――
そう……、本当に考えてもいなかった。
「僕が考えることってのは、ちょっと変わっててね……」
と僕は切り出した。
「変わってる?」
と明梨が促すので、僕は、そのまま話すことにした。
「自分は大学に行って、何をしたいか、ってことなんだ」
「何をしたいか?」
「きみは、どう思う?」
と僕は唐突に訊いた。
「そうね。差当り作曲がしたい」
と間髪入れずに帰ってきた返事は、何だか、すばらしかった。
「初めてだな、そんな人は」
と僕は笑う。
「そうかもね。作曲なんて、普通の人はしないもの。音楽をきく人はいてもね……」
「いや、そういう意味じゃなく……」
僕は首を振った。
どう云えばわかってもらえるかと、考える。
「――僕が云いたかったのは、例えば、世の中の受験生の多くは、遊びたいって答えるだろうってことだよ」
「遊びだよ。作曲だって――」
と云うので、
「やっぱり、きみは面白い人だ」
と、うなずいた。
「それで?」
と明梨が促す。
「僕は多分、古い考えの持ち主でね……」
「どう古いの?」
僕は笑った。笑うより仕方なかった。
このまま突っ走ってしまうか?
そうなれば、終わりかもしれない。
「studentの訳語を知ってる?」
と僕は訊いた。
「生徒でしょ?」
と明梨が答える。
「それもあるけど、研究者って意味もあるんだ。僕は、それこそが大学生の本質だと思ってる」
明梨は無言だった。
明らかに、話題は彼女の興味とずれた。
しかし、僕は続けた。
「大学生が研究者である以上、やっぱり、大学生の遊びといったら、酒を飲むとか、恋愛するとか、そういったことじゃなくて、研究者の真似事だと思う」
と僕は云った。
明梨は無言だった。
「要するに、大学生って、短くはない一生のうちで、唯一、どうでもいいことに興味を持って、どうでもいい勉強に夢中になれる時期だと思う。ごく普通の人間が、社会に出る前のほんの数年、学者になる。それが大学というところだと思うんだ」
明梨は、僕から目をそらし、あくびをした。
(やっぱり……)
と僕は思ったが、どうしようもなかった。
僕の落胆に気付いたか、
「ごめん」
と明梨は、すまなそうに云った。
とにかく続きをきこうとしてくれることは有り難かった。
「僕は哲学に興味がある」
「哲学?」
「きみは、あんまり興味はない?」
と水を向けても、明梨は無言だった。
僕は続けた。
「哲学というのは、わかりきったことに理屈をつけることだって、悪口をいう人がいる。でも、そうじゃない。少なくとも素人の哲学は、そうじゃない」
「素人の哲学?」
「……皆、一度は考えたこと、あると思うんだ。子供の頃、自分は何で生きてるんだろうって……。この体が死んでしまったら、いったい自分はどうなるんだろう? そもそも世の中はどうなってるんだろう? 自分が死んでも、世の中は続いていくんだよな……。すると最後は、どうなるんだろう――」