(7)


 その夜の明梨は、よく喋った。
 喋るときは喋る――それが明梨だ。
 しかも、下品に、ではない。
 上品に無駄話をしてみせるという特技を明梨は持っていた。

「高校ではソフトボール部に入ってて、結構、運動屋さんだったんだけど、怪我してからは何もしてない」
「怪我?」
「うん。試合でね……」
「何したの?」
「ダブル・プレーを焦って一塁ランナーに足を引っ掛けられたの」
 僕も野球には明るかったので、それだけでポジションがどこかは見当がついた。

 が、一応、尋ねる。
「ショート?」
「ううん。セカンド――」
「……ふうん」
 ほぼ予想通りだった。

「――で?」
 と促すと、
「結構、大変だった。脳震盪をおこしたみたいで、病院に担ぎこまれて、よく検査したら足の方が重傷で……」
「骨折?」
「靭帯を切ってたの。とにかく、すごい大怪我だといわれて、手術して完治するのに半年かかった」
 僕は苦笑した。
「それは、また、エラいめにあったな。よく知んないけど、手術って順番待ちとか、あるんだろう?」
「その辺は、うちのお父さんが、なんとかしてくれたわ。同じ外科の医者だから……」

 それから、話は明梨の家族のことに移っていった。

 父親は札幌医大を卒業し、道内を転々としつつ、外科医としての腕を研いたこと――
 研修中に看護婦の母親と知りあって結婚したこと――
 なかなか子供ができず、結婚十年目で、ようやく生まれたのが明梨であったこと――
 それだけに甘やかされて育ったこと――

 かなり年上の従兄がいて、北海道大学の医学部で働いていること――
 もし、明梨が医学部を諦めたら、その従兄が家の病院を継ぐことになるらしいこと――

 そこまで、明梨は話してくれた。

「お父さんは、私が医者になるの、あんまり賛成じゃないみたい。そんなにキツいことしなくて、いいって感じね……。お母さんが熱心に勧めたの」
「なぜ?」
「さあ……、看護婦が面白くなかったからじゃない」
「お母さん、今は看護婦じゃないの?」
「うん。私が生まれてからは、ずっと家の病院の事務をやってる」
「ふうん」
 と僕はうなずいた。

「何だかんだいって、甘い両親よ。とくに私にはね……」
 と明梨が付け足したので、
「甘いって、どんな風に?」
 と問うと、
「子供の頃、無理だろうって思いながらも、ねだるってこと、やらなかった? それでね、私、シンセサイザー欲しいって云ったら、すぐに買ってくれたの……。そんな親……」
「相当お金持ちなんだな」
「どうかな? 病院の経営は悪くないみたいだけど、収入のことは喋らないよね。親って……」
「そうだな」
 と僕は思った。

 実は、うちも似たりよったりの家庭環境だった。

 母が田舎の大病院の一人娘だった。
 が、母は医者ではない。
 父も違う。

 父は婿養子だが、母の家に入ったのは病院の経営手腕を買われてのことだった。
 お前は医者になれ、と繰り返し云われ続けて育った。

 小学校のときから成績は良かった。
 だから、自分でも医者になるつもりでいた。
 少なくとも高校に入る頃までには、何も疑問には思わなかった。

 高校に入って、急に医者が嫌になった。
「東大にいきたい」
 と父に云った。

 父が東大卒だった。
 多少の対抗意識があった。

 東大で何を学ぶのか、ときかれ、哲学か文学だと答えた。
 父は鼻で笑った。
 せめて法学か経済学にしろと云われた。
 父は経済学部だった。

 それで僕は医学部受験を決意した。
 東大の医学部である。

 東大に行けば何とかなると思っていた。
 地元の国立大学では、多分、哲学も文学も、ろくなものはやっていない。
 が、東大は違う。
 とにかく東大にいれば、医学部であっても、一流の哲学や文学に触れられると思った。

 それで、僕は東大を目指していた。
 父は何も云わなかった。
 無気味な沈黙だった。

「へえ」
 と明梨は云った。

 が、それきり黙ってしまった。
 そのほうが都合がよい。

 僕が哲学や文学の話をしないほうがいい。
 多分、明梨には退屈だ。

 自分の話を打ち切るために、僕は、
「――で、シンセサイザーなんか何に使うんだい?」
 と訊いた。
 先ほど、親にねだって買ってもらったと明梨が云ったからだ。

 答えは明快だった。
「遊びよ」
「遊び?」
「うん。作曲とか、アレンジとか」
 明梨の目が輝き始めた。

 どうやら、彼女が最も夢中になっていることに話が及んだらしかった。

「今も勉強の合間にやってるよ。さすがに、シンセサイザーは持ってこれなかったけど、代わりにキーボードがあって、それでやってる」
「面白いかい?」
「つまらなかったら、やらないでしょう?」
「そりゃそうだ」

「昔ね、……って今もそうだけど、うちの母親、とにかく旅行好きなの。だから毎年、夏休みは海外に出掛けてて、私も中学までは、ついて行ってたのね。ヨーロッパとかカナダとかアフリカとかオーストラリア――だいたい行ってきたな」
「それは、すごい……」
「今、思えば、そう……。でも、当時は、それが当たり前と思ってたんだよ。ひどいでしょ?」
 と笑うので僕も笑った。

「――で、その旅行と作曲と、どう結びつくんだい?」
 明梨は待ってました、とばかりに話し始めた。
「あちこち旅行してまわって、思いついた旋律を書き留めていったのが始まりなの。いまも大体、同じ方法かな。私、社会は地理をとってて、わりと世界各地の様子とかに興味があるの。……で、写真とかを頼りに曲を作って録音する。まだ、誰にも聞かせたことないけど……」
「それはいい。今度、ぜひ、きかせてよ」
 と云うと、
「いいよ」
 と恥ずかしそうに、うなずいた。

 それから延々、曲作りの話が続いた。
 音楽には興味がなかったが、明梨が話す分には興味深かった。

 旋律を作り、編曲までこなすという明梨に、僕は素直に関心した。
「でも、詞は付けないんだよ。何度か挑戦したけど、うまく書けなくて……」
 と笑う。
(では、僕が付けようか?)
 という台詞が喉をでかかったが、ためらった。
 これ以上、調子にのると痛い目にあう――と思ったのである。

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