七月最後の週――
夏期講習期間に入って三週目のことだった。
明梨は午後になっても姿をみせなかった。
どうしたかと戸惑っていると、夕方四時頃に、ひょっこり姿をみせた。
「今日から講習をとったの」
と明梨は云った。
この後、六時半からも授業があるという。
「ためになるかい?」
と訊くと、
「さあ……」
と小首を傾げ、笑った。
久しぶりの笑顔だった。
夏期講習は、市ケ谷の校舎ではやっていない。
お茶ノ水の校舎でやっている。
一方、明梨は池袋のアパートに住んでいた。
池袋から有楽町線で市ケ谷まで出、JR総武線に乗り換え、御茶ノ水に向かう。
「新宿線なら御茶ノ水まで直通でいくだろう?」
と問うたが、答えは明快だった。
「……だって、定期券がないもの」
それに、空き時間は市ケ谷で自習するからいいのだと、明梨は云った。
なるほどと思った。
(もしかして、僕に会いに来てるのかもしれない……)
などと自惚れた自分を、僕は笑った。
*
八月になった。
この頃、明梨は午後一時からの講座をとっていたらしかった。
お茶ノ水から戻って来る明梨を心待ちにする自分に、僕は気付いていた。
惹かれる自分を、どうしようもなかった。
いつの間にか、下品な空想の相手が明梨になっていった。
はっきりと明梨になっていた。
深みにはまったのが、わかった。
(気持ちを伝えようか?)
と思ったが、恐かった。
その一線は越えられないと思った。
明梨が僕を受け入れる確率は皆無のように思える。
僕の本当の内面を知ったら、彼女は逃げる。
かと云って、諦めることなど、思いもよらぬことだった。
(もしかして、受け入れてくれる……)
との幻想が捨てきれない。
(見送ってしまえ……)
と叱咤する声――
(気の迷いだ)
と諭す声――
(いまを凌げば何とでもなる)
と励ます声――
ジレンマから抜け出すのは容易ではなかった。
*
八月、第二週――
明梨は一度も姿をみせなかった。
きっと、実家に帰っていたのだと思う。