(2)


 娘の名は宗谷明梨(そうやあかり)といった。
「宗谷岬の宗谷に、明るいに、山梨の梨」
 だそうである。

 翌朝、明梨は、すぐに二千円を返してくれた。
 それをきっかけに、僕たちは何となく喋るようになった。

 僕に友人は少なかったが、それは明梨も同じらしかった。
 予備校というところは、やたらと友人を増やす者と、そうでない者とがいる。
 二人とも後者だったから、逆に波長があったのかもしれない。

 明梨は意外に、よく喋る女だった。
 それも、当世風のキャピキャピした口調でなく、変に語尾を伸ばしたりもせず、しっかりとした口調で、少し鼻に掛かったアルトの声で、よく喋るのだった。
 話題は、最初のうちは受験のことが中心だった。

 大学入試センター試験のこと――
 数学の勉強の仕方――
 模擬試験のこと――

 そんな話を、授業の合間にした。

 遠慮がなくなってくると、互いの過去についても探りあった。

 明梨は札幌の出身だ。
 家は開業医だそうである。
 入院施設もある大きな病院だという。
 同胞がないため、明梨が後を継がなくてはならない。

「現役のときは札幌医大を受けたんだけどね……、見事に落ちて……、で、一年浪人したら成績が伸びたから、今度は北大を受けたのね。そうしたら、また落ちて……。私、何してるんだろう、って真剣に悩んじゃった」
 深刻な話を、からっと打ち明ける。
 北大というのは北海道大学のことである。
 いわゆる旧帝大と呼ばれる名門で受験レベルは高い。

 一浪して落ちたということは、つまり、明梨は二浪生である。

 医学部志望者に二浪生は珍しくない。
 が、女子の二浪は奇特と云える。

 現役で合格できそうなところを堅実に狙っていくのが女子受験生の特徴だ。
 なのに、一浪して志望校ランクを上げたという。
 随分な無茶をしたものだ。

 が、二浪なのは僕も一緒だった。
 医学部志望なのも一緒である。
 他人のことは云えない。

「あれ? 金崎(かねさき)くんも二浪?」
 と問うので、僕はうなずいた。
「じゃあ、私たち同い年なんだ」
「そうだね」

 僕が二浪している理由は難しくない。
 志望先が極端に難しいところだからだ。

「金崎くんは、どこを狙ってるの?」
 と問うので、
「東大」
 と僕は短く答えた。

「へえ。凄い」
 と明梨は目を丸くした。

「じゃあ、去年も東京で浪人してた?」
「してたよ。ここの商売敵の予備校でね」

 その云い方が可笑しかったのか、明梨はアハと苦笑した。
 そうやってみせる笑顔が思いの外、魅力的だった。

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