8 ディナン会戦


 ディナン会戦と呼ばれる戦闘があった。
 その会戦で、国軍の主力が壊滅したのは、いまから三年ほど前のことである。
 新聞でもTVでも、その敗戦は大きく報じられ、イフリディーティ市民は、迫り来る外敵の脅威におののいた。

 夫が麾下の艦隊を全滅させ、自らは下半身の機能を失ったのは、この戦いでのことである。
 そして、この客人も、この敗戦をきっかけに、それまでの地位を追われた。

 その直後、新指導部主導のもと、軍上層部の人的再建が着手された。
 新しい幹部要員の中には、甥と、将来、その妻になる女性とが含まれていた。
 建て直された防衛体制で、国軍は辺境版図の確保をはかった。
 血みどろの戦いが繰り広げられた。甥も嫁も、幾度となく戦線に出征し、残された砦を、ひたすらに守った。

 先年、交戦国が総力を結集し、味方への侵攻を開始した。
 国境線は崩れた。
 深刻極まりない窮地と報道機関は報じた。
 世論は恐慌寸前となった。

 この危機を救ったのが、甥だった。
 当時、二十六歳の若さで、国軍の全艦団の指揮権を握った甥は、数にして二倍の敵軍と戦ってこれを討ち破り、敗走せしめた。
 イフリディーティ市民が固唾を飲んで見守ったこの会戦は、負ければ首都陥落が濃厚となるような――百年に一度あるかないかの――大きな戦いであった。

「私も、ずいぶん長いこと、軍艦乗りをやってきたが、映画や読み本ならいざ知らず、現実の戦闘で、二倍の敵艦隊を破った男は、君の甥御を除いては知らん。それも互角に戦って、痛み分けに持ち込んだというのでもない。艦艇の粗方を撃ち果たしての大勝利だ。彼が味方で本当に良かったと思ったものだよ」
「マリー・オリエンティーナ提督の働きを忘れていただいては困ります。彼女が中央を最後まで守ったからこそ、甥の奇策が生きたのです」
「むろん、むろん」
 老人は目を細めてうなずいた。

「なにはともあれ、満足のゆく結果ではないか? 周知の通り、我が軍は政府の定めた一定の国防予算の枠の中で戦っている。おかげで、毎度、苦戦を強いられるが、どうだね? 市民の多くが、戦争とは無関係の職業で生きている。ほとんどの人間が、いま、国境で何が起きているのかも知らない状態だ。徴兵制もごく一部に適用されるだけ……」
 一つ、咳払いをはさみ、老人は続けた。

「勘違いしてもらっては困る。別に嘆いているわけではない。それが、我々連邦軍人の誇りだからな。政府の云う小さな軍隊のおかげで、市民の大半は戦争を忘れている。忘れてもらっている。それが、我々の見栄だ。国の総力を挙げて戦争に取り組む暗い社会とは、わけが違うのだという優越感……。しかし、我々はディナンで完膚無きまでに叩きのめされ、自信を失いかけていた。その誇りと見栄を、きみの甥御は最後で守ったのだよ」

 軍部がいつも財政難にあるのは、そうした理由によるものだ。
 自分たちは、史上稀に見る壮大な実験に参加しているのだ。
 すなわち、なるたけ軍備を押さえて国を守っていくという理想的な建前を、どこまで貫きとおせるか?
 むろん、ここ数年は、政府も軍事費超過の予算をとらずにはおれない状況だった。

 しかし、それはあくまで窮余の策である。
 それが証拠に、交戦国との講和がなったいま、また、もとの予算編成に戻されることが、先の連邦評議会で決まった。
 こうした国防費削減の試みは、いまの政権が世論の支持を失い、選挙に敗れ、下野するまで続けられるだろう。
 もちろん、他国に敗れ、国土を占領された時にも終わるのだ。
 しかし、いまのところ、終わる気配はない。

 ターナには興味のある話ではなかった。
 ただ、
(マリーさんなら、こういう話についていく)
 という劣等感があった。
 だから、必死で話についていった。

 なぜ、こうも躍起になるのだろう?
 まるで、負けん気の強い子供のようではないか?
 そもそも、嫁がこういう話についていくのは、当然である。専門家なのだから……。

(それでも)
 と、ターナは考える。
 昔から男が戦争をすると決まっていた。それは、故なきことではないと思う。
 人には、それぞれ向き不向きがある。それと同じように、性別ごとに向き不向きもある。
 なにしろ、男と女。こんなにも違うものなのだから。

 ただ、その向き不向きに、うまく当てはまらない者もいる。
 あの嫁がそうだ。
 嫁は非常に女性らしい一面があるけれども、同時にまた、ああして軍事で頭角を表してもいる。多くの女性が苦手とするものを、嫁は苦にしなかった。
 それも一つの個性なのである。
 それだけのことだ。

 最近、ようやく、自分の意見にまとまりをつけ、その結論に自信をもつことができるようになった。
 誰かに教わった術かもしれない。

 誰に?

 夫?
 甥?
 それとも……?

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