9 熱い……!


「失礼します」
 嫁が、新しい小壷と急須とを手に、入って来た。
 それをみて、すぐに反応してもおかしくはないはずだったが、ターナは嫁がお茶を汲む姿を、じっと眺めていた。

 そんなターナを我にかえらせたのは、嫁の抑えた悲鳴だった。
「熱い……!」
 手に熱湯をかけてしまったらしい。
 夫も客も、一斉に嫁に視線を向けた。

 廊下で控えていたらしい甥が、慌てて入ってき、妻の手をとった。
「大丈夫か?」
「……あ」
 嫁は、慌ててこぼれ湯の始末をつけようと、台布巾を手にした。
 客人の前ということもある。穴があったら入りたい気分だったろう。

 それより早く。
「冷やしてきなさい、手を……」
 ターナが代わりを引き受けた。
 うつむき、耳まで赤く染めた妻を庇うようにして、甥は病室を出て行った。
 ターナは慣れた手つきで卓上をさっと拭うと、嫁の容れかけたお茶を改めて汲んで、そっと客人にすすめた。

 その動作には、みているものをほっとさせる日常の営みがあった。
「いただこう」
 老人は茶杯を受け取り、その香を楽しみながら、そっとすすった。
「私は遠慮する」
 夫は、ターナの目線に反応し、断った。
 わかっている。完全でない義手で飲むのは厄介だ。

 それで、ターナは、自分の分だけを注いだ。
 しかし、形だけのことだったので、客人だけが茶杯を手にすることになった。
(お客さまだけが、お茶を飲むようなことにしては……)
 と、以前のターナなら、目くじらをたてたかも知れない。
 しかし、いまは違う。小さいことに気を回し過ぎては駄目なのだ。気付かない振りをすることも、一つの配慮である。

「甥御の上さんは、ずいぶん綺麗になった。そうは思わんかね?」
「ありがとうございます」
「初めて会った時は、十七。そう、甥御さんも一緒だった。あれから、およそ十年か。立派になった」
「しかし、あの通り、まだまだ危なっかしい」
 夫が微笑を浮かべて云った。
「自分が彼らくらいだった頃を思うと、私は何も云えんね」
「それは私とて一緒です。よくあなたに怒鳴られました」
 二人は静かに笑った。

 しばらくして、甥が、ノックして入ってきた。
 その手には、先ほどターナが客用にと買っておいた、お菓子の箱があった。
「さきほどは、妻が失礼を……」
 甥は、お菓子の箱をそっと卓上に置き、客に一礼をすると、ターナに向かって軽くうなずいた。
 ターナもうなずき返す。

「大丈夫かね? 御妻女の手は?」
 と、元帥卿がたずねた。
「ええ、いま、冷やさせています」
 と、甥は苦笑し、答えた。
「お大事にな」
 おどけて、老人が云うと、
「はい」
 と、甥は微笑で応じた。

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