昔は大柄な男だったそうである。
いまは幾分背も曲がり、足の具合が悪いのか、右手に杖をつき、わずかにびっこを引いていた。
ぎこちない足取りで、客は療養室に入ってきた。
夫は、開口一番、遠慮のない口調だった。
「お元気そうですね? 思ったより……」
本当に無遠慮な云い草に、どきりとした。気遣うつもりは、まったくないようだった。
「きみもな」
元帥卿の声は、しっかりとしていて、はりがあった。とても八十代のものとは思えない。
「妻です」
夫は、ターナを右の義手で指しながら、云った。
「これは、これは、お初にお目にかかる。シュトミール夫人」
最初は、介護婦か何かと思っていたらしい。
老人は、紹介を受けると、淑女に対する礼は逸しなかった。
彫りの深い、それでいて上品なしわをよせ、自然に笑いかけてくる。
「ご夫君とは、もう、ずいぶん長い付き合いになるもので、初めてお会いした気がしませんな。いや、お話はよく伺っていましたよ、夫人」
思いの他に人懐っこい笑顔だった。
「夫が大変にお世話になっていたそうで……。何のお構いもしませずに……」
「いや、なに……」
と、老人は云った。
自分は、たしかにその昔、あなたの夫を部下としていたが、それは三十年も前のこと。
その後は、もちつもたれつの関係だったのだと、豪快に笑った。
おそらくは誇張であろう。家柄や階級に厳しい軍部内において、そんなはずはないのだ。
だが、ターナは、この老人の話術を好ましく思った。
「この村は、よい自然を残しておろう? 静かで、空気がうまい。療養には最適だ」
老人は、ターナからパイプ椅子を借り受け、腰掛けた。
足は相当痛むらしく、曲げることもできない。
だらんと両膝をのばし、両手で杖を突いたままの姿勢で落ち着いた。
「よき甥御さんを持たれた」
たったいま、そこで久しぶりに口を聞いたよ、と説明する。
夫は苦笑して首を横に振った。
「まだまだです」
当時、十七歳だったリウス・シュトミールとマリー・オリエンティーナとを、次世代の軍首脳部の指導者として育てる方針を固めたとき、制服組の最高幹部をとりまとめていたのが、この老人であった。
ターナも、そのことは夫の口から聞いている。
別に有り難く思うつもりはなかったが、恨むつもりもなかった。
「あれからでさえ、はや十年以上経っているのだな」
と、老人は感慨深げに云った。
甥のリウスが士官学校在学中のことだった。
甥は、その他の多くの士官候補生と共に、実戦訓練のため、戦闘艦艇に搭乗していた。
そこで敵艦隊と遭遇し、突発的に戦端が開かれた。司令官が戦死したために、急遽、甥と同級のマリーとが指揮を執ることとなった。
そして、二人は最初の武勲を立てた。その戦功が認められ、二人は士官学校卒業後の特進を約束された。
そして、気付けば、二人とも提督号を帯びていた。
その後、今日まで、二人は出世街道をひた走ってきたことになる。
二人の若い才能を、いち早く見抜いたのも、この老人だった。
「恨んでおるかな?」
「私が、ですか?」
「大事な甥御さんだ。軍部内で祭上られるのは、たまらなかったのではないかな?」
老人の視線を斜めに受けとめて、夫は軽く息をついた。
「たしかに、何も感じなかったとしたら嘘になりますね」
「やはり、そうか」
「しかし、自分は素直に甥の抜擢を喜んでおりました。むしろ、本人があまりいい気はしなかったようで……」
甥は何の苦労もなく出世したことへの戸惑いを感じていた。
後でとんでもないしっぺ返しを食らうのではないかと、心の底から心配していた。
「結果的に、我々の判断は間違ってはいなかった」
老人は、幾分誇らしげに語った。