4 マリーさん?


 再び、
「マリーさん?」
 と、ターナの低い声が、給湯室に響きわたった。
「はい?」
 と、嫁は、今度はすぐに返事をした。

「それ、お願いね」
 ターナは、小壷と急須、茶杯の入った篭を、嫁に託した。
「はい」
 と云って、嫁はうなずいた。

「今日は、何時ぐらいまで居られるの?」
 と、ターナはたずねた。
「三時頃まで……」
 と、嫁は答えた。
「夕方から会議があるんです」
「会議?」

 姑の反芻に、嫁は、わずかに視線をそらせた。
「次の作戦の概要を決まるんです」
 いよいよ、厳しい戦いが始まると、報道機関が騒いでいた。その戦陣にたつのは、嫁であり、甥である。
「あの子も出席するのですか?」
 と、問うと、
「はい……」
 と、嫁はうなずいた。

 愚かな質問だった。
 甥は、現在、国軍の事実上の総司令官を務めている。その作戦会議は、おそらく、甥が召集したものだ。

 わかっている。
 二人とも多忙な身なのだ。
 それなのに、勤務時間の合間を縫って、きてくれているのだ。
 もう二度と回復しない夫のために――
 いくら身内とは云え、それは、やはり、たまらなく有り難い話だった。

 口調が静かになるように努めながら、ターナは云った。
「うちの人も、最近、めっきり口数が減りました。あなたやリウスが来るのを、心待ちにしているようです。出征中は仕方ないけれど、これからも、なるべく来てやってくださいね」
「はい。もちろん……」
 嫁は、今度こそ、本当に嬉しそうに笑った。

 なんて、素直な娘なのだろう。これが、あの才知に富みし名将と誉れ高い才媛か?
 信じられない。

 嫁は支度を終えて、篭を両手に提げた。
 これから、夫や甥のところへ持っていくというのである。
 そんな嫁の様子をみていたターナは、まったくの思い付きで、
「ちょっとそこまで、お菓子を買ってきます」
 と、云った。
「はい……」
 とだけ云って、嫁はうなずいた。
 唐突な言葉に、わずかに首を傾げたようだったが、それ以上は何も云わなかった。

 それから、ターナは、
「お茶はぬるめにね。とくにリウスのは……。あの子、猫舌だから」
 と、付け足した。

 余計なことだと思った。
 そんなことは、嫁の方がよく知っているに決まっている。
 しかし、
「はい」
 と、嫁は、今度も、はっきり、うなずいた。

「それじゃ」
 と云って、給湯室を出ようとするターナを、
「お姑さま?」
 と、嫁が呼び止めた。
「おいしそうなの、選んで来てくださいね」
 嫁の笑顔は、少女のそれだった。

「任せておいて!」
 意外にも、それは、素直に出た台詞だった。
 気持ち良く云えた台詞だった。
(まだまだ、捨てたものではない)
 こういう自分の顔なら、おそらく十は若くみえる。
(いつもこんな表情が保てたらいいのに……)
 と、ターナは思う。

戻る 次へ