――お姑(かあ)さま。
と、嫁は、自分のことを、そう呼んだ。
(こそばゆい)
と、ターナは思った。
嫁いできたその日に、
(お姑さま……)
と、呼ばれたときから、いい気はしなかった。
必要以上に高見に据えられたようで、嫌だった。
養子に迎えた甥の嫁である。
自分を指して、こう呼ぶことに、何ら誤りはない。
しかし、なぜか、受け入れ難かった。
もっと別の言葉があるのではないかと思った。
(お姑さま)
である。
(お姑さん)
ですらない。
秋は深まっていた。先週あたりから、朝晩の冷え込みは強い。
しかし、今日は朝から良い天気だった。
熱い陽射しが、天窓から差し込む。夏に逆戻りしたようであった。こうして内働きをしているだけでも、汗ばんでしまう。
ターナは、思わず額に左手を添えた。
「リュプスターナ」は首都郊外の小村である。南半球中世語で「黄金色の丘」という意味だそうだ。
数年前までは、知りもしない名であった。
それが、いまは、こうして居を構えている。
人生とは、わからない。
首都イフリディーティから移り住んできて、はや、半年の月日が経とうとしていた。
当初は慣れぬ田舎暮しに不安を抱きもしたが、いまでは、「黄金色の丘」の風物が、いくらか好きになっていた。
深い森の温もりは、現代人の心にもしみわたる。
小鳥のさえずりは、都会人の心にも響きわたる。
秋の太陽は、やんわり輝き、大地を慈しむ。
黄金の陽光が、まぶしい。
実もたわわとなった果樹園の木々――
色付き始めた木の葉の彩り――
地平まで澄みわたった青い空――
なだらかに裾野を広げる丘陵――
日の光に照らされ、きらきらと光り輝くせせらぎの水面――
その水面を、肥えた魚が、時折、パチャリとはねた。
療養所の給湯室。
ターナは、沸かしたての湯を、小壷(ポット)に移していた。
かつての自分なら、わけもないこと――であった。
しかし、いまは大仕事である。
肩や腕が痛み、思うように小壷が持ち上がらない。
おぼつかない右手で、無理に、熱湯を注ごうとして、
(……あ)
と、湯がこぼれた。流しから、もうもうと水蒸気が立ち上る。
あるまじき失態だった。
(莫迦なことを……)
わかっている。自分は、無理をしすぎているのだ。
最近、新しい仕事を始めた。それが、もう若くはない体を痛めつけている。片や腕だけではない。そのうちに、全身が痛みだすかもしれなかった。
もう何日もくつろいだことがない。疲れはたまっていた。
何もかも放り投げ、横になってしまいたい――
さもないと、いつか、ふいっと意識が遠くなっていく気がした。
こんなことでは、先が思いやられる。
これから先、うまくやっていけるだろうか?
そんなターナの内情を見透かしたかのように、嫁のマリーが云った。
「お疲れではないのですか?」
と。