グラスの向こう側(2)


 宿に泊まった翌朝、俺はロベリアを連れて自分の住処へ戻った。ちょっと入り組んだところにある、ボロい建物の一室だ。
 もともとあまり広くはない部屋だったが、カーテンで仕切りを作って2つに分け、一方を俺の部屋、もう一方をロベリアの部屋にした。ベッドとかは後で手に入れてきて据え付た。
 俺達は、このボロ部屋を拠点に仕事を始めた。もちろん、俺にはグループの方の仕事もあったから、週に2、3件のペースだがね。
 最初は、貴族どもの身ぐるみをはがすことから始めた。他のグループの獲物の横取りをしないよう、細心の注意を払った。
 手口は簡単だった。ロベリアに綺麗な身なりをさせ、貴族の乗ってる車に近づけさせる。知ってるかどうか知らないが、ロベリアはものすごい美人なんだぜ。だから、好色な貴族どもは、ロベリアを見るとわざわざ車から降りて話しかけてくる。あとは、ちょいと人気のないところに誘い込んでやって、炎で脅して終わりだ。待ち伏せされてる気配もないから、貴族どもは油断してほいほいとついて来やがる。ちょろいもんだったぜ。
 はじめのうちは上手くいったが、段々と貴族どもに警戒されるようになって、やりにくくなっていった。次に俺たちは、貴族どもの邸宅に忍び込むことを考えた。まず、庭に火を放って、そっちに警備の連中の目を向けさせる。その隙に忍び込んで、金目のものを頂いてく、っていう寸法だ。
 路上で剥ぐよりは効率よく稼げたが、その分リスクも大きかった。何しろ、逃げるタイミングが遅れると警備の連中が戻ってきて捕まる可能性があるからな。万一捕まってもロベリアの方は逃げられるかもしれないが、俺の方はどうなるか分からない。
 さて、ちょっとした出来事があったのは7度目か8度目の侵入盗をやった時だった。こんだけ回数をこなすと、慣れが出てきて、油断しやすくなる。しかも、既に巴里の貴族の間にはこういう手口の侵入盗があるって知られているから、ある程度対策もされている。要するに、捕まりやすくなってるってわけだ。その日の夜、いつも通りロベリアが屋根に登り、侵入しようとしている方向とは逆の方にある庭に火を放った。そうすると、これまたいつも通り夜警の連中がそっちの方へ向かっていった。俺達は邸宅の屋根についている窓に穴を開け、そこから鍵を開けて中に入った。あとは、ほぼ無人の邸内を漁るだけだった。いつもはある程度漁ったらすぐにずらかるんだが、その日はつい調子に乗っちまって、少しずらかるのが遅れた。さらに悪いことに、実はその貴族はご丁寧に屋敷の中にも警備を残していた。そのことに気づづいたのは、囲まれた後だった。俺は、助かる方法を二通り考えた。
 一つは、ロベリアに暴れてもらい、警備どもがロベリアに気を取られている間に逃げ出す方法。
 もう一つは、一度おとなしく捕まったふりをして、隙を見て逃げ出す、というものだった。
 前者なら、俺の方が助かる可能性が高い。相手は銃を持ってはいるが、数は少ない。うまくいけば、無傷で逃げられるだろう。
 後者を選ぶと、俺の方は助かるかどうかはロベリアの気分次第だ。逃げ出すには、ロベリアの力がどうしても必要だからな。だが、こっちなら少なくともロベリアは捕まる可能性が低い。
 何故だろうか、俺は後者を選んだ。馬鹿だと思うだろ?だが不思議と、俺はたとえあの時捕まったとしても、そっちを選んだことを後悔はしなかったと思うさぁ、なぜだろうな。
 捕まって、手かせをはめられて警備どもに玄関まで連れて行かれた。そこには既にサツの車が待機していた。警備がサツに俺らを無事引き渡せて一安心しようとしたところで、ロベリアが動いた。奴は炎で手かせを焼き切り、辺りに炎を放った。気づくと俺の手かせも外れていた。警備どもが戸惑っている間に、俺らは逃げ出した。後になって、ロベリアは俺に尋ねた。
「なぁ、なんでアンタ、あの時アタシを囮にして逃げようとしなかった? そっちの方が助かる見込みが大きかったんじゃないのか?」
「ああ、言われてみれば確かにそうだ。そいつは考えつかなかっな...。」
「全く...バカな奴だねぇ。」
 ロベリアは笑った。俺がロベリアの笑顔を見たのはそれが初めてだった。
「で、なんで俺も助けたんだ?お前だけ逃げても良かったんじゃぁ無いか?」
「それは...アンタにはまだ居てもらわないと困ると思ったから...ただそれだけだ。」
「ほぅ、それは俺のことを頼りにしてくれてるってことか?」
 俺が笑いながらそう言うと、やつは顔を真っ赤にしながら答えた。
「ち...違う、そういうことじゃない!」
「眼はそうは言ってないようだが?」
「うるさい! いい加減にしないと燃やすぞー!」
 やつの言葉にはもう凄みはなかった。俺はちょっとおびえた風をして、
「へいへい、分かりましたよ。ま、何はともあれ助けてくれてありがとな。」
 と返した。
「アタシの方こそ...。」
 その後ロベリアが何かぼそぼそっと言ったが、何と言ったんだろうね? 聞き取れなかったな、ははは...。


 この一件があってから、俺とロベリアの間にあった緊張がほぐれた。あくまで契約をかわした相手、という関係から、ちょっと親しい知り合い、ぐらいに変わった。ロベリアはある程度俺のことを信用してくれていたようだったし、俺もそこそこロベリアのことを信用するようになっていた。相変わらず言い方はキツかったが、それでも以前の様なトゲトゲしい感じは少しなりをひそめていた。
 俺は、一緒に仕事をする間に、色んなことを教えた。裏社会のルールや、情報屋の利用の仕方、表の連中との接し方...。カジノや酒の楽しみを教えたのも俺だ。だが、相変わらずロベリアは自分のことについては語らなかった。ロベリア・カルリーニという名前と誕生日くらいしか、俺には分からなかった。1905年の11月13日、ということだった。つまり、俺と会ったときには14になったばかり、ということだ。これには驚いたな。
 一緒に仕事をするうちに、俺らは段々と打ち解けていった。1年もすると、やつは俺がいないときは――そう、いつの間にか例の契約の条件は無効になっていた――一人で仕事をするようになっていた。もうあのときには一人前のワルになっていたな。下手したら強盗をやらせたら俺よりうまかったかもしれねぇ。いや、恐らく上手かったろうな。あいつは週に一度くらいはやっているのに対し、俺はいまだに女の斡旋とか、薬の密売をやっていたんだからな。
 そんなもんだから、もう一緒に仕事をすることが無くなった。ロベリアにしてみれば、もう俺と一緒にいるメリットは無かったはずだが、相変わらず俺の家に居座り続けた。俺に気があったわけじゃぁねえ。俺が寝床に誘ったら一発で断られたからな。もうあの時から俺は手玉にとられてたんだ、あいつにな。この奇妙な同居生活を続けていたら、いつの間にか5年が経っていた。既にロベリアの「巴里の悪魔」としての名声は確立していたが、その巴里の悪魔と俺との間の関係については、まだごく一部の人間にしかばれていなかった。仲間内にさえ知られていなかった。知っていたのは、同じ建物に住んでいた数人のごろつきぐらいのものだった。まぁ、奴らにも口止めはしてあったんだがね。


 だが、いつまでも隠し通せるもんじゃぁない。秘密ってのはいつかはばれちまうもんだ。そういう経験はないかい、兄ちゃん?
 おいおい、どうした? えらく動揺してるように見えるが? ひょっとして図星か?
 はは、まぁそう縮こまるなよ。安心しな、そのことについて細かく聞いたりはしねぇ。俺らは人の素性に立ち入らねぇんだ。それがルールだからな。
 さて、と...。一息入れたことだし、続きを話そうか。えーっと、どこまで話したっけかな? ああ、そうそう、グループに俺とロベリアの関係がばれちまったって話か。
 不幸のはじまりは、下っ端の一人が偶然にも俺の住んでる建物にロベリアが入っていくのを見かけたことだった。普通だったら、たまたま同じ建物を根城にしてるんだろう、ぐらいに思って終わりだ。だが、運の悪いことにそいつは好奇心にかられ、ロベリアの後をつけた。まともな奴なら、ロベリアを怖がって、そんなことはしねぇだろうがな。そしてもちろんロベリアに気づかれ、追い払われた。
「失せろ、クズ!」
 とロベリアが叫ぶのと、その下っ端の悲鳴とが聞えた。ここで終われば別に何ともなかったんだが、更に運の悪いことに、俺はその騒ぎに驚いて、ドアを開け、
「どうしたんだ、ロベリア!?」
 って叫んじまった。全く...何考えてんだかねぇ。
 当然、俺の叫び声はそいつに聞かれてた。そして、そいつはまんまと逃げおおせ、上に見聞きしたことを報告した。グループのリーダーに俺は問い詰められた。俺は必死で否定したが、住処に押し込む、と脅され、仕方なくロベリアとの仲を白状した。
 リーダーの反応は俺の予想の範疇にあったものだった。
「リシャール、随分といいパートナーを見つけたじゃねぇか、え? しかもご丁寧に5年も一緒に住んでいるとはよ。」
「全然良くねぇ。言葉遣いも汚ぇし、何しろコニャックが一番の好物なんだぜ? あんな女のどこがいいんだ?」
 俺はふてくされながら答えた。本心半分、嘘半分だ。ロベリアは、外見だけはべっぴんだったからな。
「何言ってんだよ。男と女が5年も一緒に居てなんにも起こらねぇ、ってことはないだろ? どうだ、『いい女』なのか?」
 女一人落とせないなんてバカ正直に答えたら、俺の沽券に関わる。だが、イレール――そいつがリーダーの名前だった――に質問されてるんだ、嘘はつけなかった。
「 ...分からねぇ。」
「なにが?」
「やつが『いい女』なのかどうか、俺には分からねぇ。不思議と身持ちの固い女でな、誘っても全然応えやしねぇんだ。強引にやろうとすれば、怪我をするのはこっちの方だしな。」
 俺は、必死で恥をこらえながら言った。本当に、穴があったら入りたいとはこのことだ。イレールは、鼻で笑って、皮肉混じりに言った。
「グループ内でも一、二を争う腕前のお前が落とせないたぁ、大した奴だ。面白い、ちょいと試してみたくなってきたな。今夜あたり、連れてきてくれねぇか? お前の相棒をよ。」
 相変わらず気味の悪い薄笑いを浮かべている。狙いは分かっている。
「無駄だぜ。無理にやろうとすれば、燃やされるぞ。」
「おいおい、俺をそこらのチンピラと一緒にされちゃぁ困る。ある筋から、俺は あの手の力を封じ込める方法を知っている。力さえ封じちまえば、ただのメスガキに過ぎねぇ。」
 段々イライラした気持ちが強くなってきた。周りにイレールの取り巻きがいなけりゃぁ、とっくにぶん殴っていただろう。
「 ...ガキと寝てなんの楽しみがある?」
「おいおい、それはお前が一番よく知ってるんじゃぁなかったのか? 年不相応に成長した体、巴里どころかフランス、ヨーロッパ中を探しても見つけられないほどの美しさ...これ以上の相手はいねぇよ。どうだ、連れてきてもらぇねぇのか?」
 俺は黙ったまま突っ立っていた。
「おい、どうなんだ?ウィかノンか、はっきりしてくれねぇとこっちとしても応対のしようがねぇだろ?」
 相変わらず黙ったまま、俺はただイレールの眼をずっと見つめている。だが、怒りと共に徐々に恐怖が俺の心に芽生えてきた。周りの連中が殺気だってきたからな。イレールは相変わらず笑ったままだが、裏ではなにを考えてるか分からねぇ。
「よう、親愛なるリシャール君、いくら俺が優しいからって、まさかこのまま返事を聞かないで五体満足で帰してくれるなんて、思っちゃぁいないだろな?」
 口は笑ったままだが、眼つきが変わってきた。もはや俺は屈服するしかなかった。
「 ...分かった。」
「え? なんだい、よく聞き取れなかったなぁ。もう一度聞かせてくれないかい、リシャール君?」
「答えはウィだ。ロベリアを、今晩ここへ連れてきてやる。」
「全く、最初っからそう言ってくれりゃぁこんなに時間を喰う事もなかったのによぉ。まぁいい、これは俺からの礼だ。受け取ってくれ。」
 そう言ってイレールが俺に投げてよこしたのは一本のヘネシーだった。
「おめぇの大好物だろう? そういやロベリアも好きなんだっけか? 2人で飲んでくれよ、別れの挨拶にな!」
 イレール達の笑い声を背に、俺はそこを立ち去った。もちろん、コニャックの瓶は抱えてな。

 
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