この世のものとは思えない雄叫びが、夜の闇に覆われた帝都に響く。
その雄叫びに混じって響く、銃声や、金属と金属が激しくぶつかりあうような衝撃音。
目黒の街は、今や壮絶な戦場と化していた。
黒色の人型蒸気が異形の化物―降魔を撃ち抜いたが、すぐにまた別の降魔が背後に迫ってきていた。降魔が黒色の人型蒸気に牙を向け襲い掛かろうとした刹那、降魔の動きが止まり、胴から真っ二つに割れ、断末魔の叫びを挙げながら灰となって消滅した。
降魔を切り捨てたのは淡い桜色をした人型蒸気であった。
「大丈夫ですか、マリアさん!?」
「ええ、問題ないわ。ありがとう、さくら。 ...これでこちらの方は全部片付いたようね。」
「そうみたいですね。ここの近辺の妖力反応は全て消失しています。残るは...大神さんの方だけ...。」
「すぐに援護に向かうわよ。尤も、私達が着く頃にはもう終わっているでしょうけれど。」
「だといいんですけど...。」
「心配いらないわ。いざとなればアイリスもついているし、そう簡単にやられはしないわよ。」
「そうですね...。」
「それとも、さくらは隊長達のこと、信用していないの?」
「いえ、そんなことは...。」
「ふふっ、ちょっと意地悪な質問だったかしら。さ、早く援護に行くわよ。」
「はいっ!」
鮮やかな紫色をした人型蒸気が、戦場を駆け抜ける。
その動きは、「戦い」というよりも「舞い」に近い。
右に左に、3メートル近くもある薙刀を振り回し、敵を切り裂いてゆく。
次々と新手が出現してきていたが、ひるむことなく、敵陣深くへと突入していく。
しかし、あまりに敵陣に踏み込みすぎたためか、いつの間にか周りを5、6体の降魔に囲まれていた。
「三下どもが...。ちょこざいな!」
じわり、じわりと降魔達は間合いを詰める。一歩、二歩、三歩...。薙刀は届かないが、降魔が飛び掛るには十分なほどの間合いとなった時、紫色の神武が動いた。
振袖状になった腕の部分から、ぼうっ、と炎が噴き出し、やがて神武全体を包んでゆく。
「神崎風塵流奥義・不死鳥の舞!!」
掛け声と共に薙刀が払われ、炎が自らの意思を持ったかのように大きな円を描きながらあたりに広がりはじめる。
炎の踊る様は、見とれてしまうほど美しい。
炎が消えたとき、降魔もまた消滅していた。
ほんの一瞬の出来事であった。
「すみれくん!」
白銀の神武が、すみれ機に近づいてきた。
「遅いですわよ、少尉。もうこちらはすっかり片付いてしまいましたわ。」
「いやぁ、すまない。少し手こずってしまった。」
「まぁ、これで全部のようですから、許して差し上げないこともないですけれど。」
「はは...ありがとう。」
「おーい! 隊長、無事かー?」
「すみれはーん?」
左方から、二体の神武が近づいている。緑の方が紅蘭機、赤い方がカンナ機である。
「何ですの? そんなゴリラの様なほえ声で叫ばれたら、少尉のお耳が悪くなってしまいますわ。」
「おめーのそのヒステリックな声で話しかけられたら、通信機ごといかれちまうよ!」
「何ですってぇ!?」
「やる気かぁ!?」
「もう、二人とも、けんかはやめてよ!」
黄色の神武が、今にも戦いをはじめそうな二人を諌めようとする。
「まぁまぁ、二人ともそんだけの元気があるっちゅうことやし、好きにさせといたらええやん。な、大神はん?」
そう言った緑色の神武の操縦者は、むしろこの状況を楽しんでいるかのようでもある。
「いぃっ!? いや、俺は...まぁ...喧嘩するほど仲が良いって言うし...。」
「もぅ、お兄ちゃんたらいつもそうなんだからー。」
アイリスがため息をつく間も、二人の激しいやりとりは続いていた。
「おめーの近くにいるとだなぁ、そのサボテンばりのトゲがチクチクして痛ぇんだよ!」
「あなたがその巨体で歩くと、いつも地震が起きて困りますの。あなたにこそサボテンになっていただきたいですわね!」
「サボテンとお揃いなんて、あたいはごめんだぜ!」
「わたくしもですわ!」
帝都の夜はゆっくりと明け始めていた。
僧侶、上手から退場。ダルタニャン、舞台中央へ。
ダルタニャン「アラミス、君はもう長年の念願を果たしてしまお
うというわけか。」
アラミス 「もう、殺し続けるのはたくさんだ。これ以上血を
見るのは忍びない。そもそも騎士道などという道
に入り込んでしまったのが間違いだったんだよ。
僕は、適当な僧院にでも引っ込むつもりだ。」
ダルタニャン「この手紙を見ても、まだそんなことが言えるのか
な?」
ダルタニャン、懐中より手紙を取り出す。アラミス、無言で受け
取る。差出人の名を見るや否や、封を切り、急いで読む。
アラミス 「やぁ、これは...。ははは、やはりあの人は僕
のことを忘れてはいなかったんだ! まだまだ俗
世も捨てたもんじゃぁないようだ。ラテン語もま
ずい精進料理もひとまずお預けだ。
おい、主人、さっきの注文は取り消しだ。とびっ
きり上等のワインと肉を持って来い。
血にまみれようが関係ない。流血結構、流血万歳
だ! はははは! ...はぁ...。」
ダルタニャン「 ...? どうしたんだい、アラミス?」
アラミス 「え? あ、あぁ、少しぼうっとしてしまった。ま
だ傷が回復しきっていないようだな。
心配はいらない、君がアトスを連れて戻ってくる
頃には、すっかり回復しきってしまっているさ。」
大帝国劇場は、帝国華撃団の本拠地でもある。
霊的防衛はしてあるものの、花組の隊員を狙って敵が侵入してこないとも限らない。また、歌劇団の熱烈なファンが忍び込む可能性もある。そのため、夜の見回りは欠かせない。
見回りは、隊長である大神の日課であった。
劇場の二階にある隊長室から出発し、まず屋根裏部屋から見回りをはじめる。窓に鍵がしっかりとかかっているかどうか、確認するのである。
その後、二階部分を見回る。劇場の北側に位置する図書室からはじまり、サロンを通ってテラスへ向かう。途中で、音楽が聞えてきた。どうやら舞台の方からのようだ。不思議に思い、二階客席へ通じるドアを開け、舞台上を見やると、一人の少女が後ろ向きに歩いているのが見えた。
いや、よく見ると、歩いているのではない。踊っているのだ。カウントに合わせ、一歩一歩、時に優しく、時に力強く踏み出す。舞台上に映る影の動きがこの上なく美しい。
邪魔をしてはいけないと思い、その場を立ち去ろうとすると、少女が声をかけてきた。
「そんなところで何をしていらっしゃいますの、少尉?」
どうやら気づかれていたようだ。
「いやぁ、珍しいものだからつい見とれてしまって...。邪魔をしてしまったんだったら、謝るよ。」
「何をおっしゃいますの。トップスタァであるこのわたくしに見とれるのは、至って当然のことですわ。」
「ははは...。確かにそうだな。いつも芝居で踊っているのとは少し違うようだったけど、何の踊りだったんだい?」
「洋風ダンスですわ。わたくし、洋風ダンスも免許皆伝なんですの。」
「そういえばそうだったね。」
「よろしければ少尉も一緒に踊ってみませんこと?」
「え?俺も...?」
「さぁ、さぁ、早くこちらにいらして下さいな。簡単ですから、少尉ならすぐお出来になれますわ。」
照明のついた舞台は、全く明かりのついていない客席に比べ、ひどく明るく見える。
舞台上で、すみれのダンス講座が始まった。
「では、少尉にはまず『ホールド』を覚えていただきますわ。」
「『ホールド』?」
「洋風ダンスを踊る際の一種の構えのようなものです。こう、両腕を水平にまっすぐ伸ばして下さいな。」
「こんな...感じかな?」
すみれに言われた通り、両腕を上げ、真っ直ぐに伸ばす。
「そうです。あまり力を入れないで...そのまま肘から腕を曲げて。」
「こう?」
「そうそう、そんな感じですわ。では、入らせていただきます。」
そう言って、すみれの方から近寄り、大神に密着する。
「ちょっ...すみれ君?」
「これがホールド、洋風ダンスの構えですわ。形をよく覚えていて下さいね。」
「う...うん...。」
「あ、あと首は斜め上を向けて。こちらを見てはいけませんわ。」
慌てて大神は言われた通りにする。左手はすみれの右手とつなぎ、右手はすみれの肩を抱くような格好になっている。自然、鼓動が早まってくる。
「では、今度はステップをお教えしますわ。いったんホールドを解いて下さる?」
「あ...うん...。」
言われたとおり、手を放し、すみれから離れる。ほっとしたような、少し残念な
ような、複雑な気分だった。
ステップは、少々難しかった。一生懸命覚えようとするが、なにぶん初めてのことなので、なかなかうまく行かない。
ステップを一通り覚え、音楽に合わせて一人で踊れるようになる頃には、もう習い始めてから1時間が経過していた。
「もうステップの方は完璧のようですわね。」
「ああ、何とか覚えられたよ。」
「では、いよいよ二人で踊りますわよ。ホールドを張ってくださいな。」
「よし...。」
大神とすみれの手が合わさり、上半身の右側で密着する。再び心臓の鼓動が早くなっていく。
「では...1、2、3!」
音楽に合わせ、大神とすみれの体が動き出す。はじめのうちは一人で踊る時との違いに戸惑っていた大神だったが、すぐに慣れ、5分も経つとぎこちなさは消えていた。しかし、足の方を気にしなくなりはじめると、余計な考えが浮かんでくる。必死に振り払おうとするが、意識しまいとすればするほど、気になってしまう。男ばかりの環境で生活してきた大神には、ここまで女性と密着したことはない。かなり親密な仲になってきたとはいえ、やはりある種のためらいを感じてしまう。
一通り踊った後、大神とすみれは客席に座って少し休憩をとることにした。
「いかがでしたか、踊ってみて?」
「楽しかったよ。音楽に合わせて体を動かすということが、こんなに楽しいことだとは思わなかった。」
「ふふふ...。中々お上手でしたわよ、少尉。」
「そうかな?」
「ええ。上達なされば、そのうちバックダンサーとして舞台に立つことも夢ではありませんわね。」
「舞台...か。確かに、一度は立ってみたい気もするな。」
「ま、スポットライトを浴びることはできないでしょうけど。」
「ははは、確かにそうだ。でも、目立たなくても、君達と一緒に舞台に立てるなら、これほど嬉しいことはないよ。」
「あら、『達』ですの?」
「これは痛いところをつかれたな。いや、訂正しよう、『君と』だ。」
「ふふふ、今更言い直してももう遅いですわ。」
「え? そんなぁ...。」
「ふふふ、冗談ですわよ。」
大神は、舞台へと視線を移した。相変わらず、舞台は明るく照らされている。そして、大神達のいる客席側は、真っ暗な闇に包まれている。
「そういえば、すみれ君は今回初めて男役をやっているんだよね。」
「ま、わたくしの演技力を持ってすれば、男役だろうと女役だろうと、演じきってみせますけど...。確かに、今までは機会がありませんでしたわね。」
「すみれ君のアラミスは、マリアのアトスに劣らぬぐらいの人気があるそうだよ。」
「おっほほほほほほ! 当然ですわ。トップスタァが他の役者に人気で負けるなんてこと、あって良いはずがありませんわ。」
「でも、最近は調子が悪いようだけど...?」
「え?」
「今日なんて、演技が一回止まってたじゃないか。紅蘭が随分と心配してたよ、何か悩み事でもあるんじゃないかって。」
「あら、そんなことありましたっけ? 申し訳ありませんけれどわたくし、よく覚えておりませんわ。それに、トップスタァに悩み事など、あるはずがないじゃぁありませんか。強いて言えば、人気のあり過ぎることが悩みでもないでもありませんけれど。おっほほほほほほ!」
「まぁ、それもそうか。すみれくんに悩み事なんて、あるわけないしな。どうやら下らないことを言ってしまったようだね。」
「全くもう、少尉ったら、冗談が過ぎますことよ。」
「すまない。確かに、悩み事を抱えているすみれくんなんて、らしくないしな。想像もできない。」
大神がそう言ったところで、急にすみれが眼を下に向け押し黙った。手が震えている。