「あとがき」のあとがきです。
『昼さがり』は、1993年の秋に書き始めました。
当時、私は、弱冠の二十歳――
まだ、大学生にもなっておらず、東京で予備校生活を送っていました。
「そんなもん書いてる暇あったら、もっと勉強しろよ」
という友人の、かなりまともな忠告を無視し、せっせと、こんな小説を書いていたわけです。
その『昼さがり』に「あとがき」を添えていたことは、最近まで、すっかり忘れていました。
今回、サイトに載せようとして、ようやく気が付いたくらいです。
なぜ、「あとがき」を添えようと思ったのかは、覚えていません。
おそらく、家族にみせた初めての作品だったからでしょう。
それにしても、二十歳の式部たかしは若い……。
元気です。
そして、青いです(笑)
いまの私なら、あんなに昂揚した文体は書けません。
気恥ずかしくて……。
だから、この「あとがき」を永久に消去してしまってもよかったのですが、過去の自分のメッセージを消去するのは、やはり、気がひけました。
若干の修正を加え、ここに掲示したいと思います。
いまの私は、この物語に、それほどの思い入れはありません。
この物語には、いまは解決できているけれど、当時は解決できていなかった様々な問題点が、残されているからです。
ただし、この物語で語りたかったことは、いまでも、基本的には残っています。
そういう意味で、この物語は、まだ、私の中で生きているのです。
今回、改めて『昼さがり』を振り返って思ったことは、自分が歳をとったということでした。
作中の「リウス」や「マリー」は、27、8歳です。
もちろん、これを書いた当時の私よりも、ずっと歳上でした。
いまは、歳下です。
そして、主人公の「ターナ」は45歳――
いまの私よりも歳上です。
よくもまあ、45歳の異性を視点に小説を書こうと思ったものです。
その試みが成功しているかどうかは、いまの私にも、判断できません。
少なくともいえることは、いまの私なら、25歳も歳上の異性を視点に小説を書こうなどとは思わない、ということです。
それだけ、私も歳をとったということでしょうか。
この物語は長大です。
他にも作品の形に残しているものは、たくさんありますが、すべて、外伝様の短編で、肝心の本編がありません。
本編を書く日は、いつになるのでしょうか?
十年前の自分に苦言を呈するとしたら、これです。
――物語ってのは、長けりゃいいってもんじゃないぞ!
もし、二十歳の式部たかしに会うことができたなら、多分、間違いなく、そう釘をさすでしょう。
物語とは、決着をつけてこそ、その価値が定まるものなのだと、いまの私は、かたくなに信じております。