真心こめて(2)


 花火は、自室に帰る途中ですみれが言ったものを買い求め、帰ってからきちんと包装し、花結びをして大神のところへ向かった。
 お中元は、7月15日までに贈るのが慣例だという。また、直接訪問して手渡しするものであるということも、すみれから聞いていた。
 公園の前の路地を抜け、シャノワールを目指す。そこで、花火は踊り子として働いていた。大神の方はといえば、帝劇と同じくモギリと雑用をこなしていた。
 シャノワールの開店は午後5時であるが、その前に店内の掃除やその日のメニューの確認などの開店準備があるため、レビュアー以外の従業員は午後3時から出勤することになっている。現在は午後3時を少し回ったところであるから、大神はシャノワールにいるはずであった。
 玄関を抜けると、そこにはメイド服を着、茶色の髪をした少女と、同じくメイド服を着、青い髪をした少女とが談笑していた。
 茶色い髪の方が売店の売り子のシー・カプリス、青い髪をした方が支配人秘書のメル・レゾンである。
 シーの方が、花火に気づき、声をかけてきた。
「あ、花火さんだぁ。こんな早くから、どうしたんですかぁ?」
「あ、シーさん、メルさん...。あの、大神さんを探しているのですが...。」
 質問には答えず、シーが花火の抱えているものを指さしながら尋ねる。
「あれぇ? これ、なんですかぁ? なんだか、プレゼントみたいですけど。」
「え? その、これは...。」
「もしかして、大神さんへのプレゼントですかぁ?」
「あ、あの、これは『お中元』といって...。」
「がんばって下さいねぇ。あたし、応援しますから! ヒューヒュー!」
「シー、あんまり茶化さないの。 ...ごめんなさい、花火さん。大神さんでしたら、二階の客席を掃除していらっしゃると思いますよ。」
「ありがとうございます、メルさん。」
 花火は、急いで二階客席の方へと向かった。不思議と、鼓動が早まっていく。気持ちが焦り、走りたくなるのをこらえながら、廊下を急ぎ足で歩いていく。
 階段を上る途中で、ばったりと大神に出くわした。
「あれ...花火くんじゃないか。こんな早くから、どうしたんだい?」
「あの、大神さんに、これを渡したいと思いまして...。」
 そう言って、花火は包みを差し出す。表には「御中元」と書かれていた。
「ああ、お中元か。そんなに気を使わなくてもいいのに...。でも、ありがとう。」
 そう言って、大神は優しく微笑んだ。その表情を見て、花火も安堵し、思わず笑みがもれる。
「そういえば、花火くん、最近笑うようになってきたね。」
「え...そうですか?」
「うん。出会ってはじめの頃も、時々笑うことがあったけど、あの時の笑いは、どこか淋しそうな笑いだったなぁ...。」
「あの頃は...まだ、その...。フィリップのことばかり考えていましたから...。」
「やっと、なんというか...。心の底から笑ってくれるようになったと思うよ。他の花組のみんなといる時とかね。」
「ありがとうございます...。」
 それはあなたのお陰です、と言いたくなったが、こらえた。女性は慎み深くあるべし、と幼少の頃から教育されてきた花火には、思ったことを直接口に出すことが憚られたのである。
 本当は、お中元でなくても良かった。ただ、大神に感謝の気持ちを示したかった。過去のしがらみから自分を解き放ち、前を振り向かせてくれたことに。婚約者を失ったという悲しい現実のことばかり考えるのではなく、明日のことを考え、未来を見据えて歩くことを教えてくれた、そしてそのための一歩を踏み出させてくれた、そのことに対してお礼がしたかった。気持ちさえ伝われば、形などどうでもよかったのである。しかし、感謝の気持ちを直接言葉にするほどの大胆さを花火は持ち合わせていなかった。だから「お中元」という形を利用した、それまでのことだ。
 大神は、優しい視線を花火に向ける。
「そうだ、花火くん、これから散歩に行かないか?」
「え...でも、大神さんにはお仕事が...。」
「今日はたまたま早くから来て仕事をしていたから、ちょっと暇があるんだ。どうかな?」
 そう言って、大神は手を差し伸べた。
 花火は、大神の手をとった。
「 ...是非、ご一緒させていただきます。」
 感謝の気持ちと共に、花火はある種の特別な感情を大神に対して抱き始めていた。かつての婚約者フィリップに対して抱いていたのと、似て非なる気持ち。
 大神は、この気持ちに気づいているのだろうか、気づいていないのだろうか――。
 気づいていなくてもいい。今はただ、彼の側にいることができれば、それで十分だ。
 握った手から、大神の暖かなぬくもりが伝わってくる。
 二人は、連れ立って巴里の街へと出かけていった。
 夏の日差しが暖かくモンマルトルの路地にさしこんでいた。


 3日後、さくら達が帝都へ戻る日がやってきた。
 巴里華撃団・花組のメンバーと大神は、港まで見送っていった。
「すみれさん、その節はどうもありがとうございました。お陰様で無事大神さんにお中元を渡すことができました。」
「いえいえ、わたくしは些細なことをお教えしたまでですわ。それにしても、まさか海苔が巴里で簡単に手に入るなんて、本当に驚きでしたわ。」
「海苔以外にも、お茶や梅干しとかも手に入りますよ。」
「あら、そうでしたの。巴里の街は、想像以上に深いのですわね。」
「帝都では、世界各地のものは手に入らないのですか?」
「わたくしの様な上流階級にあるものは、それこそキャビアやトリュフだっていただけますけど...。庶民の方は、どうだか知りませんわ。ねぇ、さくらさん?」
「あ、あたしは、日本食だけで十分ですから...。」
「まぁさくらさんの様なイモ娘に、キャビアやトリュフの味が分かるはずもありませんけれど。」
「なっ...。あたしだって、分からないことはないですよ!」
「まぁまぁ、いいじゃねぇか。お高くとまっている連中には分からない味ってもんもあるんだからよ。」
 緑色の服を着、銀髪で眼鏡をかけた背の高い女性が割って入る。眼鏡の片方にはヒビが入っていた。
「あら? 言いがかりをつけるおつもりですの、ロベリアさん?」
「おっと、何か気に障ることをいっちまったかな?」
「まぁまぁお二人とも、角を収めてくださいよー。帝国華撃団の皆さんの新たな門出なんですよ、笑顔で見送りましょう!」
 赤い修道服を着た少女――エリカがそう言うと、
「門出っていう言い方はちょっとおかしい気がするんだけどなぁ...。」
 間髪入れず、ピンク色の帽子をかぶった十歳くらいの女の子がツッコミを入れた。
 コクリコの言うことは意に介さず、エリカは自らのペースでしゃべりを続ける。
「皆さんの旅路に神の祝福がありますように! 途中、嵐や、台風や、雷や、火事や洪水や旱魃や地震や地割れやプリンの尽きることがありませんように!」
「火事や洪水はともかく、海上で地震や地割れが起こるのか?」
 呆れ顔でグリシーヌが言う。
「え、起こるんじゃないんですかぁ?」
「...。もうよい。聞いた私が愚かだった...。」
 少女達が会話に興じている間に、出航の時間は迫っていた。
 次々と乗客が船に乗り込んでゆく。
 さくら達は、船の甲板上から、最後の挨拶を交わした。
「それでは、みなさん、どうもお世話になりました。」
「お兄ちゃん、コクリコ達に迷惑かけちゃだめだよー。」
「みなさま、ごきげんよう。」
「みなさーん。トーキョーに帰っても、エリカ達のこと、忘れないで下さいねー!」
「今度フランスに来るときには、最上級のもてなしをしてやろう。」
「みんな、元気でね!!」
「気が向いたらいつでも来な。歓迎してやるよ...ククッ...。」
「みなさま、くれぐれも道中お気をつけて...。」
 船は、汽笛をあげ、ゆっくりと港を出港していった。


「すみれさんは、花火さんにお中元のことをどう説明したんですか?」
「どうって...。普通に説明申し上げましたわ。」
「ねぇねぇ、『おちゅうげん』ってなぁに?」
「要するに、7月に贈る贈り物のことですわ。」
「そうなんだー。で、『おちゅうげん』ってなぁに?」
「で・す・か・ら! 1月15日を上元、7月15日を中元、12月15日を下元といいまして、7月に贈るもののことを『お中元』と申しますの!」
「だから、その『おちゅうげん』っていうのはどういうものなの、って聞いてる の!」
「まったく、これだから子供は...。要するに、海苔のことですわ。7月には、お世話になった方や目上の方に海苔を贈りますの!」
「へぇ、そうなんだ...。」
「すみれさん、花火さんにもそうやって説明したんですか?」
「え? ええ、まぁ、お中元に海苔を贈ることもありますから...。」
「すみれさんも、結局うまく説明できないんですね。」
「だまらっしゃい、この田舎娘!」
「うまく説明できなかったということは、すみれさんその田舎娘と同程度ということではないんですか?」
「なんですってぇ! ちょいとさくらさん、言葉が過ぎましてよ!」
「あたしは、本当のことを言ったまでですけど。」
「キーーーーッ、もう今日という今日は許しませんことよ!」
 さくらとすみれの激しい言い争いは、その後一時間ばかりも続いたという。



<次回予告>
「アタシの過去だって? バカバカしい、そんなのどうでもいいじゃねぇか。」
「えー、エリカ、ロベリアさんの昔話、是非聞きたいですぅ!」
「えーい、お前はいちいち出てくるな!」
「さぁ、ロベリアさん物語、はじまりはじまり〜。」
「勝手にはじめるな!」
 次回「サクラ大戦番外編 十三色の虹 第3話 グラスの向こう側」
 愛の御旗のもとに!
「で、なんのお話でしたっけ?」

 
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