起源の探査


 探査船の観測員は、宇宙の暗がりに浮かぶ青い惑星を初めて目にしたときに、「ここが人類の起源に違いない」と言った。
 操縦士が理由を問うと「今までに訪れたどの惑星とも異なっているからだ」と答えた。
「たしかに、異なっているようにはみえるが――」と、操縦士は相槌(あいづち)を打ったが、「予断は禁物だ」と付け足すことも忘れなかった。
「もし、この惑星が、本当の意味で、今までに訪れたどの惑星とも異なるのであれば、人類の起源を求める我々の旅は、この惑星に終着する。しかし、もし、異ならぬのであれば、他の恒星系を目指して、再び旅立つまでだ」
 操縦士の見解に、観測員は異を唱えなかった。

 二人の乗組員は探査の準備の作業に没頭していた。ともに分厚い保護服に身体を包んでいる。頭部は暗褐色の遮光板の向こうに秘匿されていた。
 操縦士は前方の装置に手足を嵌め込み、観測員は、その操縦士の後方で、装置の隙間に全身を潜らせていた。
 探査船の内部は狭い密閉空間であった。その空間には闇が溶け込んでおり、濃厚な密度を形成していた。
 観測員が立っている位置の上方には、小窓が穿(うが)たれていた。これが探査船の備える唯一の窓である。その小窓から、青い惑星の放つ穏やかな光が、観測員の頭部の遮光板に、ほんのりと照り返されていた。
「こんなに青い惑星は見たことがない。これが水の色なのか」
 観測員の言葉には率直な驚嘆が滲(にじ)んでいた。
「なぜ青いのだ?」と、操縦士が問うた。「水は色彩を発さぬはずであろう?」と――
「たしかに、水は色彩を発さぬ。が、大量に集まれば、青くみえうることが予測される。水は赤い光を吸い取りやすく、青い光を跳ね返しやすい」
「なるほど――青い光ばかりを弾き返すから青くみえるというわけか。その理屈を聞く限り、君ら科学者にとっては、とくに驚くべき現象ではないように思えるが――」
「そうではない。水の青さが、これほどに鮮やかであったとは、少なくとも私は予想をしていなかった」
「科学者らしくない物言いだ。自分の主観に拘泥するか?」
「私は科学者ではない」
「何? そうなのか? 探査船の観測員を志願したのだ。科学者とばかり思っていた」
「私は教師だ。昔、都市の学生たちに言葉を教えていた」
「どのような言葉だ?」
「上代語(じょうだいご)だ」
「上代語――惑星時代人(わくせいじだいじん)の言葉か」
「その通りだ。我々の祖先が、まだ惑星の表面でしか活動していなかった頃の言葉だ」
「上代語の教師が、なぜ探査船の観測員に志願した?」
「上代語の言葉の意味を確かめたかったからだ」
「どのような言葉の意味だ?」
「例えば〈水色〉という言葉の意味を確かめたかった」
「それは水の色のことか?」
「そうだ」
「それは良かったではないか。たった今、確かめられた」
「それとは別に〈空色〉という言葉も気になっている」
「それは空の色のことか?」
「そうだ」
「それは誰もが知っているところではないか」
「ところが、上代語の伝承には、こう述べられている。曰く〈空色は水色である〉と――」
「そんな莫迦(ばか)な。空が青いだと?」
「複数の伝承で述べられてあることだ。無視はできぬ」
「誤謬ではないのか。空が青ければ、空を旅する我々の寂寥も少しは紛(まぎ)れるというものだ。現に、先ほど戻ってきた無人船の画像でも、惑星の表面に対して垂直に見上げた景色は、青ではなかった。惑星時代人にとっても、空が青くなかったことは自明に思える」
「そうなのだ。だからこそ、不思議なのだ。なぜ〈空色は水色〉なのか。それを確かめたいと思っている」
「驚いた。さほど自然学的ではない動機から探査船の観測員を志願し、しかも、あの厳しく長い訓練に耐えた者がいようとは――しかも、それが人文学的な動機とは――」
 その言葉には微かな尊敬の響きが混じっていたが、観測員は何も応えなかった。
 不意に、操縦士の背筋が正された。
「母船より通告――〈これより探査船の分離作業に入る〉」
「了解――」
 観測員の言葉からも、ゆとりが消えた。
「画面、作動――」
「作動――」
「目標、視認――」
「視認――」
 操縦士の言葉を合図に、狭い密閉空間の闇が振り払われ、二人の周囲は大量の青い光で一瞬のうちに満ちあふれていた。二人の前方には、画面いっぱいに広がった青い惑星が、悠久の時の中で、雄大に浮かんでいた。
「いよいよだ」と、操縦士が意気込み、「ああ――」と、観測員が応えた。
「一つ警告がある」と、操縦士は言った。
「何だ?」
「この惑星の気層は厚い。摩擦熱は甚大であることが予想される」
「わかっている。惑星の表面に辿り着く前に船体の燃え尽きる可能性が無視できぬということであろう?」
「そうだ」
「今さら何を言うのだ。古来より、惑星の探査に危険は付き物だ」
「それは、そうだが――」
 操縦士は、一旦、言葉を切った上で、「――燃え尽きてしまっては、空の色のことを確かめられぬであろう?」と言葉を継いだ。
 観測員は絶句した。
 操縦士も絶句した。
 が、二人の沈黙に緊張はなかった。
「たしかに、それは心残りだ」
 二人の会話に笑いのようなものが混じった。
 ほどなくして、「今、思いついたことだが……」と、観測員が言った。
「何をだ?」
 操縦士が先を促すと、「〈空色〉は実は〈水色〉の別称であったのかもしれぬ」と、観測員は言った。
「別称だと?」
「惑星時代も後半になると、人々は近距離の衛星までは飛び立てるようになっていたらしい。そうした近距離航行の最中に、例えば、この青い惑星のような惑星を間近で視認したならば、空の色を水の色と言い換えることも不適切ではない」
「その可能性は高そうだ。惑星時代人の科学技術では、自分たちの起源となった惑星から、そう遠くへは離れられなかったに違いない」
「それに、こうして青い惑星が画面に大きく映し出されるのを目の当たりにすると、〈空が青い〉と表現する誘惑を感じずにはいられぬ」
「たしかに、これだけ大きく映し出されていれば――」
 にわかに、操縦士の言葉に緊張が漲(みなぎ)った。
「母船から通告――〈直ちに沈降を開始せよ〉」
「了解――」
 ほどなくして、探査船は青い惑星の中心を目指し、落下を開始した。

 全方位画面に映し出されていた巨大な青い惑星は、次第に、その径(けい)を増していき、ついには画面の境界をはみだした。
 その頃には、船体を激しい衝撃が襲っていた。
 画面は、いつしか紅蓮の炎に包まれて、惑星の青色が覆い隠されていた。
「摩擦熱は電算の予測をこえているのではないか?」と、操縦士は言った。
「そのようだ」と、観測員は言った。
「全ての視認を放棄し、耐熱遮蔽を装備しよう。君の頭上の小窓も閉める」
「構わぬ」
「耐熱遮蔽、装備――」
「装備、完了――」
 全方位画面が消えてなくなり、密閉空間は再び漆黒の闇に閉ざされた。
 濃密な闇の中を、船体が発する振動が波となって、自由奔放に飛び交った。
「惑星の表面に接近、沈降速度の減衰を開始――」
「減衰、確認――船体外装温度、降下中――」
「静止予定点を捕捉――貯水帯の直上――防水遮蔽を装備――」
「装備、完了――」
 操縦士の声が弾んだ。
「理想的な静止点がみつかった。直下の貯水帯は、かなり広大だ」
「それは上代語でいうところの〈海〉だ」
「海――それは、恒星の過疎区域のことではないのであろう?」
「こちらが本来の意味だ」
 船体への衝撃は急激におさまりつつあった。
 やがて、完全におさまった。
「予定静止点に到着――船体、静止――」
「静止、確認――距離、惑星表面より一〇二〇――」
「質量場(しつりょうば)干渉装置を自動制御に転換――」
「転換、完了――」
「現状報告――」
「惑星の表面に生命体の存在を確認――」
「何?」
 操縦士の言葉が踊った。
「いかなる生命体か、わかるか?」
「微小生体だ。数えきれぬほどに生息している」
「人工生命でないと言い切れるか?」
「確かなことは解析を待たねばならぬ」
「もし、人工生命でないのなら、ここが人類の起源である可能性は高い。これは重大な発見だ」
「その通りだ。が、それよりも――」
「何だ?」
 観測員は、朗らかな語調で「外に出てみないか?」と誘いかけた。
 操縦士は異を唱えた。
「少し性急すぎるのではないか? 気層圧の強度はどうなのだ?」
「危険な強度ではない。保護服がなくても良いくらいだ」
「冗談ではない。私たちは惑星時代人のような身体は持っていないのだ。保護服がなければ、この惑星の気層圧(きそうあつ)が骨格系統を押しつぶし、この惑星の酸化質(さんかしつ)が神経系統を腐食させる」
「冗談だ」
 観測員は隔壁の開閉装置を作動させた。
 二人の頭上で厚い隔壁が左右に開くと、そこには青く輝く透き通った壁のような光景が広がっていた。
「青い」
「あの惑星の青と同じだ」
「たしかに――」
「これが水の青なのか」
「そのはずだ」
「美しい」
「同感だ」
「あれは何だ?」
「どれだ?」
 青い虚空のところどころに、白い模様が漂っていた。
「あれは、水の液面に起こる波動現象ではないか」
「ならば、隔壁は惑星の表面に対して垂直下向きに開かれていることになる。質量場干渉を補正する必要があるようだ」
 操縦士の言葉を、観測員が制した。
「いや、違う。干渉は正しく作用している。あれは水の青ではない」
「まさか。なぜ、そう言える?」
「あの白い模様は、水の液面に起こる波動現象ではない」
「波動現象ではないだと?」
「おそらく、水の気体の亜型だ。上代語の伝承には〈雲〉と呼ばれる疑似物体の様態が克明に描かれている」
「では、隔壁は垂直上向きに開かれているのか?」
「そう考えるのが適切だ」
「――ということは、我々は、あの青い壁のようなところから沈降してきたと、君は言うのか?」
「その通りだ」
「莫迦な」
「青い光を跳ね返しやすいのは水だけではないかもしれぬ。大気にも同じような性質が予測されるのではないか」
「どうにも理解できぬ。我々は、先ほど画面でみた青い惑星の表面にやってきているのではないのか。我々が進んできた方向とは真逆――つまり、惑星の表面に対して垂直上向き――に、あのような光景が広がっているということは、どのように説明されるのだ?」
「自然は常に我々の期待を裏切るものだ」
「やはり、君は科学者だ。そのような考え方で、すぐに納得をしてしまう。忘れたのか。我々が沈降する直前に無人船が送ってきた画像を――あの画像では、垂直上向きの景色は、たしかに黒であったのだ」
「あの黒い光景は、おそらく〈夜〉のせいだ」
「何だと?」
「上代語で、恒星からの光が届かぬ時間帯を指す。そして、今は〈昼〉――恒星からの光が届く時間帯だ――そうか、わかった」
 乗組員は、にわかに保護服の頭部を持ち上げた。
「何がわかったのだ?」
「〈夜〉と呼ばれる時間帯と〈昼〉と呼ばれる時間帯とで、空の様相が異なるのだ。そして、〈昼〉の空だけが水と同じ色にみえる」
「何を言っている? 空が青いだと? 何度、同じをことを言わせるのだ。空が黒いことを知らぬ者はない」
「こう考えてはどうか。惑星時代人の〈空〉は我々の〈空〉とは異なる概念を示すのだ、と――我々の〈空〉は宇宙の最果てへと全方位的に広がる空間を指し、そこには上も右も前もないが、惑星時代人にとっての〈空〉とは常に上にあったのだ、と――」
「では、惑星時代人は、あの青く透き通った壁のようなものを〈空〉と呼んでいたのか」
「その通りだ」
「あれが空か」
「あれが空だ」

 それから、しばらくの間、二人の乗組員は、自分たちの頭上に開かれた隔壁の合間から、青い虚空の輝きを仰ぎ見ていた。


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