2004/ 9/21
最近のマル太くん、『道草日記』でも、いやに艶っぽいこと書いてますよね。
私も負けずに頑張っちゃお〜と。
私は、『京子さん日記』でも何度か触れているように、結構、前から「公序良俗」に反するマンガ絵を描いて、生きています。
これまでに、本当に呆れるくらい、描いてきましたよ。そろそろ、卒業しようと思っているくらいです。
メインの画風は、ファンタジーです。
水着みたいな鎧を着た女の子が、ネチョネチョの触手たちと戯れている絵です。
――って、どんな絵だよ?
と、思ったあなた! その清さは貴いです。大事にして下さい。
――ああ。あの手の絵ね。
と、わかったあなた! 私たちのお仲間ですね? 以後、お見知りおきを――
とにかく、「触手たちと戯れている」のフレーズだけで、わかる人には、わかってしまう――そういう絵を、私は描いています。
具体的にどういう絵かは、おみせできません。管理人ストップがかかっているので……。
そんな絵を本格的に描き始めたのは、いつだったかな?
多分、中学生くらいのときです。
なんで、うら若き乙女が、そんな絵を描くようになってしまったかというと、これには、なが〜い経緯があります。
あ、そんなに長くはないかも……。
そもそもの発端は、おとぎ話の絵本でした。
白いドレスのお姫さまが、悪者に捕まって、木に括りつけられている絵です。
小学校に入る前だったと思います。
あれは、ヤバかった。
幼心に、ドキン、ドキンでしたね。
いま思えば、あれが私の猥褻的性愛の開眼だったわけですよ。
でも、皆さんにも、多かれ少なかれ、似たような「開眼」経験があるのではありませんか?
もちろん、「開眼」の具体的事例は、人によって様々でしょう。
例えば、超美形の男性アンドロイドが、人工皮膚を剥ぎ取られ、鋼鉄の胸を曝け出す絵とかに、ドキン、ドキンしたりもするわけです。
私の場合は、それが、お姫さまのドレスに食い込む荒縄だったわけですね。
あの瞬間、私は無防備にも、悪者に捕まって木に縛り付けられているお姫さまの姿に、自分の姿を投影してしまったのでしょう。
途を踏み外した瞬間です。
一時は、結構、悩みもしましたが、いまでは、すっかり、スレてしまった京子さん。自分の絵が、弟のオカズにされていても、全然、平気です。
「うっそ〜。やだ〜。チョーきも〜い」
って、同性の友達には云われますけど、まあ、いいじゃないですか。
それも青春ですよ。
(――頑張れ、弟よ。ネエちゃんも応援するぞ)
って、感じですかね。
あんまり認めたく事実ですが、多分、いまでも、私は自分が描く女の子に、ある程度、自己を投影しています。
もちろん、基本は、エッチな男の子たちの好奇心の計算です。それがないと、何やってんだか、わけわからないですからね。
けど、決して、それだけじゃないんですよ。男の子たちの欲望に奉仕するためだけに、あんな絵を描いているんじゃないってことは、たしかです。描いてる本人にも、
(ネチョネチョさんたちに、あんなことや、こんなことをされて、ああ――)
ってのがないと、本当にエッチな絵なんて、描けません。もちろん、女の私だからこそ、できる芸当かもしれませんけどね。
描き始めの頃、先輩たちに、よく云われました。女の羞恥の限界を突き破って描かないと、男のエッチ心を動かす絵にはならないよ、と。
たしかに、その通りです。
これが、簡単のようで、結構、難しいのです。
幾つも壁を越えてきました。
だから、いまや、限界、突き破りまくりの京子さん――もう、お天道様の下は歩けない。
しくしく――(涙)
よく、私の絵をみた人から、
「なんで、女のあんたが、こんな絵を描くわけ?」
って、質問されるのですが、以上が、その答えです。
おわかり頂けたでしょうか?
逆に、男の人たちに、ききたいんですが、皆さんは、どういう動機で、あんな絵を描いておられるんでしょうか?
まさか、自分の姿を投影してたりは、しませんよね?
それだと、結構、本気で気持ち悪いかも……。
まあ、私も五十歩百歩ですけどね。
興味津々です。
誰か教えて下さ〜い。