科学とは何か?
そんな大それた問題に興味をもってから、数年が経つ。
「科学」は英語の「science」の訳語である。
「science」の語源はラテン語の「知ること」だという。
「知ること」に「科学」という訳語があてられているのは、どうしたことであろう?
少々、違和感がある。
「科学」の出自には諸説あるらしい。
江戸期までの学問は明瞭な領域区分をもたなかった。
が、明治期に伝わってきた西欧の学問は、理科、文科、法科、医科、工科などと細かく分類されていた。「科」に分類された「学」なので「科学」と訳された、云々――
いずれにせよ、「科学」の出自は曖昧である。
だから、一部に混乱をきたしている。
例えば、「科学の暴走が医療不信を招く」という。「科学」が「technology」あるいは「科学技術」という意味で使われる。
こうした誤謬は、
「科学とは何か?」
という問いを、より複雑にする。
以後、「科学」ではなく、単に「サイエンス」と表記する。
では、サイエンスとは何か?
考察にうつる前に、サイエンスを「科学」以外の適当な日本語(雅語や漢語)に置き換えよう。
私は「知」がよいと思っている。サイエンスの語源は「知ること」であった。だから、「サイエンスとは何か?」は「知とは何か?」に帰着される。
知といえば知識である。
しかし、知識だけが知ではない。知識体系の拡張や整備といった概念では括れない何かが、知にはある。
以下は、とある臨済宗のお坊さんのお話である。
仏道修行には三つの段階がある。最初は、経典を読んだり、師匠の教えを聞いたりする。つまり「学」である。
もちろん、読んだり、聞いたりするだけでは駄目で、その内容を暗記しなければならない。これが「覚」である。
ところが、暗記するだけでも不十分で、さらに上の段階を目指す。それが「悟」である。諳んじた経典や教えを反芻するうちに、人は真理を悟る。
「どの世界でもそうでしょう。学んでいる間は半人前なんです」
と、御坊は笑われた。
お歳が自分とあまり変わらなかったせいか、不思議と別世界の話には聞こえなかった。
日本の寺院にも古くからサイエンスが存在したなどと主張すれば、たちまち変人扱いされそうだ。
しかし、本当にサイエンスは西欧に固有の営みだろうか?
サイエンスを知と訳すことで、実は、そうでもなさそうだということがみえてくる。サイエンスを探すから大変なのであって、知を探すのならそうでもない。
例えば、仏門である。
この国では、ながらく僧侶が学問を担ってきた。つまり、仏門が知の場であった。ここで醸成された東洋の知が、西洋のサイエンスと何らかの相似性をもっていたとしても不思議はない。共に人間たちのしてきたことである。
御坊のお話を基に、「学」「覚」「悟」の三位のなす環を知と定義しよう。
まず、いかなる研究者も、今日までに明らかにされてきた事実や問題点を知らなければならない。これが「学」である。
そして、それら事実や問題点をすべて頭にいれる。これは「覚」だ。
さらに、実験や観測、調査、シミュレーションなどの実証を経て、それら事実や問題点への新たな解釈や理解を提示する。これが「悟」である。
優れた実証が、ほぼ必ずといってよいほど、新たな問題提起につながることに着目したい。
誰も考えつかなかった魅力的なクエスチョンの発見――これこそ、真の「悟り」と呼ぶに相応しい。他者の悟りから学び、覚え、自身の悟りへと至る。
だから、「学」「覚」「悟」の三位の環は、「悟」と「学」との連結を鎹として、いつ果てるともなく連なっていると考えることができる。
こうした「学」「覚」「悟」の三位連環に徹底して求められるのは、客観性である。
誰がみても、誰が考えても、理解でき、知ることができる。これが知であり、サイエンスである。
徳の高い上人のみが体得する知は知ではなく、稀代の科学者のみが理解できるサイエンスはサイエンスではない。
ところが、話はもう少し複雑である。
私たちは、サイエンスが客観性とは相容れない要素を含むことも知っている。この要素はアート(art)と呼ばれる。アートは必ずしも芸術を意味するのではない。
例えば、熟練した職人技をアートという。アートとは技能、性格、習癖など、その人がもつ余人にはかえがたい属性である。
アートは、あらゆる人の営みに関わる。
例えば、人が機械的な作業に徹する時でさえ、無意識の癖までは消せないものである。つまり、機械的な作業にもアートは反映され得る。
ましてや、サイエンスは高度に文化的な営みである。アートと無縁であるわけがない。
サイエンスがアートと分かち難く、アートが個人の属性を映すならば、すぐれたサイエンスは、研究者たちの固有の属性に根差しているといえよう。
例えば、ホジキン(Hodgkin)やハクスレー(Huxley)の成果は、神経生理学を十分に学んだ者ならば誰にでも理解できる。
しかし、あのヤリイカの巨大軸索の実験やシミュレーションの定式化は簡単には真似できない。
ホジキンやハクスレーの仕事は、誰にでも理解されるという点で優れたサイエンスであり、簡単には真似されないという点で優れたアートである。
ならば、生涯を賭してサイエンスに貢献せんとするものは、漫然とサイエンスに没入していてはいけないということになりはすまいか?
自身のアートを厳に見極めなければ、一角の業績は残せない。すなわち、サイエンスを志す者は、
「この研究は自分のアートを活かしたものか?」
と、常に自問し続けなければならない。
仮に実験やシミュレーションの資質に恵まれた者でも、自分のアートを誤認していれば、その実力を十分には発揮できないであろう。
ホジキンやハクスレーは、自分たちのアートの活かし方を十分に知っていたに違いない。
だから、今日の電気生理学的な手法にたどり着いた。
もし、彼らが自分たちのアートに無自覚であったなら、功績が広く知られることもなかったであろう。自分たちのアートを見極めていたが故に、彼らは神経科学に多大に貢献し得た。
自分のアートとうまく合致するサイエンスを「自分のサイエンス」と呼ぼう。
よく「自分たちのサッカー」とか「自分のゴルフ」などという。
スポーツの世界での合言葉だ。
相手に迎合することなく、自分本来のパフォーマンスを完遂することで、難局に活路を開く可能性を説いたものである。
私は、サイエンスの世界も、これに習うべきだと思っている。
例えば、研究に行き詰まった時に「自分のサイエンス」を全うすれば結果はついてくる、などといってもよいのではないか?
あるいは、目先のことにとらわれずに「自分たちのサイエンス」に徹しよう、などといってもよいのではないか?
サイエンスとは知である。
その知は必ずしも普遍的ではない。研究者たちに固有の属性と分かち難い。
ところが、その固有性はしばしば見過ごされる。特に研究生活を始めたばかりの頃はそうである。いかにして「自分のサイエンス」を意識し続けるか?
NISS2003は「自分のサイエンス」を意識するのにうってつけの場であった。いつも同じ領域の研究者たちとばかり話をしていたのでは「自分のサイエンス」はみえてこない。
NISS2003のような学際的な場では、全く背景の異なる研究者たちが、各々のアートを持ちより、様々な角度からサイエンスを語り合う。寝食をともにしながら、互いにアートを供覧し、サイエンスを論じることでもたらされるものは「自分のサイエンス」の確認である。
「なぜ、研究者になろうと思ったのか?」
と自問する。そんな原点に帰れるところが、NISS2003の最大の効用だったかもしれない。