松田聖子さんの『天使のウインク』に思い入れがある。
10代序盤――
僕はブラスバンド部に所属し、クラリネットを吹いていた。
――吹く真似をしていた。
というのが正しい。
譜面もわからず、ただ周りに合わせて適当に吹くだけの、いい加減な演奏者だった。
あるとき、不意に『天使のウインク』が演奏曲目に上がる。
(ブラスバンドなんてどうでもいい)
と思い始めた頃だった。
それでも――
僕は、この曲が好きになる。
旋律や伴奏が好きになる。
松田聖子さんのことは、とくに意識しなかった。
作詞・作曲が誰かも意識しなかった。
僕が好きな尾崎亜美さんの作品であることを知ったのは、今年のことである。
以後、この唄を耳にする度に――
僕はブラスバンドの活動風景を思い出す。
が――
思い出すことは、それだけではない。
*
小学6年になって最初の日――
転校生がやってきた。
女の子だ。
ミカさんという。
自己紹介は緊張した面持ちだった。
言葉数の少ない自己紹介だった。
担任のヤマダ先生は、僕の隣に座るように指示を出す。
ミカさんは、いわれた通りに僕の隣の席に座った。
家に帰って、このことを父に話したら、
――その子の顔ばかりみてたんじゃないか?
と笑われた。
――ちげーよ!
と反論したが、多分、父は正しかったと思う。
だって――
僕は今もミカさんのことを忘れていない。
*
ミカさんとは、すぐに仲良くなった。
一緒にいるのが楽しくなった。
気付いたときは――
クラスの誰よりも可愛らしい女の子だと感じていた。
たちまち――
級友たちに冷やかされるようになった。
うまく対処できなかった。
自覚がなかった。
下手に反論していたような気がする。
自分の気持ちを素直に認めてやればよかった。
それができなかった。
一学期が終わり、席替えになった。
ミカさんと席が離れた。
途端、僕らは話さなくなった。
できなくなった。
あれほど仲良く話ができたのは――
席が隣同士だったからである。
離れてしまえば、話すことすら、ままならない――そういう関係だった。
が、目だけは合った。
妙によく合った。
だから、勘違いをした。
(向こうも僕が好きに違いない!)
目が合ったのは必然だった。
僕は、いつもミカさんの目を追っていた。
だから――
ミカさんのほうが、僕をどう思っていたかは、わからない。
この勘違いを盾に、僕は突進すれば良かったはずである。
が、それをしなかった。
できなかった。
その勇気がもてなかった。
月日だけが流れていった。
*
小学校を卒業する日――
ミカさんは、いつになく僕の方をみた。
僕が視線を合わせると、いつもは視線をそらす。
が、あの日だけは、視線をそらさなかった。
今なら、わかる気がする。
――私が気になるなら、今日こそ想いを打ち明けてよ。
そういっていたのだと思う。
が、僕は打ち明けなかった。
同じ中学に進むことはわかっていた。
(焦ることはない)
そう考えたのだと思う。
真相は違った。
やはり、勇気をもてなかっただけである。
再び、月日が流れた。
*
中学では、ついに一度も同じクラスになることはなかった。
なのに――
同じクラスになって、また席が隣になればいいと思っていた。
奇跡を期待していたことになる。
奇跡なんて、起こらない。
けれど――
あい変わらず、よく目は合った。
集会のとき、休み時間、部活の日、休日の日――
よく目があった。
だから、
(向こうも、まだ、その気がある!)
と思った。
いつか打ち明けようと、漠然とは思っていたはずである。
が、どのように打ち明ければ良いものか、見当がつかなかった。
時間だけが流れていった。
*
中学2年か3年のとき――
ミカさんは学校に来なくなる。
不登校である。
ミカさんの担任の先生は、困っていた。
――最近、学校に来てないんだけど、何かきいてない?
と、訊いて回っていた。
あるとき、わざわざ僕らのクラスにやってきて、僕の席の近くの女の子たちに訊いていた。
まさか、僕にきかせるためではあるまい。
が、
(まさか――)
と思った。
*
中学を卒業する日――
僕は、ミカさんのことは覚えていない。
卒業式には来ていたと思う。
当時の僕は、ミカさんに気が回るような状況ではなかった。
父の転勤が決まり、数日後に遠くへ引っ越すことになっていた。
中学を卒業し、しばらくが経って、卒業アルバムをめくったら――
そこにミカさんが写っていた。
見慣れない顔付きのミカさんだった。
あい変わらず可愛らしいとは思ったが――
そこに写っていたミカさんは、僕の知っているミカさんではなかった。
僕は、自分の想いが終わったことを知った。
打ち明けなかったことを、とくに後悔はしていなかった。
*
その後のミカさんを、僕は知らない。
風の便りにも、きいていない。
結婚をしておられるのか、お子さんがおられるのか、まだ生きておられるのか――
何もきいていない。
ときどき、夢に出てくる。
小学6年生のミカさんが、である。
今も可愛らしい。
*
その小学6年生のミカさんが――
修学旅行のバスの中で、カラオケで歌ったのが――
――『天使のウインク』
だった。
大人しい女の子だ。
数年後には不登校になってしまうような女の子である。
けれど――
あのときのミカさんは、朗らかだった。
小さい顔が光り輝いていた。
みんなの喝采を浴びていた。
何より、歌が巧かった。
あれから20年が経って――
松田聖子さんや尾崎亜美さんが歌う『天使のウインク』を耳にする度に、思い出すのはミカさんである。
ミカさんの歌声である。
松田聖子さんとも、尾崎亜美さんとも違う――
ミカさんの歌声である。