第1話 さびしいことは悪いこと?


 いまの僕をよく知っている人であっても、僕が辛島美登里さんのファンであるということを、知っている人は、あまりいない。
 当然だ。
 だって、ほとんど話していないから……。

     *

 高校を卒業した年(1992年)の春、僕は、親元を離れ、東京に引っ越した。
 長い浪人生活の始まり――不安だらけの再スタートである。

 いまだから白状するけど、やっぱり淋しかったなあ。

 大学生じゃないのに下宿暮らし、というのにも引っ掛かっていた。

 もしかして、いま、自分は、とんでもなく危ない橋を渡ってんじゃないか?
 このまま芽が出ず、一生を棒に振ったらどうしよう?

 ……などと、結構ビクついていたものである。

 これは丁度、そんな頃の話――

 忘れもしない。
 あれは4月29日――代々木ゼミナールの「第一回全国総合模試」の日だった。
 夕方の六時頃、僕は、最後の数学の試験を終えて、JR代々木駅前のスクランブル交差点を、北に向かって、一人歩いていた。
 小田急線の踏み切りを越え、新宿駅西口まで出るというルートである。
 実はこのとき、駅前の郵便局で、お金をおろすつもりでいたのだけれど、すっかり当ては外れた。

 当然だ。
 祝日の六時過ぎに金融機関が開いている訳がない。

 仕方なしに、僕は近くの本屋へ、ぶらりと入った。
 別に買いたい本があった訳じゃない。そのまま、誰もいない自分の部屋に帰るのは、あんまりだと思ったから……。

 所在なく、店内をうろついた。
 狭い店だった。
 雑誌のスペースがやたら多い。そうかと思うと、奥の本棚には、結構、マイナーな新書ノベルズが並んでいたりする。
 店主の趣味が出ていて、なかなかに面白い本屋だと思った。

 と、しばらくして、頭上から女性の話声が降っていることに気付く。
(何だ?)
 と思ったら、ラジオの音――

 FMを聞くのは、これが、ほとんど初めてのことだったから、いたく感じ入ってしまった。
 いいな、と思った。
 TVと違って、話し手が、凄く身近に感じられるのは、どうしてなんだろう?

 さらに、それとは別に、そのDJ個人の声色、口調、話し癖といったものにも、やたらとひかれていった。

 もし、このときにきこえてきていたのが別の人の声だったら、僕は、軽く聞き流していたかもしれない。
 つまり、僕は、ラジオそのものにひかれたのではなく、その声を通して伝わってくる「人柄」にひかれたのだと思う。

 いや、理屈を捏ねなくてもいい。
 要するに、このDJの声を聞いているうちに、僕は、自分が一人暮らしをさびしがっているということに、やっと気が付いたわけだ。
 ……というか、ようやく認める気になったと言うべきか。

 不思議なものである。
 ただ、その声を聞いていただけなのにね……。
 それくらい、そのDJのことが、身近に感じられ、深く印象に残った。

 それからというもの、僕は毎日、新聞のラジオ欄を片っ端から調べ始める。
 あの日、あの時、たまたま聞いた番組の名前を確かめるために――

 肝心なことを聞き取らなかったのが悔やまれた。
 せめてDJの名前だけでも……。

 ――自分でもバカなことをやってるなと思った。

 ま、初めて親元を離れて1ヶ月ですから……。

 1週間が過ぎても、確認はとれなかった。
(ああ、これだ!)
 と思う番組名も、DJの名前も、見当たらなかった。

 こうなったら、ラジオを、ききまくってやる。
 あの声だけは忘れない。
 きけば、すぐにわかるはずだ。

 次の日から、今度は、ことあるごとに、ラジカセのスイッチを入れるようになる。
 随分、気の長い話だったけど、当時の僕は大真面目だった。

 ――で、見付かったんですよ。
 うまい具合に……。

 その夜は、たまたま別の番組に、代役で出ておられたらしい。
「なぜか、私がやることになりました」
 とのこと――
 間違いない。あの時のあの声――
 名前もわかった。

 ――辛島美登里。

 本名……だそうだ。
 それ以来、僕は、歌をきく前から、辛島美登里のファンになった。

 だって、いいこと、いってくれたんだもん。

「私は、一人暮らしって、絶対、いい経験になると思いますよ。家族といたって、話とかしなければ、一緒だよっていうかもしれないけれど、やっぱり違いますよ。朝起きて、会社なり学校なりに行って、帰ってくる。そうすると、朝起きたまんまなんですよね、部屋が……。散らかしていたら、散らかったまんま……。その間、人がいたっていう形跡が、何もない。これは、家族と一緒にいると、わからない感覚ですよ」

 だから、結婚するまでに、一度は親元を離れたほうがいい。
 そうすれば、孤独ということがどういうことか、よくわかる。
 さびしいということが、どういうことか、嫌というほど、よくわかる。
「……そうすれば、人にも自然と優しくなれるんじゃないかな?」
 そういって、辛島さんは話を締め括った。

 何を、くさいことを――っておっしゃるかもしれないけどねえ。

 気心の知れない大家さんとか、得体の知れない隣室の住人とかに囲まれて、夜中の12時過ぎに、あの人のあの声で、あんな風に情感たっぷりにいわれると、結構、染みるんだ、これが……。

 みようによっては、情けないこと……なのかもしれないけれど、これを、さらりと聞き流してしまうよりは、ずっといい。

 ……なあんて、そのとき、僕は思ったわけ――

 こうして、僕は、ようやく親元を離れて暮らしていく決心が付いた。
 あんまり格好いい話じゃないけれど、本当のことだからしょうがない。

 でも、これと似たような経験、皆さんにもないのかな?

     *

 辛島美登里さんに教わったことは、数知れない。
 誇張でも何でもなく、詩(詞)の素晴らしさを教えてくれたのは、他ならぬ辛島さんだった。

 鹿児島の生まれ――
 高校まで「宿題とか毎回きっちりやっていく女の子」だった。

 現役で奈良女子大の文学部(多分)に合格――寮生活に入る。
 しかし、その寮の新歓コンパの終了後、いきなり、
「辛島さん。マルクス主義についてどう思う?」
 と、きかれ、
「おいおい……」
 と、すぐに脱出――

 その後、大過なく大学生活を過ごしていたが「勉強は大嫌い」――

 小さい頃からピアノを習っていたせいか、次第、音楽にのめり込むようになっていく。

 そして、いまから五、六年前、永井真理子さんに送ったデモテープが認められ、晴れてシンガーソングライターに。
 永井真理子さんの以外なヒットナンバーが、辛島さんの作曲だったりする。

 今年(1994年)で33歳――
 とてもそうにはみえない。

 容姿は、かなり主観が入っているのを承知の上で、割と美人――
 でも、ご本人曰く、
「たぬき顔って、よく言われるんですよ」

 確かに……。

 まあ、いいや。

     *

 というわけで、次稿から、現代のシンガーソングについて、特に「詞」に絞って、お喋りをしていこうと思う。
 別に、辛島美登里作品だけを扱うのではなく、なるべく、色々な人たちの作品について、僕なりに感じたことを書き留めていきたい。

 一ついっておくと、歌から音をはぎ取って、うんちくを垂れるんじゃない、とのお叱りは、十分に承知している。
 でも、僕はサウンドについては、な〜にも知らないので、どうしようもない。
 要するに、音だけで勝負している作品は対象外ということ――
 もちろん、こういうスタンスを取ることで「詞へのこだわり」というテーマを、僕なりに掲示しているつもりもなんだけれど……。

 まあ、最初から遊び半分だから、暇なときに、からかい半分にでも、よんでやってちょうだい。

 では、また――

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