フランスはジャンヌ・ダルクが産んだ。
嘘ではない。
19世紀フランスの歴史学者ジュール・ミシュレはいう。
――フランス人たちよ、つねに想起しよう。祖国はひとりの女の心から、彼女のやさしさとその涙から、彼女が我々のために流した血から、我々のうちに生まれたとのだということを――(ミシュレ著、森井真・田代葆訳『ジャンヌ・ダルク』中公文庫)
鋭利な歴史学者を、ここまで熱くする何かが、ジャンヌ・ダルクにはある。
神話の時代の少女ではない。
中世ヨーロッパといえば、ようやく神への畏怖が薄らぎ始めた頃である。少なくとも「神の遣い」を自称する少女が盲目的に受け入れられる時代ではない。
にもかかわらず、ジャンヌは同時代の多くの人々を動かした。
蓋し、その人柄には、人々を信用させるだけの真実味が含まれていたに違いない。
振り返ってみれば、ヴォクルールの城主説得から、シノンでの王太子シャルルとの会見、オルレアンの解放、ランスでの戴冠式に至るまで、ジャンヌの政治行動は不思議なまでに理にかなっている(村松剛『ジャンヌ・ダルク』中公新書)
抜群の政治センスは、十八、九の少女のものとも思えぬ。少なくとも相応の理知的側面を備えていたことは間違いない。
ジャンヌが、もしも、然るべき家門に生まれていたならばと夢想する。
おそらく、オーストリアのマリア・テレジア、あるいはロシアのエカテリーナがごとき女傑たちに比肩する名声を得たであろう。
むろん、ジャンヌの才覚をみとめない人たちもいる。
彼らは「ジャンヌ傀儡説」を提唱し、史実のジャンヌは虚像であると主張する。実は、老獪な政治家たちがジャンヌを陰で巧く操っていたのだ、と――
しかし、それでは、ルーアンの宗教裁判におけるジャンヌの堅実な答弁が説明できない。
法廷でのジャンヌは聡かった。
両親のことや故郷のこと、故郷を出立した後のことなら何でも証言すると誓う一方で、自らが神より受けたとする啓示の中身については、一切の証言を拒んだ。
――裁判に関係することで私が知っていることについては、真実を申し上げるつもりです(レジーヌ・ペルヌー著、高山一彦訳『ジャンヌ・ダルクの実像』白水社)
ジャンヌは、自らの潔白性を示すために、
――神の啓示の詳細は裁判には関係しない。
という論陣を張ったらしい。この論陣を、ジャンヌは文字通り、死ぬまで崩さなかった。
虜囚の身に弁護士がつく時代ではない。
四面楚歌の法廷にあって、言質をとられないための戦術を独力で練るとは驚かされる。
ジャンヌ自身の才覚がうかがえる。
*
かえすがえすも不思議な少女であった。
フランスから遠く離れた僕たちの国にあってさえ、いったい何冊の本が、彼女のために上梓されたことであろう。
歴史上の人物を調べるときに、面白い逆説が知られている。
すなわち、その人物にまつわる史料が乏しければ、その人物像を詳細に把握できない代わりに、史料考察の作業は、かえって面白くなるという。
逆に、ふんだんな史料が残されていれば、その人物像を詳細に把握できる代わりに、作業はミステリアスではなくなる。
ジャンヌは、決して史料に乏しい人物ではない。
特に宗教裁判の史料は望外に豊富であるときく。
僕らは、法廷に登場してきた同時代人の証言などをもとに、ジャンヌの人物像の詳細を比較的、容易に描くことができる。
にもかかわらず、ジャンヌの人間性は謎に満ちたままである。
いまもなお、ジャンヌは、史料に乏しい古代英雄が如く、未知なるがゆえの妖しい魅惑を振りまいている。
誰が信じようか?
田舎生まれの少女が、王子から兵を借り受け、獰猛な侵略軍を打ち破る物語など――
もしも、当代のファンタジー作家が、このような物語を紡ごうものなら、良識ある読者の失笑を買うに違いない。
しかし、その物語は真実だと歴史は伝える。
歴史の妙といえる。
*
――ジャンヌ・ダルクは神憑かりの女だった。
などといわれる。
あるいは、
――ちょっとおかしな小娘だったのさ。
とも――
こうした見方は当国フランスに多い。
もちろん、我が国においても、決して少なくはない。
しかし、僕は、この説をとらない。
神の霊験を臭わせたり、戦乱の狂気を持ち出した時点で、ジャンヌの人物像は瑞々しさを失う。
そればかりか、そのような仮定が僕らの思考を停止させる危険性に目を向けるべきである。
そのような考察でも一定の納得に至ることは否定しないが、その納得は底が浅い。
仏文学者の大谷暢順さんは、ジャンヌの一連の奇跡を、人の心の内に起こる普遍的な葛藤の産物であると説明する(安彦良和作『ジャンヌ』解説、NHK出版社)
敬虔だが平凡な田舎娘が、にわかに剣をはき、鎧をまとい、戦陣に赴いたのは、なぜか?
――「激化した自分」と邂逅したからだ。
と、大谷さんはいう。
近隣の村が焼かれ、身近にも惨劇の影が忍び寄る。
そんな、いつ殺されてもおかしくない状況にあって、それまでは、ひたすらに神に救いを求めることしか思い浮かばなかった無力な少女が、あるとき、ふと気が付いた。
恐怖におののく自分とは別に、そんな自分を叱咤する自分、激励する自分――そして、奮い立つ自分に――
かくして、十六歳の決断が下された。
――神の救いを待つのではない。この手でフランスを救うのだ。
魅力的な解釈といえる。
僕も、似たようなことを思う。
ジャンヌのいう「神の啓示」とは、他ならぬジャンヌ自身が無意識のうちに絞り出したジャンヌ自身の言葉ではなかったか、と――
キリスト教に縁のない僕にとって、ジャンヌが受けた「神の啓示」など、虚構であってほしい。「神に遣わされた少女ジャンヌ」なる人物像ほど、退屈なものはないのである。
神の実在性など、僕には信じられない。
神に守られ、操られ、最後は神の御元へ召された少女――では、天使も同然だ。それでは、血の通った生身の人間ではなくなってしまう。
ジャンヌとて、僕らと同じ一個の人間だと思えばこそ、関心が生まれ、理解も成り立ち得る。
もとより、ジャンヌは中世ヨーロッパの人であった。
むろん、ジャンヌは神の実在を信じていたであろう。
それは、それでよい。
僕とて、中世ヨーロッパに生まれていたならば、神の実在を信じたに違いない。
だから、神の実在を頑に信じたジャンヌを、現代人の感覚で揶揄するのは間違っている。
同じ理由で、例えば、ジャンヌを「融通のきかぬ王党派」と決めつけるのも間違いであろう。
たしかに、ジャンヌは王太子シャルルの戴冠にこだわった。
フランスに平和をもたらすためには、王の存在が不可欠だとジャンヌは思い込んでいた。
しかし、フランスの片田舎に生まれ、大した教育も受けなかった少女が、共和制や民主制の理想を知る由もない。
自分の身を守り、自分の家族や村を守るには、フランスという国が強固に立ち、それが手堅く統治されている必要があった。ジャンヌにとっての「王」とは、まさに、その統治に不可欠な要素なのである。
ジャンヌの王への忠誠は、盲目的な忠誠ではなかった。
むしろ、無学な少女が、そうした政治のからくりを見破っていたところに、非凡な才をみるべきである。
ジャンヌは無学ではあったが、非才ではなかった。
あれから500年が経ち、いま、ジャンヌは狭量な右翼集団のマスコットにされているときく。
もし、そのことをジャンヌ自身が知ったら、多分、こういうだろう。
――なんて酷い人たち。
移民排斥を訴える集団のマスコット役など、ジャンヌにふさわしくはない。
かの百年戦争の時代にあってさえ、イギリス軍は憎んでも、イギリス人を憎むことはなかった。
そんなジャンヌを移民排斥に借り出すなど言語道断である。
ジャンヌが偏った思想の人々にまで愛想を振りまくとは思えない。
ジャンヌは誰にとっても都合よく振る舞う偶像ではなかった。
ジャンヌを一個の人間とみなすところから、物語の神秘は始まる。
ジャンヌを今日の政治問題の場に安易に引っ張り出す人々は、ジャンヌの神秘性を誤解している。
ジャンヌを人として尊重する視点に欠けている。
ジャンヌの神秘性の基盤は、あくまでジャンヌの人間性にある。
マンガ家の安彦良和さんは、自作『ジャンヌ』の中で登場人物に、こんなことをいわせている。
――神が至高なのではない。神の意志を信じたジャンヌ・ダルクが気高かったのだ。
ジャンヌの神秘性を、これほど的確に表現した言葉は他にない。
*
ジャンヌの伝記を初めて読んだのは、小学生の頃だった。
ごく薄い絵本であった。
読後の衝撃を忘れない。
後に、その物語のヒロインは実在したと知らされた。
納得はできた。
その物語が、子供向けの虚構のレベルを超え、遥かに残酷であったから――
姑息な政治家や矮小な宗教家に弄ばれ、最後は火焙りにされた。
こんな酷い、救いようのない物語が、子供向けの虚構であるわけがない。
歴史的にみても残酷であった。
ジャンヌに落度があったとは思えない。
王太子シャルルの権威を軽んじたわけでも、時代の流れがよめなかったわけでもない。
ただ、少々、目立ち過ぎただけである。
痛ましい最後に歴史の必然はない。
ゆえに、ジャンヌの復権が画策された。
古きには、ルーアンの宗教裁判の見直しであり、新しきににはローマ法王庁による列聖である。
そうした後世の働きかけには、
――できることは、何でもしてあげたい。
という無償の善意すら、感じとることができる。
*
もちろん、決して同時代人のすべてがジャンヌを快く思っていたわけではない。
敵陣にあっては、ジャンヌを心の底から憎んだ者もあったろう。
あるいは、ジャンヌの戎装に魔女の影をみ、恐れおののいた者もあったろう。
しかし、時代を経て、ジャンヌは驚くほど多くの人に愛され、惜しまれ、慈しまれていった。
ジャンヌを歴史の脈絡から切り離して理解することは愚の骨頂である。
にもかかわらず、ジャンヌの人間性を無条件に肯定する輩は多い。
僕も、その一人である。
ジャンヌもまた、矛盾の塊であった。
自分たちの身を守るため、軍兵を率い、敵軍と刃を交えた。
城攻めでは、巧みに大砲を操り、多くの人命を奪った。
剣は嫌いだといった。
剣よりも旗が好きだ、と――
その旗を掲げる姿に脅え、怯み、討たれていった敵兵は幾人もあった。
戦場において、自身の所作を計算に入れていなかったとは思えない。
たしかに、自らの剣を血で染めたことはなかったかもしれない。
しかし、自らの手兵は多くの敵兵を朱に染めた。
むろん、死んでいった敵兵にも、帰るべき故郷があり、帰りを待つ家族や両親があった。
彼らは紛れもなく、ジャンヌの手によって殺されたのである。
そんな敵兵の屍にも、ジャンヌは哀悼の意を表した。
欺瞞と詰るつもりはない。
矛盾を抱えた不完全な人間だからこそ、親しまれもする。
完璧な知性ではないからこそ、敬われもする。
泣いたり、怒ったり、ときに喚き散らしたりするからこそ、好かれもする。
歴史は伝えた。
凄惨な戦乱の時代に、一個の人間として、自らの信念を曲げることなく、最後まで精一杯に生き抜いた少女がいたことを――
それで十分だ。
ゆえに、物語が始まる。
ジャンヌの背中に羽根はない。
ジャンヌが、どこまでも「人」であったからこそ、僕らはジャンヌが好きなのだ。