戻る - 参加 

道草随想のページ

不定期更新

 2008年12月19日 (金) 無題
 男は――
 女で学問をするようになったら、終わりである。

「女で学問をする」とは、例えば、

 ――女A と 女B とを比較したところ、この部分では A は B より劣っているが、あの部分では優っているので、総合すると、A は B よりも佳い女といえる。

 といったような考えを巡らせることだ。

 男が“男”に目覚め始めるとき――
 それは少年のときだ。

 そのとき――
 男は、女で学問などをやりはしない。

 女A と 女B とを比較するなど、思いもよらない。

 少年にとっては、A や B など、ありえない――
 あるのは一人の女――
 それが、自分にとっての世界の全てとなって――
 それ以外の人物――ときには事物さえも――全てが掻(か)き消されゆく。

 ところが――
 少年は、いつまでたっても少年では、いられない。

 初恋を経て、様々な女を知るうちに――
 いつしか、女を比較する――女A と 女B とを比較するようになる。

 もちろん――
 最初は思うようには比較できない。

 目の前の女に夢中になって――
 過去の女を思うことは難しく――
 あるいは――
 遠くに佇む女を、視野の片隅に入れるのすら、難しい。

 そういう少年も――
 いつしか、女を比較できるようなる。

 そうなると――
 少年は、男になって、女で学問を始める。

 ――女A と 女B とでは、どちらが佳いか。

 などということを考え始める。

 ところが――

 少年が、男になって、女で学問を始めたら――
 なぜか、男の“男”が失われていく。

 少し奇妙な逆説なのだが――
 男が女で学問を始めたら、そうとしかいいようのない逆転が、男の中で起こってくる。

 男は“男”を失って、男以外の何かになっている。

 そう――
 学者になっている。

 ――女A が佳いか、女B が佳いか。あるいは、新たに 女C を見出すべきか。

 そんなことを考える。

 そんな男は――
 もはや、学者以外の何者でもない。

 学者が、学問の手を休め、学者以前に還るとき――
 男は“男”を取り戻す。

 男とは――
 つまり、少年のことに他ならない。

 少年が少年をやめ、男になるのではなく――
 幼年が少年になって、男になる。

 では――
 少年は、何をしているのだろう?

 男が“男”を失って学者になる前に――
 いったい何をしているのであろうか。

 それは――
 喩えていうならば、

 ――詩作

 である。

 女A と 女B とを比較するのではなく――
 一人の女に思い入れ、その思いのたけをつづっていく。

 男が“男”に目覚めるとき――
 男は「詩人」という名の少年だ。

 自分を信じ、自分の感性を信じ――
 自分ならではの方法で、自分の思いを表していく。

 そんな少年も――何度か詩作につまずくうちに――
 いつしか学者になっていく。

 学者になって、詩作をやめて――
 詩人をやめていく。

 そして――
 いつしか学者になりきって――
 少年をやめ、男をやめてしまう。

 男が、男であり続けるなら――
 決して詩人をやめないことだ。

 いつまでも詩人であり続ける――

 いったん詩人をやめたなら――
 ついに詩人へ還れない。

 学問の安らぎを知ったなら――
 詩作の危うさなどには近づけない。
 2008年12月7日 (日) 多芸の人
 ソメコくんとの付き合いは――
 今年で6年目になる。

「ソメコ」は「染小」と書く。
「染子」ではない――名字である。
「染物屋の小林」が変じたものらしいが、正確なところは、本人に聞くしかない。

 ソメコくんは僕よりも10歳ほど年下だ。
 彼は僕を「センセー」付けで呼び、僕は彼を「くん」付けで呼ぶ。
 だから、誰も信じそうにないのだが――ソメコくんと僕とは、友人である。

 僕と同じ大学・同じ学部に9年遅れでやってきた。
 そして、同じバイト先には8年半遅れでやってきた。

 バイト先というのは学習塾である。
 彼が僕を「センセー」付けで呼ぶのは、たぶん、その塾での慣しによる。

     *

 ソメコくんは、多芸の人だ。

「多芸」というのは、「どんな芸もソコソコできる」というのではなく――
「幾つかの芸をシッカリこなす」という意味である。

 彼は、第一に、英語ができる。
 少なくとも平均的な日本人よりは遥かに巧い。
 TOEIC のスコアが凄まじく、満点に近かったことがあるらしい。

 第二に、日本語が巧い。
 英語ができる人は、しばしば日本語が下手だったりするのだが、彼は違う。
 流麗でムダのない日本語を書く。
 彼自身が望めば、文筆で身を立てるのも難しくないだろう。

 第三に、人の話を聞くのが巧い。
 最後まで丹念に聞く。
 いたずらに自分のコメントを挟んだりせず、勝手な解釈を加えたりしない。
 つまらない冗談にも、ちゃんと反応をする――時々、少しオーバーだが――

 第四に、カード・ゲームが巧い。
「カード・ゲーム」というのは「Trading Card Game」のことだ。
 トランプなどのカード・ゲームの要素に、切手の収集などのコレクションの要素を組み込んだものである。
 カード・ゲームの全国大会というのがあって、そこで、ときどき上位に喰い込んでいるらしい。

 第五に、クラリネットが巧い。
 大きなステージに一人で上がり、ピアノを伴奏に、こ難しそうな曲を演奏したりする。
 その技術は明らかにプロのレベルではないと思うが、ど素人の僕には、そんなに違っては聴こえない。

 実は――
 昨日は、そのソメコくんのクラリネットを聴いてきた。

 知り合って6年になるというのに、彼の演奏を聴いたのは、初めてだ。

 ちょっと後悔をした。

    *

 ソメコくんと知り合って、間もなくの頃――
 ある酒の席で、外資系の会社の人に引き合わせたことがある。

 その人は、ソメコくんを評し、「出世しますよ」といった。
 少なくとも僕などよりは、ずっと出世をするのだという。

 そのときは、
(そんなものか)
 と思っただけでだったが――
 あれから何年か経ち――
 今は、
(そうなんだろうな)
 と思っている。

 どういう男が出世をするのか、当時は、よくわかっていなかった。

 が――
 今は、わかっているつもりだ。

 ソメコくんのような「多芸の人」が出世をする。
 シッカリこなせる芸の数が多い分だけ、上から引き上げられる確率が高くなるからだ。

 あるいは――
 その「多芸」のうちに「出世」を含めてもよいのかもしれない。