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道草日記

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 2005年10月31日 (月) カレンダーをみると
 今日で10月も終わりである。

     *

 来月のカレンダーを眺めていて、ふと思った。

 ――まるで時間を管理できるみたいだ。

 と――

 もちろん、未来の時間を、である。

 この日までに、あれをやって――
 あの日は、これがあるから――
 いや、まてよ。その日には、あれがあったなあ――

 という具合に、である。

 カレンダーを眺めていると、それだけで時間を管理できた気分になってしまう。
 まだ来ぬ11月という未来を、あれやこれやと管理できた気分になってしまう。

 恐ろしいことである。

 錯覚以外のナニモノでもない。

 だいたい、11月という期間が、僕の身に訪れるかどうかも怪しいのだ。
 今夜、交通事故か何かで、この世からオサラバしてしまうかもしれないのに――

 最近、カレンダーをみると憂鬱になる。
 2005年10月30日 (日) 教養部キャンパスにいって思い出したこと
 昨日、久々に大学にいってきた。
 母校の教養部キャンパスである。

 正確には、旧教養部キャンパスである。
 僕が入学した当時、すでに教養部は廃止されていた。

 ――なんで教養部を廃止したんですか!

 と、当時の大学教員幹部に噛み付いたのを覚えている。
 教養部の廃止は納得がいかなかった。

 長い受験生活を終え、
(さあ、これから本物の勉強ができるぞ)
 と思ったら、いきなりの専門教育である。

 専門教育の質の悪さは知っていた。
 教育経験に乏しい教員が拙劣な講義を行う、学生は研究の労働力としてしかみなされない、などなど――
 専門教育が始まったら、大学は大学ではなくなるといわれていた。

 実際、受験勉強よりも遥かにタチが悪かった。

 専攻は医学だ。
 僕が受けた医学の専門教育は詰め込みの極致であった。

 これは医学自体に罪があったのではなく、医学教育の担い手の問題であった。
 一部の良心的な教員を除き、

 ――お前ら、学ばせてやってんだ! ありがたく思え!

 みたいな風潮に支配されていた。
 もちろん、言葉に出してはいわなかったが……。

 後に大学院に進み、彼らの側に回って実習を補助してわかったことだが、彼らは、教育という営みの実態を、単に知らなかっただけのようである。

 教育とは、人の心を動かすことである。
 教育を受ける側の心を動かさない限り、教育は完遂されない。

 この「心を動かす」のプロセスが大変なのである。
 自分の知識や理解だけでは物の役に立たない。

 僕は、幼い頃から断続的に塾へ通った。
 通った塾が、いずれも良心的だったのが幸いした。詰め込み教育とは無縁の授業が多かった。

 だから、質のよい教育と、そうでない教育との差を肌で感じとることができた。
 塾の先生がいうことは、学校の先生がいうことよりも、わかりやすく、ためになり、面白かった。
 より強く心を動かされたのである。

 この差は何だったのか?

 身分の差――に尽きる。

 塾の先生は、明日の我が身が保証されていない。
 が、学校の先生は保証されている。
 その差である。

 塾の先生は、酷い授業をすれば、自分の食い扶持を確保できなかった。
 学校の先生は、どんなに酷い授業をしても、クビになることはなかった。

 今は、少しは変わってきているようだが……。

 だから――
 大学教員の幹部に、

 ――なんで教養部を廃止したんですか!

 と詰め寄ったとき、僕は、この理屈で攻めるべきだった。

 ――教養部を廃止する前に、大学教員の身分保証をやめることが先決でしょう!

 ということである。
 教養部に活気がない――学生が真剣に学ばない――というのが教養部廃止の理由とされていたからである。

 仮に、そう詰め寄ったところで、結果は同じだったろうが……。

 ――教養学を学びたい人は独学して欲しい。

 と諭されて終わった。

 そんなことなら、いわれる前からやっている。

 大学教員たちは責務を放棄したのだと解釈した。

 以後、学位取得までの10年間、僕は基本的には大学教員から背を向け続けている。
 その始まりが旧教養部キャンパスだったわけだ。

 もちろん、以上は、あくまで一般論である。
 その10年間のうちに、僕は幾多の例外に出会った。
 2005年10月29日 (土) 小説のメモ書きを破棄
 小説を書いていて、書いているシーンよりも相当に先のシーンが思い付くとことがある。
 そういうときは、以前はメモ書きしておいて、後で継ぎ足すということをやっていた。

 最近は、やめている。

 継ぎ足すときに無理が生じるからだ。
 巧くつなげようと頑張っているうちに、作品全体が歪んでしまったりする。
 元も子もない。

 では、書いていて相当に先のシーンを思い付いたら、どうするか。

 放っておく。
 敢えて、メモ書きはしない。

 結構、勇気のいることである。

 例えば、登場人物AとBとが物語の中の3日後に交わすであろう会話を思い付いたとする。
 とりあえず、会話のアウトラインくらいは書き留めておこうと思うのが人情である。
 物語の中では3日でも、こちらの世界では3週間かもしれないからだ。
 3週間も経てば忘れてしまう。

 が――
 放っておく。

 もちろん――
 不安だ。

 とくに、そういうときほど、
(せっかく、いいシーンを思い付いたのに――)
 などと思い込んでいるだけに、余計に不安である。

 我慢のしどころであろう。

 要は、

 ――無駄がないと、よい作品には仕上がらない。

 ということである。
 思い付いたシーンを次々と書き込んでいったら、いい作品には仕上がらない。
 氷山みたいなもので、ごく一部が作品になるくらいで丁度よい。

     *

 というわけで――
 今、書いている作品のメモ書きを、全て破棄――

 いざ破棄となると、やはり不安だ。
 いたたまれない。

 が――
 メモ書きしたシーンを後で没にするのも同じように、いたたまれない。
 なまじメモとして明示されているだけに、物語の世界を裏切るみたいで気分が悪いのである。

 小説書きは、物語を作っているのではない。
 まず自分で物語をみて、それを読者にみせているにすぎない。

 よくみえていなかった頃のメモ書きなど、ないほうがいい。
 2005年10月28日 (金) ブスと美人と
 小学校5年生の音楽の時間の話――

 ――ねえ、先生! ブスと美人と、どっちがよかった?

 と、ヤンチャ坊主が尋ねると、

 ――ブス。

 と、即答する音楽の先生――

 ――ええ? なんでえ?

 ――だって、美人は三日で飽きるけど、ブスは三日で慣れるっていうでしょ?

 今にして思えば、かなり壮絶な会話である。

     *

 僕が小学校に通っていた頃は、音楽は4年生から専門の先生が教えた。
 今も、そうなのだろうか?

 小・中学校の音楽の先生というのは、概して特別な存在である。

 しょっちゅう顔を合わせるわけではない、ということ――
 大抵は20代ないし30代の若い女の先生であった、ということ――

 それら要素が絡み合うことで、ある種、マドンナ的な存在だったように思う――少なくともヤンチャ坊主たちにとっては――

 で――
 そのヤンチャ坊主どもの、

 ――ブスと美人と、どっちがよかった?

 という不埒な質問に、

 ――ブス。

 と即答した音楽の先生は、30歳くらいの女性で、どちらかというと地味なほうで、ブスでも美人でもなかった。
 人によっては美人だと思っていたし、そうでない者もいた。

 そんな会話を傍でききながら、
(美人は三日で飽きるのか……)
 などと、真剣に悩み始めた僕は、多分どこか、おかしかった。

 おかしさが高じ、今や物書き稼業に手を染めている。

 たしかに、美人は三日で飽きる。
 もちろん、男の身勝手な言い草である。

 けど、飽きるものは、飽きる。
(仕方ないでしょう!)
 という感じ――

 ちなみに、美男子は三日で飽きられる、ということはないのだろうか?
 その辺、どうなんでしょう?
 女性の皆さま――

 正確には「飽きる」のではなく、「生身の人間とみなすようになる」ということだと思っている。
 美人が帯びている幻想的人形美は、三日も一緒にいれば、薄れていく、ということである。

 当たり前である。
 だって、本当は人形ではなく、人間なのだから――

 美人という概念は、男にとっては、かなり厄介なのである。
 2005年10月27日 (木) 「刺客」の意味合い
 言葉の意味は、こんな風に変わっていく――その典型例が「刺客」であった。
 さきの衆院選挙で盛んに飛び交った言葉である。

 郵政民営化法案に反対していた与党議員の選挙区に、現職閣僚の小池百合子氏が乗り込んだ。
 マスコミは、

 ――刺客だ、刺客だ!

 と騒ぎまくった。

 が、本来の言葉の意味合いを感じれば、これほどのミスマッチはない。

 刺客とは暗殺者である。
 暗殺とは、政治的ないし社会的に影響力のある人物を、陰で不意打ちにし、殺害することである。
 元キャスターで知名度の高い小池氏が刺客になどなれるわけがない。まして選挙に立候補するというのである。「陰で不意打ち」の素振りなど微塵もなかった。

 このミスマッチに気付かずに、TVカメラの前で「刺客、刺客」と公言した人々は、自らの語彙の乏しさを暴露したに等しい。
 無難に「対立候補」とでもいっておけばよいものを――
 とりわけ「刺客、刺客」と連呼した反小泉議員たちには高齢者が多かっただけに、みるも無惨な失態である。政治家は言葉のプロであるはずなのに――

 どうしても時代がかった比喩を用いたいなら「刺客」ではなく「兵」であろう。

 ――党本部が兵を差し向けた。

 である。
 ここでの「兵」とは討伐軍ほどの意味である。

 選挙は一人でできるものではない。
 実際、件(くだん)の現職閣僚も大勢の支援者に囲まれて選挙区入りしたわけである。

 反乱が起きたのだから討伐軍を差し向けるのは当然であった。
 その討伐軍の将に、宮中の近衛将軍が立ったというので、世間は驚いたわけである。
 しかも、その将軍は女だったわけで……。

 これだけでも十分に物語になるではないか。
 むしろ「刺客」よりも華があってドラマチックだと思うのだが……。

 小池氏のことを、小山ゆうさんのマンガ『あずみ』の主人公になぞらえた人もいたようである。
 その話を、閣議前の懇談で得意げに披露した閣僚もいた。
 言葉のセンスのなさは、官邸の外も内も同様だったようである。

「あずみ」は暗殺者の英才教育を受けた天涯孤独の少女という設定である。
 が、その少女と小池氏とでは、天地ほどの開きがあった。
 天涯孤独の少女暗殺者と禁軍を率いる女将軍との差である。
 
 とはいえ――

 幼い子供たちについては、そうもいっていられない。
 彼らは多分、今回、初めて「刺客」という言葉に触れたはずである。

 言語的に多感な時期だ。
 取り返しはつくまい。

 以後、小池氏の顔をみる度に「刺客」という言葉がちらつくに違いない。
 たとえ、それが本来の意味からズレているとわかってはいても……。

 刷り込みの訂正はきかないものである。

 かくして「刺客」の意味は変わっていく。
 数十年後の人々が「刺客」に感じる意味合いは、今の僕らとは大きく異なっている可能性がある。
 2005年10月26日 (水) 小説は湧いてくる
(小説って、自分自身のことが好きじゃないと書けないんだな)
 と思っている。

 自分自身の内から湧いてくるものだから、当然だろう。

 小説は湧いてくるものなのである。
 こしらえるものではない。

 ――降りてくる。

 という人もいる。
 いいえて妙である。

 どちらでもいい。

 ――心温まる小説を書くのに、人柄は最低だ。

 という作家が珍しくないのも、多分そういうことによる。

 つまり、その作家が心温まる小説を主体的に作っているのではなく、心温まる小説のほうが勝手に湧いてきているに、すぎないのである。
 小説にとって作家とは単なる土壌かもしれない。

 この土壌は、作家が自分のことを好きになることで、よく肥えるのだと思う。

 ――オレってダメなヤツだ。

 とか、

 ――あたしって最低!

 とかいっていると、どんどん痩せていくに違いない。

 まあ、でも――
 自分のことが嫌いになることも、あるよね――たまには――

 偉い作家さんたちは、その辺、どう考えているのだろう?
 2005年10月25日 (火) 10 - 1 10 - 0 10 - 1 ?
  10 - 1
  10 - 0
  10 - 1

 ――だそうである。

 プロ野球日本シリーズの試合結果だ。

 今年の対戦は阪神タイガースと千葉ロッテマリーンズとである。
 今夜を含め、すでに3試合が終わっている。

 ロッテが3連勝――
 いずれも阪神を下した。

 野球で10点差とか9点差とかいえば、大差である。
 3試合とも、そんな大差がついているとは何事か……!

 が、専門家によれば、試合内容は、いずれも点差ほどではなかったようである。
 3試合とも、序盤は緊迫した展開だったという。

 とはいえ――
 結果は一方的である。

 日本シリーズは7戦制だ。
 先に4勝したほうが日本一である。

 つまり、まだ3試合しか終わっていないのに、早くも日本一に王手がかかっている。

 何ともつまらない日本シリーズになってしまった。
 唯一、ロッテファンを除いては――

 もちろん、僕が、

 ――つまらん!

 などと文句をいっていられるのは、みているだけの身分だからである。
 実際にやっている人たちは、たまらないだろう。

 負けているほうも、勝っているほうも、である。

 負けているほうがたまらないのは当然だ。
 互いにプロなのに、ここまでコテンパにやられれば、

 ――給料かえせ!

 と、いわれかねない。

 では、勝っているほうは安泰かといえば、そうでもないという。

 ――もし、これで負けたら……。

 という不安である。
 実際、過去の日本シリーズでは、3連勝し、4連敗したチームが幾つかある。

 とはいえ――

 ――日本シリーズの火は半分、消えてしまった。

 といっても過言ではない。

 この後、仮に阪神が4連勝したとしても、シリーズの流れは一度しか変わらないことになる。
 シリーズは、戦局が二転三転するから面白いのであって、「一転」しかしないのであれば、つまらない。「零転」はもっとつまらない。

 僕が最初に日本シリーズに夢中になったのは、1983年の秋である。
 小学校4年生だった。
 対戦カードは 読売ジャイアンツ vs 西武ライオンズ ――

 実に面白いシリーズだった。
 戦局は「三転」も「四転」もした。
(日本シリーズって、こんなにも面白いものなのか!)
 と思った。

 最初にみた日本シリーズが、そんなだったので、あとはガッカリのしっぱなしである。
(今年こそは!)
 と思って、みていたのだが――

 苦しい展開である。

 もちろん、気が早いというのは承知の上だけど……。
 2005年10月24日 (月) 社会科の公民の授業できいた話
 中学校のとき、社会科の公民の授業できいた話が印象に残っている。

 ――私たちの生活は、何らかのモノを生産し、それを売ってお金を得、そのお金で生活に必要なものを買って消費することの繰り返しにすぎない。

 という話である。

 ――ええ? 僕たちの生活って、それっぽっちのものだったの?

 と、ガッカリしたことを覚えている。
 説明が簡潔すぎたのだ。

 とはいえ、20年近く経った今も覚えているくらいだから、強烈なメッセージだったのだろう。

 中年の女性の先生だった。

 歴史や地理よりも公民が専門だと、おっしゃっていた。
 だから、公民の授業は気合いが入っていたのだと思う。

「何らかのモノを生産し」というところがミソである。
 もちろん、物質的なモノだけを指すのではない。

 例えば、教育や医療といった分野には、一見、生産されるモノがないように思える。
 しかし、教育には学習の成立という形でモノが現れ、医療には病気の治癒という形でモノが現れる。
 家事もそうだ。
 一見、生産されるモノはないように思えるが、家庭生活の維持には多くのモノの生産が必要とされる。
 一番わかりやすい例は食事だが、それ以外にも、居住空間の快適さというモノであったり、家庭の安らぎというモノだったりする。

 そういう広い意味でのモノである。

 こうしたモノを生産しない限り、人は生きていくことはできない。

 ――モノを作らざる者、食うべからず。

 である。

 この事実を生まれて初めて厳しく突き付けられる時期が、おそらく社会人1年目であろう。
 あるいは、就職活動のときかもしれない。

 僕は何となく社会人になってしまった。
 いや、もしかしたら、今も本当の意味での社会人ではないかもしれない。

 普通の意味での就職活動をしたことがないし、この年が自分にとっての社会人1年目という年もない。

 だから、

 ――モノを作らざる者、食うべからず。

 をハッキリと認識した時期は特定できない。
 中学の公民の授業から20年弱をかけ、ダラダラっと認識してきたように思う。

 それにしても、厳しい言葉である。

 世の中には色々な事情や制約があって、どうしてもモノを作れないという人もいる。
 そういう人たちにとっては、この世は相当に生きずらいはずである。

 ――モノを作らざる者、食うべからず。

 は、正論であるがゆえに、狂暴性をも含む。

 中学生だった僕が強烈に感じたのは、多分、この狂暴性だ。

 当時、僕は何もモノを生産していなかった。
 その事実を特に意識してはいなかったけれど……。

 正論が含む狂暴性には注意したいところである。
 2005年10月23日 (日) エンジンが止まる?
 ――車を運転していたら急にエンジン止まっちゃってさあ。

 という話をきいたことがある。
 4、5歳年下の女の子からだった。

 僕が、まだ車の免許を取得する前のことである。
 その女の子は高校を卒業し、すぐに免許を取得した。
 僕は、彼女に遅れること2年ほどで取得した。24歳のときだ。

 車のことが、よくわかっていなかった。
 今もわかっていないのだが、当時は車を実感する機会がなかった。

 だから、
(車のエンジンって、そんなに簡単に止まるものなのか……)
 と思った。

 ちなみに、エンジンが止まるというのは、マニュアル車のエンストのことではない。
 ギアをニュートラルにしてエンジンをかけても、かからない状態になったのである。

 原因不明だったらしい。
(恐るべし――)
 である。

 結局、周りの人に手伝ってもらい、動かなくなった車を車道から押し除けたという。
 周りの人というのは見ず知らずの人である。

 ――恥ずかしかったあ。

 と彼女――
 その言葉に妙なリアリティがあった。

 同じトラブルが我が身に起こることを考え、ゾッとした。
 彼女は、若い女の子だったから良かったのである。

 ――すみませーん。

 などと愛想笑いで誤摩化すこともできただろう。

 が、同じことを僕がやっても巧くいくはずがない。

 以来、一人で車を運転するときはビクビクである。
 いつエンジンが止まってしまうのか――

     *

 もちろん、車のエンジンは止まらない。
 そんなに簡単に止まったら大変である。

 そんなことにならないように、それなりのメンテナンスを依頼している。
 だから、杞憂なのだが……。

 それでも、つい、
(エンジン止まったらヤだなあ)
 などと思ってしまう。

 遠出しているときなどは、特にそうだ。

 見ず知らずの道路で渋滞に巻き込まれているときに、
(もしエンジンが止まったら……)
 などと考える。

 近所の通い慣れた道なら、そんなことは考えないのだが……。

 僕の車のエンジンが止まったりしませんように――
 2005年10月22日 (土) 素直になって素直でない人を描く
 僕は、実際の平時の印象と物書きとしての印象とが相当に違うらしい。

 以前は、さほど気にならなかった。
 が、ここ一、二年で、物を大量に書くようになったせいか、最近、少し気になりだしてきた。

 物書きモードの自分に親しんできたせいだろうと思う。

 あるいは――
 物書きの自分と平時の自分との違いが意識できるようになったのかもしれない。

 どっちの自分も、そんなに好きではない。
 嫌いでもない。

 ただ――
 物書きの自分のほうが、素直だとは思う。

 物書きをしていないときの自分は、素直ではない。

 だから、物書きをやろうと思った。

 素直でない自分を否定したかったわけではない。

 そもそも――
 人は素直ではいられない。
 社会生活を営む以上、素直であり続けることは難しい。

 生活を守るため――
 仁義を守るため――
 体面を守るため――

 人は素直ではあり続けられない。

 そのことを、僕は否定的にはみていない。
 むしろ、そういう人の側面を肯定したいと思っている。

 物書きになって素直になってみようと思ったのは、そういうことだ。
 素直になりたくても、なりきれない人を、小説に描きたいと思った。

 浅慮であったかもしれない。
 素直になって素直でない人を描くというのは、高みの見物みたいで嫌らしい。

 だから、三年後の自分は違う風に考えているかもしれない。

 でも、今は、そう考えている。

 素直に書き留めておこうと思う。
 2005年10月21日 (金) カネ
 カネは、いくらあっても困らない。
 それだけに厄介である。

 人の心を迷わせる。
 もらうほうも、あげるほうも、である。

 だから、カネからは、できるだけ縁遠くありたいと思っている。
 カネに絡んで、いい思いをした試しがない。

     *

 とはいえ、カネのない世界は可能だろうか?
 そんな設定のSFなども、ないではないが、さて実現可能かどうか――

 実現に必要な条件を挙げるのさえ、僕には困難である。

 だから――
 カネとともに生きるのは仕方がないと思っている。

 例えば、カネのない世界を小説に描くようなことを、僕はしないと思う。
 そんなものは無理だろうと思っている。

 いい意味でも、わるい意味でも諦めているということか。

     *

 小学生になりたての頃――
 もっていた小遣いの全てを机の上に出して並べていたら親に叱られた。

 ――みっともない。

 と、いうのである。

 総額500円にも満たなかった。
 10円玉とか5円玉とかばかりである。

 それを1枚1枚、大事そうに並べていたら叱られた。

 理由が、よくわからなかった、
(そんなにいけないことをした?)
 である。

 今ならわかる。

 たしかに傍目には、決して気持ちのいいものではない。

 その気持ちの悪さは、多分、カネの嫌らしさに直結している。
 どう直結しているかを具体的に説明するのは難しいが……。

 自分のカネを勘定している人間の姿は、どこか嫌らしい。
 少なくとも、あまり美しくはない。
 2005年10月20日 (木) 甥に会ってきた
 廊下にオムツが転がっている。
 使用済みのようである。

「あれナニ?」
 と妹に訊くと、
「オムツ――」
 という。
 至極、当然の返答である。

「シー? ベン?」
 と訊くと、
「シー」
 という。

 それで、
(なるほど――)
 と思った。
 シーだから、放ってあるに違いない。

 使用済みオムツには2種類あるそうだ。
 シーとベンと、である。
 シーは小便、ベンは大便である、念のため――

 大便のオムツは直ぐに片付ける気になるが、小便は、

 ――まあ、いいか。

 となるらしい。

「感覚がマヒしとるんよ」
 と妹は笑った。

 子育てはイバラの道である……らしい。

     *

 久々に、甥に会ってきた。
 岡山の実家である。

 一昨日から甥と妹とがやって来ていた。

 甥というのは、去年の『道草日記』(2004年7月30日)で紹介した「ご飯粒大王」である。
 もう、ご飯粒大王ではなかったが、食べるのに一生懸命であることは変わりなかった。

 少しはキレイに食べられるようになったかな。

 その甥に、絵本を買っていった。
『こころどろぼう』である。
 いつぞやの『道草日記』でも触れた(2005年6月24日
 ママの奪われた心を取り戻すために冒険に出かける坊やの話である。

 甥は今年の11月で3歳になる。
(絵本には少し早いかな)
 と思って、妹に訊いてみると、
「よむにはよむけど、よんだ後、ハサミでチョキンチョキンしよるで――」
 という。

 さすがに怯んだ。「チョキンチョキン」は勘弁して欲しい。
「伯父さん」のお気に入りの絵本なので――

「じゃあ、お前に渡しておくわ」
 と、妹に『こころどろぼう』を託した。

 1年後でもいいし、2年後でもいい。
 甥によんでもらえればいい。

 20年後でもいい。
 2005年10月19日 (水) マル太・管理人モード
 今日の『道草日記』はお休みです。
 明後日には復活できるかと思います。

 これから明日にかけて、出かけなければなりません。
 多分、ネット環境の悪いところへ、です。

 うーん。

 出かけるときというのは、出かけるまでがシンドイですな。
 2005年10月18日 (火) 腹の立つニュース
 腹の立つニュースである。
 小泉総理の靖国参拝のニュースである。

 器用なようで不器用な人なのだなと思った。
 その不器用さには腹が立つ。

 中国政府の対応にも腹が立つ。

 朝日新聞・編集委員の本田優さんという方が、今日の論説で、小泉総理をよく知る外交官の話として、

 ――日本の戦後60年間の生き様を中国が認めるまで、靖国に行く。それが首相の狙いだ。

 との見方を示された。
 対中外交の場で歴史問題がクローズアップされる状況をなくすことが小泉総理の狙いなのだ、というわけである。

 たしかに、歴史を外交の場に出すのは禁じ手だ。
 やり始めたら、きりがないからである。

 例えば、東アジア諸国が、ここ200年で欧米列強に遅れをとった責任の過半は、中国にあるといえる。
 東アジアの盟主として、きちんと欧米列強に対抗し損ねた責任である。
 この失態が東アジアにもたらした災厄は、はかりしれない。

 ――むしろ盟主がアッサリと半植民地化されやがって!

 である。
 21世紀の今ごろになって、有人飛行の祝賀に浸っている場合ではなかった。

 そのような意味で、中国の責任は無視できない。
 中華思想などに基づく独善的な国際秩序を押し付けていた分、責任は重い。

 が――
 だからといって、中国に補償義務が生じるとか、そのような議論をするつもりはない。
 歴史は政治の教材にはなっても、道具にはなり得ない。

 だから、小泉総理の靖国参拝は、大局的には正しい。
 中国が国益のために歴史カードを切るような態度を堅持する限り、日本の国益が不当に脅かされ続ける。

 これは回避する必要がある。

 しかし、他にもやり方はあったろう。
 靖国神社に年1回、生真面目に参拝し続ければ、中国は歴史カードを捨てるだろうか?

 むしろ、公の外交の場で堂々と主張すればいいではないか。

 ――歴史カードは捨てろ。不誠実な外交態度だ。

 と――
 もちろん、向こうも簡単には捨てないだろうから、駆け引きは必要である。
 どのような手を打てば引き下がるのか――
 それは情報のない僕にはわからない。

 が、少なくとも、小泉総理が靖国に参拝し続ければ引き下がる、というものではあるまい。
 この問題に関する限り、中国の頑迷は筋金入りである。

 もう少し工夫するべきだった。

 というよりも――
 自民党の総裁選挙に立候補したときに、

 ――靖国神社に年1回、参拝する。

 というような公約を掲げたのが、間違いだったのだろう。
 こんな厄介な公約を掲げる必要は全くなかった。

 もちろん、結果論である。

 が、その辺が小泉総理の限界だったのだろうと、今は思う。
 2005年10月17日 (月) 生きること
 早く結婚して子供でも生んで、落ち着いて暮らせ――といわれたことがある。
 年配の人にである。

 ――いつまでもフラフラしているからダメなんだ。

 みたいなことが、いいたかったらしい。

 その人には、僕の生き方が「フラフラ」にしかみえないらしい。

 社会的地位があり、それに寄り掛かって生きている人である。
 僕にいわせれば、

 ――あんたの生き方が落ち着きすぎてるんだ。

 である。
 壁に染み付いた汚れみたいに落ち着いている。

     *

 ヒトだけが時間の概念をまともに扱える生命体だといわれている。
 数日とか、数カ月とか、数カ年とかいった時間の概念である。

 ヒトは時間の概念を手に入れたために、未来の予測という行為を覚えてしまった。
 そして、その果てに、自分自身の死の概念をも手に入れる。

 ――自分も、いずれは死んでしまう。

 ということである。

 ヒトは死を知り、生を知った。
 すなわち、

 ――人は何のために生きていくのか?

 という問いである。

 この問いに人の文化の大半が費やされているといっても過言ではなかろう。
 芸術、学問、宗教――
 どれも生や死と不可分の要素を持っている。

     *

 ――お前は何のために生きるのか?

 と問われたら、

 ――死の準備のため――

 と答えるのがいいと思っている。

 本当は生きることに意味などないと思っているのだが――
 まあ、それでは虚無的にすぎるので――

 いずれ自分も死ぬ身である。
 この世から消えてなくなるのである。

 誰にも否みようのない事実である。

 死ぬことだけはハッキリしている。
 少なくとも「生きること」ないし「生きることの意味」にみられるような曖昧さはない。

 だから、準備できるのである。
 準備する価値がある。

 時折、

 ――子孫を残すため――

 と、無条件に考える人がいる。
 もちろん、それが、その人の「死の準備」なら構わない。

 が、「死の準備」は人によって異なるはずである。

 この世から消えてなくなってしまう前に、自分がやっておきたいこと――やっておかねばならぬこと――
 それを探し始めればよい。

 そのうちに生きることの意味もみえてこよう。

 もしかしたら――
 生きる希望もみえてくるかもしれない。
 2005年10月16日 (日) 小説と非小説と
 小説と非小説との違いは何か?

 ちょっと気になっている。

「非小説」とは、小説でない文章全般のことである。
 随筆、エッセイ、紀行文、評論文、論説文、説明文――挙げたらきりがない。

 それら非小説と小説とが即座に区別されてしまうことが不思議なのである。
 例えば、非小説の途中だけをみせられたときに――
 人は、おそらく即座に、それらが非小説であることを見抜くことができる――もちろん、故意に紛らわしくされたものは別にして――

 映像の場合は、もっと鮮明だ。

 例えば、何気なくTVのスイッチを入れ、画面が映し出すものをみたとする。
 それがドラマ(映画)なのか、それ以外の番組なのか――
 人は多分、一瞬でわかるだろう――少なくとも、わかることが多いだろう。

 なぜなのか?
 何が、一瞬でわからせるのか?
 つまり――
 虚構を虚構と見抜く力の源泉は何なのか、という問いである。

 とりあえずは、以下のように説明される。

 すなわち――
 虚構には虚構に特有の形式があり、その形式の有る無しを、僕らは一瞬で判断しているのだ――というような説明である。

 例えば、小説には小説に特有の形式がある。
 文体、表記、語彙、リズム――
 TVドラマにも、それはある。
 画面の構図や明るさ、映っている風景や人の動き――

 それら形式を、一つひとつ厳密に記述するのは大変である。
 が、それら形式は厳存しており、多分、僕らが虚構を虚構と見抜くときの重要な手がかりとなっている。

 しかし――
 どうも違うようなのである。
 少なくとも僕には、なぜか違うように思えるのだ。

 本能が絡んでいるような気がしてならない。

 人には虚構を虚構と見抜く本能があるのではないか?
 より正確には――
 人には物語を求める本能があり、それが眼前の対象の虚構性を判断しているのではないか?
 まるで食物の安全性を判断するように――

 まあ、根拠はないけどね。

 少なくとも僕は、そう思い込むことで物語や虚構が愛おしいものに感じられる。

 だから――
 そう思い込むことにしている。
 2005年10月15日 (土) 僕は行う者ではない
 僕は行う者ではなく、表す者なのだと感じている。

 もちろん――
 物書きを志している身だから、当然ともいえる。

 ――何を今さら……。

 と、お思いの向きもあろうが――

 しかし――

 自分のことを、

 ――行う者ではない。

 と断言するのは、なかなかに勇気のいることだった。

 表すことというのは、通常、建設的でも実利的でもない。

 例えば、仮に世に小説がなくても、生きていくのには困らないだろう。
 人生が多少は味気ないものになるかもしれないが……。

 つまり、表すことの建設性のなさ、ないし実利性のなさというのは、生活必需品には絡みにくい、ということである。

 そうはいっても――
 僕の場合、何かを表さないと生きていけないようである。

 だから――
 何かを、ひたすら表していくしかないわけで……。

 少なくとも今の僕は、そういう状況におかれている。

 物書きの道を、僕は主体的に選びとったつもりだが――
 どうやら違うようだ。

 結局、これしか残されていなかったということである。

 もちろん――
 それ以外に転進する可能性は、ゼロではないけれど……。
 2005年10月14日 (金) コミュニケーションの基本
 人の話をきく――

 ――コミュニケーションの基本である。

 意外に難しい。

 こちらが相手の話を聞こうと思っても、相手が話を聞こうとしなければ、こちらも話を聞こうとはしなくなってしまう。

 不幸にして――
 ときに、お互いが、お互いの話を聞きたくなくなってしまうことはあろう。
 人の世に万全はない。

 だから――
 人は、最低限、どんなときでも顔を突き合わせる努力を維持しなくてはならない。

(うへー!)
 と思っても――

(け!)
 と思っても――

 ――それでも、互いに顔を突き合わせる覚悟である。

 その努力の放棄は、人として絶対にやってはいけないことの一つだと思う。
 2005年10月13日 (木) 暑くも寒くもない
 仙台は、暑くも寒くもない季節となった。

 適当な格好をしていても酷い目にあわない季節である。
 あと2週間もすれば、簡単に風邪をひいたりすると思うが……。

 こんな気候が年中、続いてくれればいい。
 どんなにか楽だろう。

 が――
 本当に続いたら、すぐに飽きてしまうかもしれない。

 そして、勝手なことを思うに違いない。

 ――あの夏のうだるような暑さが恋しい。

 とか、

 ――あの冬のこごえるような寒さが恋しい。

 とか――

 過ごしやすい気候であっても、それが、ずっと続けば、空気のような存在に成り下がってしまう。

 いや――
 空気をおとしめるべきではない。

 例えば、季節によって気温が変化するように、空気の濃度が(正確には酸素の濃度が)変化したら、どうなるか。
 例えば、夏は空気が濃くなって冬は空気が薄くなる、というように――
 その逆でもいい。

 ゾッとする。

 空気の薄い夏なんて、考えただけでも息苦しい。

 僕らが、夏の暑さや冬の寒さを、ときに肯定的にとらえることができるのは、夏の暑さや冬の寒さを所与のものとして体験しているからに違いない。

 もし、生まれてから死ぬまでの間ずっと一定の気温で過ごすことが当たり前になら、気温の変化は、

 ――ゾッとすること

 だったかもしれない。

 ――空気の濃度が変化するのは仕方ないけれど、気温が変化するのは堪らんなあ。

 ということだって、ありえるのではないか。

 もし気温が一切変化しない世界なら――
 それはそれで、ありがたいことに違いない。
 2005年10月13日 (木) 最善の専制君主制
 多分、ネットか何かでみたのだと思う。

 ――小野不由美さんの『銀河英雄伝説』の解説が凄いよ。

 小野さんは『東京異聞』や『十二国記』などのファンタジーで知られる作家さんである。
『銀河英雄伝説』は田中芳樹さんの書かれた歴史小説風スペースオペラ小説である。

「解説」というのは、初期の文庫版の解説らしい。
 僕は『銀河英雄伝説』を文庫版では読んでいないので、小野さんの解説は知らなかった。
 文庫版の第9巻に掲載されているようだが、当面、手に入れる術はない。

 最近、初期の文庫版は書店でみかけなくなった。
 文庫版なら今もあるにはあるのだが、新装されており、小野さんの解説が掲載されているものではなかったのである。

 が――
 今日、ひょんなことから初期の文庫版を見つけた。

 古本屋だ。
 絶版になっていることが確実な他書を探して紛れ込んだら、それはあった。
『銀河英雄伝説(9)回天篇』(徳間文庫)である。

 小野さんの解説の何が凄いのか――

『銀河英雄伝説』は未来史の小説である。銀河系の全域に散らばった人類たちの興亡を描く。
 民主制と専制君主制(独裁制)との対比が峻烈に描かれている。

 小野さんが解説で述べておられたことは、

 ――最悪の民主制と最善の専制君主制と、どちらが良いか?

 との問題提起であった。
 登場人物の名を引き合いに出し、ユーモアも交え、かなり穏やかな問題提起の仕方なのだが、問題の内容は過激を極めている。

 この問いを、小野さんは実際に周りの方々に訊いて回られたそうである。
 多くの人が、

 ――最悪の民主制のほうが良い。

 と答えたそうだが、一人だけ、

 ――最善の専制君主制のほうが良い。

 と答えた人があったそうだ。
 某ミステリー作家だそうである。

 民主制を是とする今日の価値観に照らせば、一見、暴論にも思えるが、実は、それほどの暴論ではない。

『銀河英雄伝説』の結末は、民主制が敗れ、専制君主が全銀河を支配に治める。
 だから、

 ――もし最善の専制君主制が実在し得るなら、そちらがいいに決まっている。

 というのが、作者の暗示に思えてならない。
 つまり、作者・田中芳樹さんの立場は、この「某ミステリー作家」に近いと僕は想像している。

 そういえば――
 昔の政治家も似たようなことをいった。

 ――民主制は最悪の政治形態だが、これよりマシな政治形態はない。

 と――
 第二次世界大戦当時、イギリスの首相を務めたチャーチルの言葉だったと記憶している。

 それにしても――

 小野さんのいう「某ミステリー作家」とは、誰なのだろう?

 そういえば――
 田中芳樹さんはミステリー作家としての一面もお持ちだったと思うのだが……。

 考えすぎか?
 2005年10月11日 (火) 子供と大人と
 自宅で物を書いたり、本を読んだりしていたら、子供の声である。
「もういいかい?」
「まあだだよ!」

 甲高い声だ。小学生だろう。

 これが、うるさい。
 イライラする。

 アパートとアパートとの隙間で、かくれんぼである。
 これといった公園が近くにないので、やむを得ないかとは思う。
 が、それにしてもうるさい。

 思わず、窓を開け、

 ――公園で遊べ!

 と怒鳴りたくなった。

 実は、この言葉――いわれたことがある。
 小学生の頃だ。

 住宅地の袋小路で野球をやっていたら、夕刊配達のオジさんがやってきて、

 ――公園で遊べ!

 といわれた。

 小言をいうイヤなオッサンだと、そのときは思ったが、的を得た叱責だった。

 道路で遊んでいたら危険だし、第一、付近の住民の人たちに迷惑であった。
 甲高い声を巻き散らしながら遊んでいたのだから……。

 子供と大人というのは、かくもわかりあえないものらしい。
 2005年10月10日 (月) 電車は30秒遅れで
 僕が毎週、利用する電車は単線である。
 基本的に、のどかな山間部や海岸線を走っている。

 仙台に来る前は、電車といえば、もっぱら複線だった。
 僕は千葉市の生まれである。
 千葉市では、ほとんどの電車が複線であった。

 高校に入り、岡山市に移住した後も、毎日の通学に利用していたのは複線だ。

 高校を卒業し、2年ほど都内で暮らしたが、もちろん、都内でも単線は見当たらなかった。
 少なくとも23区内には存在しないのではないか。

 仙台に来て、初めて単線を知った。

 最初は、
(大丈夫かよ!)
 と思った。

(正面衝突しないのかよ!)
 である。

 幸い、これまでのところ、僕の乗った電車が正面衝突したことはない。

     *

 単線というと、田舎の代名詞と感じる人が多いと思う。
(格好わるい)
 という子供もいる。

 僕もそうだった。

 が――
 単線もいいものである。
 都会の電車にはない良さがある。

 良さの一つは、駅がコジンマリとしている点だろう。
 線路が1本しかないのだから、プラットホームも1本である。必然的に小さくなる。
 バス停のような駅である。

 そんな駅では、車掌さんと駅の外との距離が近い。

 今朝のこと――

 発車ギリギリになって、道の向こうから駆けてくる人がいた。
 若い男性だ。
 高校生か、卒業したてか――

 男性は、車掌のいる電車の最後尾から、ほんの5メートルほどのところを駆け抜ける。
 ヒイヒイいいながら駆け抜ける。

 さらに50メートルほどを走り、階段を上り、改札を潜り、ホームに入らないと電車には乗れない。

 男性と車掌との目が合う。

 今日の車掌はベテランの強面だ。
 何かを点検する度に、律儀に大きな声で号令をかけている。
 乗客がビクっとして車掌室を振り返るくらいに――

 男性は、発車には間に合いそうにない。
 多分、30秒ほど遅い。

 30秒とはいえ、遅れを取り戻すのは大変である。
 回復運転というらしい。
 JR福知山線の事故でお馴染みである。

 強面の車掌、みてみぬふりで発車させるのかと思いきや――
「――ガンバレ!」
 と声をかけた。

 男性は笑って、なおも走る。

 電車は30秒遅れで出発した。
 2005年10月9日 (日) 面白いものは書けないだろう
(人生、気持ちよく生きられないものかね)
 と思う。

 ――たまに気持ちよいときがある。

 ではなく、

 ――始終、気持ちよく生きる。

 ということである。

 生きていれば、気持ちの悪いことが起こる。
 ナンヤカンヤと腹の立つことである。

 しばらくは調子がよくても、いつかは必ず起こる。

 人の世の常か。

 これさえ何とかなれば、人生はバラ色である。

     *

 ――俳優は贅沢な仕事だ。

 といった人がいるそうである。
 若い女優さんである。

 ――個人的な心の痛手も、仕事に反映できるから――

 という理由らしい。

 もっともだと思った。

 物書きにも、少し似たところがあるかもしれない。
 人生がバラ色では、面白いものは書けないだろう。
 2005年10月8日 (土) 50歳、フリーター
 昨日は妹の30回目の誕生日だった――

 今日になって電話をかけ、
「とうとう30だな」
 といったら、
「うるさい」
 みたいなことをいわれた。

「オレはとっくに30だぜ」
 といったら、
「男の30と女の30は違う」
 ともいわれた。

 たしかに――

 いずれにせよ――
 30だろうが50だろうが、

 ――人間、歳をとっていく。

 という真理は、いかようにも否みがたい。
 粛々と受け入れていくしかない。

 本当は、実年齢など大したことではないのである。
 50歳で30歳みたいな人もいれば、30歳で50歳みたいな人もいる。

 電話口の向こうでは、甥がヤンヤン騒いでいた。
 今年の11月で3歳になる。

 時折、妹の叱責が飛ぶ。
「おりなさい!」
 母親の膝の上にでも乗っていたのか。

 傍できいている限り、微笑ましい光景が目に浮かぶ。

「子供にまとわりつけるのも、あと10年くらいらしいぜ」
 と余計なことを告げると、

 ――私のことはどうでもいいから、早く自分の人生をいきてくれって思う。

 みたいなことをいっていた。

 さて、どこまでが本気なのか――

 息子の顔をみながら、夫婦で話すことがあるという。

 ――50歳、フリーター、一人、80歳間近の母親を養う。父親は遥か昔に死亡――

 みたいな未来予想図について、である。

 もちろん、冗談なのだが、さて、何がそんな冗談を思い付かせたのか。

 恐い物みたさ、かな……。

 別に「50歳、フリーター」でもいいと思うのだ。
 母子ともに幸せなら――

 幸せは肩書きでは計れない。
「50歳、フリーター」にも、色々なカタチがある。
 2005年10月7日 (金) 電車に乗ったら
 電車に乗ったら、同級生をみかけた。
 大学の同級生である。

 たしか、外科医をやっている同級生である。

     *

 僕は、医者になるのだったら、多分、外科医を選んでいた。

 理由は、手術が好きだったから――

 ――治療のために人工的に大怪我を負わせる。

 という観念上のユニークさもさることながら、

 ――人の体の中の奥深さ

 に惹かれたという点が大きい。

 手術の様子を繰り返しみていると、人の体が治るのは、あくまで人の体が自発的に治るからであって、外科医は、その手助けをしているに過ぎない、という真実を思い知る。
 もちろん、外科医の技量が、患者のその後の体調を大きく左右する事実は動かないが――

 結局、僕は外科には進まなかった。
 科学者になりたいと思っていたからである。

 そう思っていたのは、胸裏の根底に、

 ――物書きをしたい。

 という欲が横たわっていたからだろう。

 本当は、外科を選ばなかった時点で、即、文筆に転向しても、よかったかもしれない。

    *

 ――もし外科をやっていたら、今頃、どうなっていただろう?

 ふと考え、バカらしくなって止めた。

 もし、そうしていたら――
 例えば、今の知己や友人たちの多くとは出会うことがなかった。

 無意味な空想だ。

 せいぜい、小説の中で再現するくらいにとどめよう。

 でも――
 外科の世界のことは、スッカリ忘れてしまっている。

 外科医の小説でも書こうと思ったら、ちゃんと取材しなおさないといけない。

 そんな取材、許してくれるかな――
 2005年10月6日 (木) 小説と随筆と
 小説を書いていると、随筆が書けず――
 随筆を書いていると、小説が書けない。

 僕は小説と随筆との境界に敏感でありたいと思っている。
 ときに、随筆みたいな小説を書いたり、小説みたいな随筆を書いたりする。
 それでも、ダメである。
 両者を瞬時に書き分ける技量は、僕にはない。

 どうやら、小説と随筆とは、全く違うもののようである。
 少なくとも僕にとっては――

 もちろん、小説とは虚構のことであり、随筆とは現実のことである。

 虚構と現実とを混ぜこぜにするのは、簡単なようで難しい。

 ともすれば、現実だけになる。
 小説なのに、現実だけになる。

 虚構を扱おうと思えば、エネルギーがいる。
 相応の気合いを入れて書かないと、虚構にはならない。

 一方――
 現実を扱おうと思えば、エネルギーはいらない。
 適度に肩の力を抜いて書かないといけない。

 だから、放っておくと現実だけになるんだな――
 少なくとも僕の場合は――

 肩の力の抜き方は、一度、覚えてしまうと厄介である。

 二十代半ばの頃――
 僕は、恐いくらい、小説の書けない時期があった。

 ちょうど、随筆の面白みを覚えた頃と重なる。

 そういうことだったんだな――と今は思う。
 2005年10月5日 (水) 映画をみるのが恐い
 映画をみるのが恐いのである。
 小説を書きたくなくなる可能性があるからだ。

 僕が、なぜ小説を書き始めたかといえば――
 物語を紡ぎたかったからである。

 文章を書きたかったからではない。

 10歳になるかならないかの頃である。

 それとは別に――
 ある日、突然、文章が書きたくなった。
 虚構の絡まない文章が、である。

 20歳をこえた頃である。

 僕にとって、文章とは、あくまで現実を伝える媒体であって、虚構を伝える媒体ではなかったのかもしれない。

 虚構の物語を伝えるだけだったら、小説以外にも色々な手法がある。

 70年代生まれの僕らは、完全に映像で育った世代だ。
 物語を、むしろ映像で伝えるほうが、自然なのである。

 要するに――

 物語を紡ぎたい――
 けど、文章では窮屈だ。
 でも、文章を書くのは好き――
 文章で現実を伝えるのが好き――
 虚構も伝えてみようかな――

 ――なのである。

 複雑だ。
 ねじれている。

 だから、僕は映画をみない。
 みたくない。
 極力みないようにしている。

 もし――
 僕が週に3本も4本も映画をみていたら、多分、確実に映画を撮りたくなる。

 そうなったら、おおごとだ。
 映像のことを一から学び直さないといけない。

 そんな覚悟はない。
(やってらんないよ)
 である。

     *

 とはいえ――
 人生、万事、塞翁が馬――

 この先、僕が本気で映画を撮りたくなったら――
 全てを投げ捨て、撮りにいくんだろうな、映画を――

 やってらんないな。
 そんなこと――

 でも、やっちゃうんだろうな。
 本気になったら――

     *

 僕は小説を書きたいんじゃない。
 物語を紡ぎたいんだ。
 2005年10月4日 (火) 喘息の発作が
 喘息(ぜんそく)の発作が止まらない。
 ここ1、2週間、ずっとゼロゼロいっている。

 きっかけがわからない。
 普段は、風を引いたり、埃を吸ったりしたあとで、こうなる。

 が、今回は、そういうきっかけが思い当たらない。
 そういえば、いつもと発作の出方も異なる。

 飯ごうの底のススのように、しつこい咳である。

 ストレスが発作を引き起こすというような話があったと思う。
 それかな、とも思う。

 が、そんな話、本当にあったかな?
 医学書で確認したわけではない。嘘をいっているかもしれない。

 ストレスがかかっているのは事実である。

 事情があって、ここでは書けないが、決して心地よいストレスではない。
 胸糞悪いストレスである。

 それに、幾つかの心地よいストレスが加わっている。
 心地よいストレスというのは、文筆や教育に関することだ。

 合計すると、相当なものである。

 心地よいストレスだけなら、今ごろ、さぞかし快調であろうに――
 2005年10月3日 (月) 人の魂は
 人の魂は、なんと、いびつなのだろう。

 誰にとっても美しい魂というのは、きっと存在しないに違いない。

 美しい体なら、存在すると思う。
 誰にとっても美しい体である。

 が、誰にとっても美しい魂は、存在しないに違いない。
 誰にとっても美しい体があったとして、その体に宿る魂は、美しい部分も醜い部分も抱えているに違いない。

 美しい部分が醜い部分であったり、その逆であったりする。
 高貴が尊大になったり、謙虚が卑屈になったりする。
 熟慮が迂遠になったり、素直が短慮になったりする。

 なんと、いびつだろう。

 魂の歪みが可視化されれば、人は気が滅入るに違いない。

 体は、どれもマトモな格好をしているのに、魂は、てんでバラバラに、いびつなのである。

 もちろん――
 人の魂は、人の心の中にある。
 皆の魂は、僕の心の中にある。

 その皆の魂が歪んでみえるなら、僕の心に何か重大な欠陥があるのかもしれない。

 僕は自分の魂が歪んでいることを知っている。
 歪みを既存のものとして放置している。

 それが欠陥か。

      *

 そんなことを――
 今日、満員電車の中で考えた。

 歪んだ魂に囲まれている。
 美しい体の向こうに歪んだ魂が――

 歪んでいるのは、多分、自分の魂だ。

 でも――
 と思う。

 いかに美しく詩を書く魂とて、必ずや歪んでいる。
 いかに美しく絵を描く魂とて、必ずや歪んでいる。

 これは妄想か。

 もし妄想なら、訂正不能の妄想である。
 2005年10月2日 (日) マル太・管理人モード(ブックバトン)
 今日の『道草日記』はお休みです。

『道草掲示板』にあるように、アマサイさんからブックバトンを頂きました。

 以下、回答です。

     *

 ブックバトン

1. Book(s) reading right now.(いま読んでいる本)

『光の帝国――常野物語』(恩田陸、集英社文庫、2000年)

 いま読んでいるのは、これのみです。
 複数の本を同時に読むのは苦手です。
 昨日、買ったばかりです。まだ、ほとんど読んでおりません(苦笑

2. The last book(s) I bought.(最近買った本)

 同上

3. Five novelists (or writer) I read a lot, or that mean a lot to me.(よく読む、または思い入れのある5人の作家または小説家)

 池波正太郎さん(10代前半から)
 栗本薫さん(10代の半ばから)
 田中芳樹さん(10代後半から)
 澁澤龍彦さん(20歳の頃から)
 司馬遼太郎さん(20代前半から)

 池波さんには歴史小説・時代小説のキャラクター造形の妙を――
 栗本さんには和製の本格ヒロイック・ファンタシーの可能性を――
 田中さんには「架空歴史小説」というコンセプトの斬新さを――
 澁澤さんには文筆による猥褻表現の奥行きを――
 司馬さんには小説と随筆との境界を壊す文芸の面白さを――
 それぞれ感じとりました。

4. Five books I read a lot, or that mean a lot to me.(よく読む、または思い入れのある5冊の本)

『私説三国志――天の華・地の風(二)』
(江森備、光風社出版、1897年)

『エルリック・サーガ1――メルニボネの皇子』
(マイクル・ムアコック作、安田均訳、ハヤカワ文庫、1984年)

『ペンローズの量子脳理論』
(ロジャー・ペンローズ著、竹内薫・茂木健一郎訳・解説、徳間書店、1997年)

『百人一首 一千年の冥宮』
(湯川薫、新潮社、2002年)

『十二国記――月の影 影の海(上)』
(小野不由美、講談社文庫、2001年)

『私説三国志――天の華・地の風(二)』…全9巻のうちの第2巻です。歴史小説です。『三国志』好きだったので、つい手にとりました。
 主人公・諸葛孔明が男娼として登場します。倒錯の極みです。見事です。
 当時、私は中学生でした。相当にショックだったらしく、前後の巻を読む勇気はありませんでした(笑

『エルリック・サーガ1――メルニボネの皇子』…全6巻のうちの初巻です。古典的ヒロイック・ファンタシーです。肉体派の英雄ではなく、ひ弱な魔法使いが主人公という点が斬新でした。
 高校時代、「そんなに面白い?」と同級生には首を捻られておりましたが、懸命に読んでいました。今にして思えば、天野喜孝さんの挿し絵に惹かれていたのかも(笑

『ペンローズの量子脳理論』…科学書です。大学時代に何度も読み返しました。その結果、本当は科学には興味がなかったにも関わらず「僕は科学をやるんだ! 科学者にならねばならぬ!」と勘違いをしました。
 内容は適度に難解で、動機は野心的で、表現は簡潔です。優れた科学書です。

『十二国記――月の影 影の海(上)』…既刊9巻のうちの初巻です。ファンタシーです。「ファンタシーとは何ぞや?」を考える上で、重要な手がかりを与えてくれました。
 女性による女性視点の三人称小説という点もありがたく、学ぶことの多かった作品です。
 ヒロインへのオイタが、ちょっと過ぎるようにも思いますが、個人的には問題なしです(むしろ、ツボ)

『百人一首 一千年の冥宮』…ミステリー小説です。「僕はやっぱり小説が好きなんだ」と実感した作品です。科学と文芸と、和風と洋風との折衷が巧みです。
 ちなみに、作者の湯川さんは『ペンローズの量子脳裏論』の訳・解説者のお一人・竹内さんと同じ方です。「科学書の竹内さんが百人一首?」で面喰らいました。

5. Five people to whom Im passing a baton.(バトンを渡したい5人)

 私からバトンを受け取っても良いとお思いの方
 自分の小説の主要登場人物たち
 10年後の自分
 2005年10月1日 (土) プリンタ購入
 自宅にプリンタを入れた。
 先週、購入したものである。

 ノートパソコンを入手したのは3、4年ほど前――
 翌年にはインターネット環境も調えたのだが、プリンタは購入しなかった。

 理由は色々ある。

 1)近いうちに引っ越すつもりでいたから。
 2)プリンタの置き場がなかったから。
 3)必要性を感じていなかったから。

 といったところである。

 どうしても必要な場合は、某所で借用していた(インクは自費で補充していました。念のため――)

 大きく変わったのは、3)である。
 今はプリンタの必要性を強く感じている。

 コンピュータで原稿を書く場合、画面上の推敲には限界があるという事実を再認識した。
 画面でバッチリ推敲が終わったはずの原稿を打ち出し、読み返してみて、
(ゲゲゲ!)
 と思った。

(こら、あかん)
 である。

 画面と打ち出し原稿と何が違うのか?

 透過光で読むか、反射光で読むかの違いだとは思うのだが、推敲に影響を与え得る理由が、よくわからない。

 読むスピードが違うのか?

 いずれにせよ、

 ――物書き稼業にプリンタは必須!(←よく考えれば当たり前)

 との結論に達し、仙台駅東口の某カメラ屋さんで購入――ほとんど衝動買いのレベルだった。

 そのまま20分ほど歩いて自宅に持ち帰る。

 最近は、プリンタの小型化・軽量化が進んでいる。
 が、持って歩くには、まだ重いということが判明――

 腕が疲れた。

     *

 自分の書いたものが活字となって紙の上に記されているのをみると、いつも変な気分になる。

 僕の場合、それを生まれて初めて経験したのは高校時代だった。
 父の書斎のコンピュータで書いた原稿を打ち出してみたときである。

 軽い高揚感を覚えると共に、妙に厳粛な気持ちになった。

 今回、購入直後のプリンタで印刷してみたときも同じだった。

 不思議だ。

 紙の原稿には、なぜか落ち着きがある。
 画面上の原稿にはない落ち着きである。

 このことが、推敲に多大な影響を及ぼすのかもしれない。

 画面上の推敲では、文章が多少、乱れている程度の部分には、気付かないことがある。
 が、紙の上では、すぐ気付く。
 目立つからである。

 他の部分が妙に落ち着いているから目立つのではないか。