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道草日記

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 2005年8月31日 (水) 少年はメカに
 東京駅の新幹線ホームを歩いていたら、親子連れをみかけた。
 30代くらいのお父さんと小さな男の子とである。

 男の子は新幹線の連結部を興味深そうに眺めていた。
 メカ(機械類、機器類)が剥き出しの連結部である。

 東北新幹線の話である。
 連結部というのは、東北新幹線では珍しくない。
 例えば、東京・秋田間を結ぶ「こまち号」と東京・八戸間を結ぶ「はやて号」とは互いに独立した列車なのだが、東京から盛岡までは互いに連結され、一本の列車として運行されている。
 その「こまち号」と「はやて号」との連結部を、男の子は面白そうに眺めていた。
 お父さんが何やら熱心に解説をしていたが、声が小さくて、よく聞き取れなかった。
 男の子はうんうんと頷いていたから、面白い話だったのかもしれない。

 少年というものは、ある一定の年齢までは、ああしたメカに興味を示すものらしい。
 新幹線の連結部みたいなメカに、である。

 一般に、男性はメカに興味を示すと云われる。
 が、それは幼い頃に限った話のように思える。
 歳を取るとともに、その傾向が強くなる人と弱くなる人とがいるのではないか。

 僕にも、メカに興味を示した時期があった。

 4、5歳の頃である。

 当時、僕らはスイスのチューリッヒに住んでいた。
 チューリッヒという街は空港が割と近い。
 市街地から車で30分はかからない。

 だから、週末は父に連れられて、よく飛行機の離着陸の様子をみにいった。
 エンジンや尾翼などを、いつまでも飽きることなく眺めていたという。

「あれが飛んだら帰ろう」
 などと、父に何度も促されたのを覚えている。

 今の僕はメカ嫌いである。
 飛行機や新幹線をみるためだけに、わざわざ出かけるなど、思いもよらない。

 でも、と思う。

 この先、もし僕が結婚して、男の子ができて、

 ――新幹線がみたい、飛行機がみたい。

 とせがまれたら、多分、連れていくだろう。
 無条件で連れていくと思う。
 2005年8月30日 (火) 人に「薦めたい」
 以前の『道草日記』にも書いた記憶があるが――

 僕は、本や映画やマンガを人には薦めない。
 自分が気に入ったものを人に薦めるのは、どうしても気が引ける。

 なぜか?

 薦めてみて、

 ――ええ? これが面白いの?

 と、いわれるのが怖いからである。

 ――ぷぷ、悪趣味……!

 と笑われるのもイヤである。

 まあ、それは冗談として――

 やはり、人が本や映画やマンガに接し、感動するときというのは、それら作品に自発的に触れたときだと思うのである。
 多少なりとも作為的に(つまり、友人・知人に薦められて)触れたときは、どうしても感動が幾らかは薄れてしまうように思う。

 少なくとも僕は、そうである。

 だから、人から薦められた作品は、少し時間をおいてから触れるようにしている。
 少しでも、自発性を高めたいからである。

 にもかかわらず――
『マル太の書斎』で人に薦めものをした。

 今日付け(8/30付け)である。

 題して『マル太が人に薦めたい3つの物語』――

 あくまで「薦めたい」のであって、薦めているのではない……。
 ――などというと怒られそうだから、そうはいわないが……。

 ふう。
『マル太が好きな3つの物語』と、すれば良かった。
 今さらながら後悔――

 ちなみに――
 これをよむと、マル太がどんな物語を好むのかが、おわかり頂けると思う。

 マル太がどんな物語を好むのかに、多少なりとも御関心のある方は、お暇なときにでも(←重要)御一読いただきたい。

(既にオフラインで御覧の方もおられます――お心当たりの方へ:同じ原稿です。特に加筆もしておりません)
 2005年8月29日 (月) 電車で席を譲る
 今日、電車に乗っていたら、目の前に老婦人が押し出されてきた。
 僕の隣に座っていた女性(30代くらい)が、間髪いれずに、席を譲った。
 僕なんかが逆立ちしたって勝てないくらいの、実に見事なタイミングであった。

 が、老婦人は素っ気なく首を振った。

 ――いらない。

 と、いう。

 困ったのは女性だ。
 席を譲るために、一旦は席を立ったのである。

 なのに、拒否された。

 どうするか?

 難しい。
 まさか、座り直すわけにもいくまい。
 カッコ悪すぎる。

 結局、その女性は、老婦人の隣で所在なく立っていた。
 気の毒だと思った。

(それくらい座ってやれよ)
 と内心で呟いた。

 これで思い出したのは、学生時代にお世話になった先生である。

 実年齢より老けてみられる方だった。
 まだ現役だというのに、電車やバスで席を譲られることが多いのだと仰っていた。

 学内の重職にあった方である。
 激務はお手のものであった。
 大学を退官された後は、さらなる激職に着かれた。

 だから、満員電車の中で立っているくらい、本当は何ともない。
 なのに、よく席を譲られる。
「ふぉ、ふぉ、ふぉ――」
 と、お笑いになる御様子は、仙人のようである。

 席を譲られたら、たとえ疲れていなくても断らないのが良い、というのが御持論だった。

 ――黙って譲られてあげられるのも優しさの一つ。

 ということである。
 ただし、

 ――席を譲ったら、少し離れたところに移動して欲しい。

 とも、おっしゃっていた。
 目の前に立たれ続けると、やはり、何だか申し訳ない気がしてくるのだという。

(なるほど――)
 と思った。

 席を譲るときには注意するとよい。

    *

 そういえば、僕も席を譲られたことがある。

 高校時代だ。
 課外活動と試験勉強とが重なり、徹夜が続いていた。

 電車の吊り革にもたれるようにして立っていたら、目の前のサラリーマンが席を譲ってくれた。

 吊り革にもたれるのも意外に気持ちがよかったので、
(このままでもいいや)
 と思ってはいたのだが、いわれるままに席を譲り受けた。

 サラリーマンは黙って隣の車両に移動してくれた。

 席を譲り受け、正解だった。
 2005年8月28日 (日) 自分のモノにしたい
 街中で、自分の好みの女の子をみかけると、昔は、

 ――ほ〜う

 と思って、目で追いかけたものだが、最近は、

 ――ふ〜ん

 と思って、あっさり目をそらす。

(どうせ自分のモノにはならないしー)
 というのが、多分、正直なところである。

 ――女の子をモノ扱いにするとはケシカラン!

 というのは、その通りだとして――

    *

 少年が、

 ――人を好きになるとは、どういうことか、わからない。

 という。

 この悩みを、鼻で笑う男がいる。
 多分、「人を好きになる」ということの本質を、真剣に考えたことがない男である。

 少年が、少女なり女性なりを好きになるということは、ときに、

 ――自分のモノにしたい。

 という欲求に根差す。

 モノ扱いにするわけだから、ヤバいこと限りない。
 まともな少年なら、その「ヤバさ」に気づき、

 ――こんなんでいいんだろうか?

 と悩む。
 つまり、

 ――人を好きになるとは、どういうことか、わからない。

 という悩みは、そういう疑問が引き金となるわけである。

 そういう少年に、

 ――それくらい、わかれよ。

 と突き放す男は、愚か者である。

 ――「腹がすくとは、どういうことかが、わからない」というのと同じだ。

 などと諭す男は、全くもって脳天気である。
 さぞかし品行方正な少年時代を過ごしてきたのであろう。

 それはそれで貴重である。
 そのウブさを、終生、保持するといい。
 何かいいことがあるかもしれない。

 もちろん、僕は、そんな生涯は願い下げだが……。
 2005年8月27日 (土) 生きることの意味
 本当は生きることに意味などはない。
 それでも、人は生きることに意味を見い出そうとする。

 それだけをみれば、

 ――人は、なんと哀しい存在なのだろうか。

 と、つい嘆息したくもなるが、よくよく考えてみたら、

 ――そんなに哀しいことではないのかもしれない。

 とも思う。
 生きることに意味がないのだとすれば、自分で勝手に意味を見い出せばよいのかもしれないからである。

 とある少女なり少年なりが、生きる意味を見い出せず、生きることに絶望し、毎日を刹那的に生きていたとしよう。
 その少女なり少年なりが、生きる意味を見い出し、生きることを切望し、毎日を精力的に生きるようになれば、どうなるか?
 少なくとも、その周囲の人々にとっては嬉しい話ではないか。
 もしかしたら、

 ――自分も頑張ろう。

 という気持ちになれるかもしれない。

 少女や少年といったが、別に実年齢的に少女や少年である必要はない。
 70や80のお爺さんやお婆さんでも、少年らしく、少女らしく振る舞うことは可能である。
 つまり、「少女」や「少年」というのは、一種の観念であり、記号であり、とある精神状態を抽象化したものといっても過言ではない。

 要するに、物語の核になりやすいキャラクターである、ということだ。
 そう意味での「少女」や「少年」は、枚挙に暇が無い。
 昔話に、少女や少年を主人公とした物語が多いのも、決して故の無いことではあるまい。

 そういう「少女」や「少年」の物語が、一つの定型であることに異論はなかろう。
 人を元気にさせようと思えば、そういう物語を紡ぐのがよい。
 2005年8月26日 (金) 体罰
 夏の甲子園大会を連覇した駒大苫小牧高校が体罰問題で揺れている。
 野球部長が部員を殴ったという話だ。

 今日、ラジオをきいていたら、体罰についての電話による簡易アンケートの結果が流されていた。
 クラブ活動での体罰について、

  1)許される
  2)場合によっては許される。
  3)許されない

 の3つの選択肢から1つを選ぶというものである。
 結果は、

  1)約10%
  2)約70%
  3)約20%

 くらいだった。

 意外だった。
 2)が、こんなに多いとは思わなかった。
 1)と合わせれば、約80%ほどの人が体罰を容認しているということである。

 もちろん、電話による簡易アンケートなので、母集団に偏りがある可能性は低くない。
 だいたい、選択肢の文言の「場合によっては」は大いに怪しい。

 それでも、この数字は大きいと思う。

 僕は、どんなことがあっても体罰は許されるべきではないと考える。
 少なくとも建て前としては、かなり強固な考え方であろう。

 実際、そのラジオ番組に出演していたスポーツ・ライターも、

 ――教育現場での体罰は許されるべきではない。

 とコメントしていた。

 ところが、体罰を受ける側が体罰を望んでいる場合は、どうなるのか、という話である。

 体罰を受ける側で、体罰を望まない人にとって、体罰は絶対悪である。
 当然である。
 至極単純な話である。

 状況をヤヤコシクしているのは、体罰を受ける側で、体罰を望む人が、相当数いるという事実であろう。

 ――先生やコーチに殴られて嬉しかった。

 というような美談は、しばしば耳にする。

 どうするべきか?
 体罰の根絶を目指さないのであれば、棲み分けしかない。
 体罰を許すクラブ活動と許さないクラブ活動とに分けるのである。

 例えば、駒大苫小牧高校の野球部を2つにわける。
 片方は体罰容認野球部、もう片方は体罰根絶野球部――どちらに所属するかは部員や保護者に選ばせる。

 何だか、マンガっぽくなってしまうなあ。

 とはいえ――
 約80%の人たちが、体罰を広い意味で容認するならば、真面目に考えざるを得ない話かもしれない。
 2005年8月25日 (木) 印象深いバッター
 今日、新聞のスポーツ欄を読んでいたら、

 ――ニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜選手は、打撃成績がズバ抜けているわけではないが、地元ファンにとって印象深いバッターになっている。巨人時代は違った。ここぞというところで打てないバッターだった。

 という主旨の記事をみつけた。

(へえ)
 と思った。

 僕の印象とは、だいぶ違う。

 僕に撮っては、巨人時代の松井選手も十分に印象深いバッターであった。
 とくに落合博満選手の前(三番)を打っていた頃の松井選手には、実際の打撃成績以上の勝負強さを感じていた。
 その後、四番を打つようになっても、ここぞというところで何とかするバッターであった。
 ヒットを打てなくても、四球を選ぶとか、相手のエラーを誘うとか、そういったことが多かったように思う。

 僕の子供時代――
 巨人の四番バッターは原辰徳選手(現プロ野球解説者)だった。
 原選手には勝負強いイメージがない。
 ことごとくチャンスを潰していたイメージがある。

 こんなことがあった。
 巨人戦のTV中継をみていてら、前年まで巨人以外のチームの監督を務めていたプロ野球解説者が、原選手の印象を、こう語った。

 ――実に頼もしいバッターでしたね。

 実況担当のアナウンサーが真面目な語調で問う。

 ――ほう。「頼もしい」というのは、どういった点がですか?

 すると、その解説者は押し黙った。
 別の解説者が、

 ――いや、今のは冗談ですよ。

 といい、実況担当アナウンサーも解説者も一斉に笑い出した。
 つまり、相手チームからみたら頼もしい四番バッター、味方チームからみたら不甲斐ない四番バッターということである。

 原選手にとっては実に失礼千万な話であるが、全国のお茶の間に流れた話である。
 今ほど、プロ野球解説の質が良くなかった時代だ。
 この解説者も、本気で語ったわけではなかろう。

 とはいえ、一般的なプロ野球ファンにとって、当時の原選手の「勝負弱さ」は確固たる共通認識であった。
 それでも、僕は原選手が嫌いじゃなかったけれど……。

 それはさておき――

 多分、プロ野球の強打者のイメージは、その人のプロ野球観によって大きく異なってくる。
 極論すれば、プロ野球に詳しくない人の場合、好きなチームの四番バッターには、打てないイメージをもっている。
 逆に、嫌いなチームの四番バッターには、良く打つイメージをもっている。

 プロ野球に詳しくなるにつれ、強打者と並の打者との何気ない差に気付くようになる。
 例えば、ここぞというところでホームランを打てなくても、相手チームの救援投手を引きずり出したり、貴重な進塁打や犠牲フライを打ったりすることで、チームに貢献していることに気付くようになる。

 少なくとも松井選手には、それがあった。
 ヤンキースに移ったあとも、そこに代わりはないのであろう。

 原選手にも、実は、そういう側面があったのではないか?
 子供時代の僕は、まだプロ野球がよくわかっていなかったから、気付かなかっただけではないか?

 原選手が引退するとき、名だたる現役投手たちが口を揃えて、こういった。

 ――チャンスに弱いなどといわれていましたが、全然、そんなことないですよ。何度も痛い目にあっています。

 多分、彼らのいうことは本当だったのである。
 ホームランを打つことだけが強打者の仕事ではない。
 2005年8月24日 (水) 『D坂の殺人事件』
 喘息(ぜんそく)は、どうにか治まったようである。

 やれやれ――

    *

 10年ぶりくらいに『D坂の殺人事件』(春陽文庫)を読んだ。
 いわずと知れた江戸川乱歩・作品である。

「D坂」というのは、東京都文京区本郷にある団子坂のことらしい。
 乱歩は、この団子坂の近くで古本屋を営んだ経験があるという。

 D坂の殺人事件の舞台は古本屋である。

 乱歩が生んだ名探偵・明智小五郎は、この事件でデビューする。

 明智小五郎といえば、欧風のスマートな印象が強い。
 が、『D坂――』の明智は、欧風でもスマートでもない。
 荒い棒じまのゆかたを着て、肩を変に振って歩く妙な男として、描かれている。

 小学生の頃に読んだ子供向け雑誌に、この『D坂――』の明智が、イラスト入りで紹介されていた。
 映画やTVシリーズとは似ても似つかぬ風貌が強く印象に残っている。

 いや――
 いま思ったが、あのイラストは金田一耕助だったかもしれない。

 とにかく、かの金田一耕助と混同してしまうほどの男として、明智小五郎が紹介されていた。

 実をいえば、僕は、いわゆる欧風でスマートな名探偵・明智小五郎を、そんなに魅力的だとは思っていない。
「明智」といえば、真っ先に明智光秀を思い出すくらい、僕は、この名探偵に注意を払って来なかった。

 それゆえに、かえって『D坂――』の明智には好感がもてる。

 もちろん、明智が『D坂――』のままだったら、その後の大活躍はなかったろうが……。

 ちなみに――
 僕は小学生の頃に『D坂――』を知ったわけだが、知ったのはタイトルだけである。
 子供向け雑誌に『D坂――』の詳細は割愛されていた。

 20歳を過ぎ、実際の『D坂――』を読んだときは、ビックリである。
(こりゃ、割愛されるわけだわ)
 と納得――

 ネタばれになるので、この辺で止めておくが――
 要は、
(『D坂――』って、割とナマメかしい話だったのね……)
 ということである。

 未読で気になる方は、是非、ご一読を――
 2005年8月23日 (火) 小児喘息
 大学院に入った直後くらいのこと――
 健康診断で、

 ――何か大きな病気をしたことはありますか?

 ときかれ、

 ――小児喘息(ぜんそく)

 と答えた。

 実際、そうだった。
 小学校に上がって間もなく、僕は喘息の発作に見舞われた。

 ――では、最後の発作はいつですか?

 ときかれ、

 ――つい先月です。

 と答え、

 ――じゃあ、小児喘息じゃないですね。

 と笑われた。

 全くもって、その通りである。
 大学院に入った直後くらいだから、当時、僕は26はこえていた。

 何だって、あんなアホなことを答えたのか――
 自分でも、よくわからない。

 あのときだけ、僕の中で、時間が遡ったのだろう。

    *

 実は、昨日の風邪が、喘息に進展した。
「進展した」というのは厳密には適切ではない。
 風邪が重くなって喘息になるのではない。

 まあ、そういう難しい話は措く。

 とにかく、昨夜から喘息の発作に悩んでいる。

 子供の頃の記憶を思い出す。
 小児喘息に悩まされていた頃を、つい、この前のことのように思い出す。

 だから、あのときの健康診断で、僕は、あのように答えたのだろう。

 この喘息は、もう小児喘息とはいえない(だって、僕は、もう小児ではないので――)
 でも、僕の中では繋がっている。

 これは間違いなく「小児喘息」だ。

 だって、あの頃と苦しさは変わらないのだから――

 ちなみに、僕は、喘息の今日の標準的な治療を拒否している。
 理由は、

 ――かったるそうだから。

 である。

 アホである。

 喘息をなめてはいけない。
 喘息は死に得る病気である。

 皆さん、くれぐれも真似はしないように――
 2005年8月22日 (月) マル太・管理人モード
 季節外れに風邪をひきました。

 今日の『道草日記』はお休みです。

 しかし、何だってこんな時期に……。
 2005年8月21日 (日) 洗濯物が回っている
 洗濯物が回っている。
 ぐるぐると回っている。

 ベランダの干してある洗濯物だ。
 ベランダといっても、うちはアパートの1階なので、正確には柵付きのテラスとでも呼んだほうがいいのかもしれない。

 昔は、風が入ることはなかった。
 洗濯物を雨の日に干しても、濡れることがなかったくらいである。

 数年前、隣の敷地に高層マンションが建って、風の流れが変わった。
 今では、僕の部屋の前のベランダでは風が渦を巻いているようである。

 それで、洗濯物が回る。
 ぐるぐると回る。

 ハンガーにかけたシャツの類いが回るのではない。
 20個ほどの洗濯ばさみが2列に分かれて並んだヤツ――下着や手ぬぐいや靴下の類いを干すためのものである。

 名を何というのだろう?

 僕は知らない。

 とにかく、その干し物用の器具が、ぐるぐると回っている。
 ビルっ風に煽られ、ときにグルングルンに回っている。

 よく乾きそうな反面、回り過ぎて洗濯物の端が壁や手すりをこすって汚れるのではないかと心配である。

(ほどほどにしとけよ)
 と思う。

 さっき、洗濯機の中で、あれほど回っていたじゃないか。

 頃合をみて、取り込もうと思う。
 すっかり乾いている必要はない。

 洗濯物は、風を通すのがよいという。
 亡くなった祖母の教えである。

 たしかに――
 生乾きでも、風を通せば、仕上がりはだいぶ違う。
 部屋干しでは出せない柔らかさが出る。
 2005年8月20日 (土) 僕は英語を喋るのが
 僕は英語を喋るのが嫌いである。
 が、世界中の人々とコミュニケーションをとるのは好きだ。

 この2つは、僕の中では明確に区別される。

 英語が嫌いな理由の一つは、単純――
 巧く使いこなせないから――

 例えば、巧く使いこなせるコンピュータと使いこなせないコンピュータとがあるとしよう。
 当然、使いこなせないほうが嫌いになるでしょう?

 ただし、どうしても2つのコンピュータを使いこなさなくてはならない場合もある。
 嫌いだからといって、放っておくことが許されない場合である。
 その場合は、やむを得ない。
 嫌いながらも使う努力はする。

 英語も同じである。
 使うが、嫌いである。

 だから、必要がないと判断すれば、一切、使わない。

 昨日、カウンタースタイルのレストランで食事をとろうと座ったら、隣に外国人の2人組が座っていた。
 2人して英語で喋っている。

 英語が母国語のようである。
 しかも周りに気安く声をかけていた。

 多分、アメリカ人である。
 母国語が英語で、周りに気安く声をかける傾向があれば、ほぼ間違いない。
 彼らは、見ず知らずの人間であっても、ためらわずに声をかける。

(何だかなあ)
 と思う。

 それをアメリカ国内でするのはよい。
 立派な文化である。
 が、国外には持ち出さないでほしい。

 僕と反対側の隣には、日本人が座っていた。
 話しかけられ、何かを英語で一生懸命に説明していた。
 ご苦労なことである。

 僕なら、そうはしない。

 まずは、知らない振り――
 英語で話しかけられてきたら、

 ――日本語は話されますか?

 と日本語で問い返す。

 ――I'm sorry, I can't speak Japanese.(すみません、日本語は喋れません)

 などといってくれば、まあ、多少の会話は交わすが、なるべく押し黙るようにする。
 英語の会話を楽しむ気がないことを顔に表す。

 僕は、少なくとも日本国内では、英語の会話を楽しむ気はない。
 外国人を招いているなどの事情があれば別だが……。

 もちろん、日本語で話しかけてこられたら丁寧に応じる。
 そういう人は、たいてい母国語が英語ではない。
 突然に英語で話しかけられるストレスを、多分よくわかっているのだろう。

 だから、親しみもわく。
 感じがよさそうだと思ったら、

 ――Do you speak English?(英語は話されますか?)

 ときき、「Yes」なら英語で会話を楽しもうとする。
 この場合には、英語が嫌いなどとは、いっていられない。

 要するに、英語が嫌いというよりは「皆で英語を使うのが当然」という雰囲気が嫌いなのである。

 英語は世界共通語などではない。
 そんなことにされては、かなわない。

 もし、どうしても世界共通語にしたいなら、英語が母国語の国での英語の使用を禁ずるのが筋である。
 英語を母国語とする人を、この世からなくするのである。

 母国語が世界共通語であるアドバンテージは計り知れない。
 そのアドバンテージが驕慢を生む。

 近年のアメリカ政府ないしアメリカ文化の傍若無人ぶりも、この種の驕慢で、ほぼ説明できる。
 2005年8月19日 (金) 子供に胸をはれる職業
 ――子供に胸をはれる職業とは、どういうものか?

 について考えた。

 例えば、小説書き(小説家)という職業は、子供に胸をはれるだろうか?

(無理でしょう)
 というのが、今の率直な思いである。

 試みに、自分の小説を振り返ってみる。
 僕は、美徳と背徳とが両輪で回っていないと、小説は書けない。

 当サイトで公開している作品は、そうでもないのだが、他の作品は違う。
 これまでに書いてきた多くの作品は、実は、美徳と背徳との両輪で回っている。

 あれは、子供にはみせられない。
 背徳の要素が邪魔をする。
 子供に胸をはって、みせられる作品といえば、美徳だけで成り立っている作品に限られる。
 そんなものは、なかなか書けない。

 つまり――
 小説書きという職業の凄さは、子供には基本的に理解不能であろうと思われる。
 もちろん、全く理解不能というわけではない。
 その凄さが、一部しか理解され得ないということである。

 同じような職業として、例えば俳優が挙げられよう。
 例えば、ベッドシーンの熱演が、子供に理解されるだろうか?

 5、6歳なら、わけがわかるまい。
 10代なら、

 ――うちの親、なんかエッチなことやってるよ。

 が関の山である。
 俳優の仕事の凄さをトータルで理解するには、相応の人生経験が必要である。

 だから、医者とか弁護士とかの職業が好まれるのだろう。
 あれは、子供に向かって素直に胸をはれる。

 ――困っている人を助ける職業だ。

 といえば、とりあえずはわかりやすい。

 もちろん、どんな職業にもドロドロした内幕というものがあって、それを語れば、話は微妙になろうが……。

 昔、TVのCMで、

 ――医者や弁護士を目指さない夢を!

 みたいなコピーをみた。

 ――医者や弁護士を目指さないで、プロスポーツ選手になろう!

 というものだったと記憶している。

 プロスポーツ選手は、かなりマシではある。
 少なくとも俳優や小説書きよりは、とりあえずは子供に向かって胸をはれる。
 まだ人生がよくわかっていない幼子にも胸をはれる。

 ただし、スポーツの技術で人々を魅了するという仕事の凄さを、子供がきちんと理解できるとは思えない。
 傍目には遊んでいるようにもみえる。

 だから、
(別に、医者や弁護士を目指してもいいんじゃないか)
 と思う。
 医者や弁護士になる夢は、少なくとも、懸命におとしめるべき夢ではなかろう。

 美徳だけで成り立ち得る職業というのは、実は、そうは多くない。
 目指すのを止めろとは、なかなか、いいにくい。
 2005年8月18日 (木) 風呂掃除ふたたび
 8月13日の『道草日記』で、

 ――風呂掃除をした。

 と書いた。

 ――夏の風呂掃除は気持ちがよい。

 と――

 今日は、その日にやり残した分を掃除した。
 今度は風呂に入りながらの掃除である。

   *

 いつも風呂に入る格好で掃除ができる人は羨ましい。
 僕には無理である。

 目が悪いからだ。

 普段は眼鏡をかけている。
 風呂に入るときは眼鏡を外す。

 それで、汚れがみえないのである。

 だから、風呂場が相当に汚れていても、さして気にならない。
 後で眼鏡をかけて風呂場を見渡すと、

 ――げ〜!

 と思うことは、しょっちゅうである。

 そのようなわけなので、風呂場を掃除するときは、眼鏡をかけて掃除する。
 普通に服もきている。
 さすがに靴下は、はかない。ズボンも短いものをはく。

 しかし、それでは思いきったことができない。
 全身がズブ濡れになるような作業ができない。

 よって、最後の仕上げは、いつも風呂に入るときの格好でする。
 あらかじめターゲットを決めておき、ここぞとばかり、全身ズブ濡れになるながら掃除する。

(一度で済めばラクなのに……)
 とは思う。
 2005年8月16日 (火) マル太・管理人モード(地震)
 多忙につき、今日、明日の『道草日記』はお休みです。

 木曜日には復活できると思います。

     *

 ――来るぞ! 来るぞ!

 と、いわれていた宮城沖地震――
 今回の地震がそうだったのでしょうか?

 約30年周期で起こっている地震だそうです。マグニチュード7クラス――
 前回が1978年ですから、そろそろですよね。

 一方、それとは別に――
 約100年周期で起こっている地震もあるそうです。
 そちらはマグニチュード8クラスだとか……。
(おいおい、おいおい……)
 であります。
 しかも、こちらも、そろそろなんだそうですよ。前回が19世紀末――

(何それ? きいてないよ)
 であります。

 少なくともマル太は初耳です。

 情報は小出しにしないで下さいね。
 精神衛生上、よくないですから――
 2005年8月15日 (月) TVの討論番組
 終戦記念日――戦後60年である。

 ここ数日は、TVでの討論番組が目白押しである。

 TVは怖い。
 出演者が何も話さなくても、顔つきや物腰からメッセージが滲み出てしまう。

 そういえば――
 ふた昔くらい前、さる自民党の大物政治家が、民放のTV番組に出演し、自分に不利な質問され、全く関係のない人名を出し、

 ――あの人、あなたと同じ名字だけど、親戚?

 と訊いたそうである。

 僕は、その番組をみていないので、あえて政治家の名前は出さないが、まだ現役でおやりになっている方である。

 TVは怖い。
 全てを伝えてしまう。

 が、政治家がTVカメラの前で色々と喋るのは良いことだ。

 有権者にすれば、これほどありがたいことはない。
 選挙の際の貴重な判断材料を提供してくれる。

 良い時代になったものだと思う。
 2005年8月14日 (日) 命よりも大切なもの?
 ――この世には命を捨ててでも守るべきものがあるか?

 という問いに対し、

 ――ある。

 と答える人は、決して少なくない。

 最初に断っておく。
 僕は、そういう意見に与しない。与したくない。

 が、そういう人たちが相当数いるとわかると、何だか安心できる。
 この国が60年前に、なぜ、ああいう形で敗戦を迎えたのかが、よくわかるという意味で、安心である。

 公の場で、

 ――命よりも大切なものがある。

 と断言する人たちが結構な割合でおり、かつ、60〜70年前も同じ割合でいたとみなせば、300万人もの自国民が死ぬような戦争が起こるのは当然である。
 乾いた新聞紙に火をつけると、すぐに燃え広がるように当然である。

 僕は、小学校に入って間もなく、太平洋戦争(大東亜戦争)の話をきかされた。

 大勢の人が亡くなった。
 実に惨い戦争であった、と――

 戦争は辛い。
 絶対に起こしてはならない、と――

 幼心に感じたのは無気味さであった。
(じゃあ なんで、そんな戦争を起こしたの?)
 である。
 大人は、それにちゃんとは答えてくれなかった。

 ――政治家は戦争をやりたがるものなの。

 などと、いま思えば理由にもならないような理由で、誤摩化されていた。

 そこがわからなかったから、僕は戦争に関する思考をストップさせた。
 20代半ばまで、ストップさせていたように思う。

 簡単なことである。
 正義のような特定の信条を守るために自分の命を投げ出すことが推奨され、かつ、それを強要する人が多数いれば、太平洋戦争みたいなことが起こるのは、至極、当然である。

 もちろん、この国の人々のことだけを、いっているのではない。
 アメリカにだって大勢いた。中国や朝鮮にだって、いたはずである。

 僕には考えられない話である。

 自分の命に優先するものなど、ありえない。

 逆に「ある」という人にききたい。
 それは何のか、と――

 問い詰めると、返事は、簡単にいえば、

 ――より良く生きること。

 である。
 つまり、

 ――堕落して生きるくらいなら死を選ぶ。

 というようなことである。
 要するに、

 ――自分の命よりも優先するものは、堕落しない生き方である。

 ということらしい。
 だったら、まず自分の命を大切にし、次いで堕落しない生き方を模索すれば良さそうなものである。

 まあ、その人には、その人なりの考えがある。
 だから、それにしたがって生きればよい。必要があれば死ねばよい。

 問題は、それを他者に強要することだ。
 世の中に正義というものが存在すると思っているから、平気で強要できるのであろう。

 確かに、世の中に義はある。いくらでもある。
 が、正義はない。万人にとっての正しい義など存在しない。

 64年前に開戦を決断した政治家には義があったろう。
 が、それは、あくまで彼らの主観が判断した義である。日本人の総意としての義ではない。

 だから、戦争責任という考え方が出てくる。

 よく、東京裁判(極東軍事裁判)は戦勝国が敗戦国を一方的に裁いた茶番なので、日本人は、あの裁判を無視して構わないのだ、と主張する人がいる。
 が、それは、その人の義であって、例えば僕の義とは違う。

 たしかに、東京裁判は茶番だったと思うが、あそこで戦争責任を問われた人々は、必然か偶然かは知らないが、とにかく当時の日本人の多くが(大多数とはいわないけれども)戦争責任を問いたいと思っていた人たちと重なるのではないか。
 少なくとも、僕が問いたいと思っている人たちとは、ほぼ重なる。

 いずれにせよ――
 人々の義はバラバラである。
 この手の議論を突き詰めても、万人が納得する結論はありえない。
 戦争責任は、たしかに存在するのだが、それを万人が納得する方で問うことはありえないのである

 太平洋戦争の話は、結局、最後は、ここに行き着く。
 靖国神社参拝問題にせよ、対中国・朝鮮外交問題にせよ、である。

 義が相対でしかないということを、いかに踏まえるかが肝要だ。
 結局、その都度その都度、義を使い分けていくしかない。
 情けないが、そうすることでしか、人の世は立ち行かぬ。

 義が絶対であると思っている人は相当数いる。
 そういう人が混じった議論は、白熱はするが、最後は白ける。
(ああ。きっと、こういう人が戦争を起こすんだな)
 という諦めにも似た納得が得られる。

 今のままでは、また起きる。
 64年前と似たようなことが、また起きる。
 2005年8月13日 (土) 今日は一念発起して――
 今日は一念発起して――
 風呂場を掃除した。

 いや、そうでもなかったな。
 何となく汚れが気になったので、何となく始めたのだった。

 もう、しばらく掃除をしていなかったし……。

 どれくらい、していなかったかは、あえて書かない。
 多分、皆さん、かなり、びっくりされるので……。

 夏の風呂掃除は気持ちがよい。
 跳ね散る水飛沫も心地はよい。
 冬だと、こうはいかないが……。
 2005年8月12日 (金) あだち充さんの記事
 新聞を読んでいたら、マンガ家のあだち充さんの記事をみつけた。
 今年の夏の甲子園大会に、母校の前橋商業が出場していたのである。あだちさんはスタンドまで応援に駆け付けたそうだ。

 記事は、あだちさんの代表作『タッチ』の台詞で始まる。

 ――前橋商業が57年ぶりに群馬県の甲子園代表にきまったそうな。

『タッチ』が週刊誌に連載中だった1986年、前橋商業は57年ぶりに群馬県大会を勝ち抜いた。

 これ、僕も覚えている。
 たしか、ボクシング部の原田正平のツブヤキだ。

『タッチ』は純然フィクションである。
 実際の甲子園代表チームが登場したりはしない。
 が、あだちさんが前橋商業のOBということを読者は承知なので、ネタに使われたものであろう。
 カラカラとは笑えないが、ニヤリとは笑える。

 ちなみに、原田正平は記憶に残る名脇役である。
 主人公の上杉達也や浅倉南とは不釣り合いなまでに凄みのあるキャラクターなのだが、なぜか不思議と物語に調和していた。
 上杉達也が、

 ――あいつ、本当にオレと同い年なのか?

 と呟くのは、あだちさん特有の自虐ネタだろう。
 たしかに、高校生にはみえなかった。遥かに歳上にみえた。
 当時の僕は中学生だ。それでも高校生にはみえなかった。今みれば尚更だろう。

 高校のとき、

 ――『タッチ』大嫌い! あだち作品、糞喰らえ!

 という同級生がいた。
 僕は好きだ反論すると、

 ――たしかに、良さはある。

 と態度を軟化させたものの、

 ――けど、あれは化学調味料の良さだ。

 と再反論した。

 たしかに、そうかもしれない。
 物語の虚構性を突然に乱し、登場人物に、

 ――前橋商業が57年ぶりに……。

 などと、いわせてしまうのは化学調味料である。

 さらにいえば――
 あだちさんの作品は――特に野球マンガは――物語として、計算し尽くされている。
 とりわけ、クライマックスの東東京大会決勝戦は、ほとんど両チームの全打者の結果が描きこまれていたのではなかったか。

 同じことを小説でやると失敗する。
 絵を前面に出せるマンガだから成功し得る。

 加えて――
 最終回、上杉達也が新田明男を三振に打ち取るシーンは、野球場からではない。
 最後の一球では、突然、場面が変わるのである。
 たしか、野球とは全く無関係のプールで高跳び込みをする女性の落下に重ね合わせて描かれていた。
 勝利を告げるアナウンスは、プールサイドのラジオから流れるのである。

 こういう技巧は上手に使わないと嫌味になる。
 たくさん使いすぎると、読者を気持ち悪くさせる。
「化学調味料」の所以である。

 今年の前橋商業は三度目の甲子園出場だそうである。
「57年ぶり」と呟かれたのが二度目――
 今年が三度目である。

 あだちさんは今も野球マンガを執筆されているそうだ。
 前橋商業の選手の中には、あだち作品のファンもいる。

 試合の二日前、あだちさんは前橋商業の宿舎を訪れ、
「一緒に校歌を歌おう」
 と選手を激励されたらしい。

 本当は、生の野球がお好きなんだなと思った。
 計算し尽くした野球ではない野球である。

 記事の末尾で、

 ――母校の試合だけは楽しめない、他人事ではないので……。

 といった内容を語っておられる。
 ピッチャーの投げる一球一球に、楽しめないくらいドキドキするのが、野球の醍醐味である。
 2005年8月11日 (木) 昨日の仙台は
 昨日の仙台は涼しかった。
 日中でも22℃という涼しさである。
 とても過ごしやすかった。

 今日は、さすがに8月の暑さである。
 といっても、関東以西とは比べ物にならない暑さだろうが……。

 とにかく、昨日より暑いことは確かなので、エアコンをつけてみた。

 が、どうにも涼しくならない。
 壊れたのかと思って、念のため、リモコンのディスプレイをみてみたら、

 ――暖房

 になっていた。
(そりゃ、涼しくなるわけないよな)
 である。

 リモコンはベッドの上に置いておいた。
 何かの拍子で暖房のスイッチが入ったものであろう。
 気を付けなければ……。

 冷房に切り替わった途端、今度は寒い。
 クシャミが出た。

「冷房」といったが、実際は「自動運転」である。
 コンピュータが判断し、快適な温度を保持する……ことになっている。

 が、そう、うまくはいかないものである。
 テクノロジーの限界だ。

 こんなことなら――
 エアコンなんか使わないで、天然の気候に任せるのが一番ではないか?
 そう思う。

 さしあたりは、窓を開ければよい。

 が、そうもいかない。
 僕の部屋は1階だ。
 日中はともかく、夜間に窓を開けるのは、ちょっと不用心だろう。

 結局、リモコンをこまめに操作するより仕方ない。

 それか、引っ越しか……。

 引っ越しはしたくないな。
 その前に、やらなければならないことがたくさんあるので……。
 2005年8月10日 (水) 解散は暴挙か?
 政界が揺れている。
 衆院が解散され、来月11日の投票日に向け、事実上の選挙戦が始まった。

 政界が揺れるのは結構だが、マスコミの報道の仕方には疑問を感じる。

 昨日、自民党の武部勤幹事長が出演したニュース番組をみていて、一層、疑心が強まった。
 武部幹事長は、

 ――マスコミは今回の解散の意味がわかっていない。

 と指摘した。

 ――わかっています。

 とキャスターが反論する。

 が、どうだろう?
 僕がみる限り、明らかに武部幹事長に分があった。

 先年の狂牛病問題では失言ばかりが目立ち、「無能」の印象を与えた武部幹事長(当時、農相)である。昨日の番組をみていても、議論上手とはいいにくい。
 にもかかわらず、キャスター側が、あまりにも旧来型の永田町観を振りかざすので、武部幹事長が議論上手にみえたくらいである。

 今回の総選挙は国民の政治参加という点でみれば快挙だ。
 郵政民営化の是非はさておき、郵政民営化を巡る政治家たちの議論に対し、国民が直に意思表示できるのである。
 こんなことは、少なくとも僕が知る限り、一度もなかったことである。

 報道によれば、小泉総理に向かって、

 ――解散して何の得がある?

 と翻意を迫った政治家は数知れない。

 もちろん、得はしない。
 今回の解散で真に得をしたのは、代議士たちの議論に最終的な責任を持ちたいと願う有権者だけである。

 ――解散は暴挙だ!

 と主張する有権者は自分の役割がわかっていないのではないか。

 今回の総選挙では、いわゆる「造反組」と呼ばれる政治家たちがいる。
 自分たちの献策が小泉総理に受け入れられなかった政治家たちだ。その彼らが小泉総理に向かって、

 ――暴挙だ!

 と罵声を浴びせる気持ちは理解できる。政治家も人間だ。
 が、その政治家に同情するあまり自分も一緒になって、

 ――暴挙だ!

 と罵声を浴びせる有権者は、考え違いをしている。
 そういう人たちは、

 ――祖父の代から、お世話になっているから。

 とか、

 ――若い頃から、いい人だったから。

 とかいう理由だけで投票してきた有権者ではないか?

 たしかに、そういう理由で投票してきた人たちには、今回の選挙の意味はみえないだろう。
 困ってしまった人もいるに違いない。

 どうぞ困ってもらいたい。
 困って困って、おおいに自分の頭で考えてもらいたい。

 マスコミには「自民党のお家騒動」とか「身内の骨肉の争い」とかいう言葉を使わないよう切に願う。
 郵政民営化の賛否で袂を分った政治家たちを面白おかしく描くのはエンターテイメントである。
 エンターテイメントと報道とをゴッチャにしないでもらいたい。

 せっかく、総理大臣が憲法に則って民意を問おうとしているのに、問題を矮小化して何の得がある?
 今回の総選挙に真剣な有権者をバカにした態度だといわれても仕方あるまい。

 ひと口に「マスコミ」いっても、ひどいのはTVである。
 今回の総選挙の新しさに鈍感なのは仕方ないにしても、問題を必要以上におとしめないでもらいたい。
 有権者の思考の邪魔である。

    *

 昨日の武部幹事長の話に戻る。

 憲法によれば、この国で衆院の解散権を握っているのは総理大臣ただ一人である。
 その総理大臣が「郵政民営化の是非を問うための解散である」と明言している。
 それなのに、その総理大臣を擁する与党の選挙対策最高責任者に向かって、

 ――郵政民営化以外にも争点はあるのではないか?

 と訊いた。
 どうも、今回の総選挙には自民党内の内乱の様相があるのではないか、と訊きたかったようである。
 無意味な質問である。

 政治家が政治家に向かって水面下で質(ただ)すのはわかる。
 しかし、キャスターが政治家に向かってTVカメラの前で質すのはおかしい。
 何の意味がある?

 もしかして――
 政治家を政治評論家と間違えたのか?
 それなら理解できる。
 あまりにも初歩的な間違いだが……。
 2005年8月9日 (火) 人の精神世界の広さというのは
 人の精神世界の広さというのは、呆れるくらいである。
 現実世界の縛りを、基本的には受けないからである。 

 例えば――
 現実世界に真の円は存在しない。
 紙の上に、どんなに高性能なコンパスを用いて円を描いても、ミクロの目でチェックすれば、必ずやイビツなところがあるはずである。
 それでも、僕らは円という概念を頭の中に納めている。

 もちろん、
「円とは何か?」
 と問われ、とっさに答えられない人はいると思うが、それは知識の問題である。
 円を言葉で表せば、

  ある点から等しい距離にある点の集合

 となることを、知っているかどうかの問題だ。
 つまり、もっと簡単に、
「頭の中に円を思い浮かべてみて」
 と、いわれて困る人は、ほとんどいないだろう。

 僕らの頭の中には、たしかに円が存在している。
 このことは重大な事実を示唆する。

 頭の中に存在する事物(観念)は、現実世界の縛りを受けないということである。

 それゆえに、僕らは、神様や妖怪や幻想獣など、この世に実在するとは思えないものでも、無尽蔵に頭の中に収めることができる。
 ときには世界まるごと一つを収めることもできる。ファンタジーの物語などは、まさに世界まるごと一つが、人の頭の中に収められているわけである。

 人の精神世界の広さとは、そうした意味である。

 同時に、精神世界は、どうしようもない狭さをも抱えている。
 人は簡単なことで現実を見失い、偏屈な考えにとらわれ、周囲の世界を圧殺してしまう。
 自分の頭の中にある事物と相容れないものは受け入れない「狭さ」である。
 これは、例えば前述の円でいえば、

 ――現実世界に存在する円は、ミクロにチェックすれば、どれも微妙にイビツであるから、そんなものは円ではない。

 と切り捨てる「狭さ」である。

 精神世界は巨大な広がりをもっているが、その広がりは普(あまね)く広がるものではなく、精神世界自体が広がりたい方向にしか広がらないという縛りをもっている。
 精神世界は、現実世界には縛られないが、精神世界自体によって縛られるという奇妙な事態が起こるのである。

 人の精神世界は呆れるほど広い。
 が、その広さは本物ではないかもしれない。

 広いと錯覚しているだけの可能性もある。
 2005年8月8日 (月) 政局の人
 つくづく政局の人だなと思う。
 小泉総理のことである。

 政局というのは、簡単にいえば、政争をさす。

 悪口のつもりではない。
 いやしくも政権の首班たる者が政局に弱くては話にならない。
 政策に強くて政局に弱い総理なら過去に何人もいたが、結局、政局の弱さがたたって、政策が頓挫している。
 役人のトップとしては優れていたかもしれないが、政治家としては非力だったと断じざるを得ない。

 小泉総理が偉大な政治家だとは思わないが、少なくとも非力な政治家ではない。
 政治家としての最低限の仕事は果たしている。

    *

 たしか、小泉さんが総理になった直後のことだったと思う。

 ――私は郵政民営化論などをブチあげているから、「政策に強い」と思われているが、実際には政局に強いんだ。

 マスコミが、本人の弁として報道していたものである。

 小泉総理が真実、そう語ったのかどうかは、わからない。
 が、真実味は十分である。

 参院は、今日の本会議で郵政民営化関連法案を否決した。
 これを受け、小泉総理は、連日、マスコミが報道していたように、衆院を解散し、民意を問う決断を下した。
 法案は衆院では可決されている。なのに、解散を命じるのである。
 議員の中には、

 ――参院で否決されて衆院を解散するのは暴挙の極みである。

 との声もあるようだが、参院を解散できない以上、民意を問うには、これしかない。
 選挙がイヤなら議員をやめれば良い。

 根強い疑問がある。

 ――郵政民営化は、それほどの大事なのか?

 という疑問である。

 大事である。

 たしかに、郵政民営化を行財政改革の軸として認識すれば些事かもしれない。
 が、この国の政財界の基盤の一つを差し換える提議と認識すれば、十分な大事であろう。

 今の郵政システムは、明治の世に郵便の父・前島密が築いたものである。
 その郵政システムを、この国の政府の主流派が要所要所で的確に運用してきた事実がある。
 体制側にとっては、非常に利用しやすいシステムだった。

 明治の郵政システムは近世仕立てである。
 江戸期に農村行政を司っていた豪農や名士たちが、前島密らの呼び掛けに応じ、有志で結成したものといってよい。
 特に報酬があるわけでもなかったという。ただただ彼らの公の心に依存したシステムであった。

 彼らの心は、たしかに尊かった。

 郵政は国の血管に喩えられる。
 早急に西欧並の郵政システムを確立し、国を挙げて富国強兵・殖産興業に邁進するためには、当時の民間業者たち――飛脚ら――では心もとなかった。

 ――そのときの官尊民卑の思想が、この国の隅々に今も脈々と受け継がれてしまっている。

 というのが小泉総理の主張であろう。

 ――それが、この国の発展を妨げている。

 と――

 明治の日本は、官尊民卑の思想が必要悪だった。
 が、今の日本は、あの頃の日本ではない。

 あの頃の日本は貧しかった。
 西欧列強の脅威に、おののいていた。
 自国の文化に自信がもてないでいた。

 それが、今や世界有数の先進国である。
 他国が日本を手本にするような時代である。

 だから、極言すれば、

 ――明治維新の決着を、そろそろ完全につけましょうよ。

 というのが、郵政民営化論である。
 明治の政治家たちが、止むを得ぬ事情で受け入れた必要悪の後始末――それが郵政民営化なのだ。
 そう考えれば、衆院を解散する価値も十分に見い出せよう。

 今夕の記者会見で、小泉総理は、

 ――郵政民営化は当たり前だと思っている。

 と、いった。
 明治の政治家たちの後始末とみれば、自然な言であろう。

 昭和ですら遠くに感じられる時世である。
 明治は遥かに遠い。

 本当は、もっと、ずっと以前に始末しておくべき課題だった。

    *

 さて、民意はどちらか?
 国民の総意が、郵政民営化にノーなら、それもよい。

 ――明治のままで結構じゃないか。

 というのも、ありだと思う。

 ――官尊民卑? いいじゃない!

 というのも、ありだろう。

 ことを永田町だけでは決めない――とした点が重要なのである。

 郵政民営化に反対か、賛成か――それは措く。
 そうした議論以前に、この国の屋台骨に関わる議論を、見事、国政選挙の焦点に据えてみせたところが、すばらしい。

 小泉総理は、やはり政局に強い。
 2005年8月7日 (日) 日曜日の朝は
 日曜日の朝は気持ちがよい。
 道路に車は少なく、電車はすいていて、万事がノンビリした雰囲気だ。
 街は厳かに静まり返り、空は心なしか澄んでみえる。

 日曜日の朝といえば、学生時代は家で寝ていることが多かった。働くようになってからは、日曜出勤の事情もあって、朝から市街を歩く機会が増えた。

 日曜日の朝は清々しい。

 そういえば――
 ヨーロッパの日曜日の街並は静謐(せいひつ)だった。

 四歳から六歳までの二年間、僕はスイスのチューリッヒに住んでいた。
 当時、父はドライブに凝っていて、週末の度に、家族を連れ出し、ヨーロッパ各地を訪れた。
 ヨーロッパの日曜日は静かであった。
 朝だけではない。昼になっても依然、静かなのである。大抵の店は、終日お休みであった。

 三〇年近く前の話だ。
 今がどうかは知らない。
 むろん、当時とて、ヨーロッパの全ての街で、そうであったわけではあるまい。

 が、静かな日曜日の印象が強く残った。

 僕は日曜日に行楽地へ出向くのは苦手である。
 買い物に出かけるのも気が進まない。
 ひたすら静かに過ごしていたい。

 自分だけでなく――
 世の中全てがそうあればよい――と思うこともある。
 2005年8月6日 (土) 「sado」はサドとは限らない
 知り合って間もない知人に電子メールを出したときのこと――

 アドレスが某団体のホームページに公開されていたので、そのアドレスに向けて送信したところ、1日たっても返信がない。
 どうしたことかと思って首を傾げていると、数日後に返信が届いた。

 ――きみ、別のヤツのアドレスに送ってたよ。

 と、いう。
 早速、ホームページで確認してみたが、間違いはない。
 僕は正しく送信していた。

 実は、そのホームページに表示されていたアドレスが間違っていたのである。
 全く別の人のアドレスと入れ代わっていた。

 ――普通、まちがえっこねえじゃん!

 と思われたかもしれない。

 なぜなら、ホームページに公開されていたアドレスは、「@」の前にズバリ名字が入ったものだったからである。
 僕は、それを人の名字とは気付かず、ニックネームか何かかと思ってしまった。

 つまり――
「小田原(おだわら)さん」という人にメールを出そうと思ってホームページをみてみたら、

  sado@xxx.xxx.xx.jp

 みたいなアドレスが表示されていた、と――

 ――なんだ、小田原さんってサドなんだ……!

 ――こんなところで告白しなくてもいいのに(笑

 と思って送信したら、

 ――おいおい、きみ、佐渡(さど)にメールを送ってたよ。

 と、いわれたわけである。

 たまたま佐渡さんが小田原さんの知り合いだったので、事なきを得たのだが……。

 ふうー。

 ちなみに――
「小田原さん」も「佐渡さん」も仮名である。
 実際は全く違う名前だった。
 念のため――
 2005年8月5日 (金) 時空の結節、時空の亀裂
 人の死が堪(たま)らなく悲しくなるのは、その人が、もう二度と戻ってこないということが実感できてからである。

 当たり前だが、この世に同じ人はいない。
 誰かが死ぬということは、その誰かが永遠に失われることを意味する。

 人は、どこで生じ、どこへ消えていくのか?

 大宇宙の時空の結節から生じ、時空の亀裂に消えていく――そんなイメージを持っている。

 もちろん、生物学的には、母親の胎内で受精卵として生じ、朽ちた死骸として大地に消えていくわけだが、もう少し観念的に考えれば、「時空の結節」や「時空の亀裂」のイメージがしっくりとくる。

 時空とは、時間および空間のことである。
 世界そのもののこと――といってもよい。

 つまりは、母親の胎内は時空の結節であり、朽ちた死骸は時空の亀裂ではないかということである。

 なぜ、そのような隠喩になるのか、と問われても困ってしまう。
 あくまで、僕の主観的な観念の話である。

 観念的な考えが、僕は好きである。
 2005年8月4日 (木) 日記は日記、暗記ではない
 友人のMr.アニリンくんは、とても頭が良いのだが、字は汚い。
 その汚さといったら、ほとんど伝説の域に達している。

 今日も、彼が大学受験生向けに、化学の解説書を手書きしていた。
 それをチラッと覗くと、

 ――これは日記!

 みたいな文言が書いてある。
 どうやら、解説の重要そうなところに印をつけて、「これは日記!」と注意句を書き込んでいたようなのだ。
 が、
(日記って何だよ、日記って!)
 と思う。

 よくみると、それは「暗記」であった。
「暗記」の「暗」の字の左側が大きく書かれ、右側がチョロっとしか書かれていなかったので、「日記」にみえたのである。
 つまり、

 ――これは暗記!

 と書いてあったわけだ。

「これじゃあ生徒さん、読む気なくなるんじゃない?」
 と意地悪をいうと、
「いやあ、十分にキレイに書いてあるじゃないですか!」
 と反論された。

 たしかに、生徒さんに云わせると、

 ――普段はもっと汚い。

 のだそうである。
 昔、僕が予備校生だった頃、東京大学の物理学科で博士になったという人が教えていた。
 その人の同僚講師が、

 ――彼は頭がいいですからねえ。

 と、しきりに持ち上げるのだが、決まって最後に、

 ――字は汚いですけど……。

 と落とす。
 そこで受講生は大笑い――その人の板書が汚いことは周知の事実だった。

 ――頭の良さと字の汚さは比例するんですね。

 というのが、その同僚講師の見解である。

 Mr.アニリンくんの字をみる度に、僕も同じことを思う。
 頭の良さと字の汚さは比例するのだ。

 それにしても、「暗記」が「日記」になるのは、どうかと思う。

 ――これは日記!

 って、つまり、

 ――詳しくはオレのブログを読め!

 ってこと?

 たしかに、この前、Mr.アニリンくんが自分のブログに化学の話を書いていたのはみたけれど……。

 日記は日記、暗記ではない。
(当たり前か……)
 2005年8月3日 (水) 仲良くするためには
 人と付き合っているとき、通常、その人との距離を縮めることはリスクを伴う。

 何となく好感を抱いた人がいたとしよう。
 その人と仲良くしたくて、さらに距離を縮めたばかりに、かえって嫌悪を抱く――ということは、そんなに珍しいことではない。

 人が、誰かにとっての好感を維持しようと思ったら、その「誰か」との距離を取ることである。
 その「誰か」と、そんなに喋らないことである。
 少なくとも、そうするのが最も手っ取り早い方法である。

 仲良くするためには距離を取れ――というのは大きな矛盾だ。
 この矛盾が、人間社会の様々な矛盾を引き起こしているように思える。
 当然のことかもしれない。社会とは、人と人との繋がりの総体であるのだから――

 例えば――
 人には、喋りたくなくても、喋らなければならないときがある。
 一緒に何かをやっているときは、特にそうである。
 意志の不統一、情報の非共有は、共同作業の邪魔でしかない。

 そこに、

 ――仲良くするためには距離を取れ。

 との「教訓」が介在すると、かなり厄介だ。
 これに従えば、喋らなければならないときに喋らないことになる。
 様々な問題が続発し得るのは当然だろう。

 どうにかして、

 ――仲良くするためには距離を縮めろ。

 とは、ならないものか。
 2005年8月2日 (火) 夏の散歩は汗をかく
 夏の散歩は汗をかく。

 汗をかくので――
 歩きに歩いて無心に浸る――というわけにはいかない。

 肌のベトつきが気になってしまう。

 実は――
 今年の夏はコマメにシャワーを浴びている。
 そのほうが色々な仕事の能率が上がるように思ったからである。

 例えば、出さなければならない手紙があるとする。
 電子メールではない。
 紙の手紙である。

 どうするか?

  1)文面を考える。

  2)考えるために散歩に出る。

  3)汗だくになる。

  4)ベトベトになって散歩から帰る。

 そして、去年なら――
 そのまま手紙を書いていた。

 今年は違う。
 
  5)軽くシャワーを浴びてから手紙を書く。

 そうすることで――
 書き損じが少なく、便箋を効率よく仕上げることができる。
(チョット得した気分――)

 なんてことをいっていたら――
 6、7月分の水道代が去年の1.5倍くらいになっていた。
 ガス代と合わせれば、結構な額である(我が家のシャワーはガスである)

 結局のところ――
 昨今の仕事の効率化は、公共料金の増額分で賄った計算になる。

(ナンカ損した気分――)
 である。
 2005年8月1日 (月) 冗談
 冗談というのは難しい。
 ある人たちの間では冗談と解されても、別の人には、そうは解されない――曲解される――ということが度々である。
 嫌味ととられたり、自慢話ととられたりする。

 冗談が冗談であるためには、思いの他たくさんの暗黙了解が必要である。

 だから――
 僕などは、極力、冗談をいわないように努めているのだが、時々、箍(たが)が外れて冗談をいい、手痛い失敗をする。
 嫌味ととられたり、自慢話ととられたりする。

 そういうときは、
(二度と冗談などいうものか!)
 と思う。

(この世に冗談があるからいけないんだ!)
 とさえ思う。

 そうはいっても――
 冗談のない人生はつまらない。
 やはり冗談は適度にいえたほうがよい。

 さて、どこで帳尻を合わせればよいものか?

 いかにも冗談の巧い人の技を研究し、真似をしても、無駄のような気がする。
 草野球選手がプロ野球選手の真似をしてもロクなことがない。

 真似をするなら、そこそこに上手な人がよいだろう。
 冗談で大成功をすることもなければ、大失敗をすることもない人である。

 ところが、そういう人は、なかなかいない。
 少なくとも僕の周りにはいない。

 大成功でも大失敗でもない冗談というのが、実は意外に少ないのかもしれない。
 ハイリスク・ハイリターンが冗談の宿命のようである。