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2005年6月30日 (木) |
女戦士の水着みたいな鎧 |
ファンタジーを基調としたコンピュータゲームなどのパッケージをみて、 (なんだかなあ……) と思うのは、女性キャラクターの絵である。 水着みたいな鎧を着た女戦士だったりする。
僕はファンタジーは好きだし、「女戦士」というコンセプトも好きだけど、 (なんで、あんな鎧なわけ?) と思う。
この違和感を意識するようになったのは、ある女性評論家のコメントを見聞きしてからだった。
――肌を露出させる意味がどこにある?
という苛立ちのコメントである。
もちろん、通り一遍の説明は容易である。 コンピュータゲームの主要購買層は若い男性である。 そうした男性の購買欲を刺激するためには、「水着みたいな鎧」が十分に意味をもつわけである。
が、その女性評論家の苛立ちは、そうした手法で購買欲をかきたてようとするメーカー側の意図に向けられていたように思う。 あるいは、そうした手法に易々と乗ってしまう若い男性たちへ向けられていた。
セクシャリティーの問題である。 女戦士が水着をきることで強烈なセクシャリティーを帯びるわけである。
問題は、それがどれくらい普遍的なセクシャリティーなのか、ということだろう。 さしあたりは、男女で共有され得るものなのか?
少なくとも、その女性評論家は共有しなかったのだろう。 だからこそ、苛立ちを覚えたに違いない。
ついでにいえば―― 僕自身は微妙である。
そりゃあ、女戦士が水着みたいな鎧をきてても悪くはないが、
――鎧なのに肌を露出させている。
という非現実的設定が、かえってセクシャリティーを減弱させているように思えてならない。 肌の露出の全くない重装の鎧をチラッと解いてみせる柔肌のほうが、数段上のセクシャリティーを帯びているように感じる。
だから―― 女戦士の水着みたいな鎧に僕が感じる違和感というのは、かなり複雑である。
毛嫌いの対象ではないのだが、 (もう少し何とかしようよ!) ということである。
誤解を恐れずにいえば、 (もう少しエロっぽくなるように工夫しようよ!) ということである。
あ。 誤解の余地はないか。
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2005年6月29日 (水) |
う〜む |
今週は月曜日から東京にいた。
だから―― 昨日、一昨日と書いた『道草日記』は滞在中のホテルからである。
先ほど、仙台に戻ってきた。
明日から、また仙台を留守にする。 遠出の予定が、なぜ、こうも重なるのだろう?
重なるときは面白いように重なる。
そういえば、日曜日の夜も仙台にいなかったのであった。 今夜は4日ぶりの仙台である。
久しぶりに自宅に戻り、改めて自宅の汚さを認識する。 いい加減に大掃除をしないといけない。 人が住む環境ではないな……これは……。
心が荒(すさ)んでいると、居住空間も荒むというが、本当だろうか? もし、そうなら、僕の心は救いようがない。 荒廃状態である。
それくらい僕の部屋は荒れている。 ホテルの客室との落差が酷い。
ホテル住まいを恋しく思うようなら重症だ。
いっそのこと引っ越しをしようか? 引っ越しは究極の大掃除である。
いま真剣に悩み始めている。
う〜む。
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2005年6月28日 (水) |
下らない事物、下らない思考 |
最近、複数のメディアで、ほぼ同時に、
――世に下らない事物は存在しない。存在するのは下らない思考だけである。
というメッセージを目にした。
一時期に同じようなメッセージを感受するなど、 (不思議なことがあるのもんだ) と思ったりしたが、すぐに思い直す。
おそらく、そんなに奇異なことではない。 単に、最近の僕が、そうした物の見方に敏感になっていたからに過ぎない。
人間は、そちらに注意が向いていないと、重要なメッセージも平気で見落とすものである。
ところで――
人間の思考というものは、どうして、こうも簡単に堕してしまうのか。 油断は禁物である。
陳腐な発想に陥いるのはアッという間である。 独断や偏見の発想である。
とはいえ―― 何事も一概にいうのは難しい。
独断と英断とは紙一重だ。 偏見と常識とも、そうである。
社長が周囲の反対を押し切って新しいビジネスを始め、成功したら英断であるが、失敗したら独断である。 社会に出て、服装を基に人柄を判断するのは常識だが、服装だけで判断すれば偏見になる。
線引きは難しい。 所詮、線を引く人間の主観が決めることである。
結局、最後は知性の制御の負うところとなる。 自分の思考が下らなくないかを常にチェックする知性である。
*
学生時代、
――プロ意識とは何か?
を真剣に考えたことがある。
色々な人が様々なことをいっている。
例えば、医師のプロ意識、政治家のプロ意識、スポーツ選手のプロ意識、八百屋のプロ意識――について考えた。 そして最後に―― 僕は芸能記者のプロ意識に言及した。 タレントの私生活を強引に取材する人々のことである。
すると、 「そんな連中のことを考える必要は、ないんじゃないか」 と、いわれた。 ある社会的成功者に、である。
「そうでしょうか?」 と僕は疑義を挟んだが、相手が目上だったために、そのまま黙った。
いま振り返ると、わかる。 この方は、
――プロ意識は常に善なるもの。
との独断ないし偏見に支配されていた。
実際は違う。 プロ意識に善も悪もない。 もしプロ意識が善ならば、善である論拠を示さなければならない。
それを怠った。
――下らない思考の持ち主であった。
と今は思う。
*
最近、僕は自分の思考に疑いを持つようになった。 正確には、
――疑いを持っていますよ。
と他人に向かって意思表示する努力を惜しまなくなった、ということである。
最近、冒頭のメッセージに敏感になっていたのも、そうしたことによるのだろう。
では―― なぜ、そういう努力を惜しまなくなったのか?
多分、そうしていたほうが面白いからである。 他者との議論が面白いからである。
固定的な持論を引っ提げて議論に望むのは窮屈だ。 議論の面白さが半減する。
僕にとっては、そうである。
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2005年6月27日 (月) |
女の人の可愛らしさ |
女の人の可愛らしさというのは、 (決して外見ではないんだなあ) と痛感することがある。
*
副業先の同僚に、可愛らしい方がいる。 笑い方が可愛らしい。
とりわけ、何か冗談をいったあとで、 「あはぁ、恥ずかしい」 と上目遣いに、はにかまれる。 その仕草が何ともいえず可愛らしい。
が―― 僕よりも二十は歳上の方である。 お孫さんがいても、おかしくはない。
お姑さんが御健在だという。 休日は、いつも二人仲良く畑仕事をされているそうだ。
それで、 (ははぁ、なるほど――) と思った。
還暦近くなっても、いまだに可愛らしさを保っておられる秘訣は、どうやら、その辺にありそうだ。 おそらく、数十年前からの嫁姑関係が続いているのである。 良い関係が、である。
その関係が、嫁いできた頃の娘さんの面影を十分に残しているに違いない。
*
当たり前のことだが―― 以上の「可愛らしさ」は、あくまで僕の主観である。 人によっては、
――60にもなって「あはぁ、恥ずかしい」はないだろう。
と思われる向きもあろう――
とはいえ、僕が「可愛らしい」と感じる事実は動かない。 サンプルが1つではあっても、十分に特筆の価値をもつ。
少なくとも僕にとっては、紛れもなく若い娘さんの魅力なのだから―― 僕より二十は歳上だというのに――
*
年配の作家さんの小説や随筆を読んでいて、時々、生娘のようなお婆さんに出会う。 前後の文脈を忘れれば、本当に生娘のように思える。 実に、みずみずしい。
高校の頃は、 (オレって、おかしいんじゃないか?) と真剣に悩んだりした。
今は何とも思わない。
人の内面の魅力は、努力次第で色あせを防ぐことができる。
そして―― 人の内面の魅力は活字媒体に反映されやすい。
それだけのことである。
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2005年6月26日 (日) |
床屋のサトウさん |
二十歳で仙台に移り住んでから、床屋は一軒しか知らない。 サトウさんという方の床屋さんである。 比較的、年配の女性だ。僕より30年近く歳上だと思う。
そこで初めて髪を切ってもらってから、10年以上が経った。 最初の5、6年は、お互いに一切、口をきかなかった。 ここ4、5年は、お互いのプライベートも話す。
お姑さんのご闘病と、ご逝去―― 娘さんのご結婚―― ご主人のお仕事の事情――などを伺った。
こちらは、父が亡くなったこと―― 妹が結婚し、甥が生まれたこと―― 母が一人暮らしをしていること――などをお話した。
そのサトウさんから、 「今月で、ここを閉めるんです」 と、きかされた。
急な話であった。
「どうしようもないんですよ。ここの大家さんが代がわりして、相続税が払えないらしんです」 それで、一帯の土地や物件を手放すことにした。 サトウさん一家も立ち退かねばならない。
「どちらへ行かれるんです?」 と、お訊ねすると、耳にしたことのない地名をいわれた。 宮城の山間部に新しい床屋を構える予定だとおっしゃる。
「仙台からは遠いんで、まさか、おいで下さいとはいえません」 サトウさんは笑われた。
別れ話は切り出されるより切り出すほうが辛いという。
そんなことはない。 切り出されるほうも十分に辛い。
サトウさんも、お辛かっただろうか?
「どうも長い間ありがとうございました」 「いえ、こちらこそ――」 「どうか、いつまでも、お元気で――」 「お客さんも――」
そういわれ、僕は自分の名前を明かしていなかったことに思いがいった。 サトウさんは、いつも僕のこと、 「お客さん」 と呼んでおられた。
名前くらい明かせば良かった。 あんなに話をした仲なのに……。
僕の辛さの原因は、そこにある。
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2005年6月25日 (土) |
僕の夢 |
僕はサイエンス(科学)の世界を離れ、日本語の文芸の道を選んだ。
サイエンスに未練がないといったら嘘になる。 国際性への未練である。
サイエンスでは英語が用いられる。 英語を扱えない者は相手にされない。 サイエンスに携わる以上、好むと好まざるとに関わらず、英語は必須なのである。 それゆえに、サイエンスに携わる者は文化の壁を比較的、容易に乗り越えることができる。
とりあえず国際学会に行けば、様々な国の人々と色々な話ができる。
この風通しの良さが好きだった。
日本語の文芸では、そうはいかない。 基本的には日本語を解する人々の中で閉じられた営みである。
国際社会の突き抜けた感覚を知ってしまった身には窮屈である。
では、母国語にこだわらなければよい――という考えがある。 日本語の文芸だから、そうなるのであって、いっそ英語の文芸を始めればよいのだ、というわけである。
言葉の壁を軽視した考えである。
文芸は言葉とは切っても切れない関係にある。 そして、文芸を相異なる二つの言葉で表現することは決して容易ではない。 文芸がプロフェッショナルの域に達するのは大抵、母国語に限られる。 言葉の壁が文芸の泣きどころなのだ。
美術や音楽や舞踊の人たちと話をすると、いつも痛感せざるを得ない。 彼らの仕事は言葉の壁を容易に乗り越える。 もちろん、言葉が使えないゆえの困難はあろう。 が、こと国際性の観点でみれば、文芸よりも遥かに大きな可能性を秘めていることは間違いない。
文芸が言葉の壁を乗り越えることは奇跡に近い。 翻訳が原典に固有の良さを伝えきれていない事例は無数に転がっている。
だから―― 僕は物語に執着したい。 日本語に依存しない物語である。
そういう物語は多分、言葉の壁を乗り越えることができる。
僕の夢は、物語作りの国際コラボレーションである。 異なる民族、異なる文化、異なる言語での物語の共演だ。
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今年のNHKスペシャルは『新シルクロード』である。 この番組で音楽監督をつとめるヨーヨー・マさんは、世界の様々なローカル音楽のコラボレーションが、今世紀の重要なテーマになると考えておられる。 2000年には「シルクロード・プロジェクト」を立ち上げられた。 シルクロードの各交易都市に残る民族音楽を再発見し、現代の音楽と照合することで、新たな音楽の創造を目指しておられる。
すばらしい。
僕も、こういう活動に参加したい。 シルクロードの周辺に残る古い物語を再発見し、現代の物語と照合してみるのだ。 新たな物語の可能性がみえてくるように思う。
*
NHKスペシャル『新シルクロード』は、NHK特集『シルクロード』の後継番組である。 『シルクロード』は僕が小学生のときに放映された。
どの回の放映かは忘れたが――あるいは、後に再編された小番組での放映かもしれないが――次のような物語が紹介されていた。 こういう物語が多分、シルクロードの周辺には、たくさん眠っている。
手元に資料がない。 よって、正しい引用ではない。 記憶だけを頼りに以下に書き留める。
*
ある男が旅をして、大きな湖にたどり着いた。 地図にない湖だった。 男は湖の漁師に尋ねた。 「ここは昔から湖なのですか?」 漁師は答える。 「そうとも。ここは昔から湖なのだよ」
何年か経ち、男が再び、この地を訪ねると、湖は姿を消し、深い森が広がっていた。 男は森の狩人に尋ねた。 「ここは昔は湖でしたよね?」 狩人は答える。 「何をいっている? ここは大昔から森だったよ」
さらに何年か経ち、男が再び、この地を訪ねると、森は姿を消し、荒涼たる砂漠が広がっていた。 男は近くの村の古老に尋ねた。 「ここは昔は森でしたよね?」 古老は答える。 「何をいっている? ここは大昔から砂漠だったよ」
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2005年6月24日 (金) |
子供の前で心を盗まれてしまったお母さん |
――芸術に背徳は重要だ。
と力説をしている。 今日も、その話に関連する。
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イラストレーターの こうせい さん という方の作品に『こころどろぼう』という絵本がある。 タリーズ・ピクチャーブックアワード2003 でイラスト賞に輝いた作品だ。
イラストのユニークなタッチが評価されての受賞だが、僕は、この作品のストーリーが気に入っている。
冒頭、男の子が、
――ねえママ、心って何?
みたいに訊く。
――胸の真ん中にある暖かいものよ。
と、お母さん――
その夜―― 心泥棒がお母さんの寝室に忍び込む。 お母さんは眠ったまま、心を盗まれてしまう。
絵本らしく、心はピンク色のハートマークで表されていた。
男の子は自分のお母さんの心が盗まれたところを目撃する。
――まてえ! ママの心を返せ!
と心泥棒を追いかける。
結局、心泥棒の野望は砕かれ、「ママの心」はお母さんの体に無事に戻るのだが――
それにしても、
――ねえママ、心って何?
という描き出しは秀逸だ。 心身二元論を説いたデカルトも、心の問題を、ここまで鮮烈な手法で提起したりはしなかった(したかもしれないけど――)
――待てえ! ママの心を返せ!
という台詞も凄い。 こんなストレートな言葉は、ベタを通り越して、迫力である。 これを小さな男の子にいわせるセンスが、堂に入っている。
そして―― 何といっても、お母さんの寝室に忍び込んで、眠っているお母さんの心を盗み出す心泥棒がにくい。
子供は、こういう絵本をみて背徳を覚えるわけだ。
もちろん―― 現実世界で、人の奥さんの心を盗んだら罪である。 不倫という。
まして、寝室に忍び込んで盗むなど、もっての他である。
が―― この絵本は、大人のドロドロの恋愛模様を描いたものではない。 心の大切さ、不可解さ、温かみを描いている。 そこへ背徳が上手に忍び込み、ストーリーに厚みを加えている。
もし「子供の前で心を盗まれてしまったお母さん」の要素がなくなると、どうか? きっと、かなり味気ない「お話」になってしまう。
つまらない道徳の教科書に載っていそうな「毒にも薬にもならない話」である。
*
この手の背徳は絵本で覚えるくらいが、ちょうどよい。
子供の頃に覚えれば、大人になってから、愛欲にかられ、人の奥さんを奪うようなところまでは、いくまい。 その衝動を強く自覚することはあるにせよ――
それとも―― 子供の頃に下手に味をしめたために、大人になってから手が付けられなくなるか?
たしかに、その心配も一理ある。
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2005年6月23日 (木) |
マル太・管理人モード |
今夜は、なぜかホームページが呼び出せません。
僕のホームページだけでしょうか? それとも、ジオシティーズのすべてのホームページで、そうなのでしょうか?
こういうときは無理をしないのがよい―― ということで、本日の『道草日記』はお休みします。
こうして打ち込んでいる文章にせよ、ホームページに正しく反映されるのかどうか、わかりませんし……。
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2005年6月22日 (水) |
――きっとパパが助けてくれる |
スティーブン・スピルバーグ監督の『宇宙戦争』が6月29日に封切りとなる。
今日、その広告をみた。 女の子の不安そうな顔が大写しになっていて、
――きっとパパが助けてくれる。
みたいなコピーが入っている。 「パパ」というのは主演のトム・クルーズさんの役だ。
この広告をみて真っ先に思ったことは、 (これを、あの女の子の本当のお父さんがみたら、どう思うんだろう?) であった。
少なくとも僕がお父さんだったら多少はイヤな気分になると思う。 (その「パパ」ってのは、僕のことじゃなんだよね〜?) と、いうわけである。
要するに、すねるわけだ。
もちろん、ことはフィクションである。 頭では、そう理解できる。
が、そうはいっても……なのである。
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現実と虚構との境界に関心がある。 最も考えやすいのは、俳優さんのことだ。
どんなに素晴らしい俳優さんであっても、一個の人間に変わりはないわけで、僕らと同じように雑多な日常を抱えているわけである。 映画やTVでみせる姿は現実とは相当に違うはずだ。
そのギャップを、どうやって埋めているのだろう?
俳優さん当人は、わかる。 それが仕事なのだ。 造作なく割り切れるに違いない。
が、その家族は、どうなのだろう?
例えば、僕が女優さんと結婚したとする。 どうなるだろうか?
最初のうちは、
――へへ! オレのカミさん、女優!
などと、いい気になっているかもしれないが、そのうちに、
――こりゃあ、えらいことになったぞ。
と思う気がする。 映画やTVでの「カミさん」は、家でのカミさんとは決定的に違ってみえるだろう。 が、外見は同じだ。 だから、ややこしい。
――いったい、どれが本当のカミさんなんだぁ!
と絶叫すると思う。
濡れ場のシーンなどは、そういう意味でも耐えられないだろうな、きっと―― 想像しただけで恐ろしい。
もちろん―― 無意味でアホな空想である。
僕が女優さんと結婚する確率など、宇宙戦争が起こる確率と似たようなものだろうから――
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2005年6月21日 (火) |
レジの扱い |
高校の頃―― コンビニのようなところでバイトをしたいと思っていた。
店員さんが手際よくレジを扱う様子に接し、 (あれが大人だよね、うん) と思った。
何が大人なのか―― 今では、まるでわからないのだが――
とにかく、 (やっぱ、レジくらいは扱えないとね) と思ったのである。
当時、すでに、 (医者か学者になること) を決意していた。
医者にせよ、学者にせよ、
――世間知らず
のレッテルを貼られやすい職業だ。
だから―― 医者か学者になる前に、 (一度くらいコンビニでバイトして、レジの扱いくらい覚えるんだ!) と思った。
同じように考える者は少なくない。 実際、大学の医学部に入り、同級生たちの多くがコンビニなどでバイトするのをみている。
ところが―― 僕は、やらなかった。
あれほど、 (やらねば!) と思っていたのに、である。
一つは、予備校生活の2年間で、すっかり考えが変わったということ―― 大学に入った頃は、 (いいじゃん、レジなんか扱えなくて!) と思っていた。 多分、無責任な高等遊民への青臭い憧れが原因だろう。
もう一つは、同級生たちの多くがコンビニでバイトを始めたという事実である。 みんながやることを自分もやるのはシャクだった。
それで、僕はレジを扱ったことがない。 一度も扱ったことがなかった。
今日までは――
*
今日、生まれて初めてレジにさわった。
学会で知り合った精神科医の方がある。 その方の医院に見学にいったら、受付を頼まれた。
「たまには医者じゃない振りして、患者さんの相手をしてごらん」 と、おっしゃる。
まず、レジの扱いを学んだ。 誤った金額を入力し、リセットの仕方がわからず、右往左往する。
その精神科医の方も、レジの扱いに不慣れな点は一緒のようだった。 いつもは正規のスタッフが扱っているときく。
なのに、 「今日はスタッフ帰したから……」 と先生――
(せ、先生……) である。
まあ、お陰で良い勉強になった。
副業先の病院では、僕は病棟業務が主である。 たまに外来診察を担当する。 そのとき、診察室横で事務方が忙しく動き回っているのを一応は知っている。
今日、改めて彼女たちの偉さを思った。
彼女たちは偉い。 少なくとも僕よりは上手にレジを打ち、手早く会計をすませ、効率よく事後処理をする。
つまり―― 医師だけでは何もできない、ということだ。
当たり前のことである。
*
業務終了の頃になると、さすがにレジの扱いにも慣れてきた。 患者さんの顔色をうかがう余裕も出てくる。
顔色が違う。 医師の診察を受ける前と受けた後とでは微妙に顔色が違うのである。
これは、医師の立場では決して気付くことのない事柄だろう。 貴重な収穫だった。
それに匹敵するくらい―― レジの扱いをマスターしたことも収穫だった。
大学に入ったときに、四の五のいわず、コンビニでバイトしておけばよかった。 ちょっと後悔した。
もちろん―― 所詮は自己満足でしかないわけだが……。
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2005年6月20日 (月) |
サッサと寝ることにする |
早起きをしなくてはならないときに限って夜更かしをしてしまう。 なぜだろう?
子供の頃、遠足の前夜は寝付けなかった。 早く寝なければならないときほど、眠れない。
問題である。 さしあたり、今の僕には大問題である。 バナナがおやつに含まれるかどうかくらいの大問題である。
明日は早起きをしなくてはならない。 なのに、夜更かしをしている。
そういえば、今朝も早起きだった。 そして、昨夜は夜更かしだった。
(アホか?) と自分でも思う。
早く寝なければならないときに、きっちり早く眠れる人とは、いったい、どういう人なのだろう。
プレッシャーに強い人だろうか?
いや―― それは、おかしい。
プレッシャーに強い人はプレッシャーを楽しめる人だという。 楽しんでいたら眠れないに違いない。
では、プレッシャーに弱い人が眠れるのか?
そんなバカな―― わけがわからなくなってきた。
こんなことをウダウダと考えていないで、サッサと寝ればいいわけで……。
サッサと寝ることにする。
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2005年6月19日 (日) |
おかしなTシャツ |
昨日、アメリカ人の女性と話をしていたら、
――おかしなTシャツをみた。
と教えてくれた。 英語でプリントされたTシャツである。
――I like sleeping outside!(外で寝るのが好き!)
とあったらしい。 日本のTシャツには意味の通じない英語や間違ったスペルが目に付くという。 が、
――I like sleeping outside!
に違和感はない。それだけに、
――It's funny!(おかしい)
という。
残念ながら、僕には、そのおかしみがわからなかった。 少なくとも、他人に伝えたくなるほど「おかしい」ということはない。
英語というのが第一の理由だろう。 普通の日本人は、よほど堪能でない限り、英語を咄嗟に吸収するのは難しい。 頭だけの理解になる。
これが、もし、
――外で寝るのが好き!
と日本語で書かれてあれば、多少は違ったかもしれない。
もっとも、そのおかしみは単に物珍しさからくるような気がする。
日本では、日本語でプリントされたTシャツは珍しい。 圧倒的に多いのは英語だ。
アメリカでも英語のプリントが多いのだろうか? それとも、スペイン語や中国語などの外国語が多いのだろうか?
この女性によれば、
――英語が一般的だ。
という。ただし、
――漢字は多い。
ともいった。
漢字が多いのはTシャツに限らない。 例えば、筋肉ムキムキのオジさんが逞しい腕に漢字の入れ墨をしていたりする。そして、その意味が、
――kitchen
だったりして、思わず爆笑したことがあるそうだ。
たしかに、ムキムキの腕に「台所」とあったらおかしい。 「台所」ではなく「厨房」だったかもしれないが……。
この国では滅多に日本語のプリントをみかけない。 なのに、アメリカで英語が一般的なのは、なぜなのか?
――日本語は文脈(context)に縛られることが少ないからではないか?
と彼女はいった。 ここでいう文脈とは「状況」くらいの意味である。 例えば、Tシャツに英語で、
――Hot!
とプリントされていたとする。 そのTシャツを誰が着るかで「Hot!」の意味は変わる。 汗だくの人が着れば普通に「気温が高い」の意味になる。 が、若者が着れば「Sexy!」の意味になる。俗語としての「hot」には、そういう意味がある。
一方―― 日本語で「暑い」と書いても特段、面白くはない。
――ああ、暑いのね。
で終わる。 おそらく、誰が着ても、そうなるのではないか。そこに遊びはない。
若者が「Hot!」を着ると「Sexy!」になるといった。 おそらく、男性が着るか女性が着るかでも話は変わってくる。俗語の「hot」には「好色」という意味もある。 これだと「遊び」も、かなり際どい。
ともかく―― 日本語では文脈が意味を規定する前に、字面(漢字)が意味を規定する。それで、Tシャツのプリントには向かないのではないか――と彼女はいった。
その見方には一理あると思った。 たしかに、日本語は字面の自己主張が激しいようである。漢字自体がアピールするので、かえって興をそぐのかもしれない。 当然のことではある。漢字は表意文字なので……。
ところで―― 冒頭に紹介した、
――I like sleeping outside!
のTシャツだが、いったい、どんな人が着ていたのだろう?
彼女の感じたおかしみは、そこにあったはずだ。 それをこそ、きいておくべきだった。
若い女の子が着ていたのか?
けれど、それでは、いま一つおかしみが理解できない。 筋肉ムキムキのオジさんでも、そうだろう。
もしかして、ヨボヨボのお婆ちゃんだったのか……?
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2005年6月18日 (土) |
文芸に背徳は必要か? |
――文芸に背徳は必要だ。
というのが僕の持論である。 「背徳」というのは、簡単にいえば、法や道徳に反する行いのことだ。
この持論に強固に反対する人がある。
――あなたは「背徳、背徳」といいますが、本当に文芸には背徳が必要なんですか?
という疑いである。
それに対する僕の反論は、次のようなものだ。
まず、僕が、
――背徳を必要としている。
と感じるものは、文芸だけではない。 芸術全般がそうである。 絵画にせよ、彫像にせよ、楽曲にせよ、映像にせよ、およそ、あらゆる領域で背徳は必要とされている。
なぜかといえば、
――背徳を正面から扱い得るのは芸術くらいではないか?
と思うからである。
人の営みのうち、芸術に比し得るものを挙げるとしたら、
――学問、宗教、思想、政治、経済……
といったところか。 これら5つの営みのうち、背徳を懐深く取り込み得るのは、ほとんど芸術だけのような気がする。
もちろん、例外はある。 背徳を学問的に扱うことは可能だし、背徳は宗教心の裏返しともいえるし、背徳は政治的に厳しく律せられているし、背徳を経済活動に平穏のうちに取り込むことは可能だ。 つまり、背徳と無関係な営みなど存在しない。 が、背徳そのものを正面から担えるのは芸術だけではないか?
だから、芸術は背徳を必要としているように、僕には思えるのである。
もちろん、芸術は必ずしも背徳を扱わなくてよい。 扱いたくない人は、むしろ扱わないほうがいい。
――せっかく芸術に携わるのだから、他の営みでは扱いにくいものを扱うほうが得である。
というのは僕の個人的な意見に過ぎない。
ただし―― もし背徳に興味があるなら、扱ったほうがいいのではないか? 本当は興味をもっているのに――そして、割と深く芸術に携わっているのに――それを微塵も表に出さないというのは、何かもったいない気がする。
もちろん、余計なお世話だとは思うけれど……。
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2005年6月17日 (金) |
いい男の条件 |
いい男の条件は、
――女性の上司か部下がいる。
だそうである。
学生時代に先輩から伺った話だ。 「先輩」といっても20年以上も前に卒業された方だ。
そろそろ第一線を退かれる頃かもしれない。
そのような方だったので、詳しく突っ込むことができなかった。
心残りである。 酒の席なら、1時間でも2時間でも肴にできたネタであった。
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――いい男は、女性の上司か部下がいる。
というのは、実に様々な考察をかき立てる命題だ。 察するに、
――いい男は、女性の上司に用いられやすく、女性の部下を集めやすい。
という意味ではない。 おそらく、
――いい男は、女性の上司や部下と末永く巧くやっていく。
という意味ではないか。 女性が男を品定めをする視点で語った命題ではないかと思う。
「いい男」というと、つい「外見に秀でた男」と解釈されがちである。 とくに男たち自身が、そう解釈しがちである。
が―― 外見に秀でていても「いい男」とは限らない。 美男子であるということは直ちに、女性の上司や部下と巧くやっていく、ということを保証するものではない。 逆に―― 女性の上司や部下と巧くやっていく男は、たとえ外見がイマイチであっても「いい男」に違いない――そういうことである。
たしかに―― 女性の部下に慕われる男は、いい男だろう。 女性の上司に頼りにされる男も、いい男だろう。
こういうとき、女性は男の容姿を、ほとんど問題にしない。 少なくとも僕の目には、そうみえる。
かえって奇異に感じられるくらいである。 潔い。
その点、男はダメである。 僕も含めてダメである。
そういう場合であっても、男は容姿を多少は加味してしまう。
もちろん、大胆に加味するほど愚かな男は少ない。 目にみえないところで――心の底辺のレベルで――加味してしまう。
というわけで―― この話は「男」と「女」とを入れ替えると、成り立たない。
――いい女は、男性の上司か部下がいる。
はウソである。
ただし、
――いい女は、女性の上司か部下がいる。
は案外に当たっているかもしれない。 「いい男」の条件とは微妙に違った感じで当たっている。
つまりは、
――人の中身をみる目は、男よりも女性のほうが格段に厳しい。
と、いうことであろうか。
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2005年6月16日 (木) |
できることは、すぐに―― |
銀行というところは、いつも混んでいるところだと思い込んでいた。
実際は違う。 時間帯を選べば、相当にすいている。
今日は副業が午後からだったので、昼前に銀行にいってきた。
副業に間に合うためには12時過ぎの電車に乗らなければならない。 そのためには11時半までに銀行を出なければならない。
それなのに―― 銀行に入ったのは11時20分だった。
いつもなら30分は待たされるところである。 それなりに焦って銀行に入った。
ところが――
閑古鳥が鳴いている。 「ただいまの待ち時間」は、
――0人です。
とある。
「0人」なんて初めてみたよ……。
いつもは閉店間際にかけこんでいる。
閉店が午後3時―― かけこむのは大抵、午後2時半過ぎ――
その時間帯は、いつも混んでいる。 しかも月末なので、なおのこと混んでいる。
僕は物事をギリギリまで放っておく癖がある。 だから、銀行にいくのは決まって月末の午後2時半過ぎだ。
それが、いけなかったわけである。
――銀行は常に混んでいる。
と思い込んでしまっていた。
*
物事をギリギリまで放っておくのは考え物である。
銀行の用事程度のことならかまわないかもしれない。 が、大事なことまで放っておくのは考え物だ。
できることは、すぐにしておかなければ――
痛感しているのは、高齢の知人との別離である。 (まだ大丈夫だろう) などと思っていると突然、訃報が舞い込んできたりする。
*
先年――
大学時代にお世話になった先生と電車の中で鉢合わせになったことがある。 僕は副業に出かける矢先―― 先生も、どこかへお仕事に出かけるようなご様子だった。
座席が離れていたし、ご本を読んでおられたので、話しかけるのは、ためらわれた。 結局、一言も交わさないままに、お別れをした。
それから程なくして―― その先生の訃報に触れた。
電車の中で話しかけなかったことは、今も後悔している。
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2005年6月15日 (水) |
久々に文章をよんで心が動いた |
戦後、マンガが、
――子供向け。
のレッテルを剥がされ、
――大人もよむに値する。
と考えられるようになったのは1960年代後半だという。
1969年頃のこと―― 象徴的な事件が起こる。
――「少年マガジン」(講談社)の編集部に、夜中、一人の男がフラッと入ってきた。
その男がいうには、
――毎週マガジンを買っているが、書店も閉まって、今週号を買えなかった。売ってもらえないだろうか。
誰だ、こいつ、と思えば―― 作家の三島由紀夫だった。
以上は実話らしい。
(本当か?) と思う。
が―― どうやら本当のようである。
朝日新聞の文化欄の記事『戦後60年の透視図――第2部・イメージ空間2』で触れられている。 編集委員の四ノ原恒憲さんという方の筆による。
もっとも、四ノ原さんは伝聞だ。 評論家の夏目房之介さんが著書の中で述べられていることだという。
その夏目さんも伝聞である。 情報源は1969年当時の『少年マガジン』副編集長・宮原照夫さんという方だそうだ。
ここまでくると、ほとんど都市伝説である。 主人公は三島由紀夫だ。役者に不足はない。
とにかく―― 久々に文章をよんで心が動いた。
名文である。
もう一度、四ノ原さんの文章を、なるべく忠実に引用しよう。
*
69年ごろのことだ。「少年マガジン」(講談社)の編集部に、一人の男がフラッと入ってきた。 「毎週マガジンを買っているが、書店も閉まって、今週号を買えなかった。売ってもらえないだろうか」 作家の三島由紀夫だった。
*
最初の文で「一人の男」の正体が明かされない。 ここに命が宿っている。
編集部に夜中、ブラリと入ってくるような男は常軌を逸している。 (ヤバい男じゃないか?) と読者は思う。
が、三島由紀夫なら、 (さもありなん) だ。編集部だって大目にみるに違いない。
驚くのは、その三島由紀夫が、
――毎週マガジンを買っている。
と告白するところである。
(マジかよ?) と読者は度胆をぬかれる。
この二重の驚きを最後の一文がコンパクトに伝える。
――作家の三島由紀夫だった。
である。
情報の出され方に計算し尽くされた痕跡が漂う。 何度も何度も練られた文章ではないかと思う。
ところで―― この逸話は有名なのだろうか?
とりあえず僕は今日、初めて知ったのだが……。
現代大衆文化としてのマンガに、ある程度、通じている人ならば、この手の挿話は特段に驚くことではない。 昭和の文士が『少年マガジン』の『あしたのジョー』の愛読者だったとしても少しも不思議はない。
むしろ、このような挿話でマンガ文化の格上げをはからねばならぬほど、マンガには不当におとしめられている部分がある。
それはさておき――
名文とは、
――情報の出し方に優れている文である。
ということがいえるかもしれない。
ときには奇をてらわず、最初から順序立てて述べるのがいい。 この逸話のように、最後の最後で重大な鍵を落とすのもよい。
情報の適切な出し方は文脈が決定する。 それを的確に感じ分ける力が、名文家の条件かもしれない。
その感じ分けは、ときに論理に基づき、ときに直観に基づく。
最終的には嗅覚に根差した原始的プロセスではなかろうか。
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2005年6月14日 (火) |
夢は小さいほど良い |
夢は大きいほど良いというのは嘘である。 むしろ、
――夢は小さいほど良い。
先日―― そんな主旨の話を読んだ。
たしかに、 (そうだ) と思った。
世間では、しばしば誇大妄想の夢が丁重に扱われ過ぎることがある。
もちろん、小さすぎて夢中になれないような夢では意味がない。 少なくとも本人は夢中になれるものでなければならない。
そうであれば、どんなに小さくても構わない。
いや―― むしろ、小さければ小さいほどよい。 小さいほど、実現の可能性が高いからである。
夢は実現させるものだと思う。
一方で、夢は実現させられないからこそ良いという考えもある。 本当だろうか?
小学生が、アメリカのメジャーリーグのピッチャーを目指し、毎日、空き地で壁に向かってボールを投げているとする。 リトルリーグにも入らず、ただ一人、黙々と投げている。
小学生のうちはいい。 が、高校生になって、まだ学校の野球部にも入らず、ただ一人、黙々と投げている場合は、どうか?
大学生になっても、まだ投げていたら、滑稽である。 滑稽を通り越し、悲哀ですらある。
普通の人間なら、小学生だろうと大学生だろうと、メジャーリーグのピッチャーになれる可能性は、ほとんどない。 が、齢をくっている分、大学生のほうが確実に望みは薄い。
もし、夢は実現させられないからこそ価値があると考えるなら、空き地で壁に向かってボールを投げる大学生のほうが、よりメジャーリーグを目指す価値があることになる。
そんなバカなことはあるまい。
夢は、実現の可能性にこそ価値がある。
どんどん夢を実現させ、次々と夢を越えていけば良い。 夢は幾つあっても良い。
小学生には、
――メジャーリーグのピッチャーになれ。
というよりは、
――リトルリーグのレギュラーになれ。
というほうが良い。
――メジャーリーグのピッチャーになれ。
というべきなのは、日本のプロ野球かアメリカのマイナーリーグで頭角を表し始めたピッチャーである。
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2005年6月13日 (月) |
マル太・管理人モード(PC復活) |
PCが復活しました。
原因は、PC本体にではなく、電源アダプターにありました。 ケーブルが断線していたようです。
そういえば昨日、ケーブルを踏んづけました。 そのときに、何かのカドをこすったのかもしれません。
とにかく―― 原因が本体になかったことで救われました。 もし本体にあれば、復活まで一週間はかかるといわれました。
やれやれ――
*
ネット依存などといいます。 インターネットに精神的に依存することです。
ブログが大流行の昨今、にわかに注目され始めた概念だそうです。
たしかに、ブログなどをもってしまうと、ネット依存がきても不思議はありません。 自前のサイトは自分の分身みたいなものですから、しょっちゅう手入れをしないと気持ちが悪い……。
かくいう僕も昨日の夜から今日の夜までネットに接続できなかったわけですが、やはり落ち着きませんでした。
(こりゃあ、ネット依存だよ) と思いましたね。
ただし―― 今回はネットに接続できなくなったのではなく、PCが使えなくなったのです。 ちょっと事情は違ったかもしれません。
PCが使えなくなるということは、僕の場合、一切の執筆活動がストップするということですから……。
執筆は僕の本業です。 本業のストップは切ないですよ。
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2005年6月12日 (日) |
マル太・管理人モード |
いつも『道草日記』をご覧頂き、ありがとうございます。
PCにトラブルが発生しました。 とりあえず、トラブルが解決するまで『道草日記』の更新はお休みします。
なるべく早く復活したいのですが……。
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2005年6月11日 (土) |
100年後の宇宙旅行 |
みや〜んさん@ツーフォトンくんと100年後の未来について話をする。 100年後は宇宙旅行が当たり前になっているかどうか、についてである。
みや〜んさん@ツーフォトンくん(以下みや〜んさん)は、僕が去年の3月まで籍を置いていた研究室の大学院生である。 以前の『道草日記』にも何度か登場してもらっている。 4、5ヶ月に一度くらいの割合で一緒に映画をみにいく。
以前、『道草日記』を読んでもらって、
――みや〜んさん@ツーフォトンくん(仮名)
と書いてあったのを、
――これ、いいですね。仮名じゃなくてもいいですよ。
といってくれたので、今回から晴れて「仮名」がとれる。 「みや〜んさん」というのが日頃の呼び名で、「ツーフォトン」というのはみや〜んさんが頻用する特殊な顕微鏡装置の呼称である。
そのみや〜んさんと、夕飯を食べながら、
――100年後の未来はどうなっているか?
という話になる。 みや〜んさんによれば、19世紀にも同じ問題意識があったそうだ。 つまり、
――20世紀はどうなっているか?
である。 これが結構、当たっているという。 例えば、
――世界旅行が自由にできるようになっている。
とか、
――世界中の人々と瞬時に情報をやりとりできる。
とかいった類いである。 なので、
――きっと100年後は宇宙旅行が自由にできるようになっている。
という見方がある。 みや〜んさんは、こうした見方に懐疑的であった。 「ちょっと、そうなっているとは思えないんですよね」 と苦笑いする。
僕も賛成だった。
19世紀の人々が世界旅行に楽観的でいられたのは、既に当時から世界中に人類社会が散らばっていたからである。 それら無数の社会を結ぶことは大して難しくはない。
が、21世紀の僕らは宇宙旅行に楽観的ではいられない。 宇宙に人類社会が一切存在しないからである。 人類は既に1960年代に人を月面に送っているのに月面には、いまだに人々の暮らしの拠点がない。 この点を重くみるべきだと僕はいった。
僕は、宇宙旅行が当たり前になるまでには数百年ほどかかるように思う。 そうなる前に、宇宙に人類社会が形成されなくてはならないと思うからだ。 例えば、月面都市が形成されるまでに、あと100年は短すぎる気がする。
もちろん、何が起こるかわからない。
――人類が、ふえすぎた人口を宇宙に移民させるようになって、すでに半世紀以上が過ぎた。
とは、TVアニメ『機動戦士ガンダム』の有名なオープニング・ナレーションだが、そのような切羽詰まった状況が生まれれば、人類は僅かな期間で宇宙社会を形成させるに違いない。 が、今のところ、そこまで深刻な状況にはなっていない。
『機動戦士ガンダム』は1979年に発表された。 アメリカのアポロ11号が始めて月面着陸に成功した年から数えて、ちょうど10年である。 当時は、
――宇宙旅行なんて、すぐ!
という空気が支配的だったかもしれない。
が、それは誤りだった。 人類は本当の意味で切羽詰まってアポロ計画を発動させたのではない。 アメリカの国威発揚のため――というのが現実ではなかったか。
ちなみに―― 今日、みや〜んさんと一緒にみにいった映画は『機動戦士Zガンダム――星を継ぐ者』である。 『機動戦士Zガンダム』は前述の『機動戦士ガンダム』の後継番組で、1985年に発表された。 その劇場リメイク版だそうである。 先月から公開されている。
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2005年6月10日 (金) |
記憶は自己の存在を…… |
子供の頃、
――どうして僕は毎日この家に帰ってきて、この人たちを家族と思って、一緒に暮らしているんだろう?
と思ったことがある。
一度、思うと夜も眠れなかった。 だから、夜も寝ないで悩んだ。
いや―― 眠れない夜に悩んだ――が正しいか。
結局、
――記憶こそが大切である。
と、いうことに落ち着いた。 この家が自分の家であることを保証し、この人たちが自分の家族であることを保証しているのは記憶である。 記憶があるから「一緒に暮らしていけるのだ」ということである。
今日も似たようなことを考えた。 徹夜明けに散歩しながら考えた。
散歩を終えたら、自分のアパートに戻る。 当然である。 それが、
――なぜ、なのか?
を考えた。 答えは子供の頃と一緒だ。
――そこが自分の住まいであると自分の記憶が囁(ささや)くから――
他に適切な答えを思い付かなかった。
ところで―― 人は、次のどちらのケースが、よりショックだろう?
1)アパートに戻ってみると、そこはサラ地だった。 2)アパートに戻ってみると、そこは大火事だった。
僕なら、間違いなく、1)である。
だって、これが真実なら、自分の記憶が誤っているということである。 そんな真実を突き付けられたら、ショックは測りしれないだろう。
2)もショックには違いない。 が、この場合、失うものは住まいのみである。 自分自身まで失う恐怖はない。 そういう観点でみれば、かなりマシなショックといえる。
もちろん、本当に自宅が大火事になったら落ち込むとは思うけど……。
記憶は自己の存在を証明し得る唯一の足掛かりのようである。
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2005年6月9日 (木) |
詩 |
高校生か中学生の頃―― 少年マンガか何かをよんでいて、次のようなエピソードに出会った。
大柄で筋骨隆々のゴツイお兄さんがいる。 それとは別に、やはり筋骨隆々だが、ちょっと小柄なお兄さんがいる。
大柄なお兄さん曰く、 「オレの顔に泥を塗りやがって――このおとしまえを、どうつけてくれる?」
「す、すいません。指でも何でも詰めますから、どうかご勘弁を――」 と小柄なお兄さん――
すると、大柄なお兄さんの眼光が鋭くなる。 「そうか――『何でも』と、いったな?」 「へえ。何でもいたします」 と小柄なお兄さん――
「では、詩を書け」 「えー!」 「題は『僕の夢』とする」 「そ、それだけは……」 「何でもするといったろう?」 「あ、兄貴……」 「ペンネームは『星野ポエム』だ。それ以外は許さん」 「そ、そんな……」
ギャグマンガである。
どなたの作品かは忘れた。 絵柄の記憶すら満足に残っていない。 それでも全体の筋立てを覚えているのだから、よほど強烈な印象だったに違いない。
実は、このことは失われた『道草日記』で書いている。 たしか一番最初の『道草日記』である。
そこで僕は、
――このような揶揄の対象になりやすいのが詩だ。
みたいなことを書いた。
実際、人前で、
――小説を書いている。
とは告白できても、
――詩を書いている。
とは、なかなか、いいだせない。 少なくとも僕はそうである。
なぜか? 一つには、誰がよんでも素晴らしいと思うような詩は容易には書けないということであろう。 小説だったり、楽曲だったり、絵画だったりすれば、いくらかハードルは下がるような気がする。
詩は、芸の中でも特別なものではないか。
前述のギャグマンガで、もし小柄なお兄さんが素晴らしい詩を書いたら、どうか?
それだけで物語になる。 筋骨隆々のゴツイお兄さんが『僕の夢』というタイトルで、例えば誰かの人生観を劇的に変えてしまうような詩を書いたら、
――大事件
である。 そんなゴツイお兄さんの一大叙事詩が書けるに違いない。
優れた詩人は、それくらいに希だと思う。 多分、優れた小説家や作曲家や絵描きほどの数はいない。
小学校で詩を書かせる先生がいる。 もちろん、書かせてもいい。 詩が、いかに難しいかを教えるために、書かせるべきである。
稚拙な詩の称揚は避けなければならない。
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2005年6月8日 (水) |
『日本vsトルコ』のパッケージ写真 |
やけにあっさり……などというと怒られるだろうか。
サッカー日本代表がワールドカップ(W杯)ドイツ大会の出場を決めた。 マスコミを通じて関係者の話をきく限り、チーム内では、かなりの紆余曲折があったようだ。 が、八年前のフランス大会のときと比べると、
――軽々と出場を決めた。
という印象が拭えない。
もちろん、日本のサッカーファンにとっては良いことである。 いまの日本代表で主軸を成す世代は「黄金世代」と呼ばれ、前後の世代よりも一段レベルが高いとされる。 軽々と出場を決めるくらいでないと、2010年以降のW杯は相当に厳しいということになる。
まあ、将来のことは、どうでもよい。
差し当たりはドイツ大会である。 前回の日韓大会と同様、予選リーグを突破できるかどうかが鍵である。 前回は明らかにホームアドバンテージを活かしての突破であった。 当然、ドイツ大会にホームアドバンテージはない。 そこでの予選リーグも突破してこそ、日本サッカーのレベルの高さが証明される。
そして―― その予選リーグを突破したときに、ようやく、日本サッカーはスタートラインに立てるのである。 前回の日韓大会で逃したW杯決勝トーナメント初勝利を目指すスタートラインである。
あのとき、宮城のサッカーファンは特に悔しい思いをした。 日本は大方の予想を覆し、予選リーグを1位で突破した。 その結果、決勝トーナメント1回戦の会場は宮城スタジアムと決まった。 そして、トルコ代表と戦い、敗れたのである。
――宮城なんてヘンピなところでやるから……。
などといわれてショックを受けた宮城県民は少なくない。 宮城スタジアムの構造に問題があり、観客の声援が選手に届きにくくなっている、などともいわれた。 当時のフィリップ・トルシエ監督は、
――なんて酷いスタジアムなんだ!
と憤慨したとされる。 (あなたも悪いでしょう。予選リーグの良い流れを断ち切るような選手起用をしたんだから……) と腹が立ったことを思い出す。 トルシエ監督の選手起用への疑義が的を得ていたかどうかは、ともかくとして――
ところで―― 2002年の日韓大会のオフィシャルDVD『日本vsトルコ』のパッケージ写真を御存じだろうか? 『日本vsロシア』などの予選リーグのパッケージでは、日本の選手たちの歓喜の様子が収められているのに対し、『日本vsトルコ』のパッケージ写真は異彩を放つ。 写真のほぼ全面には宮城スタジアムのグリーンの芝生が広がり、右下の隅の方には円陣を組む日本代表の姿が小さく写っている。 おそらく、前半か後半開始直前の光景である。
この絵をパッケージにもってきたセンスが素敵だ。 他にも色々な絵が考えられたはずである。が、これをもってきた。 よい絵である。次回ドイツ大会に向けられた日本サッカー界の闘志が静かに伝わってくる。
今夜、日本代表がドイツ大会への出場を決めたとき、真っ先に思い出されたのは、このパッケージの写真であった。 あのときの宮城スタジアムで円陣を組んで何としても決勝トーナメント初勝利を勝ち取るんだと誓った日本代表の気持ちが、今の日本代表にも乗り移りつつあるように感じられた。
あの写真――本当にいい写真である。
特に宮城に住む者にとっては、心動く写真ではなかろうか。
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2005年6月7日 (火) |
正岡子規が死んだ |
正岡子規が死んだ。 先月のことである。
――何をバカな……。
と思われるかもしれない。
正岡子規とは明治の俳人・正岡子規のことである。 俳句や和歌に革新を起こし、日本語に言文一致体を定着させた文人として知られる。
もちろん、とっくの昔に亡くなっている。 没年は明治35年である。
実は―― 去年から、司馬遼太郎さんの小説『坂の上の雲』(文春文庫)を読んでいる。 全八巻の長篇だ。
長い小説である。 なかなか読み終わらない。
先月、ようやく正岡子規の最期の場面を読み終えた。 第三巻の冒頭まで、である。
実のところ、『坂の上の雲』は高校時代、本屋の立ち読みで済ませている。 もちろん、あらすじしか、つかんではいない。 立ち読みで全八巻を読破するなど無理である。
が、あらすじだけでも十分なことがある。 『坂の上の雲』の物語は、あらすじだけでも堪能に値する。
日露戦争で活躍した秋山好古・真之兄弟と、明治の俳人・正岡子規とが織り成す物語である。 子規と真之とは幼馴染みだ。 この二人を同列に語るところに『坂の上の雲』の特徴がある。 もっとも、子規は物語の前半で亡くなってしまう。
子規の最期は、真之の台頭と対比されるように描かれている。 子規が亡くなるとき、真之は希有の戦術家として海軍で頭角を表し始めていた。 そんな昇り調子の真之と入れ代わるようにして、子規の命は細っていく。 子規は結核に冒されていた。
子規の訃報を、真之は直には受け取れなかった。 出張中の横須賀線の汽車の中で、偶然にきく。 他の乗客の雑談として、知ったのだった。
司馬さんは、その乗客の雑談に割って入る真之に印象深い台詞をいわせている。
――シキとは正岡子規のことですか?
である。
子規は当時から著名な文人だった。 真之は海軍の英才として同僚たちには知られていたが、一般には無名であった。
そのコントラストが絶妙である。 この時点で、子規と真之とは世間の認知度に明らかな差があったということだ。
今日においても歴然である。 二人の差は、日露戦争での真之の軍功により多少は埋まったものの、逆転はしていまい。 大抵の日本史の教科書に正岡子規の名は出てくるが、秋山真之の名が出てくるものは少ない。
が―― 『坂の上の雲』の中では、子規の死後、優劣が逆転する。 真之の活躍が描かれていくのである。
司馬さんは、子規の死後、胸の内を正直に語っておられる。 作中で語っておられる。
――この小説をどう書こうかということを、まだ悩んでいる。
こんな文言を地の文に入れるところが、司馬さんの真骨頂である。
子規と真之との対比は計算の上のことではなかったのかもしれない。 それゆえに、かえって鮮烈な対比となった。
こうしたやり方を快く思わない読者もいるときく。 たしかに、小説の雰囲気は壊れている。
が、『坂の上の雲』の物語は壊れていない。 不思議なのである。
僕は『坂の上の雲』のあらすじを知っている。 それでも、なお、じっくりと読み直そうと思ったのは、こうした司馬さんの筆致を味わいたかったからである。
急ぐ必要はない。 ゆっくり、ゆっくり読んでいこうと思っている。
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2005年6月6日 (月) |
結婚式で「ご愁傷様でした」 |
今日は数学のお話から――(といっても高等数学ではありません。高校数学です)
三角関数の問題――
θの方程式 sinθ= 0.5 の解を求めよ
で、
sinθ= 0.5 ⇔ θ= 30°
と計算するのは誤りである。 正しくは、
sinθ= 0.5 ⇔ θ= 30°+ 360°× 整数, 150°+ 360°× 整数
と、計算しなくてはならない。 θに条件が与えられていないので、いわゆる一般角の概念で計算しないといけないのである。 高校数学のお作法である。
お作法は、少なくとも、それを常識としている人たちの間では、遵守したほうがいい。 高校数学では、特に断りがない限り、一般角で考えるのが「お作法」なので、必ず守るようにする。 「お作法」に反すると印象が悪くなる。 大学入試で答案の印象が悪いと、いつまでも大学生になれなかったりする。
以上のことを、先日、教え子に説いた。 予備校生の教え子である。
「お作法?」 と怪訝な顔をされたので、お作法の具体例を探す。 それで、咄嗟に思いついたのが結婚式と葬式――
「例えば、結婚式で『ご愁傷様でした』とは、いわないでしょう?」 と説いた。
すると―― 教え子はケタケタと笑いだす。 「それ、面白い」 と、いう。
何が面白いのか? 単に、
――葬式での言葉を結婚式でいうのは、お作法に反する。
と、いいたかっただけなのに……である。
10秒くらいして、教え子の笑いの意味がわかった。
例えば、結婚式で新婦に、
――ご愁傷様でした。
と、いうことは、
――こんな新郎と結婚するなんて、ご愁傷様でした。
という意味になる――そういうわけだった。
たしかに、それはおかしい。 新婦も腹を立てるに違いない。
そういえば―― 似たような逸話をきいたことがある。 日本語を勉強中の外国人が、結婚式に出て、誤って「ご愁傷様でした」と、いってしまったとか――
まあ、逆よりは、いいだろう。 葬式で「末永くお幸せに」は、かなり微妙である。 単なるうろ覚えでは済まされないかもしれない。
外国人の方はご注意を――
ところで―― もちろん結婚式で「ご愁傷様でした」は変なのだが、場合によっては意味をもつことだって、あるかもしれない。
例えば、新郎が物凄くプレイボーイで、若い頃から散々に遊んでいて、最近になって、ようやく初恋の新婦と結婚することになった――っていうシチュエーションを考えよう。 このとき、新婦のいないところで、新郎に向かって、
――ご愁傷様でした。
と、いうなら、案外OKかもしれない。 いわゆる、
――年貢の収めどきだな。
というヤツである。
もちろん、逆でもいい。 新婦が物凄くプレイガールで……ってなシチュエーションでも、同じようにOKかもしれない。
ところで―― 新婦と新郎と入れ替えるだけで、イメージが変わる。
新婦がプレイガールの場合は、かなりコミカルに感じるのだが、これって僕が男だから?
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2005年6月5日 (日) |
「ジワジワ」と「スパッと」と |
死は、ジワジワと迎えるのがいいのか、スパッと迎えるのがいいのか?
簡単には結論の出ない問題だろう。
一見、スパッと迎えるほうが良いように思える。 が、「スパッと」ということは「死の準備を何一つすることなく」ということでもある。 死を実感することなく死ぬことなのかもしれない。
よく考えてみると、これは相当に残酷なことではないか。
*
学習塾の経営をやっている元教え子がいる。 今夜、彼と会ってきた。
席に着くなり、開口一番、
――教え子のお母さんが亡くなった。
という。 「教え子」というのは、彼の教え子である。 まだ高校生だ。
「お母さんとは、つい先週も電話でお話したんですよ。ごく普通の話でした。はかないと思いましたね」 と彼はいう。
たしかに、はかないと僕も思った。
高校生のお母さんである。 歳がいっていたにしても、まだ50代後半だろう。
脳卒中だったという。 まさに「スパッと」の死の典型といえる。
こうした死は残酷だ。 突然すぎて残酷だ。 例えば、亡くなったお母さんは、自分の子供が、この先どのように生きていくのか見当もつかないままに亡くなったのではないか。
もし、これが「ジワジワ」の死――ある程度は予想された死――だったら、どうか? 例えば、癌などで余命一年と宣告された上での死だったら、どうか?
自分の子供の行く末をみることなく死ぬ点は同じである。 脳卒中で死のうと癌で死のうと、そこに違いはない。
が、余命一年と宣告された上での死とは、一年前から、おおよその死期がわかっていた、ということである。 それくらいの時間があれば、あれこれと想像を巡らせることはできる。 自分の子供が、自分の死後、どのような人生を歩むのか、幾つかシナリオを描く余地はある。
突然の死は、そうした余地すら与えない。 想像するチャンスすら与えないのである。
まさに、
――気付いたら死んでいた。
である。
忘れてならないことは、その際に「気付いたら」の主体は、おそらくは消えている、ということである。 自分の死に気付くことは原理的に不可能である。
つまり、「スパッと」の死は、その本質が、
――気付いたら死んでいた。
であるにも関わらず、そのことにすら気付けないのである。
「ジワジワ」の死であれば、少なくとも、
――自分は間もなく死ぬのだな。
ということには気付ける。
*
ふた昔くらい前、がんの告知は今日ほど一般的ではなかった。 今では、むしろ告知しないほうが奇異である。
この変化は、死に気付けることの喜びが理解され始めた証ではないかと僕は思っている。
もちろん、死を目の前に突き付けられるのは気分の良いものではない。 が、人間は、いつか必ず死ぬのである。 これまでに死ななかった人間は一人もいない。
そのことを思い出すとき、「ジワジワ」の死の価値が明らかになる。
もし、世の中に死ぬ人間と死なない人間とがいるのだったら、「ジワジワ」の死は悲惨なだけである。 「スパッと」の死のほうが良いに決まっている。
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2005年6月4日 (土) |
サッカーの不思議な魅力(前編) |
マナマの悲劇――にならなくて良かった。
昨日のサッカー・ワールドカップ(W杯)アジア最終予選のバーレーン戦である。 日本代表チームは、一部の悲観論を覆し、敵地マナマで劇的な勝利を収め、W杯ドイツ大会の出場権を大きく手繰り寄せた。
*
実をいうと、サッカーは嫌いだった。 やるのも、みるのもイヤだった。
最大の理由は野球少年だったことだろう。 サッカーを扱った某アニメ番組の過剰演出に辟易していたことも大きい。
それが決定的に変わったのは、1993年のアメリカ大会アジア最終予選である。 ドーハの悲劇で知られる最終予選だ。
伏線はあった。 1990年のイタリア大会である。
当時、サッカーは国内ではマイナースポーツだった。 が、世界では超メジャースポーツだった。 その事実を思い知ったのが、この年である。
――オリンピックを凌ぐ規模
と知ったときは正直たまげた。 オリンピック以上の祭典があるとは夢にも思わなかった。
サッカーが今日ほど浸透していなかった頃である。 世間はサッカーW杯などに関心はなかった。
NHKがコアなサッカーファンのために実況番組を放映していた。 それをみた。 決勝トーナメントの準々決勝か準決勝あたりだったと記憶している。
プレーの質などはわからない。 僕を圧倒したのはスタジアムの雰囲気だった。 日本のプロ野球では考えられない数の観客がスタジアムに押し寄せていた。
――日本が出場していないというのは淋しいですね。
実況アナウンサーのこぼした言葉が心に残った。 たしかに、 (淋しい) と思った。 世界には、こんなに華やかな祭典があるのに、日本はカヤの外だと感じたからである。
ドーハの悲劇の3年前だった。
*
――もしかしたら日本の初出場かもしれない。
と知ったのは1993年の春頃だった。
当時、日本サッカー協会は、代表チームの監督に外国人のハンス・オフト氏を登用した。 初めての試みだった。
この起用が当たった。 日本代表は破竹の勢いでアジア杯を奪取―― 余勢をかって、翌年のアジア最終予選に進出――本大会の出場権に片手がかかっていた。 アジアの強国・韓国を真剣勝負の場で初めて敗ったのも、このときである。
が、日本の初出場はならなかった。 最終戦のロスタイムに痛恨の同点ゴールを喫し、日本代表は本大会への切符を逃した。
*
僕にとってのドーハの悲劇は、さらに救いようがなかった。 最終戦の夜、日本の初出場のことを気にかけつつも、なぜかTV中継を見逃したのである。
いまにして思えば、執念が足りなかった。 サッカー好きになって間もなくの頃だった。まだ本当の意味ではファンになっていなかったのかもしれない。
だから、僕にとってのドーハの悲劇は翌朝の新聞の一面であった。 選手たちが座り込んでいる白黒写真である、 その光景を突き付けられ、僕は日本の逸機を知った。
逸機のニュース自体も衝撃的ではあった。 が、さらに衝撃的だったのは、その逸機の場面をリアルタイムで目撃できなかったことである。
(後編へ)
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2005年6月4日 (土) |
サッカーの不思議な魅力(後編) |
(前編より)
記事の一文は、今でも鮮明に記憶している。
試合終了後、日本の一部のサポーターたちが気勢をあげたらしい。
――アメリカ大会はダメだったが、フランスがある! 4年後を目指し、また応援しよう!
ということだった。 が、その声に応じたサポーターの数は僅かだった。 残りの大半は肩を落とし、無言だった。
(4年は長過ぎる……) との思いからだった――
これを読み、僕自身も4年の長さを思い知った。 うっかり見逃したばかりに、あと4年も待たなくてはならない。
これが笑い話にならなかったのは、当時の僕の境遇が関係する。
この年、僕は予備校生の2年目だった。 いつ終わるとも知れぬ受験戦争の真っ最中である。 僕の周りには4年も5年も浪人している受験生が、たくさんいた。 (このまま4年たっても大学にいけないのではないか?) などと思った。
それで―― 僕は、自分が無意識の内に自分自身をサッカー日本代表チームに重ねあわせていたことを知った。
その日本代表がW杯の出場を逃したのである。 他人事には思えなかった。
*
1997年、日本はW杯初出場を決める。 いわゆるジョホールバルの歓喜である。
このときのイラン戦を観戦したTVは、今も僕の目の前にある。 当時、僕は大学4年生だった。 3年に一度しかない特別な大学祭の実行委員を務めていた。
その夜、友人たちは実行委員会室でTV観戦をした。
僕は一人、アパートに帰った。 僕自身のドーハの悲劇を取り戻すためにである。
勝っても負けてもいい。 1993年のあの逸機を、一人で取り戻したかった。
それまでにも、日本代表の大一番ゲームは、できるだけ一人でみると決めていた。 友人とみることも、家族とみることも、恋人とみることもしなかった。 誰かと一緒にみるくらいなら、みるのをやめたいとさえ思った。
そんなバカげたコダワリから解放してくれたのが、ジョホールバルの歓喜だったわけである。 予備校生だった頃の自分と本当の意味で決別できたのが、このときだった。 大袈裟な意味などでなく、本当にそう思う。
ドーハの悲劇をリアルタイムで目撃できなかったことが、よほど悔しかったのだと思う。
*
だから、僕にとってのサッカー日本代表は今でも、ハンス・オフト氏率いるオフト・ジャパンである。
ジーコ・ジャパンは強すぎる。 トルシエ・ジャパンも、また然り――
過去は永久に失われることで、いつまでも光り輝く。
オフト・ジャパンはアメリカ大会のピッチに立つこともなく、僕の知らないところで敗れ去ったがゆえに、僕の中では最高のエンターテイナー集団となった。 あれほどまでに入れ込んだチームは他にない。
オフト・ジャパンが残した結果は淋しいものだった。 が、そこまでのプロセスは最高のエンターテインメントだ。
負けても良質の興行が成る。 サッカーの不思議な魅力である。
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2005年6月3日 (金) |
勝っても負けても楽しもう! |
サッカー・ワールドカップ(W杯)アジア最終予選が始まる。 明日の未明のことである。 未明といっても、あと数時間後のことだ。
現在、午後11時半――
今日は、20代、30代の人たちを中心に、どうも落ち着きがない。 「サッカー、1時半からだよね?」 「うん」 「今夜はヤバいっしょ」 「そう? なんとかなるんじゃない?」
負ければ、本大会出場が遠のく。 大一番である。
まあ、負けたっていい。 所詮、ゲームだし……。 滅多にないワクワクドキドキを楽しめばよい。
勝っても負けても最高のエンターテイメントである。
*
――サッカーは戦争である。
と、いう人がある。
――サッカー観戦では「ワクワクドキドキ」などとノンキなことをいっててはいけない!
と、いうわけだ。 が―― 僕には、よくわからない。
――サッカーは戦争である。
とはどういうことか?
サッカーW杯はスポーツ大会である。 文字通り、サッカーの試合をし、勝敗結果でW杯を奪い合う。 純然たるスポーツ大会である。
もし、これが本当に戦争なら、どういうことになるか? どういうことが起こるのか? 戦争にルールはない。 万難を排し、W杯を奪えばいい。 人を傷つけるのはもちろん、殺すことだって構わない。 何しろ戦争なのだから……。
2006年のW杯はドイツで開催される。
開催と同時にドイツ国土は各国の代表チームで溢れるだろう。 おそらくは重火器装備の代表チームである。
そういうのを軍隊という。
ドイツの各都市には、各国の精鋭師団が駐留することになる。
例えばアメリカは、かつて湾岸戦争のときにそうしたように、50万の大軍を駐留させるかも知れない。 フランスは精強な外国人部隊を展開するだろう。 イギリスも、ありったけの特殊部隊を繰り出すに違いない。
ドイツはどうするか? きっとW杯を死守するべく、堅牢な縦陣を築くに違いない。
国土は荒廃する。 多くのドイツ国民が戦火に巻き込まれるだろう。 かつての世界大戦で、そうであったように……。
日本はどうするか? とりあえず、自衛隊でも派遣するのか?
――自衛隊は軍隊ではない。
などという異議は、お決まりだ。
――自衛隊のいるところが非戦闘地域になる。
などという人も出てくるに違いない。
何しろルールがないのである。 予選で敗退したチームも強引に出場しようとするかもしれない。
――我々の出場を認めなければ核兵器を開発するぞ!
とダダをこねる小国だって出てくるかもしれない。
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もちろん、こんなバカな方法でW杯を奪い合おうとする人などいない。 サッカーは戦争ではないからだ。 厳しいルールに則ったスポーツである。
――サッカーは戦争である。
という人は、もちろんレトリックのつもりだろう。
が、戦争を少しでも真剣に学んだ者ならば、そんなレトリックを用いる気にはなるまい。
戦争の実態を甘くみるべきではない。
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2005年6月2日 (木) |
ラブストーリーは数学で |
僕は数学が好きである。 好きだけれど、嫌いでもある。
ナニわけわからんことを――と思われるかもしれないが、まあ、ちゃんと理由はある。
僕が数学を好むのは、学校での数学の勉強が、それほど苦にはならなかったということである。 高校1、2年のときにつまづきかけたが、その後で持ち直し、大学受験期には得点源の一つだった。 そういう意味で「好き」である。
が、一方で数学を毛嫌いしているところがある。 嫌いなのは数学の純粋虚構性である。 大学に入り、高等数学を真剣に勉強する気にならなかった要因は、それである。
数学に縁のない人にはサッパリのことだと思う。
数学の純粋虚構性とは、例えば、数学で定義される様々な概念――数とか図形とか――が、人間の空想の産物に過ぎないということである。
例えば、
――パンを3個ほしい。
というとき、「3」という数字は必ずしも虚構とはいえない。「3個のパン」という存在は十分に現実味を帯び得る。
では、
――パンを3分の2個ほしい。
という場合はどうか。 もちろん、「3分の2個のパン」というのは、パンを3等分し、その3等分したもののうちの2つを指すのであろう。
が、真の意味で3等分にすることなど、できようか? 仮に人の肉眼ではキッチリと3等分にされたようにみえても、精密な秤(はかり)で測定すれば必ずや誤差がある。 秤の精密さにも限度がある。0.1gまでしか計測できない秤に0.01gの誤差は検知できない。
しかし、数学の世界では、このような現実は意に介さない。
――真の意味で3等分され得る。
と平気で考えるのである。 肉眼の曖昧さとか、秤の精密さの限度とか、誤差の処理などは考えない。 実際には無視できないにも関わらず、それを考えないように申し合わせるということである。
これが数学の純粋虚構性である。
これが嫌で、僕は数学者になろうとは思わなかった。 今でも、ならなくて良かったと思っている。 多少なりとも現実に触れていないと、不安になる。
もちろん―― 数学の世界で元気に頑張っている学者さんは尊敬する。 自分に向かないということと、それを生業にしている人への敬意とは別である。 純粋虚構の世界で常に面白い発見をし続ける数学者は、ただ者ではない。
実は―― 「数学の純粋虚構性」などというから話が難しくなる。
純粋虚構自体は、そんなに珍しいものではない。 恋愛小説や恋愛ドラマが、そうではないか?
よく考えたら、 (あり得ないだろう!) と思うようなシチュエーションで、よく考えたら、 (そんなヤツいねえよ!) と思うような恋人同士が、愛を語り合う。
そんなラブストーリーだって、うまくツボにはまれば、十分に人の心を打つのである。
純粋虚構性をナメてはいけない。 虚構は純粋であるがゆえに十全の美を備える得るのである。
その点で、数学とラブストーリーとは、よく似ている。
これをいうと吹き出す人が多いのだが――
僕はラブストーリーに触れるとき、数学のことを思い出す。 少なくとも、小説書きの視点でラブストーリーを分析するときは、そうである。 物語の中に、数学的な感性で分け入っていく。
つまり―― 恋愛小説や恋愛ドラマの脚本を必死に書いている作家の姿は、大学の研究室で数学の観念世界を必死に練り上げている学者の姿と重なるのである。
ラブストーリーは数学で――
そんなに的外れな着眼ではないと思うのだが……。
まあ、うがちすぎか――
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2005年6月1日 (水) |
血は水よりも濃いか? |
――血は水よりも濃い。
という。 「血」は血縁関係を、「水」は非血縁関係をさす。
本当だろうか?
人が亡くなったときのゴタゴタの話などをきいていると、にわかには信じられない。 遺体の埋葬も済んでいないうちから遺族同士の争いが始まる――そんな話も特段、珍しくはない。
――血は争えない。
ともいう。
これは本当だろう。 血縁関係は切っても切れない。
が、血と水との濃さは自在に変化する。 血縁関係の不断性と、血縁関係の濃密性とは別問題である。
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――水は、ときに血よりも濃くなることがござりまする。
という言葉をきいたことがある。 武蔵坊弁慶の言葉である。
史実ではない。 15年ほど前に、TVドラマの中できいた話だ。
武蔵坊弁慶に扮する里見浩太郎さんの言葉だったと記憶している。
武蔵坊弁慶は、今から800年ほど前に活躍したとされる人物だ。 源義経の股肱として知られる。 源義経は鎌倉幕府の創始者・源頼朝の異母弟である。
義経は、兄・頼朝の兵に追われつつ、それでも、どこかで肉親の情にすがろうとしてしまう。 そんな主君を諭した言葉が前述の台詞である。
――どうか鎌倉殿(頼朝)のことは御放念下さりますように。殿(義経)には我々がおるではありませんか。
くらいの意味であったと思う。
この台詞、当時はチャチにきこえたものだ。
が、いま振り返ると凄みがある。 要するに、
――「肉親の情は無条件だ」という幻想を捨てなさい。
と、いうことである。
肉親の間には自然と情がわく、などという考えは幻想に過ぎない。 肉親が熱い情を交わしあえるのは、いつも一緒にい、同じことに関心をもち、同じように感じ、考えるからである。 そうした関係を省略してしまえば、
――水が血よりも濃くなる。
のは、むしろ当然であろう。
この台詞を、義経の肉親ではない――ただの従者に過ぎない――弁慶が放ったところに重みがある。 普通に良識を備えた者ならば、このような言葉を、肉親以外の相手に気安くいうことはあるまい。 そんな良識を踏みにじってしまうくらい強い衝動に駆られた、ということである。
この葛藤に気付かなければ、弁慶の台詞が薄くきこえるのは当然である。 15年前の僕がチャチく思ったのも、うなずける。
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人が亡くなったときに、遺族が醜く争うところは、できればみたくない。
とはいえ、 (それをいっちゃ〜、おしめ〜よ) ではないか。
(みたくない) というのは、傍観者の我が儘に過ぎないのではないか。
争うほうとて、好きで争っているわけではあるまい。 相応の理由があるから争うのである。 肉親だから仲良くして当然という考えは、捨てなければならない。
こういうと誤解する人がいる。
仲良くしている人たちが肉親同士であるのは自然なことだ。 肉親同士が仲良くするのも自然であろう。
が、仲良くしている人たちが常に肉親とは限らない。
同様に、肉親が常に仲良くしているとは限らない。 努力次第で仲良くできるとも限らない。
成否は当事者同士が決めることである。 部外者が口を挟むべきことではない。
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