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道草日記

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 2005年1月31日 (月) 青い顔の中学生
 今朝、電車に乗ったら、いつも大量にみかける高校生の姿がみえず、かわりに青い顔の中学生の姿がチラホラ目についた。

 仙台では、明日から私立高校の一般入試が始まるという。
 入試の下見か推薦入試の発表なのか――

 真相は知らないが、とにかく青い顔の中学生を、たくさんみかけた。

 通常は、高校入試が人生の最初の関門である。
 ナーバスになるな、というほうが無理だろう。

 僕も高校入試で、やたらに緊張したことを覚えている。
 死ぬかと思った。

 しかし、大学を卒業する頃には、すっかり試験慣れしていた。

 たくさん受けてきたからなあ……。

 大学時代、
「きみらは、まだ若いんだから、頑張って試験勉強しなさい」
 という教授がいた。

 あまりの脳天気に腹が立ったので、その場で噛み付いた。
「『若い、若い』とおっしゃりますが、こと試験に関する限り、僕たちは、もう若くはありません。むしろ、老成し過ぎています。出題意図を的確に見抜き、ときには出題ミスさえ喝破します。試験がゲームであるということを熟知しています」

 現在、大学の教授職にあるような人たちが受験生だった頃は、受験産業がいまほどには成熟・肥大化していなかった。

 昨今の受験産業は、

 ――試験はゲームである。

 を前提に成長してきている。
 今日の受験ノウハウ本の氾濫など、彼らには予想すらできないことなのであろう。
 あるいは、認めたくない事実というか……。

 試験に脅されなくても学べる力が、真の学力である。
 よく、

 ――試験がなくなったら誰も勉強しないよ。

 などと笑う教員がいる。
 そういう教員は多分、自分に真の学力がないのだろう。
 試験にしか通用しない学力が全てだと思っている。

 そういう人は、ストイックに勉強する根性には優れているが、学んだことを実践的に活かす力が弱い。
 例えば、自分が学んだことを上手に人に伝えられないのである。
 だから、何も学んでいないに等しい。

 そういう教員は学生に酷い学び方を強要する。
 自分もそうだから、酷いとわからない。

 真面目な学生が、そういう教員のコピーになってしまう。
 かくて縮小再生産の教育スパイラルに突入する。

 試験は百害あって一利なし――と思う。

 僕は試験が得意だ。
 受験テクニックを伝授する仕事を副業の一つに選んでいる。
 だからこそ声を大にして訴えたい。

 試験は悪である。
 まやかしの学習効果しか、もたらさない。

 むろん、そのまやかしが必要なことも事実である。
 真に学ぶ力が備わっていない人は、そのまやかしを足掛かりに、学ぶことの楽しさを覚えてもらうのはよい。

 要するに試験は必要悪なのである。

 だから、のめり込んではいけない。
 試験を課すほうは、なおさらである。

 以上は資格試験の話だ。

 が、選抜試験でも本質は同じである。
 まやかしの学習効果をもたらすという効能の他に、受験者の序列化に必要な効能を付け加えているに過ぎない。

 必要悪である事実は動かない。

 青い顔の中学生には、まず、そういうことを理解して欲しい。
 そうすれば、いくらかは気が楽になるのではないか?

 まあ、無理かなあ。
 2005年1月30日 (日) ガタガタ騒がず教えればいい
 昨日、最近の『道草日記』で文句ばかりいっている、と自戒したばかりだが、今日も文句から――

 ――「米作」は読めないだろう。

 何の話かというと――

 文部科学省所管の財団法人に総合初等教育研究所というのがあるらしい。
 その研究所が、今月の27日に発表した調査結果のことである。
 二日前の新聞に出ていた。

 調査は2003年の5月、6月に実施された。
 小学校で学ぶ全ての漢字について、その習熟度を測るというものである。
 対象は全国の1万5千人の児童だった。

 例えば、「三日月」を「さん日月」と読んだり、「川下」を「川した」と読んだりした児童がいたそうである。
 ちなみに、「みかづき」と正しく読んだ児童は17%、「かわしも」と正しく読んだ児童は18%だったという。

 他にも、

  「折(おり)をみて」→「せつをみて」(10%)
  「肥(こやし)をやる」→「ひをやる」(6%)
  「戸外(こがい)」→「と外」(17%)

 などである(括弧内は正しく読んだ児童の割合――以下同じ)

 調査では、漢字の読み方だけでなく、書き方もテストしている。

  「後悔」→「公悔」(11%)
  「交代」→「交対」(9%)
  「細心」→「最心」(12%)
  「綿密」→「面密」(11%)
  「尊ぶ」→「達とぶ」(3%)
  「一糸乱れぬ」→「一志乱れぬ」(6%)

 などである。

 中には「落書き」を「楽書き」(33%)と書いた子もいたらしく、思わず、

 ――おもしれえ!

 と唸ってしまった。
「楽書き」は楽しそうである。

 他にも、

  「赤十字(せきじゅうじ)」→「あか十字」(43%)

 とか、

  「試(こころ)みる」→「ためしてみる」(21%)

 とか、

  「食が細(ほそ)る」→「食がこまる」(14%)

 とか――

 真剣に答えた児童には申し訳ないが、やはり笑ってしまう。

 とはいえ――
「米作」は読めないだろう。

 これを「べいさく」と読める人が、いったい、どれくらい、いるのか?
 僕は読めなかった。

 ――なに? 人名? ヨネサクとか?

 ってな具合である。

 ちなみに、児童の正答率は1%――0%ではなかったという。
 僕は小学生以下の漢字能力しかないらしい。

「米作」を教えるなら、まず「稲作(いなさく)」からだろう。
 少なくとも僕は「米作」より遥かに頻繁に見聞きする。

 要するに、上記の正答率の低さは、漢字の問題というよりは、語彙の問題である。

「赤十字」を「あか十字」と読んだ児童は、例えば、日本赤十字社のことを知らなかったわけである。

 仕方ないだろう。
 知らないんだから――
 ガタガタ騒がずに、その都度、すぐに教えれば済むことである。

 どんなに教養のある人でも、思い違いや学び落しは必ずある。
 その実態を甘くみている人は、十中八九、教養のない人だ。

 若干(じゃっかん)を「わかぼし」と読んだ大学生がいたそうである。
 とある高偏差値大学の医学部の学生だった。

 周囲の医師や教員たちは、その場で学生を嘲笑したそうだが、その同じ医学部の教授で、相殺(そうさい)を「そうさつ」と読んだ人もいる。

 知識など、そういうものである。

 冒頭のような調査結果は、大人が子供を愚弄するネタにはちょうどいい。  
 が、日本語教育の実態精査という観点からみれば、無力である。

 真に実態を精査したいなら、文章作成力をみることだ。

 例えば、親宛に手紙を書かせるといい。
 その手紙に何人の親が心動かされるのか?
 その割合こそ、日本語教育の実態を反映していると思う。

 たとえ実の親が相手ではあっても、人の心を動かすことは容易ではない。
 それができる子供は優れた日本語の使い手である。
 2005年1月29日 (土) 英語教育のねじれ
 外国の人とお話をしていると、ときどき、

 ――へえ〜!

 と思うことがある。
 心の底から、そう思う。

 中学1年のときの英語テストで「土曜日(Saturday)」が綴(つづ)れなかった。

 ――曜日が綴れないなんて!

 と怒られた。
 まるで、

  1+2=5

 としたかのように、怒られた。

 それ以来、綴りを覚えるのがイヤになった。
 いまでも、綴りを覚える努力はしていない。

 白状すれば、上記の Saturday も辞書で調べた。
 和英辞書なら一発だが、あいにく手元に和英辞書はなく、仕方なしに英和辞書で調べようとしたら、えらい時間がかかった。

  Sartaday

 とか、

  Sutarday

 とかで引こうとしたのである。

 ところが――
 英語のネイティブ・スピーカー(native speaker)にいわせると、それでいいのだという。
 綴りの長い言葉は、実は彼らも正確には覚えていない。
 正確に覚えているのは、最初と最後、あるいは、でっぱりやへこみだけだという。
 それで困らない。

 例えば、Saturday の場合でみると――
 最初と最後というのは、S と day のことである。
 でっぱりやへこみというのは、S が a、u、r よりも上に突き出ているとか、yだけが下に突き出ているとかいうようなことである。

 こうしたことは正確に覚えている。
 が、他はそうでもない。

 だから、手紙などを書くときは、いちいち辞書で確認することも珍しくないという。

 もちろん、Saturday に関してのみならば、この限りではない。
 英語圏で暮らしていれば Saturday は、しょっちゅう目にする言葉だろう。
 ほとんどのネイティブ・スピーカーが綴りを正確に覚えているはずである。
 僕だって覚えるでしょう。英語圏に1年も暮らせば……。

 つまり、綴りというのは、頑張って練習帳で覚えるものではない、ということである。
 たくさんの英文を読んだり書いたりすることで自然と覚えるものである。
 中学校のテストで Saturday の綴りを覚えさせる暇があったら、少しでも多くの英文に触れさせるべきであろう。
 むこうの幼稚園児が読むような絵本で構わない。

 いまの日本の英語教育指針によれば、僕の英語力は中学1年相当である。Saturday が綴れないので……。
 でも、日本語を喋れないネイティブ・スピーカーと、英語の綴りについて、上記のようなやり取りが交わせる程度には英語を操れる。

 どう考えたって、おかしいでしょう?

   *

 最近、『道草日記』で文句ばかりいっている。
 今日も文句になってしまった。

 よくないな。

   *

 ちなみに、今日、このことを教えてくれたネイティブ・スピーカーは、ロバートさん(Robert)という。
 英会話学校の先生だ。

 歳は、僕と同じくらいか、やや若い。
 頭脳明晰な方で、日頃、僕らが感じている疑問に明解に答えてくれる。

 ちゃんと考えて答えてくれる。
 質問をすると、必ず数秒は考えてくれる。

 こういう対応のできる人というのは、高い教養があり、優れた知性の持ち主だそうだ。
 何かの本で読んだことがある。

 そんなロバートさんでも、綴れない言葉がたくさんある。
 僕が綴れてロバートさんが綴れない、という言葉も稀にある。
 僕が知っていて、ロバートさんが知らない文法事項なら、たくさんある。

 先日も、

 ――あなたの文法の知識は凄い。

 と呆れていた。

 これも、典型的なねじれ現象だ。
 文法の知識がいかに役に立たないか?

 ロバートさんが僕より遥かに洗練された英語を操るのは明らかである。
 2005年1月28日 (金) 頼まれもしないのに……
 頼まれもしないのに始めたことは何物にも代えがたい。

 いつだったか、若いジャズ・ピアニストがTVに出て、

 ――この歳で夢中になれるものに出会えて幸せだった。

 と、いった。
 トーク番組か何かだった。

 その人は、十代半ばでジャズに出会ったという。

 もちろん、出会ったというのは、単にジャズという音楽のことを知ったというのではあるまい。

 ――これを一生の生業としたい!

 と強く思ったということだろう。

 たしかに、そのようなものに十代で巡り会えるとは、とびきりの幸せに違いない。

 ただ、僕は、その若いジャズ・ピアニストもさることながら、そのご両親が、とてつもなく偉かったのではないかと思う。

 子供は、本当は、みんな、そういうものに出会っているのではないか?
 世の多くの子供たちは、二十歳になるまでには、みんな、そういうもの―― 一生の生業に、と決心できるもの――に出会っているのではないか?

 ただ、その出会いに気づいていないだけではないのか?

 家庭の教育で最も肝要なのは、子供が興味を自発的に抱いたのか、強制されて抱いたのかを的確に見抜くことだという。

 僕は、子供のときから色々なことをやらされた。
 そして、それらのことに一応の興味をもった。

 勉強、水泳、クラリネット、ボーイスカウト活動、野球、科学研究――
 数え上げたらキリがない。

 しかし、いま当時を振り返って断言できる。
 そのいずれも、自発的に興味を覚えたのではなかった。
 すべて母親の押し付けだったのである。

 そのことに気づくのに、随分、時間がかかった。
 気づくまでは非常に苦しかった。

 気づいたら楽になった。
 ただ、親の愛とは、こういうものかという理解だけが残った。

 小説を書くということは、実は押し付けられたのではない。
 母が、これを読んだら「違う」というだろう。

 たしかに、一部は当たっている。
 母は僕に、
「作文を上手になりなさい」
 と、いったのである。

 絵画や音楽には特別な才能がいる。
 でも、文章なら経験次第で書けるようになる――そういうことだった。

 しかし、次の年の夏には、僕は作文が嫌いになっていた。
 夏休みの読書感想文は死ぬほどイヤだった。

 小説書きは違う。
 母から、
「小説を書きなさい」
 と、いわれたことは一度もない。

 子供の頃から物語ばかりを作って遊んでいた。
 夜、寝る前の時間が、そうである。
 寝床に入って新しい物語を考える――それが密かな楽しみだった。

 大抵は道徳的に問題のある物語である。
 人が大量に殺されるとか、あるいは、もっと、えげつないヤツ……。

 とにかく――
 僕の場合、物語作りは頼まれもしないのに始めたことである。

 それに気づいたのは、いつのことか?

 恐ろしいことに、なんと30歳になった直後であった。
 くだんのジャズ・ピアニストに遅れること10年以上である。

 まあ、人生って、そんなものだろう。

 母には、それがわからない。
 この歳で僕が迷い始めたと思っている。
 母にしてみれば、せめて父のような安定した学者業に就いて欲しかったのだろう。
 本当は、霞ヶ関や法曹界の住人になってほしかったようだが……。

 僕の高校や大学の同級生たちの多くは、そういう世界に生きている。
 今後、社会の要職を締めていく予定の者が多い。

 正直にいえば、僕が自分自身の物語作りのことに気づくまでは、そういう連中を羨んでいた。
 心の底から羨んでいた。

 いまは、そうでもない。

 本当に、そうでもない。
 不思議と、そんな気持ちが湧いてこない。

 これが一番、嬉しい。

 もし、十代で、こんな気持ちになれる人がいるとしたら、その人は間違いなく幸せである。
 くだんのジャズ・ピアニストが、そうだったろう。

 僕は、結構、時間がかかった。
 それでも嬉しい。
 将来の展望はかなり暗いが、それでも僕は幸せだと、心の底から思っている。
 2005年1月27日 (木) 歌姫の美
 深夜のTV番組をみていたら『笑』が流れていた。
 笹川美和さんの2003年のヒットナンバーである。

 それで思い出したのが、知り合いの女の子である。
 13年前に知り合い、それきりになった女の子だ。
 僕と同い年――ということは、当時、18歳だった。

 彼女が興味をもった男性が僕の友人だった。
 それで、色々と相談に乗っていた。

 誤解を恐れずにいえば、そんなに可愛い女の子ではなかった。
 むしろ、18の割には大人びてみえた。
 皆からは、
「年増(としま)」
 と呼ばれていた。
「――ひどいなあ」
 などと、こぼしつつ、それでも、それを自分の話題に組み込む度量があった。

 そんな彼女が、僕の友人の前では――つまり、彼女が気になっていた男性の前では――なぜか、とても可愛らしいのである。

 僕からみても、そうなのである。
 およそ別人の気がしてならなかった。

「彼の前では容姿も三割増しだね」
 と、からかうと、
「うるさい」
 と笑った。
 意外そうな顔をみせたから、僕の言葉に、びっくりしたのかもしれない。

 その子とは、それきりである。
 いま、彼女が、どこで何をしているのか、その後、彼との仲がどうなったかは、知る術がない。

 そればかりか、この10年、そんなことがあったことすら忘れていた。

 で――
 今日、深夜のTV番組で笹川美和さんの歌唱シーンをみて思ったことは、13年前の彼女をみて思ったことと、ほぼ同様だった。

 非礼千万ないい方になるが、敢えて、いわせてもらえれば――
 例えば、広告の写真にうつっている笹川さんや、TVカメラの前でトークしている笹川さんは、特に美しいというわけではない。
 少なくとも僕の目には、そうである。

 もちろん、笹川さんが、若い女性が普通に持っている美しさを備えておいでのことは間違いない。
 が、それが度を越しているわけではない。

 ところが――
 なぜか、唄を歌っておられる時の笹川さんは、度を越して美しい。
「三割増し」どころの騒ぎではない。菩薩のような神々(こうごう)しさをも身に纏う。

 この美は、いったい何に由来するのか?

 わからない。

 僕らは、よく、

 ――内面の美しさが滲み出る。

 などという。
 極めて安直にいう。

 たしかに、それはそうには違いないが、その「滲み出る」の本態は何なのか?

 女優がスクリーンで輝く仕組みに通じるようではあるが、それとは、どこか異質であるようにも思う。

 単に、受け手の問題なのかもしれない。
 僕の女性をみる目が変化している、ということである。
 つまり、僕の女性の見方が、広告の写真をみる時やトークをみる時と、歌っているところをみる時とで、質的に変化している可能性がある、ということである。

 美の創成メカニズムは、その美を感じとる側の主観に支配される。
 ある人にとっては淫らで粗暴で猥褻な女体写真が、ある人にとっては慈愛に満ちた聖母像にみえるということが、あり得る。
 美は、人の主観に絡めとられて初めて実効をもつ。

「歌姫」という言葉がある。
 いまや若い女性歌手をプロモーションするスローガンとして、すっかり定着した感がある。

 この言葉――
 嫌いではない。

 ただし、率直にいわせてもらえれば、若い女性歌手の誰にでも当てはまる言葉ではないように思う。
 歌う前から美しい女性に、この言葉を用いたくはない。
 歌う前は平凡かもしれない女の子――でも、ひと度、歌い始めると、どこまでも光り輝く女の子――そういう女の子を「歌姫」と呼びたい。

 笹川美和さんは歌姫である。

 ご本人が、これを読まれたら、気を悪くされるかもしれないが……。
 2005年1月26日 (水) 今日は久々に
 今日は久々に小説を書いた。

 遊び心たっぷりの小説である。
 ほとんど自己満足のためといってよい。

 こういう小説は、書いている分には気持ちがよい。
 だから、その意味では大変に結構なのだが、書き終わってみると何だか虚しい。

 やっぱり、小説は、読んで理解し、心を動かしてくれる人がいてこそ、小説なのだと思う。

 大学に入りたての頃、

 ――小説は、書かれただけでは完成しない。人に読まれて初めて完成する。

 との言葉をきき、反発を覚えた。
 かなり偉い作家さんの言葉ではあったのだが、当時の僕の心には届かなかった。
 書く人が、自分の喜びために書く――そういう小説があっても、いいのではないかと思った。

 今ならわかる。
 コムズカシイ理屈はいらない。
 やはり、自己満足のための小説は、どこか不健全なのだ。
 人は、人に伝えたいものがあるからこそ、小説を書くのだと思う。
 もちろん、いつも小説で伝える必要性があるわけではない。随筆でもいいし、評論でもいい。

 けれど、人が小説を書くときは、やはり小説で伝えるに適したものを伝えようとしているはずである。

 どうせなら多少なりとも健全な小説を目指そうではないか――
 平たくいえば、そういうことである。

 今日の作品は、いずれ、このサイトで発表しようと思う。
 今のところ、とくに、どこかに提出するつもりはない。
 作品の主題上、提出したくても提出できない。
 逆にいえば、このサイトに載せるくらいしか、日の目をみる可能性がないというわけだ。

 というわけで、これから念入りに推敲をしないといけないのだが……。
 その時間が、とれそうにない。
 明日から、また忙しくなる。
 2005年1月25日 (火) 無題(前編)
 一昨日の夜、ネットカフェでメールをチェックしていたら、携帯電話が振えた。
 妹からだった。

 妹からの電話は珍しい。
 用があっても大抵はメールで済ませてくる。
 それが、電話である。

 気になった。

 すぐにカフェの外に出て、かけ直すことにした。

 しかし、出ない。
 のっぴきならぬ変事かと思った。

 7、8回のコールの後、ようやく妹が出た。
「どうした?」
 と切り出すと、
「最近、おかんと連絡とれてる?」
 と、きいてくる。

「おかん」とは「お母さん」の意である。
 西日本の人たちは、よく用いる。

 僕と違い、妹は岡山の中学・高校に通い、大学も京都だったので、すっかり西日本の人間である。
 結婚した今も山口県に住んでいる。

 妹によれば、母が最近、電話に出ないという。
 携帯電話をコールしても通じない。
「ワンコールで切れてしまうんよ」
 と不安そうにいった。

 母は若い頃から血圧が高く、時々、狭心症らしき症状を訴えている。
 いつ倒れても不思議はない。
 そうした危険性を念頭に置いてのことだろう。

 父が亡くなった後、母は岡山で一人暮らしをしている。

 ――お父さんが亡くなったのに、お母さんを一人にしてるの?

 と、年配の人には怒られるが、故のないことではない。

 母は気難しい人である。
 実子といえども、気安く同居はできない。

 それは母もわかっているらしく、同居は要求してこない。
 母は母で子供たちは気難しいと思っている。
 よくできたものである。

 僕は、母が電話に出ない真相を知っていた。
 前日、たまたま母から電話があった。職場からだった。
 いつもは携帯電話なので不審に思っていると、
「携帯が壊れた」
 と、いう。充電ができなくなったのだそうだ。

「なんだ、そういうことか」
 と妹は安堵し、すぐに電話を切った。

   *

 次の日、母の職場に電話をかけた。
「珍しいわね」
 と皮肉をいわれた。

 たしかに、珍しい。
 用がないのに僕から電話をすることは、まずない。

 母との話は大抵、深刻になる。些事が、すぐに事件になる。
 気楽な世間話ができない人だ。会話を楽しむという発想がない。

 だから、電話はしない。
 直に会っても、極力、話はしない。したくない。

 不孝とは思うが仕方がない。本心である。
 正直、母と距離をとるようになってから楽になった。

 それでも、この日、母の職場に電話をかけたのは妹のためである。
 心配していた妹への配慮を促すためだった。

 それくらい、母との関係は上手くいっていない。

 このことは親族の間でも噂になっている。
 先日も、母方の祖母から手紙が来て、

 ――お母さんを大事にしてあげて下さい。

 と、いわれた。

 祖母にすれば、母は娘だ。
 老境に達した我が子の行く末が心配なのであろう。
 親心ではある。

 とはいえ、

 ――子の行く末を孫に頼む……?

 とは、何だか不思議な話である。
 孫が僕くらいの年齢では当然なのか?
(後編に続く)
 2005年1月25日 (火) 無題(後編)
(前編より)
 ちなみに、母と祖母との間柄も微妙である。

 祖母は叔母夫婦と同居している。
 母は長女で、叔母が次女だ。男の兄弟はいないから、本来は母が祖母の面倒をみるべきで、事実、二人の同居の話は何度も持ち上がった。

 が、その都度、立ち消えになっている。
 これも、故のないことではない。

 事情は、妹の一言、
「あの二人も、相当、仲が悪いでぇ!」
 に集約される。

 その祖母に、

 ――お母さんを大事にしてあげて下さい。

 と、いわれてしまった。
 思わず考え込んでしまう。

 何年か先、僕にも子供ができ、その子と仲が悪くなれば、やはり同じ目にあうのだろうか?
 母から、僕の子供に、

 ――お父さんを大事にしてあげて下さい。

 とメッセージが届くだろうか?

 そうはなりたくない。

 母も同じだろう。

 だから、このメッセージのことを母には伝えていない。
 まさか、祖母が、そんなことを考えているとは夢にも思うまい。

 少し考え、気が付いた。

 杞憂である。
 母が、僕の子供に、

 ――お父さんを大事にしてあげて下さい。

 とメッセージを送ることは、まず、あり得ない。

 母は今年で63である。
 仮に今、僕に子供ができたとしても、その子が今の僕の年齢になる頃に、母は94である。
 母が、そこまで長生きをするとは思えない。

 孫の成人をみせられそうにない――というだけで、多分、十分に親不孝である。
 が、心から申し訳ないとは思えない。

 母には優しくなれない。
 母には有意義なことを教えられたが、余計なことも沢山、教えられた。
 それが許せない。

 ――お母さんを大事にしてあげて下さい。

 という祖母の言葉に、素直に、

 ――はい。

 と、いえない自分がいる。
 否定しようのない真実の自分である。

   *

 先日、とある大組織のトップの方と、お近づきになった。
 おそらく、50代の方である。

 その方は、お母様と仲が良い。
 優に80を越えるお母様である。

 お母様ご本人が同席されている場で、
「母には今でも、しつけられています」
 と、お笑いになった。

「お母様と仲良よくされる秘訣は何ですか?」
 と、お尋ねすると、
「言い付けを守ることでしょうね」
 と、これまた、お笑いになる。

 僕には無理だと思った。
 2005年1月24日 (月) 心を柔軟に保つには
 笑いは眠りくらいに大切なことではないかと、ふと思う。

 つまり、心が笑いを求める動きというのは、心が眠りを求める動きと同じくらい重要なことではないか、ということだ。

 心が眠りを求めるとは、どういうことか?

 文字通りの意味である。
 よく「体が睡眠を求める」などという。それとは少し違った意味で、心は眠りを求めているように思う。

 以下は学術的にはデタラメな話である。
 これと近い議論がされているかどうかも知らない。

 ヒトの脳は睡眠中に記憶の生理をしているという話がある。以前の『道草日記』でも触れた。

 脳には様々な情報が入力される。
 朝に起き、その日の夜に眠りにつくまで、五感を経て、ありとあらゆる種類の情報が脳に入力される。

 朝食に飲んだ味噌汁の味覚――
 午前中の職場に漲っていた緊張感――
 昼食時に窓越しに見上げた空模様――
 午後の会議の議論の焦点――
 夕闇の街を練り歩く人々の話し声――

 数え上げたらキリがない。
 そうした入力情報を整理し、適宜、不要なものを切り捨て、必要なものは補い――そうやって自身の記憶装置の中に情報を再配置しているのが睡眠時だという。

 記憶装置の初期化と呼んでも、いいかもしれない。
 ゴチャゴチャに散らかっていた情報が整頓されるという意味での初期化である。情報を消去するという意味ではない。

 これと同じような作用が笑いにもあるのではないか?
 つまり、初期化の働きをもっているのではないか、ということである。

 ヒトの感情は毎日、刻一刻と変化している。

 朝食に飲んだ味噌汁で心が満たされ――
 午前中の職場の雰囲気に心が押しつぶされ――
 昼食時に見上げた空模様に不安を感じ――
 午後の会議で興奮激高し――
 夕闇の街の人々の話し声に安らぎを覚え――

 そういう感情の履歴を初期化しているのが笑いではないか。

 誰しも、心から笑えれば楽しい。
 その笑いの種が、どんなにつまらないことであっても楽しい。

 きっと、なぜ笑うのか、ではないのだ。
 いかに笑うか――
 これがヒトには重要なのだ。

 そのように笑い、楽しい気分に浸ることで、ヒトは感情の履歴のねじれをほぐしているように思えてならない。

 だから、笑わない人というのは感情の履歴が、どんどん、ねじれていく。ねじれにねじれ、次第に断ち切れそうになる。

 こうして心は病んでいく。
 しまいに経ち切れるケースも出てくるだろう。

 もちろん、こうしたメカニズムだけで心の病気の発症が説明できるわけではない。そんなつもりは、さらさらない。
 ただ何となく、そう思う、というだけの話である。

 笑いに積極的でありたい。
 常に笑おうとする努力を怠りたくない。

 心を柔軟に保つには、それが最も簡単なように思う。
 2005年1月23日 (日) 千年後の未来
 先ほど、品揃え十分の郊外型スーパーマーケットにいってきた。
 売り場面積の数倍はあろうかという巨大駐車場付きのスーパーマーケットである。

 普段は何気に見過ごしがちだが、信じられないくらいの物量である。
 食料品、日用雑貨品、衣類、寝具――

 もちろん、現代日本は様々な病根を抱えてはいるけれど、ああしたスーパーマーケットの光景をつぶさに眺めていると、基本的には、呆れるくらい豊かな社会であるという事実を受け入れざるを得ない。

 もちろん、こうした物量は、災害や戦争が起これば、あっという間に損なわれるものではある。
 たしかに現代日本は豊かだが、決して未来永劫、絶対的に安泰――というわけではない。

 事実、昨年、地震や台風などに見舞われた地域では、こうした物量が当たり前でなくなった。
 あくまで薄氷の上に乗っかった安泰である。

 そんなスーパーマーケットの売り場を巡って思った。
 この光景を、例えば千年前の日本人がみたら、何と思うだろうか?

 千年前といえば平安期である。
 藤原道長とか紫式部とかの時代である。

 一般庶民はもちろん、最高級貴族であっても、このスーパーマーケットの豊かさを直ちに理解することは、不可能ではないだろうか?

 一部の特権階級を除けば、過酷な時代であったはずである。
 毎日毎日、身を粉にして働き、ようやく物が食べていけた時代だ。

 その食べ物が所狭しと積み上げられている。
 眼前の光景の意味が、にわかに飲み込めないに違いない。

 ――千年前の人間がスーパーマーケット?

 と訝る向きも多かろう。
 なぜ、こんな空想に耽ったかというと、昔、こんな疑問を抱いたことがある。

 僕らは千年後の未来を、どんな風に理解するだろうか?
 いや――
 正確には千年後の未来を、どれくらい理解できないだろうか、ということである。

 幼少時からSFに親しんできた。
 だから、こういう疑問を抱いたのだと思う。

 ――人間、便利には、すぐになれるさ。

 と父はいった。
 僕が小学生のときである。
 父の前で無邪気に、

 ――平安時代の人たちが今の世の中にやってきたら大変だろうね。

 と笑ったときだった。

 父のいった通りかもしれない。
 藤原道長にせよ紫式部にせよ、その他、数多(あまた)の民にせよ、スーパーマーケットの便利には、すぐに慣れるだろう。
 レジの仕組みも、すぐに理解するに違いない。
 人間の理解力は、そういう点では優れている。

 ただ、どうだろうか?
 あのスーパーマーケットの豊かさを、僕らが当たり前と思うレベルで、当たり前と思えるだろうか?
 つまり、僕らが、あの膨大な物量に慣れ親しんでいるという事実を、実感できるか、ということである。

 おそらく、無理なのではないか?

 ――この時代の連中は、どこか変だ。

 と思うのではないか――

 僕らが千年後の社会に放り込まれたときに覚える違和感というのは、多分、そうした通念レベルでの違和感であろう。
 表層のテクノロジーには、すぐに慣れるに違いない。

 千年前の人間には巨大スーパーマーケットが待っていた。

 千年後に僕らを待っているものは、何であろうか?
 残念ながら僕には想像もつかない。
 2005年1月22日 (土) 凍結路面でツイ〜!
 凍結路面に手を焼いている。
 車を運転するときである。

 毎日、車を運転するような人であっても、

 ――冬タイヤの常備は当たり前でしょ。

 というわけではない地方の方にはピンとこない話かもしれない。

 仙台では冬タイヤが必須である。
 雪が降るということもある。
 が、とくに雪がないときでも冬タイヤは手放せない。
 たとえ、雨でも、その後に大気が冷え込み、路面が凍結すれば、ノーマル・タイヤでは話にならない。
 冬タイヤに切り替えても、運転には細心の注意を要する。

 凍結路面は無気味な輝きを放つ。
 何ともいえない、まだら模様の輝きである。
 単に濡れているときの輝きとは凄みが違う。

 その輝きの真ん中で急ブレーキを踏むと、車体はスピンする。
 簡単にスピンする。

 既に実体験済みである。
 もし、あのとき対向車が来ていれば、僕は今ごろ、ここにはいない。

 が――
「凍結路面に手を焼いている」といったのは、そのことではない。

 最近は凍結路面にも慣れた。
 初心者ドライバーに凍結路面の危険性や対処術を、さかしげに解説しているくらいである。

 では、何に手を焼いているのか?

 実は、最近、凍結路面をみると、

 ――ツイ〜!

 と車体を滑らせたくなって、困っているのである。

 子供の頃、凍っている水たまりの上でスケートの真似事をした。
 あのときに衝動に似ている。
 滑れそうなところは滑ってみたい――そういう欲求である。

 無気味な輝きを放つ路面をみると、血が騒いでいけない。
 つい、怪我をしない程度に、

 ――ツイ〜!

 と滑ってみたくなる。

 もちろん、「怪我をしない程度」に抑制するなど無理な話に違いない。
 一歩、間違って死亡事故――ってなことになる公算が大である。

 だから、

 ――ツイ〜!

 と滑ったりはしない。

 でも、いつか理性が負けるかもしれない。
 そのときは運を天に任せるのみである。

 どうか運転中、僕の理性が負けませんように――
 2005年1月21日 (金) ボケーと過ごす時間
 ここのところ、やけに忙しい。
 しかも、本業でないところで忙しい。

 本業で忙しいのなら本望なのだが……。

 僕は自分の本業を文筆だと思っている。
 が、ほとんどの人は認めてくれない。

 まあ、そういうものだろうと思っている。
 別に悲観はしていない。

 ただ、忙し過ぎるのが、少し気になっている。

 いまから十年ほど前、二年に及ぶ予備校生活が終わり、大学生になったときに、痛感したことである。
 忙しいということと、毎日が充実しているということとは、違うということだ。

 とりわけ子供の頃は、そうである。
 生の実態がわからない子供にとって、日々を忙殺されることは限りない不幸のように思う。

 もちろん、それが幸せだと、思わせることはできる――

 僕が、そうだった。
 朝から晩までクラブ活動や勉強に勤しんでいれば、それが充実の証だと思わされていた。

 どういう教育を受けているかに、よるのである。
 いまの僕は、そんな生活が「充実している」とは決して思わない。

 子供だろうが、大人だろうが、1日のうちで、ボケーと過ごす時間は貴重である。
 それを認めたがらない大人が、

 ――ボケ―と過ごすことは悪だ。

 と神話をつくり、子供に押し付けているように思えてならない。

 もちろん、一家の働き手にはボケ―と過ごす贅沢など許されないだろう。
 だから、大人にとっては「ボケー」は悪かもしれない。

 でも、子供は違う。
 いくらでもボケ―と過ごさせたらいい。
 子供のうちに、することが何もない恐怖というものを、是非、味わってもらうといい。

 そうすれば、人生を真剣に生きようとする意欲も湧いてくるのではないか。
 いまの子供は、忙しすぎるのである。

 僕は、人生の重大な岐路での決断は、ボケーと過ごしているときに下してきた。
 正確には、ボケ―と過ごした直後に、である。
 丸二日、何もしないで昼寝する。そして、三日目の朝に決断する――みたいな感じである。

 どうやら、僕は、ボケーと過ごすことで積極性や創造性、生産性が向上するタチのようである。

 だから、気になっている。
 ここ一、二ヶ月ほど、やたらと忙しいことが気になっている。

 そろそろ、ボケーと過ごす時間を確保したい。
 2005年1月20日 (木) 人に期待しない
 人に期待しない。
 それが人に優しくなるための第一歩である――という結論を得たことがある。
 大学時代に同級生と議論したときだった。

 人に期待するのは危険である。
 期待すると、どうなるか?

 例えば、その人が良い働きをしたとする。
 期待していたのだから、
「それぐらいできて当然だ」
 と思う。
「当然」と思っているから感謝の言葉も出づらい。

 逆に、その人が失敗したとする。
「期待していたのに失敗するなんて!」
 と思う。
 期待があった分、失望は大きい。かえって辛く当たるかもしれない。

 だから、人には期待しないことである。
 人に優しくしようと思うなら、なおさらだ。
 期待しないからこそ、ちょっとした功績にも感謝できる。
 ちょっとした失敗にも目を潰れる。

 そんな話を、今日もした。
 年上の女性と、である。
 僕の母親と同年配の方で、何十人という部下をお持ちの方である。

 人は期待しないに限る――という話に、
「そういうものですかねえ」
 と首を傾げられた。
 おそらく、この方は今日まで、部下に期待することで組織を束ねてこられたのだと思う。

 それでいい。
 リーダーシップの取り方などに正解はない。
 もちろん、僕なりのスタンダードというものはある。しかし、それは、せいぜい僕がリーダーシップをとるときのスタンダード――というに過ぎない。

 リーダーシップは難しい。
 自分がリーダーになっても難しいし、リーダーについて行くときも難しい。

 それで思い出したのが、児玉源太郎のことである。
 日露戦争で作戦指令に関わった陸軍参謀である。
 二〇三高地の戦いを勝利に導いた名将として知られる。

 たしか司馬遼太郎さんのエッセイだったと思う。
 児玉は、良き部下であり、同時に良き上司でもあった、と――

 手元に資料がないので、多少、不正確かもしれない。
 承知で言及する。

 日露戦争開戦当時、児玉は台湾総督だった。
 ロシアとの戦争が不可避とみるや、児玉は、あえて、それまでの自分の地位を降格させ、僚友の部下になることで、作戦参謀の実務を担当した。
 同時に台湾総督の官職は手放さなかった。有能な部下を選び、統治の概要方針を明示し、実務を一任した。

 どちらかだけなら、小物の感も拭えない。
 が、児玉は、これらを同時に実行したのである。

 司馬さんが児玉源太郎を高く評価した理由は、そこにあった。

 史実は知らない。
 僕は歴史家ではない。

 ただ、もし、そのような人が実在したのであれば、その人は徹底して自分を突き放していた人なのだと思う。
 どういう状況で、どういう人物と一緒なら、自分は良き上司となれるのか――良き部下となれるのか――
 それを熟知する人物である。

 きっと、上司にも部下にも同僚にも期待しなかったに違いない。
 自分にも期待しない。

 だからこそ優しくなれる。

 表面的には冷淡かもしれない。
 が、根っこのところで優しくなれる。

 そういう人物ではなかったか?

 大学時代に、この話で僕と意気投合した同級生は、その後、どうなったか?

 上下関係に極めて厳格な職場を選び、大学を巣立っていった。
 当時からそうだったが、いまも、おそらく、そうだろう。周囲の人間には、まったく期待していないはずである。
 だから、そういう職場も怖くない。

 僕はどうか?

 実は、僕は、その同級生ほどには割り切れていない。
 やはり、つい人に期待してしまう。

 期待するのは損だと思っていても、期待する。
 だから、ときに根っこのところで優しくなれない。

 問題だと思っている。
 しかし、いかんともしがたい。

 今日、僕にお話し下さった女性も、そうなのかもしれない。
 既に何十年も前に、同じ感慨に至っておられたのかもしれない。
 2005年1月19日 (水) 編曲のサジ加減
 よい物語とは、歌謡曲のようである。
 歌謡曲のように調和がとれている。
 主旋律と伴奏とが複雑にからみ合い、一定の秩序をつくり出す。
 そのメカニズムが小説にもある、ということだ。

 伏線のことである。

 物語は、いかに伏線を張って本線を際立たせるかに、全てがかかっているいってもよい。

 しかし、伏線は難しい。

 試みに、主旋律を無視して歌謡曲をきいてみるとよい。
 伴奏だけに耳を傾けると、意外な調べがきこえてくる。
 主旋律だけでなく、伴奏も高度に工夫されていることがわかる。

 おそらく、よい物語も、そうである。
 伏線だけを拾っていくと意外な展開がみえてくる。
 深みのある物語ほど、そうだろう。

 問題は、そのように洗練された伏線を、いかにして張るのか、ということである。

 明瞭に意識し、綿密に計算しても巧くはいかない。
 合成物の臭いがする。

 といって、無意識のうちに、いかなる計算もなしで、というわけにはいかない。
 そのサジ加減が難しい。

 だから――
 歌謡曲の編曲家に会うことがあったら、是非、一度ききたいと思っている。
 編曲のサジ加減を、どうしているのか?

 高校時代、僕が興味を持った女の子は、作曲や編曲を手掛けている人だった。
 絵や詩も書く人で、同じ文芸クラブに所属していた。

 クラブで発表する冊子の製本に関係することで、もめ事を起こした。
 つまらないことだった。

 それで、その人との交流は、それきりになっている。

 わだかまりは水に流し、是非、きいておくべきだった。
 編曲のサジ加減を、どうしていたのか――

 卒業後13年も経ったいまとなっては、取り返すべくもない。
 2005年1月18日 (火) 言葉は変わっていく
 新年の挨拶を、

  あけおめ!
  ことよろ!

 などと景気よく短縮してみせると、人によっては、白い目で見返してくる。
 やはり、まだ、市民権は得ていないらしい。

 もちろん――
 ここでいう「あけおめ」とは、

  あけまして、おめでとうございます

 の略で、「ことよろ」とは、

  今年も、よろしくお願いします

 の略――である。

 リズムがいいので、最近では年配の人も使うようになった。
 もちろん、親しい間柄だけであろうが……。

 そのうちに、

  ありござ(=ありがとうございます)

 とか、

  どもすみ(=どうもすみません)

 とかも、使われるようになるのだろうか? ――そんな揶揄が、数日前、新聞マンガのネタにされていた。
 さすがに感謝やお詫びの言葉が4文字に短縮されるのは、いき過ぎだろう。
 新年の挨拶が気にならないのは、既に十分に形式化されていたからに違いない。

 とはいえ――
 言葉は変化していくものである。
 その変化に、いい意味も悪い意味も付与したくはない。

 ――ただ変わっていくものなのだ。

 ということである。

 識者の中には、いまでも時々、

 ――その言葉の使い方は間違っている!

 と息巻く御仁がある。
 その方は、どうも言葉はコントロールできるとお考えらしい。
 そもそも言葉が自然発生したものだということをお忘れのようだ。あるいは、無視しようというのか……。
 若い人の言葉の乱れをいちいち指摘して歩くのは、無駄な努力に思えてならない。

  あけおめ!
  ことよろ!

 で結構ではないか。

 来年は僕も使ってみよう。
 2005年1月17日 (月) 記憶は壊れる
 学生時代に通ったレンタルビデオ店が取り壊されていた。

 閉店になったのは3、4年前のことだったと思う。
 近くにできた大規模店の攻勢に押され、結局、盛りかえすことができなかった。
 品揃えが多くもなく、少なくもなく――の中規模店だった。

 とうの昔につぶれていたとはいえ、その店鋪が、いざ瓦礫の山になったところをみせられと、やはり、哀しくなった。

 かつて僕は、この瓦礫の中で、ビデオケースを手にとり、まだみぬフィルムの物語に思いを馳せていたわけである。

 わかっている。

 命あるものは、いつかは途絶える
 形あるものは、いつかは壊れる。

 諸行無常の響きあり――

 それはよい。

 ただ、できれば、壊れていくところはみたくない。
 自分の記憶まで壊れていきそうで、不安になる。

 事実、今日、壊された店鋪をみていたら、かつての店鋪の面影を思い出すことができなくなっていた。

 何度も通った常連だったのに……。

 記憶は忘れられるだけではないらしい。
 ときに、こうして壊れていくものでも、あるらしい。
 2005年1月16日 (日) 明日の僕を保証するものは
 明日の僕を保証するものは何もない。
 明日、僕は交通事故で死ぬかもしれない。
 大地震が起こって死ぬかもしれない。

 もちろん、普段は、そういうことを考えない。
 明日も明後日も、その次も――自分は普通に生きていけると思っている。

 だから、平気な顔で暮らしていける。
 昨日の『道草日記』のようなお気楽な文章も書ける。

 年末のスマトラ島沖地震やその津波がもたらした災害ニュースに接し、改めて、いかに人類文明の基盤が脆弱であるかを痛感した。
 人間は簡単なことで生を奪われる。
 か弱い生き物である。

 スマトラ島沖地震は外国の出来事であったが、あのような大惨事が、いつも外国で起きるとは限らない。
 ちょうど十年前の明日、神戸を大地震が襲った。
 阪神淡路大震災である。

 6000以上の人々が、やはり、簡単なことで命を奪われていった。
 あの日、生を不意に途絶された人々は、前日に、その死を予感していたのだろうか?

 おそらくは、していまい。

 死は、突然にやってくるとき、残虐になる。
 心筋梗塞や脳卒中での頓死を良しとする人もあるが、さて、どうか?
 急な死というものが、はたして、それほど与し易い相手なのかどうか、いまの僕には疑問である。

 こういうことは考えたくない。
 考えるほどに気が滅入る。
 生きる活力が吸い取られる。

 しかし、逃げるわけにはいかない。
 僕だって、いつかは間違いなく死ぬ身なのだから……。

 どうか、その日を平穏な気持ちで迎えたいものである。
 最期の日を気持ち良く迎えるには、いま、何が足らないのか?
 それを考える。
 阪神淡路大震災のような悲劇のあった日にこそ、そういうことを考えないわけにはいかない。

 人間の命のか弱さを思い知る。
 1月17日は、そういう日の一つである。
 2005年1月15日 (土) セーラー服
 澁澤龍彦さんの随筆に『少女コレクション序説』(中公文庫)というのがある。
 タイトルの妖しさに魅せられ、ほとんど衝動的に手にとったのは19歳のとき――新宿の紀伊国屋書店でのことであった。

 冒頭、澁澤さんはいう。

 ――「少女コレクション」という秀逸なタイトルを考え出したのは、自慢するわけではないが私である。

 やはり、そうか――と、改めて思う。
 渋澤さんならではの言葉遣いと感じた。

 男にとって――いや、ある一定の年齢を越えた男にとって――少女をコレクションの対象に、という発想は――もちろん、それが背徳的行為であることは十分にわかった上で――何がしかの性衝動を伴う。

 何人もの美しい少女を捕獲してきて、身動きのとれない状態にし、広大な地下室に連れていって、その姿態を生きながらに展示する――

 などと書くと小説になるのだが、少なくとも僕の深層心理のレベルで、そうした暗い欲求の蠕動らしきものがみうけられることを否定するわけにはいかない。

 そうした蠕動は、幼少時からあった。
 その手の衝動に敏感であったからこそ、僕は、いまだに小説を書き続けている。

『少女コレクション序説』には知的に面白い逸話が多い。
 もちろん、猥褻にかかわる逸話だ。
 それが「知的に面白い」というところがよい。

『少女コレクション序説』の中に『セーラー服と四畳半』という一節がある。
「セーラー服」とは女子学生の制服のほうの「セーラー服」であり、水兵の軍服を指すのではない。
『四畳半』というのは『四畳半襖の下張』のこと――作家の野坂昭如さんの猥褻裁判の主役――伝永井荷風作『四畳半襖の下張』のこと――である。

 澁澤さんは、『セーラー服と四畳半』の中で、『四畳半』が、もはや猥褻ではなくなったと嘆く。
 フェラチオなどの性の営みが今日ほど一般的ではなかった時代にこそ『四畳半』は猥褻であり得たのだ、と――

 猥褻を、

 ――大へん結構なもの。

 と礼讃して憚(はばか)らない澁澤さんであるから、時代の変遷とともに猥褻が失われるという洞察には、内心、慄然たる思いがあったことだろう。

 そして、重大な問題提起をなさるのである。

 ――たとえば、いまの若いひとたちが、私たちと同じような中年の年齢に達した時に、彼らははたして、女学生のセーラー服にワイセツ感を覚えるだろうか。

 もし、覚えないのだとしたら大変なことである。
 重要指定文化財として、美術館なり博物館なりに保管しておかなければならない――女学生のセーラー服を――
 澁澤さん一流のユーモアである。

『セーラー服と四畳半』では、野坂さんの裁判を「今度の裁判」といっている。
 いわゆる「四畳半襖と下張」裁判の決着は1972年だから、この随筆は30年以上前のこと――ということになる。
 当時の「若いひとたち」の子供の代が、僕らであろうか?

 ちなみに、僕はセーラー服を猥褻だと思っている。
 澁澤さんの一文に触れたお陰で、すっかり開眼してしまった。

 本当をいえば、十代の前半に、既に何となく、それらしきものを感じてはいた。
 が、ハッキリ意識するようになったのは、澁澤コメントに触れてからである。
 やはり、澁澤さんで開眼したのだ。

 妹は高校時代、セーラー服だった。
 幸いなことに、妹が高校生の間、僕は実家を離れ、東京で一人暮らしの予備校生活を送っていた。
 もし、僕が妹のセーラー服姿を毎日、目にしていたら……。

 ――妹に猥褻的性愛を感じていた?

 いやいや――
 そこまで逞しくないよ、僕の猥褻意識も……。

 多分、セーラー服の猥褻が理解できないようになっていた。
 妹と一緒に暮らしていれば、およそ猥褻的性愛とは反対のものばかりをみせつけられる。

 でも、澁澤さんには悪いが、そのほうが本当は良かったかもしれない。

 その後、仙台の大学に入り、塾講師やら家庭教師やらを始めたときには苦労したものである。
 セーラー服の女子高生を担当するのが嬉しいやら、恐いやら……。

 セーラー服の生徒さんで、顔の造りが僕の好みにマッチしていた人が、一人だけいた。

 ――反則だ。

 と思った。
 もちろん、何も問題は起こしていない。念のため――
 2005年1月14日 (金) 女性の勘
 女性の勘というのは、なぜ、あれほどに鋭いのだろう?

 今日、初めて会って間もない女性に、
「独身?」
 と、きかれて、
「どっちだと思う?」
 と返したら、
「独身!」
 と即答が返ってきた。

 まあ――
 シワクチャの綿パンをはいていたり、古着っぽいパーカーを着ていたりしたので、勘以前のレベルで、わかったのかもしれないが……。

 10年ほど前に付き合った女性は、やたらと勘がよかった。
 文面だけをみて、筆跡はみないで、誰が書いた文章かを、あてることができた。
 十中八九、間違えなかった。

 だから、気味が悪くなったので別れた――

 というわけではないけれど、何となく居心地が悪かったことは確かである。

 当時から、僕は色々と書き物をしていた。
 僕が次に書くエッセイのネタなどを次々とあてていった。
(なんで、そんなにあたるの?)
 と、きいたら、
(わかるよ。それくらい――)
 と、いう。
 もっとも、僕がいない間に、執筆メモをみていたのであれば説明はつく。

 いまも真相はわからない。
 女性の勘の空恐ろしさだけが残った。

 だからなのか、勘が鈍い女性というのが可愛らしくみえてならない。

 ――私、そういうの、わからないんだよ。

 と、こぼす人はホッとする。
 僕自身、勘は鈍い。
 ときどき鋭いようにみえるらしいが、それは理詰めで推測しているときである。

 同類相哀れむ――であろうか。

 勘が鈍い女性は、何だか簡単に、いいくるめることができそうである。
 それで可愛らしく思うのだろうと、人はいう。

 そうかもしれない。
 勘が鋭い女性をいいくるめることは、並み大抵のことではない。
 2005年1月13日 (木) 最近、どうも……
 最近、どうも忙しい。
 小説を書く時間がない。

 短い時間なら、ポコポコと空くのだが、まとまった時間がとれない。

 小説を書いていると、まず書いている本人が楽しめる。
 作者は同時に第一の読者でもある。
 第一の読者として物語に触れる喜びというものがある。

 物語のプロットを練るときも楽しい。
 それはそれで醍醐味だと思う。

 とはいえ、プロットが小説として完成されていく様子をリアルタイムで味わう喜びは何物にも代えがたい。
 無から有が生じるとき、クライマックスは完成の直前にやってくる。

 このサイト専用の小説を、まだ一作品も書いていない。
 もう2、3つは書いて掲載している予定だった。

 楽しみは後に伸ばすほどよい――などという。
 そんな甘言を弄したのが、まずかった。

 そろそろ、無理をしてでも時間をとろうか?

 物語作りの勘が鈍るのを恐れている。
 2005年1月12日 (水) 一対一型教育のススメ
 昨日の『道草日記』で学校秀才的な発想は怪しからん、と書いた。
 二日前の『道草日記』では、東京大学や京都大学を一途に目指す高校生に批判的な内容だった。

 両者は、ほぼ同じ議論だったといっていい。

 学校教育を全面的に否定するつもりはない。
 日本の学校教育が社会全体の知性をグッと押し上げていることは間違いない。

 去年だったか――
 評論家の田原総一郎さんが、TVカメラの前で、いみじくも呟かれたことがある。

 ――日本の世論調査の結果は、いつもバランスがとれている。よその国では、なかなかみられない現象だ。

 僕も、そう思う。
 日本の世論調査の結果に、

 ――おいおい……。

 と思うことは、ほとんどない。
 アメリカの世論調査なら、何回もあるが……。

 現代の日本人の物の考え方が(まずまず)理性的なのは、学校教育の賜物であろう。
 それは認める。
 ただ、一つ指摘しておくべきことがある。

 日本の学校教育は均質をモットーとしている。
 よって、例えば、将来、政治や経済や文化の世界で世間をリードしていくべき子供も、そうでない子供も、同じ内容の教育を受ける。

 もちろん、将来の政治家と将来のラーメン屋とが同じ教育を受ける意義に疑義はない。両者が丸っきり異なる教育を受けることのほうが、かえって弊害は大きい。
 しかし、将来の政治家には、将来のラーメン屋への教育にプラスαが施されなければならない。
 ラーメン屋よりも政治家のほうが、より公共性の高い職務を担うからである。

 極端な話、ラーメン屋がスープの味付けを失敗しても、この国の大多数の人々に迷惑をかけることはない。
 が、政治家が国策を過って外国との間に深刻な争い事を抱えれば、この国の大多数の人々の生命や財産が脅かされる――
 その違いである。

 政治家の教育は江戸期までは徹底して一対一型教育だったように思う。今日でいうところの家庭教師のスタイルだ。
 当時は、政治家の子供は政治家だった。政治家の教育には、その親が最終責任を負った。
 親も必死だったはずである。我が子がヘマをすれば、自分の身も危うい。いくら自分が上手に政治を行なっても、子供の代でひっくり返されては元も子もなかった。

 もちろん、このことは直ちに、

 ――親が自ら子の教育をかって出た。

 ということを意味したりはしない。
 しかるべき家庭教師を自らの手で選び出す、というようなことを含む。

 おそらく、当時とて、我が子に自ら講義をするような親は、いなかったろう。
 肉親同士の子弟関係は難しい。そこは今も昔も変わらない。

 このような一対一型教育は学校秀才とは異質の秀才を輩出する。
 僕は、学生時代から10年近く、家庭教師を務めている。
 だから、その異質性を肌で感じる。
 一対一型教育で伸びる人は逞しい。知的に打たれ強い。

 考えてみれば当たり前のことかもしれない。
 知識量も思考力も数段上の人間――家庭教師――と一対一の人間関係を結ぶのである。
 教え子は、その関係を通し、自分の無知や無能を痛感していく。
 実は、その教師とて、教え子と同じ時分には、やはり同じように無知、無能であったのだが……。

 こうした「知の強者」と一対一関係を結ぶことで成長できる人は、堅実な思考が巧く、大きな間違えを犯しにくい。
 根が謙虚なのだと思う。
 小さいな間違えから多くの教訓を得る。そういう力がある。
 こうした力は学校教育では培えない。

 学校秀才も大いに結構ではある。
 学校秀才には学校秀才の良さがある。
 ただ、そういう人にはプラスαの教育も受けさせる必要がある。そういうシステムが欠けている。

 横並び一線主義は教育の機会均等を考えれば、きこえはいい。
 しかし、実際には相当に危険である。
 政治家の重責に耐えられない人を政治の場に送り込んでしまいかねないという意味において、危険である。
 2005年1月11日 (火) 知らないことに気付かない
 嘘か本当か知らないが、外国の日本旅行ガイド本には、僕らがビックリするような間違いが、いまでも、たくさん記載されているという。

 例えば――

 日本人はいつも堅苦しい格好を好み、東京ディズニーランドだろうと田んぼのあぜ道であろうと、スーツや着物を纏っている、とか――

 日本人の前で、かゆいからといって、ちょっと自分の鼻を触ると、物凄い失礼にあたる、とか――

 日本のホテルは小柄な者用の調度しかないので、西欧人には居心地が悪い。テントなどを持っていって野宿するのがよい、とか――

 日本人は乳製品を一切とらない。チーズは、ごく限られたところで、ごく限られた品物しか入手できない、とか――

 である。
 嘘だろう、と笑いたくなることばかりだ。

 アメリカ人にいわせると、中には、すぐに嘘だと思えるものも多くあるそうだが、しかし、例えば、

 ――日本では人前で鼻をいじるのは非礼にあたる。

 というのは、いまでも通説だという。

 たしかに、公共の場で鼻をかんだりするのは失礼と考える日本人はいる。
 が、だらだらとハナミズを流したままでいるほうが、よほど失礼というものであろう。

 とにかく――
 いまだに、日本の実情については誤解が多い、ということである。

 だが、それは僕らも同じである。
 TVやインターネットのせいで、普段は、なかなかに気付きにくいのだが、僕らは外国の実情を驚くほど知らない。

 日本と深い付き合いがある国は別だ。
 しかし、例えば、メキシコはどうか?
 白状すれば、僕はメキシコについては何も知らないに等しい。

 ――テキーラというお酒がある国だよ。

 などといわれれば、

 ――そうだったかも……。

 と思い出したりもするが、基本的に何も知らない。

 例えば、この季節の気候は温暖なのか寒冷なのか?
 治安は良いのか悪いのか?
 街並は美しいのか、それほどでもないのか?
 言葉は何が使われているのか?

 などなど、情けないくらい知らない。
 僕が単に知らなさ過ぎるだけといえば、それまでだが、上記で挙げた内容は比較的、入手し易い情報だろう。
 例えば、メキシコでは、どういう行為が好まれ、どういう所作が厭われる
のかについては、返答に窮する人が多いに違いない。

 結局、

 ――自分は何も知らない。

 と自覚するところから出発するしかないようである。
 誤解というものは、知らないことを知っていると勘違いするところから始まるように思う。

 正直にいえば、僕は、メキシコの地理や伝統や文化や政治・経済には、ほとんど関心がない。
 だから、調べる気もない。

 メキシコだけを調べても無益である。
 他にも知らない国は、たくさん、あるのだから……。

 ただ、メキシコという国については何も知らない、ということは忘れたくない。

 よく外国からの客人に向かって初歩的な質問をすると、

 ――それくらい学校で学ばなかったのか?

 と詰問する人がいる。
 学校秀才型の日本人に多い。

 その国の人が目の前にいるのに、書物の内容のほうを重視しろと、いわんばかりだ。

 学校秀才の過信は百害あって一利無しである。
 僕も昔、そうだったから、よくわかる。

 知らないことに気付かない――それが一番の弊害である。
 2005年1月10日 (月) 色気のある文章
 色気のある文章――というものを目指している。
 それも、男性からみて色っぽい艶のある文章を――である。

 写真や絵画の艶は自明なので、いまさら論じるには及ばない。
 ところが、文章の艶ときたら、どうだろう?
 容易には掴みがたいのではないか?

 そもそも、文章の艶など実在するのか?

 一ついえることは、日本語の小説のヒロインと海外の小説のヒロインの差である。
 日本語の心情描写や外見描写を無性に艶っぽいと感じることはあっても、海外の小説のヒロインで感じることは稀である。

 5、6年ほど前に、僕の壷にピタッとハマった物語を手にとった。
 女性が主人公のSF物である。原作は英語だった。

 ところが、これが全く艶っぽくない。
 とうとう最後までよむことができなかった。

 単に翻訳の壁を乗り越えてきたから、というわけではあるまい。
 現に、そのSF物も日本語の訳はこなれていて、大変によみやすかった。

 だから、書かれている内容自体が、日本男児たる僕には色っぽく感じられなかった――の一言に尽きる。
 おそらく、英語圏の男性が原語でよめば、色っぽく感じたのであろう。

 それにしても――
 文章が色っぽいとは、いったい、どういうことか?

 高校時代の友人(男性)は、

 ――人間とは、わからん。記号の羅列をみて興奮するんじゃけえ!

 と呆れていた。
 もちろん、世に溢れる官能小説の類いを念頭においての発言だった。

 昔の官能小説は、表紙絵や挿し絵で猥褻感を補っていたが、最近は、そうでもない。
 純然たる文章――記号の羅列――だけで、おしている。

 たしかに、凄い。
 記号の羅列に性欲をかきたてられる動物など、人間だけである。

 もっとも、僕がいう「色気のある文章」と官能小説の中の文章とは、必ずしもイコールではないのだが……。

 僕の目指すものは、そこに書かれている架空の女性を、思わず抱き締めたくなるような文章である。

 それなりに努力はしているつもりだが、ゴールは遠い。
 自分の中で何かブレイクスルーが起こることを期待している。

 ほとんど他力本願だな――
 2005年1月9日 (日) 東大? 京大?
 転職ブームのようである。

 ――あなたは、いまの仕事で満足か?

 みたいなコピーが、あちこちで目に付く。
 この宣伝に踊らされて、やめたら損をする人まで、やめていくという。

 仕事は続ければ続けるだけ有益である、というのが一般論であろう。
 昇給システムのことだけをいっているのではない。
 仕事を続けていれば、仕事に慣れ、効率がよくなり、人脈も広まる。
 転職すれば、また、一からやり直しだ。

 中年期になって会社に不満を持ち、会社をやめた。
 自分の能力には自信があった。
 だから、あちこちの採用試験を受ける。
 が、結果は全部ダメ――

 ――こんなはずではなかった。

 と、こぼす元エリート・サラリーマンの述懐などは、TVのドキュメンタリー番組や新聞・雑誌の類いで、よくみかける。
 自然なことである。

 ――あなたは何ができますか?

 との問いに、

 ――部下の管理ができます。

 などと答えている。
 そんな新入社員を、いったい、どこの会社が雇うというのか。

 高校3年のときにきいた授業中の雑談が忘れられない。
 男性で中年の現代文の先生だった。
 雑談は教示とも教訓ともとれた。

 ――去年の3年生で、将来、学者になりたくて東大(東京大学)とか京大(京都大学)とかを目指している連中に、きいてみたことがある。
「何のため東大にいくのか、京大にいくのか? その意味を本当に考えたか? そんな大学にいったって、建物は汚くて、機材に乏しく、人は多くて、伝統に縛られる――満たされるのは虚栄心だけかもしれないぞ。それよりも、名もない地方の新設大学にいけよ。そして、そこを自分の大学にしてしまえ」
 そう何度も口を酸っぱくしていってみたんだが、でも、連中は、いきたいらしいね、東大とか京大とかに――
 きみらは、どう思う?

 高校生のときには、その言葉の真意は理解できなかった。
 いまはわかる。

 東京大学や京都大学に入学できたとしても、卒業後も教員や研究員として残るのは至難の業である。
 それよりも「地方の新設大学」に入って、その大学に定年まで居続けることのほうが、どれほど人生を豊かにすることか。
 ひと所に居座り続けることで成せること、というのもある。

 そういうことが、いわれたかったのだと思う。

 決して聖人君主型の先生ではなかった。
 皮肉っぽい言動は同僚の教員に牽制されることもあった。

 はっきりいって嫌な先生だった。
 学友会活動などを通し、個人的にも、かなり悪い印象を持っていた。

 でも、10年以上経ったいまも、まだ、そのお言葉を覚えている。

 反りが合わなかった生徒にまで影響を及ぼしている。
 力量のある先生だった。
 2005年1月8日 (土) 物語はみせられる
 物語は作られるものだと思っている人が多いらしい。

 昨日、小説の講評会に出て、とある時代物小説に寄せられたコメントをきき、思ったことである。
 その中で、

 ――この設定には違和感を覚える。

 とか、

 ――このキャラのこの言動には納得できない。

 とかいう指摘がなされた。
 具体的には、こうである。

 ――江戸時代の大名家の跡継ぎが「権兵衛」みたいな名前になっているが変ではないか? 町人や農民の名前ならわかるが……。

 ――大大名家から嫁いできた姫君が夫を殺され、その下手人に温かい言葉をかけているが不自然ではないか? もっと残虐に報いようとするのでは?

 などなどである。
 僕にいわせれば、いずれも大した問題ではない。

 大名家の跡継ぎが、例えば「唯野権兵衛(ただのごんべえ)」だったとして何が問題なのか?

 もちろん、僕が知る限り、江戸時代に「唯野氏」なる大名家は存在しない。
 が、この時代、数万石規模の小藩は無数に存在した。その中に「唯野氏」があったとしても不思議はない。

 ……で、その跡継ぎが「権兵衛」であるという(実際にコメントの対象になったものは違う名前だった)
 たしかに、大名家に相応しくない名前ではある。しかし、全くあり得ないわけではない。

 当時の武家の貴人たちは、少なくとも二種類の名を持っていた。本名と通称とである。
 例えば、『忠臣蔵』で有名な「大石内蔵助」の本名は「良雄」である。「内蔵助」は通称だ。
 この時代、本名が用いられることは滅多になかった。せいぜい、主君、父親、自分くらいしか用いない。
 他の人々は通称を用いる。よって、播州赤穂藩の家臣たちが大石内蔵助のことを「大石さま」「内蔵助さま」と呼ぶことはあっても「良雄さま」と呼ぶことはない。
 よって、当時の人たちにとって、大石内蔵助は、あくまで「大石内蔵助」であって「大石良雄」ではありえない。

 だから、時代物の小説の中で大名の跡継ぎが「唯野権兵衛」であったとしても、そんなにおかしくはない。
 おそらく、本名は、もっと武家らしい名前――例えば「貴雄」とか「貴彦」とか――であったことだろう。

 次の問題――
 大大名家から嫁いできた姫君にしては、いやに、ものわかりが良すぎやしないか――という問題だが、これも当時の武家のしきたりに照らせば奇異なことではない。

 この国では貴人の我が儘が罷(まか)り通る事例は決して多くない。少なくとも、中国や欧州や中東ほどには多くなかろうと思われる。
 大名家の当主――いわゆる「殿」――は何でもかんでも好き勝手にできるようだが、そうではない。

「お家」という概念がある。ここでいう「家」とは建物のことではなく、システムとしての家である。当主がいて、家臣がいて、召し使いがいて……という組織としての家である。
「家」の前に「お」を付ければ大名などの貴人の「家」を指す。

 実は、当時の武家社会にとって最も重視され、守られていたものは「お家」であって「殿」ではなかった。
「お家」を危うくする者は、例え「殿」であっても、排除されるのが常識であった。
 まして姫君をや、である。
「お家」の秩序を深刻に乱す姫君ならば、容赦なく押し込めたに違いない。
 最低限に教養のある姫君なら、それくらいのことは承知していたはずである。
 いくら自分の夫を殺した下手人であっても、怒りに身を任せて極刑に処すよう命じたりはしない。
 命じたところで誰も動かない。裁きは姫君の仕事ではないからである。

 以上のような蘊蓄は、物語を読み解く上では本当は、どうでもいいことである。
 大名の跡継ぎが「唯野権兵衛」でも、よい。
 大大名家から嫁いできた姫君が怒りを抑え、下手人に温かい言葉をかけても、よい。

 物語が既に、そうなっているのである。
 そこを「おかしい!」と、あげつらうのは物語への冒涜とさえ、いえる。
 むしろ、なぜ、そうなっているのかを考えたい。

 僕は、物語は作られるものだとは思っていない。
 みせられるものだと思っている。

 だから、例えば、物語の筋を追っていて何か不自然な点がみつかったとしても、それを作者のせいにしたくはない。
 自分が、その物語を、まだ十分には理解していないだけである、とみる。
 もし、作者に非があるとすれば、ちゃんと物語をみせていない、ということであろうか。

 よい物語とは、作者の目(心)を通し、自然と僕らの前に立ち現れてくるものである。
 作者が自在に操る物語は、いかにも迫力不足で瑞々しさに欠ける。

 作者の作為をいかに無視できるか。
 それが物語の書き手にとっても受け手にとっても重要な素養であるように思う。
 2005年1月7日 (金) ざあますオバさん
 電車に乗った。
 横がけの長椅子タイプである。

 隣は小柄な男の子――おそらく小学校に上がる前である。
 その隣はお母さんだった。

 男の子はお母さんのほうに寄り掛かって居眠りをしている。
 だから、僕と男の子との間には隙間があった。

 列車が止まり、ドアが開いた。
 中年のオバさんが乗車してくる。
 オバさんは、有無をいわさず、隙間に入り込んで、強引に席を確保した。
(いや、これは席が空いているんじゃなくて……)
 と思ったりもしたが、もちろん、声に出しては何もいわなかった。

 お母さんが向こう側に詰めたので、結局、ことなきをえた。

   *

 たしか、長谷川町子さんの『サザエさん』だったと思う。
 TVアニメではなく、原作の四こまマンガのほうである。

 マスオさんが隣の乗客と微妙な距離で座っている。
 そこへ割腹のいい中年女性が登場――
 派手な口紅に高価そうなスーツを纏った3〜4頭身である。
 いかにも、

 ――……で、ざあますのよ。オホホホ!

 と笑いそうな有閑オバさんである。
 その「ざあますオバさん」が、

 ――失礼!

 といって隙間に割り込んできた。
 マスオさんは反対側にずれるが、そちら側からもプレッシャーを受け、かえって「ざあますオバさん」の方へ――
 すると、

 ――まあ、ずうずうしい。近寄らないで頂けます?

 と「ざあますオバさん」――

 踏んだり蹴ったりのマスオさんであった――と、いうのが、あらましである。

 このマンガのおかしみは、どこにあるのだろう?

 僕は、これを小学生のときにみたのだが、さすがに笑い転げることはなかったにせよ、それなりに、おかしみを覚えたものである。
 そのおかしみは、いったい、どこから、やってくるのだろうか?

 マスオさんへの共感だろうか?

 ――いる、いる、こういう自分勝手なオバさん! 我が身をよく振り返れっていうの!

 と、いうことなのだろうか?
 それとも――
 ざあますオバさんへの共感か?

 ――つい、若くて、細身で、美しかった頃の感覚に戻ってしまうんだよねえ。

 と、いうことなのだろうか?

 おそらく、一概にはいえない。
 受け取り方は、年齢や性別によっても十分に変わってくるであろう。

 僕と男の子との間に割り込んできたオバさんは、座席に座るなり、文庫本を広げ、一心不乱に読み始めた。

 10年前の僕だったら、怒り心頭――であったろう。
 いまは、そんなでもない。
 2005年1月6日 (木) 心のうちが透けてみえる
 これは失われた『道草日記』にも書いたことだが――

 5、6年ほど前のこと、のちに大ベストセラー作家の仲間入りをはたされる方と、タクシーをご一緒する僥倖があった。

 その方は当時から、たくさんのエッセイや評論をお書きになっていて、多作の作家さんでも知られていた。
「自分の書いたものが、いつ、どこで出版されているか、なんて把握していない」
 と、おっしゃった。
 それくらいの方である。

 僕は当時から小説書きに興味があった。
 だから、
「小説はお書きにならないんですか?」
 と、お尋ねしてみた。
 すると、
「よくきかれるんだよ、それ――」
 と苦笑され、
「――小説なんて僕には書けない」
 と、おっしゃる。
 即答だった。

 頭脳明晰の方である。
 小説を書くくらい、わけもないことだろうと思っていたが、違った。
 意外だった。

 で――
 それから色々と考えた。
 小説とエッセイや評論とでは何が違うのか?

 ――自由度が違う。

 というのが僕の答えであった。
 しばしば、小説はエッセイや評論よりも制約が多いと思っている人があるが、実際は逆である。
 小説は、書き手が不安になるくらい、自由である。

 小説は虚構である。基本的には嘘である。
 しかし、読み手は、そこに書かれていることが必ずしも嘘だとは思っていない。
 書き手が、あるとき、ある場所で、本当に経験したことのある心情なり情念なりを、登場人物の心を借り、嘘っぽく表現しているだけかもしれない、と思っている。

 嘘であってもいいし、本当であってもいい。
 それが小説の特質である。

 これに対し、エッセイや評論は違う。
 読み手は、そこに書かれていることは、基本的には本当のことだと思っている。
 少なくとも、そういう約束になっている。
 随筆や論説に嘘があったら、まずいだろう。
 興をそぐことは間違いない。

 この意味において、小説はエッセイや評論より、はるかに自由度が高いといってよい。

 ――嘘でもいいし、本当でもいい。

 まさに、究極の自由である。

 この奔放な自由度ゆえに小説の敷居は高い、といえるかもしれない。
 たとえ大ベストセラー作家といえども、

 ――小説なんて書けない。

 となり得るのは、そのためである。

 以上が、失われた『道草日記』での僕の結論であった。
 あれから数ヶ月が過ぎ、いくらか考えが変わってきている。

 たしかに、奔放な自由度は曲者ではある。
 が、もっと深刻な曲者がいる。

 その曲者は、いやらしい。
 実にいやらしい。
 すなわち、

 ――書き手の心のうちが自然と透けてみえてしまう危険性。

 である。

 このいやらしさは言葉では説明しようがない。
(なんだ、それ? よくわからないぞ)
 という方には、ぜひ実体験して頂きたいのだが、
(小説など書きたくない!)
 という方には無理なので、とりあえず言葉で説明すると――

 要するに、日ごろ、自分が無意識のうちに感じていることや思い描いていることが、作品の皮相に露骨に表れてしまう危険性――と、いうことである。
 例えば、

 ――ああ、この人はマザコンなのね。

 とか、

 ――こいつ、小悪魔的な女が好みなんだ。

 とか、である。

 もちろん、慣れてくれば、そこを逆手にとって、自分を演じ分けることもできる。
 すなわち、「マザコン」を演じたり、小悪魔的な女に執着してみせたりする、ということである。

 しかし、ボロは出るものである。
 偽りの自分など、そうそう演じきれるものではない。

 それゆえに、小説を書くのは難しい。
 エネルギーを使う。
 汗をかく。

 恥もかく。

 今頃になって、あの日、タクシーの中でいわれた一言が、僕の脳裏に、こびり付いてしまった。

 ――小説なんて僕には書けない。

 賢い選択である。
 たしかに、小説なんて書かないに越したことはない。
 それでも書きたいのなら、

 ――気が済むまで書いていろ。このボケ!

 である。

 まるで、ひと事――
 けれど、本当に、そう思う。

 それでも僕は書くけどね――
 2005年1月5日 (水) 悪意への対処技術
 人の悪意と、どう向き合うか――なかなかに厄介な問題だ。

 悪意をもった人とは、こちらの事情を一切理解しようとせず、一方的に自分の主張を繰り返し、非難し続けてくる人のことである。

 ――渡る世間に鬼はない。

 などという。
 たしかに、鬼みたいな悪意は珍しい。
 筋金入りの悪意などには滅多にお目にかからない。

 だが、全くお目にかからないわけではない。

 もし、自分が筋金入りの悪意のターゲットになってしまったら、どうするか。

 一番よいのは相手にしないことであろう。
 人の悪意というものは、受け止めてしまうから腹が立つのであって、受け止めなければ意識にのぼることはない。意識にのぼらなければ容易に無視することができる。

 あるいは、その悪意を理解してやるというのも、一つの手かもしれない。

 ――たしかに、あなたの立場にたてば、私は極悪人ですね。

 と理解してあげることである。
 もちろん、理解するだけであって、それ以上は譲らない。
 つまり、

 ――あなたの立場に立つことはできませんから……。

 とヤンワリ拒絶することにはなる。

 この世に絶対正義など存在しない。
 絶対悪も存在しない。
 存在するのは相対正義や相対悪だけである。

 よって、ヤンワリ拒絶するとは、

 ――あなたにとって私は相対悪なのでしょう。でも、あなたに絶対正義はありませんよ。

 と主張することに等しい。

 筋金入りの悪意に対する反撃は、ここまでにしておいた方がよい。

 これ以上、反撃すると、泥仕合いになる。
 不毛な消耗戦は避けたい。

 なぜ、こんな話を書いたのか?

 今日、ネットをさまよっていたら、久々に「筋金入りの悪意」に出会ってしまったからである。

 悪意を巻き散らす人は少なくない。
 大抵、当事者に自覚はない。

 僕自身も、ある種の人々にとっては、悪意を巻き散らしている存在だろうと思う。

 悪意への対処技術は重要な処世術だ。
 そして、悪意や善意が相対的であるという事実も、しっかりと認識しておかなくてはならない。

 自分に絶対正義があると思った瞬間に良識は潰える。
 2005年1月4日 (火) 結婚したいということは……
 結婚相手は理屈でみつけるものではない――と教わった。
 さる信頼すべき方からのコメントである。

 例えば、電気店の中を見て回っているときに、どうしても手に入れたいプラズマTVがみつかったとしよう。
 あなたなら、どうするか?

 ――あとさき考えずに買っちゃうでしょう? それと同じですよ。

 と、おっしゃる。

 もちろん、結婚相手はプラズマTVではない。
 人間と電化製品とを同一視するわけにはいかない。
 が、そういう面倒な議論は措いておいて、つまり、

 ――結婚したいという衝動は簡単に抑えられるものではない。

 と、いうことが主旨だったのだと思う。
 そういえば、

 ――結婚は勢いでするものだ。

 とも、いう。
 おそらく、結婚には、多かれ少なかれ衝動買いの要素があるに違いない。

 作詞家の秋元康さんが、結婚についての本を出されたときに、

 ――結婚したいということは、ずっと一緒にいたいということ。

 みたいなことを書いておられたが、多分、その真意も同じである。

 秋元さんのご夫人は元おニャン子クラブの高井麻巳子さんである。
 おニャン子クラブの仕掛人は秋元さん――そんな秋元さんにとって、おニャン子クラブの他のメンバーも、間違いなく、それなりに可愛いかったに違いない。
 でも、高井麻巳子さん以外の人とは、ずっと一緒にいたいとは思わなかった――
 そういうことなのだと思う。

 もっといえば、

 ――あとさき考えずに、一緒にいたい。

 と思ったのは高井麻巳子さんだけであった、ということではなかったか。

 なぜ、こんな話をしているのか?
 自分でも、わからない。

 急に結婚願望が強まった、ということではなさそうだ。
 相変わらず、僕は独り身を楽しんでいる。
 今日も、深夜の4時までファミリー・レストランでMr.アニリンくんたちと話をしていた。
 昔の彼女と付き合っていた頃だったら、

 ――さて、どうやって彼女の部屋に穏便に戻るか?

 で、ひと思案しなければいけないところだったが、いまは自由の身――そんなことは、お構いなしである。

 もちろん、自由な身ゆえの寂寞というものはある。
 しかし、不自由な身ゆえの憂鬱というものもある。
 どちらがいいとは一概にはいえない。

 一つだけ、はっきりしていることがある。

 これまでに僕が付き合ってきた女性との間には「衝動買い」のプロセスは一切なかった。
 付き合う女性は、ある程度、理詰めで決めていた節がある。

 いや――
 より正確にいえば、僕を「衝動買い」のプロセスに引き込んだ女性は、すべて見送ってきた。
 最も強く引き込んだ女性でさえ、僕は、こともなげに見送ってきた。

 なぜか?
「衝動買い」は、いけないことだと思っていたのである。

 バカだった。

 もちろん、もう手遅れである。

 24歳の頃だった。
 若過ぎた。

 あのときの「衝動買い」は、もう二度とあり得ないように思う。

 まあ――
 これが自分の運命だと思って諦める準備はできている。
 だから、『道草日記』にも書けるわけで――

 もし、当時の「衝動買い」を凌ぐ「衝動買い」があったら、どうするかって?

 そのときは儲け物である。
 今度こそ「衝動買い」をしようと思う。

 ――あとさき考えずに……。

 ね――
 2005年1月3日 (月) 「いまからを2005年とする」
 年が明けるということに懐疑的であった。子供の頃のことである。
 例えば、

 ――ほんの数分前まで2004年だったのに、なんで、いまは2005年なの?

 というわけだ。

 一年間ずっと「2004年」できたものが、ある瞬間を境に、突然「2005年」となる。
 その急激な変化に何とも合点がいかなかった。
 時の流れという悠久な自然の営みにはそぐわないように思えたからである。

 いまは、こう理解している。

 そもそも暦自体が人為産物だ。
 ある年とある年との境目の線引きは、実は人間が勝手にやっていることである。
 人間が勝手にやっていることだから、「突然」であっても、おかしくはない。

 とはいえ、突然に起こるものが人為的で、悠久に起こるものが自然的で――という見方は間違っている。

 年末のスマトラ島沖地震は突然に起きた。

 自然の営みの中にも「突然」はある。「2004年」が「2005年」に一瞬の内に変わってしまうような激的瞬間は、いくらでもある。

 では、「2004年」が「2005年」に変化するときに覚える違和感とは何なのか?
 子供時代の僕の単なる思い過ごしに過ぎないのだろうか?

 そうではない。

 子供時代の僕は、突然の変化――「2004年」が一瞬の内に「2005年」に変わってしまう、というような激的瞬間――が、人間の完璧な制御下にある点に引っかかっていたのである。

 僕らは、2004年が何時間何分前に終わったのかを知っている。そればかりか、2005年が何時間何分後に始まるのかも正確に予知していた。

 こんな詳細を把握できる事象が自然であるはずがないのである。
 にもかかわらず、僕らは普段、時の流れは自然の営みだと信じている。
「2004年」が「2005年」に変化するときの奇妙さとは、このギャップに由来しているに違いない。

 時の流れは自然の営みには違いない。
 少なくとも僕は、そう思っている。

 ――いや、そうではない。

 という向きがある。

 ――時は人間が刻むもので、人間が誕生する以前に時はなかった。

 と極言する人もある。
 しかし、それは真理とは思えない。

 人類が誕生する以前から時は流れていた。
 もっといえば、人類が誕生する以前から流れていた因果律の流れを「時の流れ」と呼んでいるのである。

 ただし、時の流れに印をつけているのは人間である。
 よって、2004年と2005年との境も全くに人為的であった。

 だから、

 ――2005年になった。

 というのは、おかしい。

 ――いまからを2005年とする。

 というのが正しかろう。
 所詮、人間が勝手に決めていることである。

 もちろん――
 大人は、こうしたことでは悩まない。
 当たり前だからである。

 でも、子供は違う。
 こういうことにも真剣に悩んでしまう。

 それが悪いということではない。
 むしろ、こういうことに悩まない限り、時間の本質について考えを巡らす機会はやってこないだろう。

 子供の目線のほうが真理に、より確実に近づくことがきできる、という。

 多分、本当である。
 2005年1月2日 (日) マル太・管理人モード
 あけまして、おめでとうございます。
 本年も『たまには道草いつも道草』を、よろしくお願いします。

 元旦の朝は雪が積もったところも多いようですね。
 まさに絵に描いたような「お正月風景」となりました。
 宮城も大雪です。
 朝、起きたら、あたり一面が銀世界でした。
 明るく、清々しく輝いていた新雪は強く印象に残ります。

 先日の『道草日記』では、

 ――雪はイヤだ。

 みたいなことを書きましたが、

 ――雪も悪くないかも……。

 などと思ったりもしましたね。

 明日は自宅に戻ります。
 今後も、引き続き『道草日記』をお楽しみ頂ければと存じます。