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道草日記

過去の道草日記は『マル太の書斎』で
御覧になれます

 2004年12月31日 (金) 壮大な自然叙事詩
 母なる地球――という。

 しかし、そうした従来の地球のイメージは真実の姿からは遠いらしいことがわかってきた。

「母なる地球」ではなく「荒ぶる父なる地球」――
 それが真実の姿である、と――

 今年のNHKスペシャル『地球大進化』は、旧来の自然観や世界観を大きく塗り替えたという点において、どこまでも科学的であった。

 優れた科学研究は人類の自然観や世界観に直結する。
 そうした研究の成果を整理し、編集し、明確なメッセージを打ち出すことこそが、科学の本質である。

 もちろん、実験や観測に基づく地道な実証プロセスを否定するつもりはない。
 が、そうしたプロセスから得られた知見は、人類の自然観や世界観と関連付けられ、整理され、編集されることで、初めて人類共通の財産となる。

 番組によれば「父なる地球」が生命たちに課した試練は過酷を極めた。

 生命の進化の歴史は、生命の絶滅の歴史であったといってよい。
 現在、地球上には数え切れない種類の生命たちが生息しているが、今日までに「荒ぶる父」によって絶滅を強いられてきた生命たちのほうが遥かに多い。

「父なる地球」の試練――その多くは大陸分裂や大陸衝突に起因する。
 こうした大陸変動が、生命の取り巻く環境を劇的に変化させてきた。
 その変化に対応できなかった生命たちが絶滅を強いられてきた。

 人類の祖先は、そうした変化によく対応し、生き延びた。それだけでなく、そうした変化を進化のチャンスと捉え、次々と人間らしさを手に入れていった。
 それが手(前肢)であり、胎生能力であり、優れた視覚であり、言葉である。

 とりわけ、言葉の果たした役割は大きい。
 それまでの生命の進化は遺伝物質の偶然の改変に頼っていた。
 しかし、言葉を獲得したことによって、生命の進化の効率は飛躍的に向上する。
 人類が今日の覇権をゆるぎないものにした最大の要因が言葉であった。

 だが、安住は許されない。
 奢れるものは久しからず――

 かつて、地球上に君臨した多くの生命たちが絶滅したように、人類もまた、絶滅の坂を転げ落ちているのではないか?

 地球上に君臨しながら絶滅していった生命たちは、いずれも共通の要因を抱えていた。
 現状に満足し、変化への柔軟性を失ったという要因である。

 現状に満足する王者に「荒ぶる父」は容赦しない。
 辛酸極まる鉄槌を下す。
 大陸変動という名の鉄槌である。

 地球上の覇権を握った人類にも、いつの日か、必ずや試練の鉄槌が下される。
 それを、いかに克服するべきか?

 番組は問いかける。

 ――我々に未来はないのか?

 ――我々もまた、かつて地球上に君臨し、絶滅していった多くの生命たちと同じ末路をたどるのか?

 と――

 そして、番組は語りかける。

 ――いや、諦めるのは早い。

 ――我々には言葉があるじゃないか?

 と――

 人類は言葉を獲得したことで地球上の覇権を握った。
 だが、言葉は両刃の剣である。
 言葉は超巨大科学文明を築き上げた一方、その文明が地球上の環境を激変させつつある。

 まさに、絶滅への坂を転がり落ちているのか?

 人類よ。
 いまこそ、語り合おう。
 自らの未来を切り開くために――

 言葉によって得た覇権は、言葉によって守られなければならない――
 それが、我々人類の生き残る唯一の方法なのだから――

   *

 人類の未来に警鐘を鳴らす――それ自体は、よくあることである。

 しかし、その警鐘に良質の回答が付随することは稀である。
 しかも、ここまで壮大な回答は、まず、お目にかかれない。

 NHKスペシャルの科学番組にケチをつける向きは多い。
 とくに科学研究の現場にいる人たちに多い。

 一理ある。
 番組中の一部の言説には厳密性に欠く。ときに論理的整合性を無視したかのような主張がきかれる。
 製作者たちには、科学的トレーニングが足らない――そういう批判は部分的には当たっている。

 しかし、そんな傷は取るに足らない。
 受け手の科学観がしっかりしていれば、本質を損なうものではない。

 自然科学の根幹は人類の自然観・世界観の記述である。
 そこをないがしろにしたのでは、いくら明瞭な言説を心がけ、論理的整合性を遵守してあっても意義は薄い。

 とくに、わが国のように、科学研究費の多くが公的資金で賄われている場合は、なおさらであろう。

 今年のNHKスペシャル『地球大進化』は、優れた総説論文に匹敵する。
 壮大な自然叙事詩といってよい。
 こうした番組を生み出す土壌が大切にされることを望む。
 2004年12月30日 (木) マル太・管理人モード
 いつも『道草日記』をご覧頂き、まことに、ありがとうございます。

 年の瀬も押し迫って参りました。
 災害続きの2004年も、あと一日で幕を閉じます。
 皆様は、いかがお過ごしでしょうか?

 明日の大みそかより3、4日、仙台を留守にいたします。

 帰省か――と思いきや、さにあらず――
 仕事でございます。

 なぜか――
 仕事でございます。

 暇があれば、折りをみて、ネットカフェから『道草日記』などを更新いたします。

 来年も、是非、当サイトにお付き合い頂ければと存じます。
 2004年12月29日 (水) 雪は憎めない?
 雪、雪、雪……である。

 今日は朝から雪だった。
 午後にはガッチリ積もっていた。

 仙台は北国のくせに、雪で都市機能が麻痺をする。

 ――仙台は雪に弱いねえ。

 と豪雪地帯からの客人が呆れていた。

 しょっちゅう降っていれば麻痺はしない。
 数週間おきにドカッと降るから困るのだ。

 ほとんど降らない年もある。
 去年がそうだ。

 ――暖冬だ! 暖冬だ!

 と騒ぐ人がいたが、雪がない分、暮らしやすかったことは間違いない。

 今年は、どうか?
 年明けにドカドカ降ったりするだろうか?

 気が重くなる。

 雪の中、夢中で遊んだ経験などがあれば、見方は変わってくるのかもしれない。

 今日も、仙台育ちの教え子が、
「雪は憎めないんですよね」
 と、いった。
 思わず、
「憎めない?」
 と問い返した。

 僕にとっては小憎らしいこと限りない。
 都市機能を麻痺させる災いとしての雪である。
 それを、

 ――憎めない。

 と、いう。

 思ってもみない言葉だった。
 多分、雪へのよい思い出があるからだろう。

 僕には、それがない。

 小・中学校時代は千葉に住んでいた。雪は滅多に積もらない。
 高校時代は岡山だ。雪など、まず降らない。

 これでは、よい思い出があろうはずもない。

 そういえば、幼稚園時代はスイスのチューリッヒに住んでいたのであった。
 一年の半分近くを雪に埋もれて暮らしていたが、それでも、なぜか雪の思い出に乏しい。
 雪中で遊んだ記憶もない。

 結局、雪というと、仙台に来てからの小憎らしい雪しか思い当たらないのである。

 チューリッヒ時代がチャンスだった。
 近所の子供たちと、国籍の壁を越え、雪の中を遊び転げるようであれば、よかった。

 ちょっと後悔している。

 まあ、よいか――

 いまさら、幼稚園時代の引っ込み思案を詰っても仕方がない。
 いまの率直な感情を受け入れるだけである。
 2004年12月28日 (火) もてる男性の典型の一つ
 JR仙台駅周辺には大きな書店がかたまっている。
 だから、急に調べものがしたくなったりすると、よく仙台駅方面に出かける。

 自宅から仙台駅までは自転車で10分――すぐ近くだ。

 だから、自宅にいるときはいい。すぐに自転車に飛び乗ってパッと出かける気になる。
 問題は車で外出している最中である。

 わざわざ自宅に戻って自転車に乗り換えて急行するというのも間抜けな話である。
 車でいけば済む話なのだ。

 ところが、仙台駅近くの駐車場が億劫である。
 交通量が多いということもある。
 しかし、それ以上に、

 ――はい、4時10分入庫ね。

 みたいに冷たく扱われる感じがイヤなのである。
 幼い頃、父母が利用していた市街の駐車場の係員などは、皆、愛想が悪かった。
 その影響に違いない。

 ただ、今日のところは、そうもいっていられなかった。
 どうしても気になった調べものがあったのと、他にもいくつか用事が重なったこともあって、思いきって、普段なら、車では絶対にいかない仙台駅周辺に車で向かった。

 年末の夜だというのに、道は意外と空いていて、大して困りはしなかった。

 数分で、仙台駅周辺にたどり着き、手ごろな駐車場を物色する。
 無人ならイヤな思いはしなくて済むだろうと考え、自動駐車場ばかりを探したのだが、あいにく、いずれも満車だった。
 仕方なしに、昔ながらの係員のいるタイプの駐車場に乗り入れる。

 ところが、これが大正解――
 その係員さん、物凄く愛想がいい。
 人懐っこい笑顔で、
「何時頃にお戻りなりますか?」
 と、きくので、
「30分ほどで……」
 と、いうと、
「はい。じゃあ、お預かりします」
 とニコリ――

 20〜30代のイケメン・タイプの男性だった。

 支払いのときも腰は低く、
「――すいません。200円になります」
 と頭を下げる。
 最後は、
「――ありがとうございました。また、どうぞ――」
 と太陽のような笑顔――

 こういう男性に弱い女性は多いはずだ。
 笑顔の作りものっぽくないところがポイントなのだろう。

 もてる男性の典型の一つに出会った気がした。
 2004年12月27日 (月) 本妻タイプと愛人タイプと(前編)
 ――男に「大切にされる女」大研究

 というコピーに魅せられ『COSMOPOLITAN JAPAN(2月号)』(集英社)を買う。

 普段なら、とんと御縁のない雑誌である。
 20代から40代くらいまでの独身女性を対象としている雑誌のようだ。

 しかし、
「どうすれば男に大切にされるのか?」
 という問題提起は秀逸だ。
 男にとっても興味津々――普遍性の高い問題設定といえよう。

 実際、期待に違わぬ面白さだった。

 ――男が大切にしようと思う女性は、どういう女性か?

 ――男は、どういうときに女性を大切にしようと思うのか?

 逆に、

 ――男が大切にしなくてもいいと思う女性は?

 ――あるいは、どういうときに大切にしなくてもいいと思うのか?

 などなど――
 女性が、男の本音に迫るというスタンスが面白い。
 少なくとも男の僕には新鮮だ。
 おまけに、

 ――男どもは自分のことを棚に上げ、勝手ばかり!

 という女性編集者(多分)の本音も散見され、なかなかに楽しめる。

 で――
 僕も考えた。
 どういう女性が男に大切にされるのか?

 おそらく、一般法則など、ない。
 結局はケース・バイ・ケースだと思う。

 ただ、一つ、これは真理ではないか、と思えるようなことがある。

 それは、男にとって、すべての女性は、正室タイプないし側室タイプのいずれかに分類されているのではないか、という見方である。「正室」や「側室」が時代がかり過ぎているなら「本妻」や「愛人」でもよい。

 もちろん、その分類も、ケース・バイ・ケースであり、普遍的ではあり得ない。

 例えば、僕の目には本妻タイプに映るからといって、他の男にも本妻タイプに映るとは限らない。
 僕には愛人タイプに映るけれど、僕の友人には本妻タイプ――ということもあり得る。
 もちろん、一致する場合もあり得る。

 要は、男個人の主観的な分類に過ぎない、ということである。

 さらにいえば、その男の大切にする女性が本妻タイプか愛人タイプか――も、ケース・バイ・ケースだろう。
 常に本妻タイプが大切にされるとは限らない。

 僕の友人には、明らかに愛人タイプしか愛せない者がいる。
 その彼は本妻タイプを、
(おふくろみたい)
 と、いう。

 逆に、愛人タイプは苦手という者もいる。
 その彼は本妻タイプの女性を、
(頼もしいパートナー)
 と、みる。

 ところが、ややこしいことに、ある男にとっての本妻タイプが、別の男にとっての愛人タイプ――ということがあり得る。

 例えば、ある男どもが集まって女性の品定めをするときに、同一女性の評価が真っ二つにわれることがある。
 僕の経験上、女性の品定めが盛り上がるのは、本妻タイプに惹かれる者同士、あるいは、愛人タイプに惹かれる者同士が集まった場合である。
 よって、その品定めの会で、ある女性が肯定的に評価されるか否定的に評価されるかは、その女性を本妻タイプとみるか、愛人タイプとみるかで決まってくる。

 本妻タイプに惹かれる男どもと愛人タイプに惹かれる男どもとが群れて女性の品定めをすることは、稀だ。
 そんなメンツで品定めしても盛り上がらない。
 価値観が違い過ぎるからである。
(後編に続く) 
 2004年12月27日 (月) 本妻タイプと愛人タイプと(後編)
(前編より続く)
 とはいえ、そうしたメンツが集まっていたとしても、同一の女性の評価が一致したりするから、ややこしい。
 愛人タイプに惹かれる男にとっての愛人タイプと、本妻タイプに惹かれる男にとっての本妻タイプが一致する――ということが、あり得るからだ。

 うーむ。
 わけが、わからなくなってきた。

 要するに、この話は、男を集合としてみるから、ややこしくなる。
 特定の男に絞って分析をすれば面白い。

 例えば、その男にとって、どういう女性が本妻タイプで、どういう女性が愛人タイプなのか?
 そして、その男は、どちらのタイプに惹かれるのか?

 例えば、マル太とマル夫という二人の男がいるとする。
 二人は本妻タイプと愛人タイプとの分類が正反対で、かつ、好みのタイプも正反対である。

 よって、例えば、京子という女性は、マル太にとっては愛人タイプであり、マル夫にとっては本妻タイプである。
 しかし、マル太は愛人タイプが好みで、マル夫は本妻タイプが好みである。
 であるならば、マル太もマル夫も、京子が好みの女性ということになる。

 しかし、よく考えて欲しい。
 本妻タイプに分類された上で本妻タイプとして惹かれる場合と、愛人タイプに分類された上で愛人タイプとして惹かれる場合とでは、様相は大きく違ってこよう。
 少なくとも、男に大切にされるためのプロセスやノウハウは全く異なってくるはずである。

 よって、京子にとって、マル太に大切にさせるスキルとマル夫に大切にさせるスキルとは似ても似つかぬ――ということになる。

 なお、ここでいうところの「マル太」「マル夫」「京子」はフィクションである。
 念のため――

 現実のマル太が、どういう女性を本妻タイプとみなし、どういう女性を愛人タイプとみなしているかは、藪の中である。
 もちろん、マル太が、どちらのタイプに惹かれるかも……。

 ヒントは、式部たかしの書斎に隠されているかもしれない。
 あるいは、『京子さん日記』制作場……?
 2004年12月26日 (日) 新聞を読まなくなった
 最近、新聞を読まなくなった。

 いや――
 読んではいるのだが、毎日、読まなくなった。
 3、4日に1回、まとめて読む。

 一度に3、4日分を読むので、どうしても駆け足になる。細部を読み落としている可能性は大きい。

 時系列も滅茶苦茶だ。
 まず、昨日の新聞を読み、次に3日前の新聞を読み、最後に2日前の新聞を読む――なんてことはザラである。

 少し生活に余裕がなくなっているのか?

 毎日、新聞に目を通すくらい、昔は、わけもないこと……のはずであった。

 生活のリズムが変わっているようだ。
 いまだかつて経験したことのないリズムのようである。

 さからわないで、しばらく、このリズムで生活してみようと思う。
 その内に元に戻るかもしれない。
 あるいは、もっと別なリズムに落ち着くかもしれない。

 自分をコントロールし過ぎないようにしたい。

 どうせ、コントロールし切れない――ということもある。

 それとは別に、このリズムに任せてみることで、自分がどんな風に変わっていくのかに興味がある。

 しばらく、変わるにまかせてみよう。
 どう変わるのか、楽しみである。
 2004年12月25日 (土) 「文学」というけれど
 すでに、お気づきの方も、あるかもしれない。

 昨日の『道草日記』は課題作文であった。
 一昨日の『道草日記』で触れた久美沙織さんの本の中にあった課題作文である。
 テーマは「一番はじめに読んだ本」――

 昨夜はクリスマス・イブだというのに、すっかり別ネタで埋めてしまった。
 日本のクリスマスに興味はないので、忘れたのは必然かもしれない。
 ヨーロッパの荘厳なクリスマスに触れると、日本のクリスマスは眉唾である。もちろん、日本独自の文化と、いえなくもないけれど……。

 話がそれた。
 久美沙織さんの本の話をしていたのだった。

 課題作文を書き上げたので、その先を読んでみた。

 久美さんが、この課題作文で教えたかったことは、

 ――凡庸に陥るな。

 ということだったらしい。

 どういうことか?

 つまり、テーマが「一番はじめに読んだ本」だからといって、

 ――僕が一番はじめに読んだ本は……。

 などと書き出すような愚は犯すな、という話である。
 至極、もっともな指摘である。

 幸い、僕の書き出しも、

 ――僕が一番はじめに読んだ本は……。

 では、なかった。

 少しは脈があるということか?

 プロとアマとの差は脱凡庸の有無である、と久美さんはいう。
 プロは決して凡庸に埋没する作文は書かない。アマは、つい書いてしまう。そこが決定的な差である、と久美さんはいう。

 さらに、久美さんの言説によれば、脱凡庸の姿勢は努力して身につくものではない。
 小説家――あるいは小説家の資質のある人――は自然と、そうなっていくものだという。
 小説家に凡庸な文章を書くことは不可能だという。

 ――生理的に。感覚的に。

 不可能なのだそうだ。

 ――だって、そういうのって、超ダサいんだもん。

 と久美さんはいう。

 たしかに、小説家志望で、
(凡庸な文章でいい)
 と思っている人は誰もいないだろう。

 それで思い出したのが学術論文である。

 面白いことに、学術の世界では正反対である。
 学術研究者は研究の対象ないしアプローチにおいて非凡であろうとするが、物書きにおいては常に凡庸であろうとする。

 当然のことだ。
 誰が調べても、誰が考えても、誰が著わしても、皆、同じ中身になる――というのが学問の理想である。
 学術論文に作家性は邪魔なのである。

 こういう話をしていると「文学」という言葉が深刻な矛盾をはらんでいるように思えてならない。
 字面通りに解釈すれば、「文学」は学問ということになるが、はたして本当にそうなのか?
 もし「文学」が本当に学問ならば、「文学」の担い手は、その表現様式において、おしなべて凡庸に努めているはずである。
 しかし、現実は反対だ。

 だから、「文学」という言葉に納得はできない。
「文学」が学問だとは、到底、思えない。

 もちろん、「文学」を体系的に分析・批評する営みは学問といってよい。そういうものを「文学」と呼ぶことに違和感はない。
 だから、「英文学」や「仏文学」は、そのままでよい。

 しかし、いわゆる「文学」は違う。「文学」は芸術である。
 ならば、「文芸」が正しいのではないか?

「純文学」ではなく「純文芸」――
「文学的」ではなく「文芸的」――

「文芸」と「文学」――少なくとも、僕の中では決定的に異なるものである。
 この二つをゴッチャにしたくはない。
 2004年12月24日 (金) その機を逃さなかった
 母は、僕が活字嫌いになるのを何よりも恐れた。
 僕が言葉らしきものを発するようになってから、さかんに絵本をよんできかせた。

 ――なのに、ちっとも本をよまない。

 と嘆いた。
 僕が小学生の頃である。
 みかねた父が、

 ――お父さんも子供の頃、本は読まなかったが、マンガはよんだぞ。

 という。
 マンガにある僅かな活字でも、触れないよりはマシと考えたのだろう。

 しかし、僕はマンガすら、よまなかった。
 マンガすらよまないで、何をしていたかといえば、TVである。
 毎週、お気に入りのTVアニメを欠かさずに、みていた。

 そこで、一計が案じられた。
 僕が好きなTVアニメの小説化されたものが買い与えられた。

 最初は僕がねだったらしい。
 もちろん、活字に触れる努力をすべく、ねだったのではない。
 そのTVアニメのストーリーを味わいたくて、ねだった。

 その機を逃さなかった。
 次から次へと、TVアニメの小説が買い与えられ、自然とよんでいった。
 読書と楽しみとが合致した原体験である。

 おそらく父のアイディアだったように思う。
 父は当世風のTVアニメに理解があった。母は無理解であった。 

 そんな僕が、いま物書きに魅せられている。
 あれほど縁遠かった活字媒体を、自分の主たる活動の場にしようというのだ。
 わからないものである。

 父の妙案がなかったら、僕がいま、ここで、こんな一文を書くこともなかったろう。
 2004年12月23日 (木) 明日は必ず
 古本屋に入ったら、ある本の背表紙が気になった。

 ――新人賞の撮り方おしえます

 とある。
 手にとると、久美沙織さんの本らしい。古本なのに帯がついていて、

 ――なぜ君は第一次選考を通過できないのか!

 とある。
 久美沙織さんは主にジュニア小説で活躍されている作家さんで、ロール・プレイング・ゲーム『ドラゴンクエスト』の小説化でも知られる。

 僕は、別に新人賞へのこだわりはない。
 小説家になりたいとは思うが、賞を取りたいとは思わない。
 それでは進歩がないので、人の勧めもあって、ときどき新人賞の類いに応募はするのだが、覚悟が中途半端なせいか、いずれも一次選考を突破したことはない。
 だから、

 ――なぜ君は第一次選考を通過できないのか!

 は、ひと事ではない。

 この本は講義録である。
 久美さんがカルチャー・センターのようなところで講義された内容を、受講生たちが、まとめたものらしい。
 講座名は「本の学校『作文術』」とある。
 平成3年の開講というから、もう随分、古い。

 久美さんによれば、小説を書き方に入る前に、まず作文の書き方から学ばなければならないのだそうだ。
 よって、受講生たちは最初の講義で、
「一番はじめに読んだ本」
 をテーマに作文を書いたそうだ。

 ――できれば読者の皆さんも先を読む前に書いてみて……。

 ということなので、僕も書いてみようと思う。

 制限時間は15分という。

 厳しい。

 残念ながら、今日は他にやらなければならないことがあるので、明日は必ず――
 2004年12月22日 (水) 雪はロマンチックだった
 仙台に移り住んで一番に変わったことは雪に対する感覚だった。

 辛島美登里さんの1990年のヒット・ナンバー『サイレント・イブ』の歌い出しは、

 ――人は、粉雪が舞うと立ち止まり、自分が心を寄せている場所を思い出す。

 というものであった。

 いかにも南国・鹿児島育ちの辛島さんらしいロマンチックな詞である。

 しかし、北国の人々にとって、雪とは、そんなにロマンチックなものではない。

 ――また雪かよ。

 というのが本音である。

 ――去年、降ったばかりじゃないか……。

 と――

 雪は、たまに降るからいいのであって、毎年、がっちり降られると、邪魔以外の何ものでもない。

 仙台は、かなりマシである。
 雪は、それほどには降らない。
 それでも、毎年、車のタイヤを雪用に交換したりするのは面倒である。

 ひと度、雪が降れば、路上は歩きにくく、自転車は転び易い。
 ろくなことがない。

 仙台にやってきて10年――
 それまで、雪はロマンチックだった。
 
 何だか貴重なものを失った気がする。

 とはいえ、大昔から北国では、そうであったのだ。

 ――何をいまさら……。

 との思いを強くされる方もいるだろう。
 雪をロマンチックにとらえるのは、残念ながら、一面的な物の見方なのかもしれない。
 2004年12月21日 (火) 白髪なのに色っぽい
 仕事で石巻に来ている。
 石巻は宮城県第二の都市――仙台からは電車で一時間余の距離である。

 今晩は泊まりなので家には戻らない。
 だから、この『道草日記』はJR石巻駅近くのネットカフェから打ち込んでいる。

 カフェに入ると『マツケンサンバ II』が流れていた。昨日の『道草日記』で紹介した『マツケンサンバ II』である。

 こうして聴いていると、何ということはない歌謡曲である。
 ヒットしたのは松平健さんのパーソナリティに依るところが大きいようだ。

 中学のときの英語の先生が松平さんの大ファンだった。
 中年の女性だった。当時、まだ五十路前だったと思う。

 その歳で、なぜか頭は、すっかり白髪になっていた。
 しかし、老け込んだ印象はなく、むしろ妙に色っぽい。
 時々、思わせぶりに、
「うふふ」
 と微笑む方だった。
 いま思えば、肌には張りと輝きとが十分に残っていた。

 授業中、
「私は松平健さんが好きです――を、英語でいうと?」
 と、おっしゃるので、皆、仕方なく、
「……アイ、ライク、ミスター・ケンマツダイラ」
 と唱和すると、
「――そうそう」
 と嬉しそうに「うふふ」と微笑まれる。

 どこか憎めない方だった。

 若いときに病気をされ、それが原因で白髪になられたときく。
 頭は真っ白で、すっかりお婆さんみたいになってしまわれたのに、女性らしさを失わないでおられたのは実に驚くべきことだ。
 当時は、気にも留めなかったが……。

 片意地を張るような方にみえなかった。
 しかし、もしかしたら陰で悲壮な努力をされていたのかもしれない。

 以後、五十歳を前に、すっかり頭が白くなってしまったような女性は知らない。
 物書きを志す以上、どんなお気持ちでおられたのか、是非、伺っておくべきだった。
 もっとも、その先生を傷つけずに上手に伺うことなど、中学生の僕には無理であったろうが……。

 時々、中学時代の恩師の方々に無性にお会いしたくなることがある。
 この英語の先生も、そのお一人だ。

 いまごろ、『マツケンサンバ』を、どのようなお気持ちで聴いておられるのだろうか?
 2004年12月20日 (月) いま『マツケンサンバ』が面白い
 いま『マツケンサンバ』が面白い。
「マツケン」とは俳優の松平健さんのこと――

 かつて「阪妻」こと阪東妻三郎さんが亡くなったときに、

 ――以後、姓名を漢字二文字に短縮される俳優は出てこないだろう。

 などと、いわれたりしたものだが、そんなことはない。
 例えば、松平健さんが、この「マツケン」を足掛かりに、やがて「松健」と呼び慣わされる日が来るかもしれない。

 TVドラマ『暴れん坊将軍』の人である。
『暴れん坊将軍』は徳川幕府8代将軍・吉宗を主人公にした娯楽時代劇である。
 いわゆる勧善懲悪物で、将軍自ら市井に出、悪代官などを懲らしめる。

 1970年代からスタートした超長寿番組であるが、残念ながら、現在は本放送の制作は打ち止めになっている。
 それでも、なお根強い人気を誇り、とくに中高年女性に熱く支持されているときく。

 高い認知度は、中高年女性にとどまらない。
 歴史上の徳川吉宗は財政改革を統率した政治家であった。
 当時の財政は米が基盤である。改革のメスは自然、米政策に向けられた。
 付いたあだ名は「米将軍」――米の字が「八」と「木」にわけられることから「八木将軍」ともいう。

 しかし、多くの小・中学生にとって、徳川吉宗のあだ名は、やはり「暴れん坊将軍」――
 社会科のテストで大真面目に、そう書いた者もある。
 
 そんな松平さんが、金ピカな衣装を纏い、陽気に歌って踊る。
 それが『マツケンサンバ』のステージ・パフォーマンスである。
『暴れん坊将軍』での抑えた演技が印象に残っている人は戸惑うかもしれない。

 しかし、故のないことではない。
 松平さんの師匠は「勝新」こと勝新太郎さんである。
 派手好みは師匠ゆずりだという。
 質素倹約を奨励した徳川吉宗が知ったら、気分を悪くするかもしれない。

 恥じることはない。
 俳優たるもの、豪遊も芸のこやしである。

 松平さんサイドは、今回の『マツケンサンバ』のヒットに戸惑いを隠さない。
(なんで、いまごろ?)
 との思いが強いのだそうだ。

 現在、大流行の『マツケンサンバ』は、正確には『マツケンサンバ II』である。『マツケンサンバ I』はひと昔前にリリースされた。
 派手好みの松平さんのこと――
 実は、デビュー後、間もなくの頃から、派手なステージ・パフォーマンスを得意にしていたという。
 時代劇の松平さんだけが「松平健」ではなかった。

 専門家は、今年になって『マツケンサンバ』がブレイクした理由を、徹底したプロモーションの結果だと分析する。
 そういえば今年の春頃から、大型CD・DVD店などで、しきりに『マツケンサンバ』のステージ映像が流されていた。

『暴れん坊将軍』の打ち切りにあわせ、松平さんサイドが仕掛けた営業戦略なのかもしれない。

 先月、ある情報番組の司会者が『マツケンサンバ』の流行に絡め、面白いコメントを発した。

 ――『マツケンサンバ』が何ほどのものかと思って実際にみたところ、あれは面白い!

 そこまでいわれては、みないわけにはいかない。

 今年のNHK紅白歌合戦への出場が決まっている。
 未見の方は、是非、そこでチェックされるといい。
 2004年12月19日 (日) お辞儀
 東アジアに疎遠な人々にとって、中国人や朝鮮人から日本人をみわけるのは難しい。
 有用な指標の一つに、お辞儀があるという。
 日本人は、よくお辞儀をする。
 中国人や朝鮮人は、それほどではない。

 映画『スター・ウォーズ(STAR WARS )』は、日本の武士道にヒントを得て制作されたといわれている。
 一連の作品には「ジェダイ(Jedi)」と呼ばれる騎士たちが登場する。
『スター・ウォーズ』を注意深くみていると、ジェダイたちが、ときどき、お辞儀をしているのに気付く。

 もちろん、日本の武士道が『スター・ウォーズ』に、そのまま移植されてきたわけではない。
 ジェダイたちが日本の武士であるわけでないのは、作品をみていればわかる。

 一番の違和感は、やはり、お辞儀だ。
 かなり、ぎこちない。
 格好いい西欧人の男性が、おどおどした少年のように、お辞儀している。

 今朝、東京駅で新幹線を待っていたら、ホームに女性パーサーが立っていた。
 何をするのかと思ってみていたら、ちょうど列車がホームに入ってきたところで、運転席に向かい、深々とお辞儀をしたのである。

 完璧な間合いであった。

 いかにも慣れた仕草をみると、いつものことなのであろう。
 そういう内規が、あるのかもしれない。
 仮に形式化されていたとしても、それは日々、安全運転に務める運転手への敬意の表れといってよいだろう。
 お辞儀の基本原則から、はみ出るものではない。

『スター・ウォーズ』の制作者たちには、是非、現代日本人のお辞儀を研究して欲しかった。
 お辞儀のことなら、現代日本人に学ぶのが一番よい。
 宇宙活劇に取り入れるなら、なおのことである。

『スター・ウォーズ』の制作者たちは、かの名優・三船敏郎さんに出演を依頼したという。
 三船さんは側は深く考えずに断った。
 そして、その後の大ヒットぶりをみて、地団駄を踏んで悔しがったといわれる。

 もし、三船さんが出演を受けていたら――

 ジェダイたちのお辞儀は、それはそれは美しいものになっていたに違いない。
 残念である。
 2004年12月18日 (土) 満員電車で切符を落とした
 昨日から東京にきている。

 種々の事情により、最近は、毎週のように東京にきている。
 通常は金曜日から土曜日にかけての一泊二日の滞在となる。
 今回は、お世話になっている方々のお祝いごとがあり、明日の日曜日までの滞在となった。

 東京に滞在するときは、主に上野近辺ないし池袋近辺に宿をとる。
 昨日はJR板橋駅近くの定宿に泊まった。
 板橋は池袋から、ひと駅の距離である。

 ところが、その定宿には連泊できなかった。
 止むなく、今晩はJR秋葉原駅の近くの宿に泊まっている。
 秋葉原は上野から、ふた駅の距離である。

 今朝、板橋から秋葉原方面に移動しているときに、教育の原点について考えた――
 などと書くと大袈裟だが、要はこうである。

 JR板橋駅から池袋駅まではひと駅――
 ところが、この区間、ヤケに込む。
 少なくとも土曜の午前中は、よく込む。

 先日、この区間を移動中に切符を落としたことがあった。
 切符である。
 カードではない。

 僕は、いまだに切符を使っている。
 カードは仙台エリアでも使えるので、買おう買おうとは思っているのだが、つい面倒で、そのままになっている。

 で――
 切符を落とした。
 満員電車の床に落としたのである。
 
 ギュウギュウ詰めなので、拾おうにも拾えない。
 足下近くに落ちているのはわかったのだが、どうしても拾えない。

 このまま、切符がどこかに吹き飛ばされてしまったら終わりだ。
 駅員さんに仔細を説明しても見逃してはくれないだろうから、二重払いせざるを得まい。

(――げげ)
 と焦った。

 多分、十代の僕だったら、すっかり気が動転していたと思う。
 子供の頃から、不測の事態に弱かった。
 その傾向は十代も残っていて、
(いい! 知らん! もう諦めた! 清算する!)
 と居直ったに違いない。

 しかし、いまは違う。
(まあ、落ち着け)
 と自ら諭す。
(きっと何か有効な解決策があるはずだ。それを探ろう)
 と思う。

 とはいうものの、あと数分で池袋駅に着く。
 扉が開いたら、満員の乗客が一斉に降車する。
 そのはずみで、切符の一枚や二枚、吹き飛んでしまうに違いない。

(まあ、とにかく落ち着け)
 と改めて諭す。

 そんなこといったって――と、十代の僕なら、ほぼ確実にパニックになった。

 結局、切符は首尾良く回収できた。

 どう回収したかというと、まず、吹き飛ばされそうな切符を靴底で踏み付け、電車が駅に着くのを待つ。
 そして、扉が開き、満員の乗客が降車し始め、ホームの乗客が大量に乗車して来るまでに、素早く切符を拾い上げた。
 正味一秒ほどだったと思う。
 その間、わずかに、しゃがめる余地が出た。

 その後、乗車する客波を押し退け、強引に降車――まあ、それくらいの無理は仕方あるまい。

 これが教育の成果である。

 教育とは、修得した知識を全て忘却した後に残るものを植え付けることだという考え方がある。

 この場合は、まさに、そうだった。

 僕は、こうした不測の事態に対処する方法を、どうやって身に付けたかというと、大学時代の試験である。

 試験でヤマを外された。
 どう対処するか?

 まず、落ち着くこと――
 命まで、とられたりはしない。
 よしんば、そうであったとしても、冷静さを失っては何の解決もできない。いかなる場合であっても、状況を冷静に分析する姿勢が大切である。
 そして、可能な限り打開策を模索し続ける。すべての望みが絶たれるまで模索し続ける。

 大学時代、たとえヤマを外されても、試験時間の最後まで粘ることの大切さを覚えた。
 そのお陰で、絶望的な試験を何度か合格した覚えがある。
 もちろん、多くのケースでは駄目だったのだが……。

 結局、教育において知識の修得は二次的なのだと思う。

 現に、大学の試験勉強で詰め込んだ知識の大半は忘れた。
 でも、ヤマを外されたときの対処法――不測の事態の対処法――は、しっかり身についている。

 本来、教育とは、こうあるべきだ。
 未知のトラブルへの対処法を身に付けることこそ、真の教育の目標ではなかったか。

 その視点が、いまの日本の教育現場にあるのかどうか、疑問に思う。
 僕らの大学の先生たちは、もちろん不測の事態の対処法を教えようと思って試験を課していたわけではない。

 そこが問題なのである。
 2004年12月17日 (金) 後味の悪い物語
 中学生くらいの頃から、後味の悪い物語に惹かれていった。
 いわゆるバッド・エンディングの物語である。

 ――登場人物が皆、死んじゃう。

 とか、

 ――主人公が苦しみ続けたまま終わる。

 とか……。

 たしか田口ランディさんが、どこかのサイトで指摘されたことだったと思うが、こんなことをいう人があるそうだ。

 ――世の中には2種類の物語しかない。

 と――

 ――ひとつは男が穴に落ちて這い上がる話。もうひとつは男が穴に落ちて死ぬ話――

 田口さんは、

 ――さらに、もう一つ、穴に落ち、穴の底を、ひたすら、さまよい続ける話というのも、あるのではないか。

 と指摘されていた。

 穴に落ちて死ぬ話も穴の底をさまよい続ける話も、バッド・エンディングに違いない。
 僕には、こうした暗い物語のほうが、なぜか、しっくりくる。
 逆に、穴から這い上がる話は、どうも、しっくりこない。
(嘘っぽい)
 と思ってしまう。

 どんな人であっても、人生の幸・不幸の絶対量は相殺されているという信仰がある。
 人は皆、幸と不幸との波を繰り返しつつ、やがては一様に死んでいく。
 僕は、これを真理だと思う。
 世の常として、仕合せになりっぱなしの人など、いない。
 同じように、不仕合せになりっぱなしの人なども、いない。

 物語をハッピー・エンドで終わらせるということは、話が主人公の仕合せの絶頂期で打ち切られることを意味する。

 そんなところで打ち切られると、かえって切ない。
 その後に必ずやってくるであろう――不幸な展開が、僕には気になる。

 逆に、物語をバッド・エンドで終わらせるということは、話を主人公の不仕合せの絶頂期で打ち切られることを意味する。

 そういうところで打ち切られたほうが、よい。
 その後に必ずやってくるであろう――少しはましな展開が、僕を安心させる。

 本当は、そこで死んでしまったりするほうが、もっと安心できる。
 死んでしまうのだから、これ以上、不幸になることはない、というのが一点――
 さらにいえば、

 ――幸・不幸の絶対量は相殺される。

 という信仰の妥当性を確認できる、というのが、もう一点である。

 とくに二点目は大きい。
 自分自身の人生を考える上で、大きい。

 リアルな物語では、大抵、幸・不幸の絶対量は相殺されている。
 少なくとも僕の目には、そうみえる。

 それを確認したくて、僕は物語に触れている。

 その確認をハッピー・エンドは妨げる。
 何だか、はぐらかされたような気分になってしまう。

 だから、バッド・エンディングがいい。
 少なくとも、はぐらかされる感じはない。

 僕がバッド・エンディングを好むは、そうしたことによる。
 2004年12月16日 (木) 話を練り過ぎる
 先ほど、ある会合に招かれ、講義のようなものをした。
 聴衆は5人――ごく小規模な会合だ。

 世話人の方の話では、

 ――気楽に、ざっくばらんに……

 ということだった。
 しかし、引き受けた以上は、そうはいかない。
 時間直前まで、頭の中で入念に予行練習――

 対象は、仕事を終えたばかりで疲れている人たちだったので、いきなり本題に入るのは辛かろうと考え、導入用のくだけた小ネタまで、きっちりと考えた。

 そして、いざ、みんなのところにいってみると、ケーキが用意されている。
 暖かいお茶も入っていた。

 要するに、いきなり本題に入るのは辛いので、最初は、本当に、ざっくばらんな世間話――井戸端会議――から入りましょう、ということだった。

 迷った。

 先ほどまで一生懸命に考えていた小ネタを披露するべきかどうか……?

 ケーキを食べつつ雑談に花をさかせたあとの講義なら、気楽な導入など不要に思えた。
(――でも、せっかく考えたのになあ)

 迷った挙げ句、結局、その小ネタを披露することに――

 しかし、これがよくなかった。
 受けは、よくなかった。

 ――早く本題に入りましょうよ。

 みたいな視線を感じた。

 イヤな空気を察知し、話は30分で終わりにした。
 本当は1時間ほどを予定していたのだが、さっさと切り上げることにしたのである。
 切り上げて正解だったと思う。

 いやはや――
 人前で話をするのは、難しい。

 もちろん、喋る内容を事前に練っておくことは大切だ。
 しかし、練り過ぎても駄目である。
 当日、聴衆の顔色をみながら、その場で練っていくようでなくてはならない。

 ちなみに、その後のディスカッションは延々、2時間も続いた。
(みんな、疲れてないじゃん!)
 と思う。

 でも、議論の中身は僕の話とは、ほとんど関係がなかった。
 僕の話は心には届かなかったようである。

 やはり、話を練り過ぎるのは、よくない。
 2004年12月15日 (水) 「理科離れ」というけれど
 理科離れが深刻化しているそうである。

 今日付けの新聞各紙が伝えるところによると、国際教育到達度評価学会が、昨年に実施した学力調査の結果だという。
 日本の小・中学生の理科の学力は、

      前回   今回
  中学生 4位 → 6位 (前回1999年)
  小学生 2位 → 3位 (前回1995年)

 と落ちた。
 しかし、数学(算数)は前回と変わらずに、

  中学生 5位
  小学生 3位

 であった。

 ――なんだ。そんなに悪くなってないじゃん。

 というのが、率直な感想である。
 にもかかわらず、マスコミは大騒ぎ――
 理由は、理科や数学(算数)を「楽しい」と答えた子供の割合が世界最低レベルだったから、らしい。

 ――そりゃ、楽しくないでしょ。

 というのが、僕の本音である。

 日本の小・中学校の実態をみれば、楽しくないのは当然だとわかる――と識者はいう。つまり、現行の授業は、所詮、受験勉強の域を出ていない、というのである。
 例えば、算数の授業の柱は計算ドリルであったりする。

 もちろん、計算ドリルは大切だ。
 計算能力は基礎トレーニングによって培われる。
 だから、高等学校でさえも、計算ドリルは必須である。

 だからといって、これをメインにしてはいけない。

 昔、とある小学校で、算数の実習があった。
 校庭のトラックの周の長さを実測しようという授業である。
 対象は小学校低学年だ。

 先生は、長い巻き尺を用意し、トラックの円周部分に巻き尺を当てていくように指示した。
 しかし、それではトラックの円周部分の測定が不正確である。いくら巻き尺がテープ状とはいえ、曲線の距離を測るには適していない。

 ――もっと、いい測り方はないかなあ?

 と、児童の一人がいった。

 このとき、先生は、どう対応するべきだったか?

 ――そうだね。計算を使って上手に測ってみることもできるね。

 と諭すのがよい。

 ――どんな風に?

 ――まず、画用紙に円を描いてごらん。コンパスというものを使えば、綺麗な円が描けるよ。

 ――はい、できた。

 ――では、その円を切り取って、滑らないように上手に転がしてみようか? ちょうど一回転させると、円は何センチ進んだかな?

 ――6センチ4ミリだったよ。

 ――では、それが円周の長さなんだね。ところで、円の直径は何センチなのかな?

 ――ちょうど2センチだよ。

 ――では、円周の長さと円の直径との比は 6.4:2、つまり、3.2:1 なんだね。

 ――そうか! じゃあ、校庭のトラックの円周部分の長さも、円の直径を測って、それを3.2倍すればいいんだ!

 ――そういうことだね。

 数年前――
 マスコミなどを通じ、円周率を3.14で教えるべきか、3で教えるべきかで、議論になったことがあった。

 これほど不毛な議論はない。
 3でも3.14でも大差はない。どっちでもいい。

 円周率にまつわることで最も大事なことは、どんな円を描いても、その直径と円周との比率は一定である、という事実である。
 この真理を強調せずに、ただ、いたずらに小数点第2位の計算を強要するのは愚の骨頂といえよう。

 で――
 くだんの小学校の先生は、

 ――もっと、いい測り方はないかなあ。

 という児童の問いに、何と答えたか?
 あろうことに、

 ――グズグズしてないで、さっさと巻き尺を当てなさい。

 と、叱ったのである。
 酷い話である。
 おそらく、その児童は、物事を算数的に考えることが悪なのだと思ったことであろう。

 こういう人を教員にしているシステムに問題がある。

 理科離れ(数学・算数離れ)は、どうすれば食い止められるのか?
 簡単である。
 サイエンスの素養のある人を教員にすることだ。

 僕が子供の頃、小学校の先生は、ピアノの演奏や鉄棒の演技もできないと駄目なのだと、きかされた。
 だから、小学校の先生は凄いのだと――
 いまでも、状況は同じだろう。

 しかし、そういう人材では理科離れを防げない。

 この際、ピアノや鉄棒など、どうでもよいのではないか?
 例えば、円周率の意義に敏感な人を現場に投入することから始めてみる――
 もっといえば、円周率の意義に鈍感な人を追い出してでも、そういう人材を登用してみる、ということである。

 そこまでの覚悟がないのなら、何をやっても実効は期待できない。
 教育は、一にも二も、人なのであるから――
 2004年12月14日 (火) 辞世の句の読み比べ
 一昨日(12/12)の『道草日記』で触れた週刊新潮12月2日号の巻末には、マンガ家の黒鉄ヒロシさんが面白い作品を寄せている(日本tence第128回)
 タイトルは『戦国』――

 黒鉄さんと思しき男性が登場し、

 ――武将の辞世の句を読み比べてみますと、一流と二流とを分けるラインは、死にのぞんでの「ワタクシ」の有無ではないかと……。

 と、いう。

 例えば、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)と争って敗れた織田信長の元重臣・柴田勝家の辞世の句、

  夏の夜の夢路はかなき後の名を
  雲居にあげよ山ほととぎす

 を挙げ、

 ――死後の名声にこだわっているところが、小さい、小さい。

 と、いう。

 また、羽柴秀吉の水攻めで有名な高松城の主・清水宗治の辞世の句も、

  浮き世をばいまこそ渡れもののふの
  名を高松の苔に残して

 とあって、

 ――やはり、「名」にこだわり、生への未練を隠しません。

 と、いう。

 では、誰が「ワタクシ」を殺しているのかといえば、例えば、上杉謙信である。

  四十九年
  一睡夢
  一期栄華
  一盃酒

 などは、

 ――上等

 だそうだ。

 さらに、本能寺の頓死で辞世の句を残せなかった織田信長も、特筆に値すると、黒鉄さんはいう。
 信長が好んで口ずさんだという幸若舞の『敦盛』の一節、

  人間五十年
  下天の内をくらぶれば
  夢幻のごとくなり

 には、やはり「ワタクシ」がない。
 黒鉄さんは、最終コマに信長自身を登場させ、

 ――わしゃあ、つくりそこねたがなも。元より、遺すつもりもにゃあでなも。

 と、いわせている。その信長に向かい、

 ――そこが実存主義っぽくていいんですよ。

 と黒鉄さんがいう。
 戦国武将の辞世に絡め、実存主義を持ち出すあたりが面白い。

 それで思い出したのが、幕末の志士・高杉晋作の辞世の句であった。

  おもしろきこともなき世をおもしろく

 これも見事に「ワタクシ」がない。

 ――世の中は、とかく、つまらない。そんな世の中であっても、おもしろく生きてこれたことだよ。

 という満足の言葉だろうか。あるいは、

 ――おもしろくない世の中も、考え方一つで、おもしろく生きられるぞ。

 というメッセージであろうか。
 わずか27年の生涯で「維新最大のオルガナイザー」(池宮彰一郎『大将論』朝日新聞社)と称せられるほどの破天荒な偉人である。
 そんな人物が死に接しての言葉だ。

 実に重い。

 先頃、官僚の友人が嘆いていた。

 ――何か打ち込めるものが欲しい。

 と、いう。
 仕事に打ち込めないのかと訊ねたら、

 ――打ち込めない。

 と、いう。
 所詮、仕事は仕事であって、それ以上のものではないのだそうだ。

 そんな自分を、彼は気にいってはいない。
 そうかといって、何かおもしろいことを求めて、駆けずり回っているようにもみえない。

 ふと思った。
 実は、あの高杉晋作も、

 ――何か打ち込めるものが欲しい。

 と思ったことがあったのかもしれない。
 それゆえに、何かおもしろいことを探し、幕末の動乱の世を走破したのではなかったか?

 最初の二句「おもしろきこともなき世を」は、陳腐ですらある。
 しかし、最後の三句で鮮烈な輝きを放つ。

  おもしろきこともなき世をおもしろく

 願わくは、我も、かかる境地に達せんことを――
 2004年12月13日 (月) 頭の体操
 今日の『道草日記』は頭の体操から――

 問題――

  ○○○○
  ○○○●

 は1、

  ○○○●
  ○○○●

 は2、

  ○○○○
  ○○●○

 は3、

  ○○○○
  ○○●●

 は4を表し、

  ○○○○
  ○●○●

 は10を表すという。このとき、

  ○○○○
  ●○●○

 は、いくつを表すか?

 中学生向けの問題だが、類題は小学生向けの問題集にもある。

 さて、正解はおわかりだろうか?

 ちなみに、僕は、しばらく頭を悩ませた。
 かなりの間、頭を悩ませた。

 算数や数学が好きな方であれば、じっくりと考えてみるのも面白いかもしれない。
 そうでない方は、以下をすぐにお読み頂いて構わない。

   *

 この問題に対するアプローチは、小・中学生と大人とでは全く異なると思われる

 大人は、どう解くか?

 おそらく、3進法の規則に気付かなければ無理である。
 3進法では、

  1は3の0乗が1個
  2は3の0乗が2個
  3は3の1乗が1個
  4は3の1乗が1個に3の0乗が1個
   :
  10は3の2乗が1個に3の0乗が1個

 と、みる。
 数の約束事より、3の0乗は1、3の1乗は3、3の2乗は9と計算される。
 つまり、いま、AのN乗を「A∧N」で表すならば、

  1=3∧0×1
  2=3∧0×2
  3=3∧1×1
  4=3∧1×1+3∧0×1
   :
  10=3∧2×1+3∧0×1

 である。

 よって、下記の2行4列の○や●について、

  ○○○○
  ●○●○

 右端の列の●の個数は3の0乗の個数を表し、かつ、右から2番目の列の●の個数は3の1乗の個数を表す。
 以下、全く同様にして、右から3番目の列が3の2乗の個数を、左端の列が3の3乗の個数を表す。

 よって、

  ○○○○
  ●○●○

 は、3の3乗が1個、3の1乗が1個という意味であるから、

  3∧3+3∧1
  =27+3
  =30

 である。

 以上が、大人の解法である。

 3進法の規則を熟知している大人なら、上記の○や●の並び方から3進法の規則を喝破し、答えを求めることができる。

 では、小・中学生の解法は、どうか?

 恐ろしいことに、小・中学生の多くは、3進法の規則などは意識せずに、上記の考察をやってのける。

 ――ええ? こうでしょ? 30じゃん。簡単、簡単……。

 ってなわけである。

 もちろん、普通の小・中学生が全員、この種の問題を「簡単」に解けるわけではなく、この種の問題に十分に慣れている小・中学生なら、という但し書きがつく。

 さて、僕らは、こうした子供の能力を、どう評価するべきだろうか?

 簡単に、

 ――答えは30じゃん。

 といってのける子供であっても、

 ――じゃあ、なぜ、30になるのかを説明してごらん。

 と問うと、途端、返答に窮する場合が多い。

 ――なぜって、30は30だよ。

 みたいな返事が戻ってくる。
 答えに至る過程は、よくわからないのだが、答えは出せる。
 つまりは、そういう能力なのである。

 こうした能力は、多分、ある一定の時期までは有用である。
 どんな問題に対しても、その答えがわかるということの意義は、誰の目にも明らかであろう。

 しかし、もし、大人になっても、そのままだったら、どうだろうか?
 答えを求める能力しかなく、なぜ、その答えに至るのかを説明できないとしたら……?

 おそらく、大問題になる。

 ――俺には答えがわかっている。なのに周りはわからない。周りは皆、バカに違いない!

 ってなことになりかねない。

 そんな人が、例えば国策を左右する地位にいたりすると大変だ。
 もちろん、その政治家の答えは正しいのかもしれない。
 しかし、

 ――たしかに正しそうだ。

 と皆を納得させる説明ができないわけだから、その政治家の決断は世論の猛反対の中で実行されることになる。

 本当に正しいのなら、いい。

 もし、違っていたら……?

 クーデターの一つや二つは起きるかもしれない。
 えらいことである。

   *

 こうした議論は新しいものではない。
 教育の現場には古くからある。
「ゆとり教育」のスローガンも、こうした見地から出されたはずだ。

 社会にとって真に有益な教育とは何か?

 もっと広く議論されていい。
 2004年12月12日 (日) 女性の制服姿
 僕は週刊誌を滅多に買わない。

 ふた昔ほど前に、俳優の山城新伍さんが、TVのバラエティ番組の中で、

 ――飛行機の中で、ちょっといい男を気取ろうと思ったら、週刊誌は広げられない。

 というようなことを嘆いておられた。
 たしかに、週刊誌には、しばしば品のない女性の裸体などが掲載されている。

 この山城さんの言葉が妙に印象に残り、以後、週刊誌とは、すっかり縁遠くなってしまった。

 いまも、基本的には変わりない。
 ごくたまに立ち読みをすることはあるが、買うことは滅多にない。

 なのに――
 先日、週刊新潮を買った。12月2日号である。

 理由は、シリーズ『職場で働く女性たち』というグラビア企画が目に留まったからである。
 キャッチコピーは、

 ――「制服」の君に、逢いたい。

 自衛官や警察官、消防士などの女性の制服姿を写真におさめたものである。
 巻頭と巻末とに数ページずつ――
 なかなかに気合いの入った企画であった。

「制服」というと、ひと頃は、日本の画一的な学校教育に絡められ、批判の的となった。
 しかし、実際は多くの日本人が制服好きに違いない。

 ――みんな好きなクセに。

 とは、コラムニスト・酒井順子さんの著書『制服概論』(新潮文庫、平成14年)のキャッチコピーである。
 酒井さんは、その著書の中で、

 ――昔は「制服が嫌いだ」という言葉が命がけだったが、いまは「制服が大好きだ」という言葉が命がけになっている。

 と指摘されている。

 その通りだ。
 僕は制服が好きなのだが、それを大声で吹聴してまわったことはない。

 ――制服が好き。

 との発言は、たしかに、ためらわれる。

 もっとも、僕の場合は、女性の制服が好きなのであって、男性の制服は、どうってことはない。自分で制服をまとうのも、
(まあ、苦痛ではないけれど……)
 といった程度である。
 もっといえば、女性の制服姿に、ある種の性的魅力を感じとる、ということだ。
 つまり、

 ――制服姿の女性は妙に色っぽい。

 ということである。

 その色気は、週刊新潮12月2日号でも遺憾なく発揮されている。
 とりわけ、東京消防庁・カラーガーズ(color guards)隊の隊長さんの立ち姿がよい。
 朱色の制服姿で、わずかに微笑み、敬礼をしている。

 およそ女性性とは無縁の服装・仕草であるにもかかわらず、なぜ、ここまで色っぽいのか?

 僕がおかしいのか?

 制服は抑圧の象徴であり、制服姿の女性は抑圧された女性の象徴であり、だから、僕は抑圧された女性が好きなのか――

 という分析は、ありきたりに過ぎる。
 しかも、多少、本質から外れている気がする。

 少なくとも、カラーガーズ隊の隊長さんの柔らかい微笑みに抑圧の印象はない。

 女性の制服の色気は、物語と性との密接な関連に由来するように思う。
 最近、僕は、自分の小説の中で、

 ――物語が性を絡めとる

 という小見出しを用いたのだが、実際は、

 ――性が物語を絡めとる

 であったかもしれない。

 制服とは、いってみれば物語の表出である。
 例えば、婦人警官の制服は、それだけで物語である。僕らは、これまでの生活史の中から「婦人警官」というコンセプトを作り上げている。
 そのコンセプトは実態からは遠いかもしれない。
 しかし、「婦人警官」という言葉から、僕らは様々なイメージを喚起する。

 そうした物語に、性的感性が触発される。

 性は常に物語を欲する。

 ――性が物語を欲する?

 と首を傾げる向きもあろう。

 一番わかりやすい例は恋愛である。
 あれは物語である。

 ――というより、あれが物語でなくて何なのか?

 恋愛とは、自分が能動的かつ躍動的に関わることができる物語である。主体的に関与できる物語だからこそ、人は恋愛に夢中になれる。

 そのようなわけで――

 制服姿の女性は色っぽい。
 滅多に買わない週刊誌を、つい買ってしまうくらいに、色っぽい。

『制服概論』の酒井順子さんは、巻末で、こう囁いている。

 ――無理してないで「俺は制服が好きだーッ」って叫んでしまいなさいよ。

 週刊誌を買ったときの僕は、心の中で、そう叫んでいたのかもしれない。
 2004年12月11日 (土) 休日こそ朝のお散歩
 今日、朝の散歩を満喫した。

 10時の新幹線で東京に向かうことになっていたのだが、その一時間前に、自宅の近所で、とある約束があった。
 その用事が、思いがけず、あっという間に片付いたので、新幹線の発車時刻まで余裕が出たのである。

 自宅から仙台駅まで、いつもなら15分で歩く距離を、たっぷり30分近くかけて散歩する。

 実は、副業の職場にいくときにも、同じ道のりを歩いているのだが、仕事に出かけるときとは雲泥の差である。

 いつもは、

 ――そういえば、あの案件が未決だった。今日中に片付けるぞ!

 とか、

 ――いつもこの信号待ちは7時20分なのに、今日は3分も遅れてる!

 とか、色々と忙しくものを考えている。
 とても「お散歩」とはいえない。

 今朝は風が穏やかで、陽射しも柔らかだった。
 絶好の散歩日和である。

 実は、休日の朝は、いつまでも寝ていることが多い。
 それが僕なりのストレス解消法である。

 でも、本当は早起きしたほうが、よほど気が休まる。
 ストレスが溜まり、メチャメチャにしんどいときほど、いつも通りに起き、朝の街並でも、ゆっくりみてまわるほうがよい。

 簡単なことなのである。

 しかし――
 なぜか、朝、布団に包まっているときには、それが理解できない……。
 2004年12月10日 (金) 人が人を理解する
 ――人が人を理解するということは、ほとんど奇跡に近いのではないか?

 と思っている。

 例えば、こちらは親切でやっている、ということを伝え、わかってもらい、わかってもらったことを、こちらも感じとる――

 あるいは、相手が、こちらに敵意をもっていない、ということを感じとり、それを相手に伝え、わかってもらう――

 こうした共感のやり取りは、よく考えれば、もう、奇跡の連続といってよい。
 当然だ。お互い、心の中までは覗けない。いくら、わかりあえたと思ったところで、本当は「狸と狐の化かし合い」の域を出ていないのかもしれないのである。

 にもかかわらず、こうした共感のやり取りが成り立つことは、決して珍しいことではない。
 奇跡的であるにもかかわらず、意外と無造作に成り立ってしまう。

 わかっている人には、わかることであり、わかっていない人には、わからないこと――である。

 念のために明示しておくと、「わかっている人」というのは、

 ――こうした奇跡は、人の世では結構、頻繁に起こるのだ。

 ということを知っている人であり、「わかっていない人」というのは、

 ――人は所詮、腹の底までは、わかりあえない。

 と諦めている人である。

 ちなみに、僕は常々「わかっている人」のほうに属したいと思っている。

 が、実は「わかっていない人」のいい分も、わからないではない。
 人を信じ、痛い目にあう。それで「わかっていない人」になってしまう可能性は誰にもある。

 しかし、僕は、そういうのは気にしない。
「痛い目にあう」といっても、命をとられることは滅多にない。
 だったら、気にしないでおくに限る。

 思うに、「わかっていない人」というのは、人に多くを求め過ぎているのではないか?
 腹の底まで曝け出しあわなくても、わかりあえることはゴマンとある。
 
 結局、「わかっている」と「わかっていない」との違いは、そうした底の浅い理解を肯定するか、しないのかの違いだろう。

 僕は肯定したい。
 そういうことである。

 だから、それ肯定しようとしない人とは付き合いにくい。

 しかし、こればかりは、どうしようない。
 人生哲学である。
 諦めている人を、いくら説得しても、無駄である。

 何の話か?

 商売の話である。

 今日、ある種の印刷を依頼しようと、数件の印刷屋に電話した。
 そのうちの2件から受諾の返事をもらえたのが、どちらも快諾には程遠かった。
 なぜ、快諾してもらえないのか、それとなく電話できいてみても、ラチがあかない。

 ところが、2件のうちの1件は「わかっている人」だった。
 残りの1件は「わかっていない人」だった。

 もちろん、「わかっている人」のほうに注文した。
 電話であっても、何とか「底の浅い理解」を得ようとする態度に、漠然とした安心感を覚えたのである。

 所詮、電話でのやり取りである。
「底の浅い理解」以外に何が得られようか。

 その後、実際に、そのお店に行き、互いに顔をみせあい、率直に事情を問うと、誤解は氷解した。

 ――やっぱり「わかっている人」は話が早い。

 と感じた瞬間である。

 ちなみに、その「わかっている人」の印刷屋は、初めてのところであり、「わかっていない人」の印刷屋は、お馴染みのところであった。
 つまり、「わかっていない人」は、今回、顧客を失ったことになる。

 馴染みの店を裏切ってしまったことは多少、引っかかるものの、

 ――人間、こうやって生きてくより仕方ないっしょ。

 という感じである。
 とくに後悔はしていない。
 2004年12月9日 (木) 織田信長のこと
 日本史の英雄といえば、誰を挙げるだろうか?

 真っ先に織田信長の名を挙げる人は多い。

 異論はない。
 近世初期にあって、信長の果たした役割は大きい。
 英雄たる資格は十分にある。

 しかし、僕は、幼い頃から、どうも織田信長という人物が好きになれなかった。

 そもそも、なぜ、信長は、こんなにも人気者なのか?
 日本史に詳しい人も、単なるミーハーな人も、一様に好意的――その理由がわからなかった。

 この国において、今日の「日本国」の概念を初めて明示的に意識したのは北条時宗だといわれる。
 鎌倉幕府の執権で、元寇の国難に果断に対処した政治家だ。

 元寇では、主に朝鮮兵士で構成された元軍が、大挙して九州博多湾に押し寄せてきた。

 時宗は博多で元軍と刃を交えたわけではない。
 鎌倉にあって日本国の外交戦略を練り、戦争の基本方針を示した。
 今日と違い、TVもインターネットもない時代である。
 書簡や口頭の報告だけで事態の推移を把握するには、並外れた想像力が必要であった。

 しかも、時宗は今日の教育システムに育ったのではない。
 僕らが日頃、「日本国」の概念を当たり前に意識できるのは、小学校からの社会科教育の賜物である。僕らは何となく授業をきいているうちに「日本国」の概念をつかみ取った。
 そうした刷り込みもなく「日本国」を意識するのは、並の想像力では無理である。

 元寇後、外敵の脅威が薄れると、この国の人々の意識に「日本国」の概念が昇ることはなかった。

 いや――
 室町期に明へ使者を立てた将軍・足利義満などは、時宗以降、唯一、日本国を明示的に意識した人物かもしれない。
 義満もまた、想像力に長けた人であった。

 では、義満以降、次に明示的に意識したのは誰か?

 それが織田信長ではなかったかと、僕は思う。

 信長は、時宗や義満と違い、日本国の覇権を握る前から「日本国」の概念を意識した。
 もちろん、信長の「日本国」は、時宗や義満の「日本国」とは微妙に異質である。

「天下布武」というスローガンがある。
 信長は、まだ尾張・美濃の二か国の領主に過ぎなかった時分から、このスローガンを用い始めた。
「天下」という言葉が「日本国」に通じ得る。

 チャン・イーモウ(張芸謀)監督の映画『HERO 英雄』の中で、始皇帝が暗殺者に諭した言葉も「天下」であった。
 その言葉には、

 ――天の下は、ひとつながりである。皆で争う意味など、あろうか?

 というメッセージが込められていた。

 傑出した政治家は「天下」の概念に辿り着く。
 必ずしも自身の征服欲や顕示欲のみによるものではあるまい。
 仮に、一義的には、そうであっても、最後は克己の精神に依る。傑出した政治家とは、常に、そうしたものである。
 そうした克己に「天下」のキーワードは欠かせない。

 こうした観点から政治家・信長を評価することで、信長の人柄は、一層、活き活きとしたものになる。
 信長というと、とかく桶狭間の奇襲ばかりが喧伝されるが、信長の真の特質は、地方の一領主だった頃から「天下布武」のスローガンを臆面もなく掲げた政治センスにあった。
 こうした感覚は、現代の政治家はおろか、他史上の人物と見比べてみても特筆に値する。
 かの始皇帝とて「戦国の七雄」の最強国・秦の出身であった。天下を狙うには自然すぎるくらい自然な初期条件であった。

 信長は「天下布武」の成った「日本国」を知らない。
「天下布武」の完遂を目前に、重臣・明智光秀の謀叛にあい、本能寺で命を落とす。
 信長は、現代の「日本国」はおろか、近世の「日本国」の萌芽すら、知らない。

 彼の目指した「日本国」とは、どんなだったであろうか?

 歴史にイフはない。
 歴史の真理は覆らないからこそ重みがある。

 それでも、思わずにはいられない。
 信長が、今日の世界情勢をみたら、何というか?

 思うに、まず、

 ――国連の仕組みを根底から見直せ。

 と主張するのではないか?
 かつて尾張・美濃の二か国から「天下布武」を発したように、この極東の島国から世界に向け「天下布武」にかわる何か新しいスローガンを発信するに違いない。

 信長の魅力とは、そういうところにある。

 そのことがみえてから、信長のよさがわかり始めてきた。

 織田信長の名を知ってから20年になる。
 20年かけて理解できたことは、何だか、ひどく貴重である気がする。
 2004年12月8日 (水) 不思議な夢をみた
 ――ある人が自分の夢に出たということは、その人が自分のことを思っている証拠である。

 と、平安期の人々は解釈したそうである。

 高校時代、そんな話を古文の授業できいた。

 びっくりした。

 事の真偽は定かではない。
 しかし、そう考えれば辻褄の合う話が古文に多いことは事実である。
 心理学や脳科学などがなかった時代である。平安期の人々が、そう信じていたとしても不思議はない。

 昨夜は体調が悪かったので、風邪薬を飲んで、すぐに寝た。
 12時間ほど眠った。

 長い夢をみた。
 不思議な夢である。

 僕が小学校時代によく遊んだ公園は「第3公園」という。
 家の近所にあって、そこで夕方遅くまで野球やサッカーをして遊んだ。

 第3公園は崖の下にあった。
 崖の上にはアスファルトの道路が走っており、その道路から第3公園に向かって、長いコンクリ―トの階段が降りていた。

 その階段の頂きに安倍なつみさんが立っている。
 アイドル・グループ「モーニング娘。」の安倍なつみさんである。
 もっとも、いまは脱退して久しくなるが……。

 安倍さんは、プライベートは着飾らないことで有名だそうである。
 もっといえば、センスの悪い服を着る、ということだ。

 そのときも、安倍さんは、たしかに、日本のトップ・アイドルとは思えない地味な服装をしていた。
 だからなのか、皆、その人が安倍さんだとは気付かない。

 眼下の第3公園では、小学生の男の子たちが元気に遊んでいる。
 安倍さんは、その様子を黙って見下ろしている。口元はわずかに緩んでいた。
 けれど、ひどく寂しそうな笑顔であった。

「何をみてるの?」
 と、僕は話し掛けた。
 安倍さんは笑顔で応じ、何事かを語ったが、その内容は思い出せない。

 やがて、日が暮れた。
 近所のオバさんが、安倍さんに声をかけた。
「男の子たちは帰ったよ。まだ、みていくのかい?」
「本当だ」
 と、いって安倍さんは笑った。

 思いきって安倍さんに訊ねた。
「どこか、いくところがあるの?」

 安倍さんは首を振った。

「じゃあ、こっちにおいでよ」
 と、僕はいった。

 そのとき、僕は、明らかに安倍さんの顔を見上げていた。
 それで、僕は、自分が年端もいかぬ少年であることを知った。

 幼心にも、安倍さんが何事かに悩んでいたことはわかった。

 ――大人の人たちに追われている。

 とも、

 ――お世話になった人に見捨てられた。

 ともいった。

 長い夢であった。
 その後も続きはあったのだが、子細は忘れた。

 最後にメール・アドレスを交換し、別れた気がする。
 もちろん、その後の安倍さんが、どうなったかは知らない。

 こんなことを書くと、

 ――マル太は安倍なつみのファンなのか!

 と思われる向きもあろうが、別段、ファンではない。
 むしろ、そういうファンを意地悪くからかうクチである。

 なのに、昨夜は、こんな夢をみた。
 しかも、20年以上、若返って……。

 不思議である。

 平安期だったら大変だ。

 ――安倍なつみさんは、僕に助けを求めている!

 ってなことに、なりかねない。

 数日前、嫌なニュースが流れた。
 安倍さんが、自作の詩などを盗作と認めた、というニュースである。
 その責任をとって、安倍さんは既に決まっていた紅白歌合戦の出場を辞退するという。

 このせいで、あんな夢をみたのだろう。

 もちろん、盗作はよくない。
 しかし、「紅白辞退」にまで追い込む必要があったのか?

 創作は、誰しも、まず真似から入る。
 安倍さんが、つい、他人の詩を借用してしまったとしても、無理からぬことだ。

 わかっている。
 僕は女の子に甘い。
 もし、これが男の子だったら、

 ――責任をとれ! ボケ!

 と、いうかもしれない。

 しかし、まあ――
 今回は大目にみてもよかったのではないか?

 安倍さんは詩人ではない。
 問題の詩は、安倍さんの写真集の余白に、おまけとして掲載されたものだという。
 本業でないところで責任を取らされるのは何とも痛ましい。
 2004年12月7日 (火) 頑固なクシャミ
 今日も朝から体調が悪い。
 クシャミ、ハナミズが止まらない。
 ここ、ひと月は、ずっと、そんな感じである。
 クシャミ、ハナミズに加え、頭がボーとしている。

 ボーとするのは、薬のせいだろう。
 頑固のクシャミを止めるべく、いつもと違う薬を飲んだ。
 それが思わぬ形で効いているようだ。

 頑固なクシャミ?

「頑固なセキ」ならよくきくが、「頑固なクシャミ」とは、これ、いかに?

 説明は難しい。
 実際に「頑固なクシャミ」を連発する様子をみてもらうのが一番早いのだが、とにかく「頑固」なのである。
 多いときで1分間に10回も出る――ということは6秒に1回である。
 そして、それが結構、長い時間、断続的に続く。
 ときには1時間近く――

 やっていられない。

 そんなわけで、今日は、早めに寝ることにする。

 ここ1週間は、色々とやることがあって、連続して6時間以上寝たことがなかった。
 こういう生活では、体調も崩れるというものだ。

 12時間も寝れば、いくらかはマシになるだろう。
 2004年12月6日 (月) 映像と活字と
 映画を小説化した本の表紙をみて、思う。

 例えば、その映画の主演女優の魅力を活字だけで表すことは、ほとんど無理なのではないか?
 映画の中で輝いた美が、小説の中でも映えるとは限らない。
 映像と活字とでは、媒体の性質が違いすぎる。

 カメラの前でニッコリ微笑む女優さんの艶やかな表情を、活字が、いくら頑張って伝えようとしても、映像には適わない。

 逆に、小説の文体から滲み出る女性キャラクターの内面的なエロスを、映像が、いくら頑張って伝えようとしても、活字には適わない。

 映像は写真の連続であり、活字は記号の羅列であるから、一見、映像のほうが活字よりも、現実を、より確かに反映しているようであるが、双方ともフィクションであることに変わりはない。
 むしろ、活字が伝える人の生々しい情感が、確かな現実を反映していることにこそ、注意を向けるべきであろう。

 映像は活字よりも衝撃的であるとか、活字は映像よりも普遍的であるとか、そのような議論をするつもりはない。
 要は、両者の違いを忘れてはならないということである。

 僕が慣れ親しんできたのは活字のほうだ。
 
 いまさら映像作家になろうとは思わない。
 なれるとも思わない。

 ただ、こんな僕でも映像でしか表現できない素材を抱えている。
 これまでに意識してこなかっただけで、僕にも、たしかに映像でしか表現できない事柄がある。

 それを、3、4年くらい前までは、何とか活字で表現しようと、あがいていた。
 でも、それは違う。

 所詮、映像でしか表現できないことは、映像で表現するより他はない。
 深追いは無用である。
 2004年12月5日 (日) 読みたい本が……
 読みたい本が、たまっている。
 本屋で目にとまり、急に読みたくなって、つい衝動買いした本が、次々とたまっていく。

 1冊や2冊ではない。
 10冊は越えている。

 100冊は……多分、越えていないと思うが……。

 断っておくが、僕は本が大好きというわけではない。
 むしろ、嫌いなほうである。

 それでも、つい本を買ってしまうのは、おそらく外部知識の蓄財という意味合いが強いからである。

 僕は、本を買うか買わないかを決めるときに、

 ――あ、この本は、あのテーマで何か書くときに重要だ。

 とか、

 ――これは、重要じゃないや。

 とか、という視点で判断する。

 そうやって購入した本だから、いざ、何か書く段になれば、たしかにページを開きはするのだが、当然、そういうときは、読むよりも書くことに気をとられているので、一文一文、丁寧に読んでいったりはしない。
 大意をとるに、とどめる。
 ときには、傲然と斜め読みをしたりする。

 どうやら、僕は不遜な読者のようである。

 もちろん、隅から隅まで丹念に読むことも、あるけれどね……。

 というわけで――
 僕にとって、未読の本がたまるということは、書きたいことが書けないでいる、ということを意味する。
 本当に読みたくて買った本は、かなり無理をしてでも読むものである。読まないということは、本当には読みたくなかった、ということか。

 こんなことでは、いけない、という気がする。

 書くために本を買うというのは、どこか間違っている。
 本は、やはり読むために買うものだ。

 最近、我が家の本の占拠スペースが急速に拡大してきている。
 全体の半分近くは本棚に収まっていない気がする。

 そういう現状を目の当たりにすると、自然、自粛モードになる。

 ――もう、本の衝動買いはやめよう。

 と思う。
 しかし、本屋にいくと、なぜか、すぐに忘れる。

 ――あ。この本は、あのテーマで何か書くときに重要だ。あ、この本も! あれも! これも!

 と衝動買いの嵐が吹き荒れる。
 かくして、我が家の本の占拠スペースの拡大には歯止めがかからない。

 昔は僕も謙虚な読者だった。

 ――この前、買った本を読破するまでは、次の本は買わないぞ。

 などと思ったりしていたものである。

 そうか。
 本屋に行くから、いけないのだ!

 明日から、しばらくは本屋巡りを見合わせる。
 本屋に行きたくなったら、我が家のつん読書庫を漁ることにしよう。

 読みたい本がゴロゴロと転がっているはず……なのだから……。
 2004年12月4日 (土) 『ガンダム』のショット・バー
 今日、ジオン軍の上等兵になってきた。

 ミヤーンさん@ツーフォトンくん(仮名)が一緒である。

 ミヤーンさん@ツーフォトンくん(以下、ミヤーンさん)は、7月22日の『道草日記』でも紹介した。
 僕が去年度まで所属していた研究室の後輩である。
 ひと月ほど前にメールがきて、

 ――面白いショット・バーがあります。行きましょう。

 と誘ってくれた。
 その名もズバリ、

  GUNDAM SHOT BAR ZION

 という。
 1970年代に発表されたTVアニメ『機動戦士ガンダム』(以下、『ガンダム』)をモチーフにしたショット・バーである。

 興味のある方は、上記の店の名、もしくは、「ガンダム・バー」で検索されるとよい。
 いまなら、店内の様子を事細かに報告したレポートなどを読むことができる。

 今日の『道草日記』は大いに偏向する。 
 念のため、最低限の説明を付そう。焼け石に水かもしれないが……。

「ガンダム」とは、『ガンダム』の物語に登場する巨大人型兵器のニックネームである。
「ジオン(ZION)」とは、『ガンダム』の主人公たちに敵対する国家の呼称である。

『ガンダム』は、やり切れない戦争の物語である。
 簡単にいえば、宇宙に拠点を移した人々と地球に居座り続けた人々との間の文明の衝突を描いた物語である。

 子供向けTVアニメといって、バカにしてはいけない。
 今日もなお、幅広い年齢層に熱狂的に支持される所以は、物語の緻密さ、深遠さにある。

 その『ガンダム』人気にあやかったショット・バーが、仙台にある。
 前述の、

  GUNDAM SHOT BAR ZION

 である。「ジオン(ZION)」は宇宙に新たな生活の場を求めて巣立った人々の国家の呼称である。主人公の敵役であるにも関わらず、店の名に「ジオン」を冠していることからもわかる通り、オーナーは進取の気性に富んだ人なのだろう。

 ハッキリいって、かなりぶっ飛んだバーである。
 が、少年期ないし青年期に『ガンダム』にのめり込んだ経験のある者には看過しがたい魅力がある。

 例えば、肉料理は、

 ――親父にもぶたれたことのない人向け

 だという。
 これは『ガンダム』の主人公の有名な台詞、
「親父にだって、ぶたれたことないのにィ!」
 からの借用だ。

 もちろん、『ガンダム』の物語に触れたことのない人にとっては、どうてもいいことではあるが……。

 他にも随所に遊び心がみられる。
 例えば、プレオープン期間中は、

 ――ア・バオア・クーが連邦軍の攻撃を受けたので、チョコの盛り合わせしか出せなかった。

 のだそうである。
 ホンマかいな?

 ちなみに、「ア・バオア・クー」とはジオン軍の要塞の名で、作中では主人公たちの所属する連邦軍の圧倒的物量作戦の前に陥落した。

 店内の中央には掲示が出ており、

 ――当店は階級制をとっています。階級章を身に付け、ご飲食下さい。

 と、あった。

 階級は3回の来店ごとに一つずつ昇進していく。
 最初は上等兵からだという。

 それで、上等兵になった。

 ちなみに、ミヤーンさんは、10月に一回来店している。だから、今日を入れてあと二回来店すれば、彼は次の階級に昇進する。
 僕は、今日を入れて、あと三回――
 上等兵からのスタートである。道のりは厳しい。将官になる日は、いつのことか。

 1970年代に発表された『ガンダム』が、既に古典も同然になっていることには、驚かされる。

 ――親爺にもぶたれたことがない。

 から、『ガンダム』を想起することは、

 ――雀の子を犬君が逃がしつる。

 から、『源氏物語』を想起したり、

 ――To be or not to be, that is the question.

 から、『ハムレット(HAMLET)』を想起したりすることと、本質的に何ら変わりはない。『ガンダム』の根強い人気を目の当たりにしていると、

 ――この物語は一千年先の未来にも語り継がれているのではないか?

 などと夢想する。
 案外、夢見物語ではないかもしれない。
 2004年12月3日 (金) 凄い! 若い!
 今日、電車に乗っていたら、隣の座席に女子高生の二人組――

「――冬休み、バイトしてぇ!」
「すれば?」
「親に止められてる」
「ハンコ持ち出して勝手に押せば? 親に内緒で、できるっしょ?」

 などと、夢中で話し込んでいる。

 ちょっと品がよろしくないが……。

「この前、うちのおネエちゃん、親に内緒でバイトしたの」
「何したの?」
「西武ドームの売り子。――そしたっけ、トム・クルーズが来て、ナマでみれたって……」
「うっそ? チョーうらやましいんだけど……」
「――でしょう?」

 ――ありました、ありました。今年の日本シリーズですね? トム・クルーズさんが始球式を務めたのでした。

「トムって、チョー、カッコいいよねえ」
「うん。チョー、カッコいい」
「やっぱ『サムライ』?」
「いまは『コラテラル』っしょ?」
「ええ? ヤだぁ。だって、あのトム、オヤジくさいんだもん」

 ――『サムライ』っていうのは、『ラスト・サムライ』のことですよね? 僕としては、「トム」は、すっかり渡辺謙さんに食われてしまっていたように思いますが……。しかし、「トム」って……。

「小雪、チョー酷くない?」
「そうそう――」

 ――女優の小雪さんのことですか? 『ラスト・サムライ』に出演されていたそうですが、なんで、そんなに「酷い」んですか?

「でも、小雪なら許せるかも?」
「うそ?」
「仲間由紀恵とかだったら、許せないけど……」

 ――? ?? なぜ「仲間由紀恵とか」だと「許せない」のですか? 僕、仲間由紀恵さん、嫌いじゃないんですけど……。そもそも「許せない」の意味がわかりません。『ラスト・サムライ』の中で「トム」に、何か酷いことでも、したのですか? 求愛を拒んだとか? すみません。『ラスト・サムライ』は、まだ、みていないもので……。

「なんか、オバさんくさいんだよね」
「そうそう――」

 ――ええ? 仲間由紀恵さんが?

「この前、BoAがTV出てたの。チョー、オバさん臭くなってた。飯島愛みたい」
「たしかに飯島愛って、オバさんだよねえ」
「そう。チョー、オバさん」

 ――飯島愛さんは、もうオバさんですか? まあ、無理もないかなあ。でも、若い頃は、可愛らしかったのですよ。AV女優としては革新的なまでに……。――え? AVに出ていたことを知らない?

「ブラピって、チョーいいよねえ?」
「ああ、わかる、わかる。ヤバいカッコいいよねえ」

 ――出た! 「ヤバいカッコいい」! いまでは「ヤバい」を肯定的に使うのでしたね。でも、日本語的には「ヤバくカッコいい」のほうが語呂がいいように思いますけど……。――え? いい間違えただけ?

「最近、映画、全然みてないんだけど……」
「昔はよくみてたよねえ」

 ――あなたたちの「昔」って、どれくらい昔のことなんですか? 僕にとっては、中学時代も高校時代も、ほぼ一緒なんですけど……。もっと年配の人たちにとっては、もっと「一緒」だと思いますよ。

   *

 二人の女子高生たちの会話をきいていて、一番に実感したのは、やはり自分の歳であった。

 僕が、この歳で彼女たちの話についていけたのは(ついていく気になったのは)多分、奇跡に近い。
 まだ独身で、高校生相手に家庭教師などをしていて、しかも物書きなどを目指しているからである。
 もし、まともな三十路を迎えていれば、全くついていけなかったのではないか?

 先日も、同い年の女性の前で、上戸彩さんの名前を一発でいい当てたら、

 ――凄い! 若い!

 と驚愕された。

 無理もない。
 同い年とはいえ、その女性には、そろそろ小学生になるお子さんがいる。
 僕とは違う時の流れを生きているのは明らかだ。

 まあ、僕が遅いんだけどね……。

 ちなみに、その女性、たしかに今月で31歳になるのだが、職場では、若くて美しいと、大層な評判である。
 そんな人に、

 ――凄い! 若い!

 と、いわれたわけだ。

 果たして、喜ぶべきなのか?

 ――まだ若者気分が抜けないんですね。

 と揶揄されたようでもある。
 ちょっと哀しい。

 僕にも小学生くらいの子供がいれば、気にはならないのだけれど……。
 2004年12月2日 (木) 異常気象?
 タクシーに乗ったら、
「11月は暖かかったね。異常気象だね。どうなるんだろう?」
 と、運転手さんがガタガタ騒ぐ。

 TVをみていたら、
「12月というのに台風です。異常気象です。大変なことになりました」
 と、出演者たちがガタガタ騒ぐ。

 事実、いまの気候は、12月としては異例らしく、天気図的には、まだ11月中旬なみなのだそうだ。
 だから、やけに暖かったり、台風がきたりするわけだが、
(いいじゃないか! そんなに騒がなくったって!)
 と思う。

 確率統計論的にみれば、毎年、毎年、決まって同じ時期に、寒くなったり、雪が降ったりするほうが、よほど気味が悪い。

 多少、季節の変わり目が遅れたって、いいじゃないか。
 四季の順番を守ってくれれば、それで十分――

 ――夏がきて、秋がきて、また夏がきた! えらいこっちゃ!

 ってなことなら、騒ぐに値するけれど……。

 以前の『道草日記』にも書いた記憶があるが、
「異常気象だ!」
 と騒ぐ人が苦手である。

 ――地球さんだって、たまには気まぐれを起こしますよ。大目にみようじゃありませんか。
 2004年12月1日 (水) 11月3日は父の……
 11月3日は父の命日だった。
 それなのに、11月の『道草日記』は、うわついた話ばかりである。
 3日の日も例外ではない。男が少女に恋をする云々――などを書き散らしている。

 親不孝の極みかもしれない。

 いや――
 実は3日の日は、父のことを書こうとしたのである。
 しかし、その前日が『ロリコンの夢、一千年』だったので、やめにした。
 代わりに今日、書くことにする。

 父の名は、男とも女ともとれる名だった。

 僕が子供だった頃、TVのホームドラマをみていたら、後藤久美子さんの演じる娘役の名が父と同じだった。

 ――オレと同じ名前かよ。

 と苦笑した。
 怒っているようにも喜んでいるようにも思えた。

 いや――
 多分、喜んでいた。父は後藤久美子さんが好きだった。

 そんな父の気持ちが、まるで理解できなかった。

 僕は、幼い頃、よく女の子と間違われた。逆に妹は活発だったから、よく男の子に間違われていた。

 ――お姉ちゃんは大人しいわねえ。

 などと、いわれた。

 ――いや、「お兄ちゃん」だから……。

 と自分で突っ込む技量もなく、一人で落ち込んでいた。4、5歳の頃の話である。

 その後も、しばらくは男の子らしさとは無縁だった。
 変声期も遅かった。中学時代、電話に出たら女の子と間違われた。

 だから、高校くらいまでの僕は、

 ――女の子みたい。

 といわれるのを、何よりも恐れ、忌み嫌った。

 いまは、そうでもない。
 むしろ、女性的な一面を指摘されると、嬉しかったりする。
 少年期にあれほど忌み嫌っていたのに……である。
 例えば、

 ――あなたの書く文章は女性的ですね。

 といわれても、全然、平気である。むしろ、誇らしい。

 ――オレの文章は女性的らしいよ。

 と、あちこちに吹聴して回る。

 この心境の変化は、どこからきたものか?

 よくはわからない。
 しかし、おそらく、自分の男として一面が、イヤというほど、たくさん、みえてきたからだろう。

 ――オレは、どう転んでも男にしかなれないな。

 という諦観とも、密接な関係があるようだ。

 小説を書き始めたことも大きい。
 物書きにとって、異性になりきる力は貴重である。そういう力が、あればあるほど、書く内容に幅が出る。女性的な一面が財産になる。

 そうしたこととは別に――
 ある種の遺伝的素因も関与していると思っている。父由来の素因だ。

 父は、自分が女性っぽい名前であることを、むしろ、ひけらかしていたようである。
 父は、いかにして、女性に擬する面白みを体得したのか?
 真っ当な神経学者だった父が、小説を書いていたとも思えない。

 そういえば、父は、学生時代、体育祭の仮装競走に女装で参加したことがある。
 その話になると、母は必ず、

 ――みっともなかった。

 と眉をひそめる。生前の祖母も、

 ――クジか何かに負けたんだろうよ。

 と、あまりいい顔はしていなかった。

 実は、この話、肝心の父からは、きいたことがない。

 ――なぜ、あのとき女装したのか?

 それくらい、きいておけばよかった。
 いつでもきけると思って、そのままにしておいたのが、いけなかった。

 もっとも、きいていたとして、まともに答えてくれたとは思えない。
 そういう話を好んでするタイプではなかった。

 女装はゴメンだが、僕にも似たような性癖がある。
 例えば、女性になり済まして文章を書くことなど、である。
 だから、

 ――あの父にして、この子あり。

 とは、いえる。

 父に、僕の書いた女性の一人称小説を読んでもらいたかった。
 いったい、どういうコメントを発したことか?

 ――好きだな、お前も……。

 と呆れたか。
 あるいは、案外、完全無視だったかもしれない。

 それはそれで、父らしい。

 晩年の10年余は、大学の教授職にあった。
 研究室では若い秘書さんを相手に、軽妙な冗句をとばしていたらしい。
 看護学校の講義では、シモネタのオンパレードであったときく。

 それでいて、家庭では、どこまでも不器用な人であった。

 ――つかみ所がない。

 と教え子の方がもらされた。

 不思議なことに、それは息子の僕の印象とも合致する。
 父とは、濃密な親子関係を結べなかった。
 結ばなかった。
 それが、かえって、父の思い出を軽やかなものにしている。
 僕の脳裏に、父の悪いイメージは、ほとんど残っていない。

 僕にとっての父とは、そういう人であった。