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2004年9月30日 (木) |
うまくて楽しい飯 |
三十路が近づいてきた頃から、食事の時間を気にするようになった。 普通、人は、どれくらいの時間をかけて食事をするものなのだろうか?
十代までは、そんなことは、まったく気にならなかった。 とにかく、腹がへっているわけだから、一刻も早く、その不快感から脱したい――あるいは、腹を満たす快感に浸りたい――そう、思っていた。
だから、
――もう少し、ゆっくり食べなさい。
と、母に、よく注意された。 察するに、当時の食事時間は、5分とか10分とか、だったのではないか。
しかも、食事中は一心不乱に飯に挑んだ。 一種の闘いである。 ちょっとでも取りこぼすまいと目をランランにする。
つまり、食事とは基本的に一人でとるべきものだった。 飯との一騎討ち――なのである。 家族で食卓を囲むなど、まったく意味のない行為だった。
放っておけば、いくらでもガッツクようなガキだったので、母は食事制限を試みた。 そんなにシビアな制限だったとは思えないが、幼心に強烈な印象が残った。 食い物の恨みは恐ろしい――ということである。 お陰で、肥満児になることは免れたが……。
食事時間が気になりだしたのは、腹が、そんなに、へらなくなってからである。 20代も半ばを過ぎ、むしろ、食べ過ぎを意識するようになった頃からだと思う。
何のために腹を満たすのか? もちろん、空腹だから――である。
しかし、歳をとってくると、それだけではなくなってきた。 単に空腹を満たすだけでは物足りなくなったのである。
――どうせなら、空腹を、楽しく満たしたい。 ――みんなと、ワイワイ、ガヤガヤやりながら、楽しく……。
そうか―― だから、古来より、会食というイベントが好まれているのか―― なるほど――
それは、僕にとっては、発見だった。
というわけで、いまは、ワイワイ、ガヤガヤと大勢で食べるのが好きである。 「飯との一騎討ち」に打ち興じていた頃とは、格段の違いだ。
ただし、正気にいえば、誰とでもいいというわけではない。 やっぱり、気の合う連中とワイワイ、ガヤガヤやらないと、どんなに豪奢な料理も、まずくなりかねない。
誰と飯を食うか? どんな話をして食うか?
これが、なかなかに難しい。 いまのところ、万能解はない。 終わった後で、
――ああ。うまくて楽しい飯だった。
と、いえるかどうかは、蓋を開けてみるまで、わからない。 まあ、人生、万事が万事、そんなものだろうから、とくに焦慮はない。
とにかく――
昔は、空腹を満たすことが目的だった。 そのうちに、空腹を、楽しく満たしたいと願うようになった。 そして、最後は、楽しく時を過ごすための口実が、空腹になる――
いまは何となく、そう思っている。
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2004年9月29日 (水) |
二次創作 |
近年、二次創作というものに、関心がある。
二次創作とは、簡単にいえば、小説やマンガ、映画、TV、ゲームなどのメディアで発表されている有名な物語のアレンジである。 作中の登場人物を用い、自分で小説やマンガをかいたり、作中の登場人物の衣装をしつらえて纏ったりすることである。 この他にも、二次創作の活動には様々な形態があるので、僕が全く把握していない世界もあることだろう。 広い意味では、映画やTVドラマのリメイクなども、これにあたるかもしれない。
ここでは、単に、
――既存の物語のオマージュないしパロディ。
と、いうことにしておく。
二次創作に懐疑的な立場というものがある。この立場にたてば、二次創作は、原作の揶揄の域を出ない。つまり、二次創作者は、
――人様の物語に無責任に介入する不逞の輩。
ということになる。 理屈としては、わからないでもないが、はたして、本当であろうか?
例えば、1979年に立ち上がったTVアニメ―ション作品『機動戦士ガンダム』および、その後続シリーズは、途中、何度か停滞期を迎えたものの、近年、その人気は非常な高水準に安定している。 その要因の一つは、『ガンダム』という物語に多くのクリエイターたちが魅せられ、その物語に介入していったからだろう。 そのようにして、『ガンダム』は、いつしか、富野由悠季さんを中心とする始祖の制作者たちの手を、離れていった。
ところで、富野由悠季さんは、こうした事態を苦々しく思ったりしただろうか? むろん、微細なところでは、色々な軋轢があったかもしれないが、結果だけをみれば、ご自分の物語が多くの人に共有されたのである。さながら、歴史が語れるように、語られていったのである。 作家冥利につきると思うのだが、その辺は、いかがなのだろうか?
そもそも、歴史小説や歴史劇、歴史物ドラマが、二次創作といえなくもない。 歴史上の人物を用い、歴史上の出来事を描く。学問上、明確に事実と判明している史実は動かさず、ただ、詳細が不明な点に絞り、創作を行う――想像力と創造力とで、歴史の空白部分を埋めていく。 それが、歴史物語の創作原則である。
二次創作は、こうした歴史物語の事情に、驚くほど、よく似ている。 もちろん、二次創作は自由な創作活動であり、歴史物語ほどには、原則に縛られない。 しかし、オリジナルの情報に依拠しつつ、それを積極的に活用するという点では、両者は似通っている。
おおらく、昨今の日本の二次創作ブームは、にわかに始まったものではない。 この国で、アニメやマンガやゲームといった文化が十分に発達する遥か以前から、二次創作ブームの萌芽はあった。
少なくとも、僕が二次創作に惹かれる理由は、その辺にある。
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2004年9月28日 (火) |
チップは面倒 |
海外旅行のときに、いつも悩むのがチップである。
2年ほど前、パリの学会に出席したときなどは、実に嫌な思いをした。 そのときに利用したホテルが、朝、部屋を出るときに置いていくチップの額が少ないと、夕方、部屋に戻ってきたときには、部屋の支度の詰めが、いま一つ、甘い――というような塩梅だったのである。
そこに4、5日ほど滞在した後、人に会うため、今度は、スイスのチューリッヒに向かった。 チューリッヒのホテルでは、特にチップは不要であった。
パリでは必要―― チューリッヒでは不要――
こうした情報は、旅行雑誌などから、予め仕入れておくことができる。同じヨーロッパでも、チップ事情は、かなり異なるそうである。
このことを、チューリッヒのホテルのスタッフに話したところ、何ともいえない苦笑いをつくった。
――彼らは、十分なお金をもらっていないから、しょうがないでしょう。
と、いう。 つまり、フランスのホテルでは、スタッフが客からチップをもらうことが前提の給与体系になっているというのである。
それが本当なら、酷な話だ。 日本人客のように、チップを払いなれていない客が相手だと、収入が減るわけである。
とはいえ、こちらの印象は大違いである。
そのチューリッヒのホテルは、チップを微塵も要求しないのに、非常に上質なサービスを提供してくれた。だから、その翌年に、再度、チューリッヒに滞在することになったときも、また、そのホテルを利用することにした。 正直、チップのあるなしで、露骨にサービスを変えたりするパリのホテルなどは、二度と利用したくない。
こうした感覚は、チップに慣れていない日本人客に固有なものかと思っていたが、どうも違うらしい。 今日、とあるアメリカ人の女性が話していたところでは、
――私は、決して、ホテルの部屋にチップをおいたりはしない。
という。「never」という言葉を使っていたので、かなり、確固たる意志だ。
――部屋を綺麗にするのは彼らの仕事だから、チップを払う必要はない。
と、彼女は、いい切った。 実際、アメリカのホテルでは、朝、部屋にチップをおいていっても、夕方まで、そのまま残っているそうである。 どうやら、アメリカのホテルでも、スイスのホテルと同様、スタッフは「十分なお金」をもらっているようである。
その国の風習を尊重するのは大切なことだが、現実問題としては、なかなかに難しい。
実際、僕は、その一件以来、何となく、フランスには行きずらくなった。 もしかしたら、フランス国内でも、チップのあるなしがサービスの質に直結していたのは、僕が利用したホテルだけだったのかもしれないが、一度でも、そういう目に会うと、平静でいられなくなるのが人間である。
悪いのは経営者であろう。 チップを要求する従業員が悪いとは思えない。十分な給料をもらっていないというのが本当なら、それは正当な権利でもある。 仮に、彼らが十分なサラリーをもらっており、実はチップなど必要なかったとしても、彼らを非難するのは、あまり意味がないように思う。 そういうことを野放しにしている雇い主こそ、非難するべきであろう。
というわけで、少なくとも、僕は、そのパリのホテルは、二度と利用しないと決めている。 そういう形で、経営者に責任をとってもらうことにした。 もちろん、僕一人が、そう決めたところで、全収益中に占める損失見込額の割合は、限りなくゼロに近いわけだから、特に問題はあるまい。僕の方では、それで十分に溜飲を下げることができるのだから、いたって穏当な妥結といえる。
それにしても、チップというのは、面倒臭い。 あげる、あげないの判断もそうだが、何よりも、あげると決めたときの額を決めるのが面倒臭い
西欧人が、日本のホテルの料金表にサービス料が含まれているのをみて、
――チップを先取りするとは何事か!
と、怒ることがあるそうだが、
――だって、その方が客に親切じゃん。
などと思うのは、僕だけか? 料金表のサービス料が高いと思えば、利用しなければいいわけで……。
その西欧人も、チップ先取りシステムには、すぐに慣れることだろう。 少なくとも、僕らがチップ慣習に慣れるよりは、確実に、慣れやすいはずである。
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2004年9月27日 (月) |
言葉 |
今日、電車に乗っていて、何気なく窓の外を眺めていたら、
――パーフェクトな洗車がうなる。
という宣伝文句を目にした。ガソリン・スタンドの垂れ幕である。 どうやら、 「うちの洗車は『うなる』くらい素晴らしいので、是非、一度、試して下さい」 ということが、いいたいらしい。
(「洗車がうなる」ってどういうことだよ?) と、考え込む。
「戦車がうなる」なら、わかる。きっと、戦車のエンジンか何かが、大きな音をたてているのだ。
しかし、「洗車がうなる」では、わからない。 いったい、何が、どんな風に、うなっているのだ?
「洗車の機械がうなる」ってことだろうか? いや、違う。 それでは、宣伝にならない。 洗っている間に機械が爆発でもしたら、困る。
「戦車」も「洗車の機械」も物である。 物が「うなる」のは、まあ、想像がつく。 たとえ、「物」が、石臼であれ、溶鉱炉であれ、東京タワーであれ、主語が物である以上、 (……まあ、その「物」が、うなっているのね) と、一応は納得する。
しかし、「洗車」は「車を洗う事」――つまり、事だ。 その「事」が「うなる」では、わからない。「事」とは、例えば、現象とか事象である。
「農村の過疎化現象」がうなる? 「確率5%の事象」がうなる?
……なんのこっちゃ。
にもかかわらず、「事」が「うなる」という命題は、面白くないことはない。
この場合の「うなる」と似た言葉に「炸裂する」がある。
パーフェクトな洗車が炸裂する―― なんだか、すごく車が綺麗になったように思える。
農村の過疎化現象が炸裂する―― 一晩で人がいなくなったのね……というニュアンス。
確率5%の事象が炸裂する―― よりによって残りの5%がきちゃったか……という感じ。
つまり、「洗車がうなる」がおかしいのは、「うなる」という言葉が「洗車」の述語になった途端、「うなる」の意味が曖昧になってしまうからだろう。
もちろん、「洗車が炸裂する」についても、同じような様態で、曖昧さは残るのだが、「うなる」よりは語感が残る。だから、何とかサマになっているのだろう。
「物」の述語に相応しい言葉―― 「事」の述語に相応しい言葉―― それぞれ、大体は決まっている。 そうした大まかなルールに従って、僕らは、日頃、言葉を使っている。
しかし、そうしたルールを破っても、言葉は、ときに重要なメッセージを発し得る。
言葉は、その文法上の規則よりも、その意味上の属性のほうが、より本質的なのだと、実感せずにはいられなかった。
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2004年9月26日 (日) |
「自然に帰れ」ではなくて |
最近、めっきり自然にひたることがなくなった。
人間が人間のために作った都市環境の中に、朝から晩まで、身を置いている。
僕は、誰がどうみたって、インドア派である。 だから、そういう生活にも特に嫌悪は抱かず、躊躇もない。 しかし、そんな僕でも、時々、自然が懐かしくなる。
「懐かしくなる」というのは、必ずしも比喩表現ではない。
僕は、小・中学校時代、毎年、夏はキャンプ地で野営した。 群馬や長野の山に、3泊4日くらいの旅程で、出かけるのである。 中学三年の最後のキャンプは、最終日を除き、全日、雨にたたられた。最終日の朝、東の空の日の光の何とありがたかったことか。 太陽の恵みをリアルに感じたのは、後にも先にも、ただ一度である。
小・中学校時代の僕は、母親の強迫観念に基づく勧めで、ボーイスカウト活動に精を出していた。毎年のように本格的な野外活動に携わったのは、そのためである。
僕が所属していた千葉1団というところは、とりわけ、熱心な団体だった。 除隊した後、高校、大学と進み、次第に、 「昔、オレもボーイスカウトをやっていた」 という人と、何回か出会ったが、そういう人たちと話をしていると、僕の所属していた隊は、かなり突っ走っていた組織だったように思う。それだけ、首脳陣(社会人層)がのめり込んでいたということだろう。
当初は、いやいやだった僕も、最後は、中途半端ながらも深い興味を覚えていった。 いまでも、テントは張れるだろうし、火はおこせるだろうし、天候や風向きをよんで危険を察知することも、まずまず、できると思う。 必要に迫られて獲得した技能・知識なだけに、そんなに簡単に抜けるものではない。
しかし、ここ数年、そういった野外活動には一切、タッチしていない。 学生時代、バイトをしていた塾の生徒たちと、仙台郊外の野営地までキャンプに出かけたのが、最後である。 それも、生徒を引率してのキャンプだったから、どっぷり自然に浸かる余裕はなかった。
別に、自然に浸かりたいとは思わない。
ただ、長年、自然と疎遠な生活を送っていると、何だか不安になるときがある。 もちろん、自然なんて、危険で、厄介で、面倒で、どうしようもないものなのだけれど、その「どうしようもないもの」に患わされない状況は、やはり、人間にとっては物足りない境遇なのかもしれない。
解剖学者の養老孟司さん風にいえば、都市は、人間の脳活動が自然に浸潤した痕跡であるし、映画監督の押井守さん風にいえば、都市は、人間の脳がもつ記憶の外部装置である。 いずれも、主張の根幹は同じように思える。 曰く、人間が自分たちのために生み出した環境――それが都市なのである、と。 人間は、都市の内部にいる限り、楽して、安心に暮らすことができる。
しかし、都市は、自然の一部ではない。 一方、人間は自然の一部である。
なのに、人は、自然から隔絶されることによって、安らぎと享楽とを得る。 その構造に、いびつがある。どうみても、いびつである。 皆、わかっている。なのに、やめられない。 ボタンの掛け違えである。
人間は、どこでボタンを掛け違えたのか?
もちろん、「だから、自然に帰れ」などと叫ぶつもりは、毛頭ない。いまさら、自然に帰ったって、遅い。少なくとも、僕には遅い。
でも、せめて「自然に出る」くらいのことは、してもいいかと思う。
人間の都市生活が、どこか不自然であることを忘れないためにも、自然との繋がりは、完全には断たないほうがよい。
最近、朝から晩まで、コンピュータと、にらめっこをする日々が続いている。
いまは、まだ、楽しい。 でも、そのうちに、どうしようもなく、疲れてくる予感がある。
手遅れにならないうちに、何か対策を立てたほうがいい。 今後の自分の健全のためにも、自然との接点は必須のように思えた。
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2004年9月25日 (土) |
「あいつは押し付けがましい!」 |
強制了解について考えた。 この概念は、養老孟司さんのベストセラー『バカの壁』(新潮新書)にも登場する。
強制了解とは、簡単にいえば、共通了解を精錬したものである。 では、共通了解とは何か?
例えば、僕らが日本語で会話をするときの基盤が、共通了解である。 僕らが、日頃、日本語で意思の疎通をはかれるのは、日本語を共通了解しているからである。
ところが、この共通了解は、意外と曖昧である。同じ日本人でも、把握している日本語単語の意味は、微妙にずれている。「美少女」という言葉に巡らす思いは、中学校に通う男子生徒と、文化センターに通う初老女性とでは、大きく異なろう。 もっといえば、同じ中学生同士でも違うし、同じ初老女性同士でも、違う。 共通了解とは、その程度の一致で満足をみるものである。
強制了解は、そうではない。
1+1=2
が、一意に決まるのは、強制了解だからである。
――1足す1が2にもなったり、5にもなったり、0.5にもなったりする。
などというときは、僕らは、強制了解の枠を外れ、共通了解の枠内で会話をしていることになる。
強制了解の枠内で、
1+1=2
と、一意に決まるのは、1の次に2が、2の次に3が……というように、整数の順序が厳密に規定されているからである。 この規定に沿う限り、
1+1=2
は、常に成り立つのであり、そうした規定を基盤にした相互理解を、強制了解という。
それで―― 昨日、僕が『道草日記』を書きながら思ったことは、次のようなことであった。
例えば、xについての2次方程式、
ax2+bx+c=0
が、実数解をもつならば、xy平面において、放物線、
y=ax2+bx+c
が、x軸と共有点をもたないという主張――と、明の太祖・洪武帝が即位してから七年後の時点であれば、その末娘なる人物が、黄河流域の荒野をさまよう物語は、荒唐無稽であるという主張――とでは、いったい、何が異なるのか、ということであった。
もちろん、前者は数学の話であり、後者は歴史劇の話である。 また、冒頭の議論に依れば、前者は強制了解であり、後者は共通了解である。 そういう意味で、両者は違う。
しかし、「共有点をもたない」ということと「荒唐無稽である」ということとを、ともに説得力あふれる形で説明するのは、なかなか難しい。
僕の知る限り、数学や中国史に詳しい大学生であっても、これら命題を、造作なく論証できる人――例えば、高校生相手に、きちんと納得のゆく説明をすることができる人は、ほとんどいない。
もちろん、突き詰めて考えれば、多分、前者は強制了解であり、後者は共通了解である。 しかし、特に突き詰めて考えるのでなければ、両者の間に深刻な違いはない……ように思える。 つまり、こうした二つの命題を、僕らは、日頃、ゴッチャにして扱っているのではないか、ということである。
日頃、意識しない差異は、存在しないに等しい――という立場にたてば、強制了解も共通了解も、大した違いはない。
強制了解が人を窮屈にさせるのは、強制了解そのものに問題があるのではなく、強制了解の手続きに問題があるからであろう。 仮に、共通了解で十分なものであっても、それを強制了解の枠内に押し込めようとする者が現れれば、その者の態度が、人を窮屈にする。
とはいえ、世の中には、強制了解なしでは済まないこともある。 例えば、人と議論をするときである。議論で用いる言葉の意味を強制了解の枠内に押し込めてやらないと、いつまでたっても結論が出ないことがある。
こういうときに、どうするか? 議論を投げ出すか? それは、子供にもできる。
解決策は、多分、一つしかない。 それは、議論に関わる人たちが、自発的に強制了解を求めるというものである。 「自発的に」というのが鍵だ。 ある人がある人に、一方的に強制了解を求めたら、途端、修羅場が展開する。双方が歩み寄って、自然と強制了解に至らない限り、必ずや、しこりが残る。
だから、もし、誰かに強制了解を求められたときは、なるべく「自発的に」自分からも強制了解を求めるようでありたい。 それができなければ、人と気持ちよく議論することなど、できない。
よく、
――あいつは押し付けがましい!
と、悪口をいう人がいるが、そういう悪口をいっている人にも、問題はある。
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2004年9月24日 (金) |
女優の美(前編) |
中国・明の太祖・洪武帝は、猜疑心が強く、暗い性格の持ち主だったという。 残された肖像画は二種類――白髭をたくわえた柔和な老人のものと、醜く歪んだあばた顔のものとがある。この内、真実を伝えているとみられているのは、後者の醜悪な肖像のほうである(長澤和俊、野口洋二監修『新世界史図説―十訂版―』帝国書院)
そんな男の娘だという。 その割には、愛らしい。
でも、ちょっと、まてよ? 明の初代皇帝の娘が、元軍の捕虜になるなど、あり得るか――
2001年の韓国映画『MUSA――武士』の話をしている。 監督はキム・ソンスさんという人だ。1960年、ソウル生まれ。過去三度は現代劇を撮り、本作が、時代劇・歴史劇への初挑戦だという。
朱元璋(洪武帝)が、元末の動乱を制し、明を興してから七年――西暦1375年の中国が舞台である。 長く元の属国であった高麗は、明との関係改善を求め、四度にわたり、使節団を、明の都・応天府(南京)に派遣する。しかし、高麗との関係改善を望まない洪武帝は、四度のうち三度までを投獄し、後に許して帰郷させた。 ところが、残る一つの使節団の行方は、ようとして知れない。
歴史が語りもらした高麗使節団の、その後の数奇な運命を描いたのが『MUSA――武士』である。
主演女優はチャン・ツィイー(章子怡)さん――アン・リー(李安)監督のヒット作『臥虎蔵龍――グリーン・デスティニー』で、一躍、アジア・トップ女優の地位に躍り出た。 高麗使節団に関わる洪武帝の末娘・プヨン姫を演じる。
洪武帝には26人の子がいた。ここでいう「子」は「男子」の意である(陳舜臣著『中国五千年』講談社文庫) だから、この26人の中にプヨン姫は含まれない。 単純に同数の女子がいたとして、プヨン姫は約50人からなる洪武帝の庶子たちの末娘ということになる。
そんなにたくさんいるのなら、一人くらい、高麗人たちと砂漠をさまよった娘がいても、おかしくはないかもしれない。
洪武帝は貧農の出であった。足軽から身を起こし、軍団の領袖を経て、最後は帝位についた。 我が国の豊臣秀吉がごとき梟雄と、いえなくもない。 少なくとも、宮廷の最奥に安住するタイプの男ではなかったろう。
プヨン姫なる人物が、そんな父の性質を色濃く受けついでいたとしても、不思議はない。
でも、それにしても、愛らしい過ぎる――
しつこいか?
チャン・ツィイーさんを追いかけている人たちにいわせると、『MUSA――武士』のプヨン姫役は、チャンさんの良さを減じているのだそうである。
しかし、僕の目には、そうはみえなかった。 多分、チャンさんの他の作品を、ほとんどみていないからである。
「その存在自体が反則である――」 とのコメントまで飛び出す女優さんである。 ある種の男性を惑わす魅力をもっている。
――チャン・ツィイーが出演しているだけで、他はどうでもいい!
と、いわしめかねない魔性をもつ。
2003年、花王がヘアケア商品の新ブランド「ASIENCE」を立ち上げた。そのイメージ・キャラクターを務める。 おそらく、このブランドのCMが、日本での露出の最多ではないか? 少なくとも僕は、女優チャン・ツィイーの容貌を、これで知った。
とびきりの美人というわけではない。 大いなる華があるというわけでもない。
可憐で、清楚で――強いていえば、そういう魅力になる。
『MUSA――武士』の物語の中で、途中、漢族の難民と合流したプヨン姫が、自身のせいで家族を死なせてしまった婦人に向かい、こういうシーンがある。
――必ず、褒美はとらせるから……。
廃虚の古城で、供一人ない姫君の言葉である。 何ら実効を持ち得ないことは、火をみるよりも明らかだ。 だから、その婦人は、
――褒美が、なんだ!
と、悪態をつく。 もちろん、プヨン姫は、自分の良心に従い、自分の常識の範囲内で、最大限に優しい言葉をかけたつもりだった。 しかし、いまは、あまりにも場違いな環境―― 返す言葉を失い、プヨン姫は逃げるように、その場を離れる。
はっきりいって、ありふれた脚本である。ありふれた演出である。
でも、不思議だ。 この人が演じると、何かが違う。
何が違うのか?
わからない。 それが、俳優としての素質――なのだろう。 (後編に続く)
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2004年9月24日 (金) |
女優の美(後編) |
(前編より続く) 落ち着いて考えれば――いや、落ち着いて考えなくても――太祖・洪武帝の娘が、高麗の使節団や黄河流域の漢族の難民と荒野をさまようなど、ありえない。 ありえないにもかかわらず、
――こんなお姫様が、もしかしたら、いたかも……。
と、思わせるリアリティが、この人の佇まいにはある。 キャラクター造形力の確かさである。
確かなキャラクター造形力をもつ俳優は、えてして、本人の意思や注意とは無関係のところで、前作までの印象を、次回作にも持ち込まれてしまう。 それだけ、鮮烈な印象を視聴者に与えているということである。
プヨン姫役は、チャン・ツィイーのイメージにあわない――そう、口を滑らせた人は、多分、前作までのチャンさんの演技に、すっかり、あてられていたのであろう。
たしかに、よい女優さんだ。
とはいえ、手放しで絶賛するには、少し、ためらわれる。
1979年生まれ。 まだ、若い。 どこか荒削り――という印象は拭えない。
だから、評価は、わかれるだろう。人によっては、
――どこがいいの?
と、訝るかもしれない。
女優の魅力などに普遍性はないので、それでいいと思っている。
いかに多くの人の心を掴むかが、問題なのではない。 ある種の人たちの心を、いかに確かに掴むか。それが問題なのである。
チャン・ツィイーさんには、ある種の男心をとらえて離さない美がある。 その美は、多分、内面から滲み出ている美である。少なくとも、表層のけばけばしい装飾には、みえない。 そうした点が、同性の支持にも、つながり得るのだろう。
昨今、「アジアの美(Asian beauty)」という句が、もてはやされる。 さながら、チャン・ツィイーさんの代名詞となった。 いい得て妙だと思う。
ただ、アジアの男の口から、いわせてもらえば、そうではない。 あれは、女優の美である。
女優の美に、アジアもヨーロッパもない。 そんなものは、単なるレッテルに過ぎない。
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2004年9月23日 (木) |
映像にくたびれた |
以前、失われた『道草日記』の中で、映画は、物語の受け手に優しく、小説は厳しい――というようなことを書いた。
大した意味ではない。 小説の読者は、常に視覚的想像力の喚起を強制され続けるが、映画の視聴者は、常にふんだんな視覚情報を供給され続ける――という程度のことを、指摘したまでであった。
ところが、いまは、どうも違うのではないかと思い始めている。 あのときは、隣の芝が青くみえたのだ。 僕は、よく小説は書くが、映画やTVドラマを撮ったことはない。
最近、小説の次回作の構想を練るうちに、二、三、思うところができて、幾つかの中国や韓国の歴史物・時代物映画をみた。 映画といっても、DVDだが……。
もとより、即物的な収穫を期待したわけではない。 とはいえ、あまりにも収穫がなく、ゲンナリした。
いや、勘違いしないで欲しい。 今回、みた作品は、どれも良かった。少なくとも素人目には、どれも一級品にみえた。
中国映画界も韓国映画界も、既に、いまの邦画界の手には、おえない感じがする。 早く何とかしないと、このまま、邦画界は潰え去ってしまうのではないかと、心配になった。
それくらい、良質の作品にみえたということである。
「ゲンナリ」の理由は、小説と映画との大いなる差異の再認識による。 (こんなに違うんじゃ、参考にならんわ……) と、思った。 少なくとも、僕が小説を書く場合は、そうである。
今回、映像がもつ狂暴性に、初めて気が付いた。 もちろん、以前から、映像に、そのような一面があることくらい、頭ではわかっていたけれども、いまほど、リアルには実感していなかった。
ここでいう映像の「狂暴性」とは、視聴者がみたくない物まで、みせられてしまうことを指す。 映画の視聴者は、監督がみせたいと思った絵をみる。だから、監督と視聴者との間に、絵に対する欲求の一致があればハッピーなのだが、一致がなかったらアンハッピーである。
小説の場合、読者がみたくない絵は、想像しなければいい。場合によっては、読み跳ばしをすればいい。
もちろん、読み跳ばしなど、絶対によくない――そういう立場もある。
しかし、映画監督と視聴者との間に好みに違いがあるように(インターネットに溢れかえっている素人映画批評の量をみれば、その事実は明らかである)小説の作者と読者との間にも、好みに違いはある。 その不一致を、適度に調整する余地が読者に残されているという点では、小説のほうが、映画よりも、基本的に勝っているではないか――そう思ったのである。 もちろん、それゆえに、小説の読者は、ある種の負担を強いられていると、いえなくもないのだが……。
今回、いくつかの映画作品を集中して観賞してみて、正直、映像にくたびれた。 こんなに疲れるとは思わなかった。
映画は受け手に優しく、小説は受け手に厳しい―― 失われた『道草日記』の中で、たしかに、僕は、そう書いたのだが、あれは、少し先走った結論だったかもしれない。
映画も、受け手には、それなりに厳しい。 ただ、厳しさの性質が、小説とは異なるだけである。
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2004年9月22日 (水) |
僕はこう教える |
小学生の四割が、
――太陽は地球の周りを回っている。
と、信じているそうである。昨日付けで、YAHOO JAPAN NEWS(産經新聞、提供)が報じた。 国立天文台の助教授らが、明らかにしたことという。理科教育の実態を調査する取り組みだという。
今日になって、文部科学省の事務次官が、定例の記者会見で、こう反論した。 曰く、地動説は中学で教えることになっている。小学生の四割が天動説を信じていたとしても、現行の学習指導要領に問題はない――と。 やはり、YAHOO JAPAN NEWSの報道である(共同通信、毎日新聞、提供)
文部科学省のいい分は、一見、責任逃れにきこえるのだが、記事を詳しく読むと、そのいい分は、わからないでもない。 つまり、単なる知識には価値がない――地動説が正しいということを、科学的にきっちりと理解させることが肝要である――それには、中学まで待たなければならない―― そういう反論のようである。
一つ、ケチをつけるとしたら、 ――別に、中学まで待つ必要はあるまい。
であろうか。 小学校で、地動説を「科学的に」教えたとしても、全く問題はないと思う。
ところで、ここでいう「科学的に」とは、どういう意味なのか?
科学論は、僕個人、散々、やってきたことなので、ここに詳述する元気がない。 だから、結論だけいう。
もし、「科学的に」が「学問的に厳密に」という意味でなら、小学生には無理である。天文学の古典的論文をひも解かねばなるまい。 しかし、もし、これが「サイエンティフィックに」という意味なら――つまり、「真に科学の手続きに従って」という意味なら――小学生にも十分可能である。 模型を使うなどの工夫をすれば、きちんと地動説を伝えることができる。
本来、科学に、こむずかしい議論など、ない。簡便な実証に基づき、漠然とした実感を得ることが、科学の醍醐味である。それ以外の点は、新たな科学的知見を生み出す上では、重要かもしれないが、科学の本質からは、ずれる。
僕は、実は、そういった営みに飽きたので、いま、科学の世界から、距離を置きつつある。 幼少時の僕は、科学が複雑な理屈の集大成だと思っていた。いまでも、哲学や社会学、文学は、そうだろうと思う。 しかし、科学は違う。子供でもわかるように説明できてしまうところに、科学の本質がある。 もちろん、簡単には説明できない。科学を、本当にわかりやすく教えるためには、並々ならぬ知恵が求められる。 だから、科学の世界では、しばしば、研究者よりも教育者のほうが、頭を柔軟に使っている。
冒頭の議論――小学生が天道説を信じているのは、現行の学習指導要領に欠陥があるからだという主張と、それに対する反論――は、教育について、広く、真剣に考える機会を提供している。
どちらの主張にも妥当性がある。 どちらの主張にも説得力がない。
結局、教育とは、他人任せにしては駄目なのだというのが、僕の、当座の結論である。 本当に、ちゃんとした教育を受けさせたい人材が身近にいるなら、面倒くさがらず、恐れず、怯まず、自らの手で教育せよ――国立天文台も文部科学省も、あてにしてはいけない―― そういうことである。
――教育とは、所詮、人付き合いの一形態に過ぎない。
そういう考え方がある。 なるほどと、思う。
だから、例えば、我が子を真剣に教育しようと思うなら、それは、とりもなおさず、我が子と真剣に人付き合いをしようということを意味する。
人付き合いの仕方に、絶対的な価値基準がないように、教育の仕方にも、絶対的な価値基準はない。 あるのは相対的な価値基準のみである。
とりあえず、僕の価値基準は、こうだ。
すなわち、自分が真に教育したいと思う相手には、たとえ、相手が何歳であろうと、地動説を教える。多分、天動説を教えた後で、地動説を教えることになるだろう。少なくとも、天動説を教えたままで、地動説には触れない、ということは、しない。
しかし、これは、あくまで僕のやり方である。 それ以上でも、それ以下でもない。
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2004年9月21日 (火) |
銀行の暗さ |
今日は、ちょっと用事があって、いつもは利用しない銀行にいってきた。
いってみたら、何か変である。 客が数人しかいないのに、案内係のスタッフが何人も待ち伏せし、 「いらっしゃいませー」 「いらっしゃいませー」 「いらっしゃいませー」 を、連呼している。
案内に、そんな大人数はいらないだろう。 そもそも、ひと昔前まで、案内係なんて、いたろうか?
僕が生まれて初めて一人で銀行を利用したバブル期の頃、銀行はもっと静かで、取っつきにくいところだった。
――なんだ、坊主。とっと用事すませて帰りやがれ。ここは金持ちの大人の来るところだぞぉ!
みたいな重い蔑視の空気を感じとったものである。
それが、いまや、 「いらっしゃいませー」 「いらっしゃいませー」 「いらっしゃいませー」 のオンパレードである。 わけがわからない。
それにしても、あんなにたくさんの案内係はいらない。 ずっと立ちっぱなしの割には暇な仕事だ。さぞかし辛かろう。
もしかして、余剰人員が案内係に回っているのだろうか? そういえば、今日、僕がいってきた銀行は、合併に合併を重ねてメガバンクになったところだ。
だとすると、あれは一種のワーク・シェアリング(work sharing)か?
誰かが失業するよりも、皆で給料を減らし、皆で等しく我慢をしましょうよ――という労働モデルである。 高い失業率に喘ぐヨーロッパで、ひと昔前に考案されたそうだ。給料は減るが、労働時間も減るので、労使ともメリットがある。
もっとも、今日、僕がいってきた銀行の場合は、微妙だ。 少なくとも、あの案内係システムを導入したお陰で、労働時間が減っているようには、ちょっとみえない。皆で少しずつ暇になって、皆で等しく我慢をしましょうよ――という発想か?
……などといってみたところで、所詮、僕は門外漢なので、以上の推測は、お門違いも甚だしい可能性がある。
今日、僕が気になったことは、最近の銀行は、皮相的には元気なのだが(「いらっしゃいませー」の連呼などがあるから)でも、その内実は、どうしようもなく暗いようだということである。
学生時代、関西の某有名銀行に就職が決まった先輩が、とある起業家から、 「銀行なんかに就職しやがって、夢のない奴だ」 と、散々に叩かれていたことを思い出す。
たしかに、この現代社会において、何らかの夢をもつ人が銀行に就職するようには、ちょっと思えなかった。 事実、その先輩も、 「人生、安定がすべてやで――」 みたいなことを、いっていたし……。
昨今の大手の銀行が、合併に合併を重ねて、もがき苦しんでいるようにみえるのは、失われた安定性を求めての盲動なのかもしれない。
――銀行の合併は、銀行のためであって、利用客のためではない。なぜなら、利用客にとっては、利用できる銀行の数が減るだけなのだから……。
という指摘をきいたことがある。 たしかに、そうだ。銀行の合併は、僕らの生活を、ある程度、不便なものにした。
元経企庁長官で、作家の堺屋太一さんは、
――組織は、放っておくと、当初の存在目的を見失い、自己の存続自体を存在目的とする。
というようなことを指摘されているが(堺屋太一著『組織の盛衰』PHP文庫)まさに、いまのメガバンクが、そうではないか?
もちろん、彼らも生きていくのに必死だということはわかる。悩みに悩み抜いての決断だったのであろう。 しかし、頑張って生きていかなきゃならないのは、ホニャララ銀行という名の組織ではないはずだ。そこで働く人たち、あるいは、それを利用する人たちである。
そのことが、きちんと確認された上での合併なら、誰からも文句は出ないと思うのだが、あちこちから文句が出ている以上、業界の実情は、多少、違うのかもしれない。
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2004年9月20日 (月) |
好きな女の話すら…… |
ここ数日、連続して、
――どんな女が好きか?
という話になった。もちろん、酒の席での話である。
僕は、この手の話は、決して嫌いではない。なのに、いつも、決まって乗り気がしない。 理由はわかっている。 僕にとっては、これは、
――酒の席で喋ってしまえるほど、気楽なネタではない。
からである。
そもそも、
――どんな女が好きか?
といった問題意識がなければ、
――小説やこ書かまあ。
である(岡山地方の方言「小説など書くまい」の意。あってるかな?)
好きな女の話に、総論など、ありえない。つまらないからである。 逆に、各論こそ、本質といってよい。
しかし、そうと承知しつつ、僕は総論に終始する。 どうしても、各論に入れないのである。
各論に入ろうとすると、いつも、 (窮屈だな……) と、感じる。 本題の前に、まず、自分の小説の登場人物の話から始めないといけないと、思うからである。
もちろん、そんな話、酒の席で、できるわけがない。 酒の席で喋れるくらいなら、最初から、小説などにはしない。
そんな状態で、本題に入れるのか?
入れない。 話す僕が、面白くないからである。
そもそも、小説を書き始めた動機が、
――どんな女が好きか?
であった。 当時、8歳―― 嘘みたいな本当の話である。
だから、僕にとって、小説を書く――あるいは物語を作るという行為は、広い意味での「性」と、密接な関係にある。
正直、僕は「性」の絡まない小説や物語など、つまらないと思う。そういうものは、ノンフィクションでやったらいい――そう考えている
だから、「性」の絡まない小説や物語が好きだという人を、僕は奇異に思う。 もちろん、そういう小説や物語も存在はするのだろうが、少なくとも、僕の願望としては、存在して欲しくない。
うざったい願望かもしれない。
そうした感覚は、十年くらい前からある。 ちょうど、僕が小説を、ある程度、真剣に書き始めようとした頃に重なる。
以上の件は、素の僕を知っていて、かつ、僕が小説を書くことを知っている人にとっては、予想すらしないこと……なのだそうである。 だから、そういう人が、僕の書いた小説を読むと、面喰らう。「素の僕」とのギャップが、あまりにも大きいからだ。
もっとも、いまとなっては、どちらの自分が「素の僕」なのかも、あやしくなっている。 荘子の「胡蝶之夢」ではないけれど、最近、小説を書いている自分こそが「素の僕」だと思うようになってきた。
日頃の僕は、おそらく「素の僕」ではない。
好きな女の話すら、満足にできないのだから、当然であろう。
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2004年9月19日 (日) |
無料だからである |
TVが家族の団らんを妨げるという議論が、昔からある。
たしかに、その通りだろう。
人は、目の前でTVがついていれば、とりあえず、画面の動きを追ってしまう。少なくとも、生まれたときからTVがある世代は、間違いなく、そうであろう。 その結果、一緒にいる人間への注意が、おろそかになる。 人間疎外の一種といえるのか。
一方、TVは、新聞や雑誌、本などに比べ、あまりにも受動的に消費される傾向にある。 ただ画面の動きを追うだけでよい。そこには、想像力を働かせる余地は少ない。
だから、ヒステリックにTVを家庭から追い出そうとする人は、希少ながらも、存在し続ける。 家族団らんの時間を奪い、かつ、人から想像力を奪うTVなど、百害あって一利なしということであろう。
では、家庭からTVを追い出すと、何が起こるのか?
大人だけの家庭なら、特に問題はないように思う。 事実、僕は、フリーで仕事をするようになってから、TVをみる時間が、三分の一以下に減ったが、現在、特に問題はない。
しかし、もし、家庭に子供がいれば、そうはいかないだろう。多分、子供への虐めが問題になる。
学校の級友たちのほとんどの家庭では、TVがある。 なのに、自分の家にはない。
この逆境を跳ね返すコミュニケーション能力のある子供は、そうはいないだろう。 実際に、子供が虐められるかどうかはさておき、それを心配するのは、親の心理としては自然だ。
TVを家庭から追い出そうする動きが、大きな流れにならない理由の一つは、多分、そういうところにある。
かくして、苦々しく思いつつも、TVを手放せない家庭は多い。そして、一家団らんのチャンスを奪い、人の想像力を停滞させている。 その代わりに得られるものは、即時的な楽しみ――ときに有益な情報ないし高尚な教養――ということになる。
僕が子供のとき、母は、何とかして子供たちのTV視聴時間を減らそうと躍起になっていた。 当時、その動機は、まるで理解できなかったが、いまは、わかる。 要するに、前述の気掛かり――子供への悪影響への心配――がメインだったのだろう。
いまの母は、平気でTVをつけっぱなしにする。 即時的な楽しみの威力は、かくも凄まじい。 わからないではない。TVがついていると、とりあえず、寂しい思いはしないで済む。 これは大きい。
結局、この問題を解決するには、TVが、新聞や雑誌や本などの多くのメディアの中の一つに過ぎないということを、いかに子供に納得させるかが、鍵となろう。 映画もよい。映画とTVとは、似て非なるものである。映画館の独特の雰囲気を体感させれば、子供心に、TVへの相対化は進むだろう。
新聞、雑誌、本、映画――いずれも有料である。 しかし、TV――これだけは、無料である。
ここに、諸悪の根源があるのかもしれない。
昔から、ただで手に入るものなど、ろくなものではなかった。
案外、全てのTVチャンネルが有料化すれば、問題はすっきり解決するかもしれない。 もちろん、月額固定制では駄目だ。視聴時間に正比例する形で料金を取る―― そういう形式で有料になれば、家族団らんの一時をなくしてまでTV――人の想像的感受性を摩滅させてまでTV――ということにはならないだろう。 人が、意味もなくTVのスイッチを入れてしまうのは、多分、無料だからである。
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2004年9月18日 (土) |
「戦乱の時代」の始まり |
なぜ、こういうことになってしまったのか。
プロ野球のストライキのことである。
もちろん、起こってしまったことは仕方がない。多少のファン離れは避けられないかもしれないが、これをもって、直ちに、日本のプロ野球を嫌いになるような人は、最初から、日本のプロ野球を、そんなには愛していなかった人たちであろう。
不謹慎かもしれないが、いま、日本のプロ野球は、ある意味で、一番、面白い時期といえる。 例年のペナントレースや日本シリーズより、遥かに重大で、長大な勝負事が、始まっているということだ。 思えば、近鉄バファローズの球団命名権売却問題の辺りから、かつてないほどに深刻で、真剣な大勝負が――日本のプロ野球を支えようとする人たちにとっての大勝負が――始まっていた。
球界の土台が揺らいでいる。 これまでの常識が、常識として通用しない。
まさに、乱世である。
そうした中で、日本プロ野球選手会の古田敦也会長の努力には、最大限の敬意を払いたい。 見事なリーダーである。
球界一のキャッチャーといわれる人である。 にもかかわらず、打撃の才能が非凡である。現在、打率はリーグ4位―― 守備の負担の大きいポジションをこなしながらだから、これは、かなり立派な数字だ。 にもかかわらず、どこか、ひょうひょうとしていて、愛嬌がある。 少なくとも治世の古田敦也選手は、そういう人であった。
中国三国時代、
――治世の能臣、乱世の姦雄。
と、称された武将がいる。 曹操、字を孟徳――後に魏王に封じられ、死後、魏の祖・文帝から武帝と追尊された人である。 知略に優れ、詩を愛し、多くの才覚者が配下に集った。 『三国志演義』では悪役として描かれ、ときに間抜けな失態を演じるが、実像は異なる。 作家の陳舜臣さんをして、
――私は、曹操という人が大好きで……
と、いわしめる――そんなスケールの大きな人物であった。
しかし、そのスケールは、乱世に放り込まれて初めて明らかになったものであった。 もし、後漢の時代が、太平であり続けたなら、おそらく、平凡な秀才として生を終えた人だろう。少なくとも、歴史に名を残すことだけはなかったに違いない。
その曹操のイメージに、古田選手の奮闘ぶりが重なる。 古田選手も、こういう時期に選手会長になったので、その人間的な大きさが露になった。 仲間をきっちりと統率し、メディアも目を見張るほどに果敢に行動する。正直、これほどの人だとは、思ってもいなかった。 さらに、あと少しだけ、たくましく、かつ、ずる賢く振る舞うことができれば、もう立派な「姦雄」である。 将来は、是非、日本プロ野球の最高峰・コミッショナーの地位に就いて欲しい。
いや。別にコミッショナーの地位に就く必要はない。古田選手の後進が、就くのでもいい。 魏の曹操も、生前は、ついに皇帝の地位には就かなかった。
日本のプロ野球は、いま、数十年のスパンでの長い戦乱の時代に突入したといえよう。 経営陣vs選手会の闘いではない。日本のプロ野球を良くしようとする者と、そうでない者との闘いである。
この際、ファンとか、選手とか、経営者とかの括りすら、意味がない。 日本のプロ野球界から、野球が好きではない者たちを一掃するための闘いである。
この闘いに勝利すれば、日本のプロ野球は、間違いなく、繁栄する方向に向かう。 闘いは、始まったばかりだ。
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2004年9月17日 (金) |
子供をみていると |
子供をみていると、なぜか、不安になる。
なぜ、なのか?
今日、電車に乗っていたら、目の前に親子連れが座った。 4人がけのボックスタイプではなく、長椅子タイプの座席である。
母親一人、息子二人、娘一人―― 子供は皆、小学生未満である。
日中の田舎の電車だったので、車内はすいていた。
最初は、 (ああ、子供かあ……) と、思っただけだった。
しかし、しばらく、どうも落ち着かなくなった。
子供たちの様子をみていると、なぜか、急に、不安に――もっといえば、不快に――なってきた。
それは、どうやら僕だけではないらしく、周囲の大人たちも白い視線を向け始める。 そもそも、当のお母さんが、苛立ち始めている。
すると、娘さんが、みているそばから、座席に寝転んだ。 隣に座っていた読書青年のズボンに小さな長靴がこすれる。
当然、お母さんは、 「――ちょっと、何してんのよ!」 と、炸裂――
もちろん、お母さんのしつけにも問題はあるのだが、でも、それは別の話――
僕が、今日、その親子を目の当たりにして、一つ思ったことは、大人が子供をみて不安になる――もっといえば、不快になる――のは、どうやら、そうした子供の行動の非合理性ないし非予測性が原因のようだ、ということである。
僕も、子供時代、似たような行動で、大人たちに迷惑をかけてきた。 そのときの負の感情が、いま、生々しい奔流となって、自分の意識に駆け上がってくるのかもしれない。
そうした迷惑は、ちょっとした注意一つで、容易に防げるのだということがわかっている今日だからこそ、なおさら、忌々しいのだと思う。
もちろん、同じことを大人にされれば、忌々しいなどというレベルでは済まないわけで、だから、以上は、そのように非合理的ないし非予測的に行動するのが子供であるということが、前提である。 念のため――
昔から、物事の不確定性と人の不安心理とは、密接な関係にあるとされてきた。 だから、非合理的ないし非予測的な子供の行動が、人を不安にさせるのは、ある意味、当然であるといってよい。
ただ、僕は、そうした理屈を、やや形而上学的にとらえてきた。 どこか、非日常レベルでの話――と、思っていたのである。
そうではない。
子供の日常的な動きの中にも、そうした理屈の断片が垣間見える。 一見つまらない学問も、そういう風に語られれば、印象は一変する。
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2004年9月16日 (木) |
12歳未満視聴禁止 |
――彼は僕が思っていたより、はるかにスケベなヤツだったのだ。
という言葉に刺激され、沖浦啓之さん監督のアニメーション映画『人狼』をみる。
実は、3年ほど前にもみているのだが、冒頭の身も蓋もない一節に触れ、再度、関心を持った。 別に「スケベな」気分になりたくて、みたのではない。そもそも、『人狼』は、そんな気分にはなれない作品である。
架空の昭和史がモチーフになっている。 重火器で武装した首都治安維持組織と強固な反政府組織とが、血を血で洗うゲリラ戦を繰り返す東京が舞台である。
原作・脚本は押井守さん。今春公開のアニメーション映画『イノセンス』の押井守さんである。
冒頭の一節は、その押井さんが、2000年に執筆されたコラムからの引用である(押井守著『これが僕の回答である。』インフォバーン) 沖浦啓之さんは、押井さんの下で作画監督を務めた人で、『人狼』が初監督作品なのだという。「ちゃんとした絵をつくってくれる男」として、押井さんの評価も高い。
察するに、押井さんは、沖浦さんのことを、よく御存じである。 それでも、試写で初めて『人狼』を御覧になって、すっかり「仰天した」という。
――僕の書いた乾いた脚本は沖浦の手により、恐ろしいほど官能性の高い作品に仕上がっていた。
人は、体に無数の弾丸が打ち込まれ、泥人形のように殺されていく。 某誌で、
――リアルな銃撃戦描写に注目!
などと無邪気なコメントが掲載されたが、少なくとも僕の目には、リアルには映らなかった。むしろ、ありったけの官能を込めつつ、きっちり惨たらしさを残した幻想的銃殺シーン――である。
『人狼』は、見終えたあとで、得体の知れぬ嫌悪感と制作者への畏敬の念とが沸き上がる不思議な作品である。 人によっては、嫌悪だけが残るかもしれない。あるいは、官能だけが残るかもしれない。 そういう意味では、ギリギリの作品ともいえる。 だから、12歳未満視聴禁止ということになっている。
欧米の人たちと、メディアにおける性や暴力の話をするとき、決まって感じることがある。 それは、彼らの多くにとって、人の性や人の命への冒涜は、たとえ、ただの映画であっても、確固たる罪らしい……ということである。
そういう嗜好も、法律に触れない限り、構わないのではないかと考える日本人は、意外に少なくないように思う。 僕自身、そういうものを、表現の場から排除することは、かえって、現実と虚構との境界を曖昧にすると考えている。人は、虚構世界において、そういうものを、多少なりとも経験しておくことで、そういうものを現実世界に持ち込まないだけの抑止力を養うのではないか。 もちろん、過去の犯罪の例が示すように、例外はあろう。しかし、そういう手合いは、どちらにしても、結局は、背徳への欲求に屈するであろうから、何か別の手を考えないといけないというのが、僕の持論である。
以上のことを、どんなに理詰めで話しても、欧米の人は、必ずや、僕のことを白い目でみる。 最初は理由がわからなかった。 しかし、多分、間違いない。 彼らにとっては、虚構だろうが現実だろうが、関係ないのである。人間性への冒涜は、もはや絶対的に罪なのであって、例えば、地下道を走って逃げる少女の体に無数の弾丸を打ち込むことも、そのアニメーションのシーンをみて心を動かされることも、等しく、背徳行為であり、両者の間に質的な違いはない。あるのは量的な違いだけなのである
そんなバカな――ただのフィクションじゃないか?
という見方も正論だとは思う。 しかし、いまの僕には、どうも、そこまで割り切る気力がない。『人狼』のように、本物よりも本物っぽく人が銃殺されるシーンをみていると、その完成度が高ければ高いほど、背徳性は増していく気がする。
B級ホラー映画が許されるのは、多分、適度に嘘っぽいからだろう。
押井さんは、冒頭の一節にもあるように、沖浦さんのことを、
――はるかにスケベなヤツだったのだ。
と、茶化して評しておられるわけだが、その「はるかにスケベ」の意味は、もしかしたら、意外と深刻だったかもしれない。
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2004年9月15日 (水) |
デパート1Fの色気 |
デパート1Fの色気―― というコンセプトが、消化しきれないでいる。 もしかしたら、僕の幻想なのかもしれないが……。
そのフレーズを最初に目にしたのは、どこであったか? 新聞か雑誌かの記事だったように思うが、はっきりしない。 けれども、そのとき、たしかに、この世の中には、そういう種類の色気があるなと、僕は納得した。
デパート1Fは通常、女性の化粧品売り場である。だから、
デパート1Fの色気 = 化粧品売り場の女の魅力
ということになる。簡単にいえば、化粧品のCMに登場する女優さんの美だ。
この美は、僕にとっては、正直、煮ても焼いても食えない。
子供の頃から、物語を作ったり、小説を書いたりするのが好きだった。だから、女性美の取り扱いは、少なくとも、何らかの虚構が絡むレベルでは、慣れている。 しかし、僕の虚構加工のまな板の上に、あの女性美は、のってこない。ああした女性美をモチーフにしたお話は、僕には作れないということである。
もちろん、大した問題ではない。 僕が物語を作ったり、小説を書いたりするのが好きでなかったら、多分、どうでもよいことだったろう。
妙に人工的な女性美である。かといって、人形美のような妖しさはない。強いていえば、アンドロイドの美かとも思うのだが、その割には生身の肉感が生々しい。
ついでにいえば、僕は、この女性美が好きではない。もちろん、理解できないから好きになれないということもあろう。しかし、それ以前に、僕の心が受け付けていない。 例えば、僕が大好きな女優さんであっても、ああいうフォーマットのCMに登場された途端、僕の関心は薄れる。
――煮ても焼いても食えない。
というのは、そういうことである。
昨日の『道草日記』で触れたアルフォンス・ミュシャの絵も、そうである。
綺麗なのはわかる。けれど、惹かれない。 色気なのはわかる。けれど、色っぽくない。
もちろん、素晴らしい絵だとは思う。 ミュシャの絵は駄目だ……なんていうつもりはない。
でも、いま一つ物足りない絵にみえてしまうのは、多分、そこに「日本」がないからなんだろうな――と、昨日、実際にミュシャの絵を目の当たりにしながら、僕は思った。
「デパート1Fの色気」がミュシャの絵に通じると気付いたときに、その色気の大部分は欧米的であると、僕には思えてきた。
もちろん、欧米の女優さんが綺麗じゃないとは思わない。あの人たちにも優美な魅力がある。 けれど、僕の場合、あの人たちにリアルな色気を感じない。
理由はわからない。 ただ、慣れの要素以上の何かが関わっているという気はする。
僕は、4歳から6歳まで、ヨーロッパで育っている。 だから、普通の日本人よりは、欧米的な女性美に触れる機会も多かったはずである。それなのに、あの色気はわからない。
ますます、わけがわからない。
とにかく、「デパート1Fの色気」が、ミュシャの女の色気――ヨーロッパの香り高き色気であるという発見は、僕にとっては、驚きの発見だった。
これからも、「デパート1Fの色気」のお話は、当分の間は、作れそうにない。しかし、いまのところは、その発見だけでも、よしとせねばなるまい。
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2004年9月14日 (火) |
閉じ込められたあ! |
昨日、ミュシャの絵画展にいく。 仙台駅前の某ショッピング・ビルで催されていた。
ミュシャとは、アルフォンス・ミュシャ(Alphonse Mucha)のこと。19世紀から20世紀前半のヨーロッパを生きた画家で、優美な女性美を花や植物の模様で飾り立てる画風が特徴的である。
残念ながら、絵画展は昨夜でおしまいになっている。 念のため。
ミュシャには苦い思い出がある。
大学院時代、学会でプラハにいったとき、とあるレストランで酷い目にあった。
そのレストランは、店内のあちこちにミュシャの絵を飾り、非常に雰囲気のよいお店だった。 そこで友人と食事を済ませ、会計をすませたところから、事件は始まる。
僕は、にわかにトイレに行きたくなった。 ホテルまでは時間のかかる距離だったから、僕は我慢するのをやめた。
大きいほうだったので、個室に入る。
用を足す。
そこまでは順調。
そして、さあ、外に出ようとしたそのとき―― 扉が開かないのである。
プラハのトイレは、外側だけでなく、内側からも鍵を差し込んで閉めるタイプのものが多い。日本のように、何かを捻ればOKという簡単な仕掛けのものではなく、家の玄関の錠のようなものが、トイレの個室の扉の内側にもついているのである。
僕の入ったところは、たまたま、その錠の具合が悪く、鍵を差し込めなかった。
日本であれば、大抵、上が開いているので、壁をよじ上って脱出することもできるが、プラハのトイレは、あいにく完全密室―ーちょっとや、そっとの声では、もれないものに思えた。
焦った。
(うおー、閉じ込められたあ!) と、心の中で絶叫――
地震でエレベータに閉じ込められる恐怖というのは、多分、こういう恐怖なんだろうなと思いつつも、とても冷静でいられなくなった僕は、力任せにドアノブをガチャガチャと弄りはじめる。しまいには体当たりし出して、どうにか脱出しようと奮闘努力する有様――
10分もすると、ウエイターさんが、個室の扉のすぐ外までやってきて、何かをいい始めたのだが、冷静さを失った僕には、何のことやら、さっぱりわからない。
――お前のもっている鍵を……しろ。
まではわかったのだが、それ以上はわからない。 どうやら、
――お前のもっている鍵を下から俺に渡してくれ。
という意味らしいと理解したときには、ウエイターさん既に絶叫モードであった。 (……下から渡してくれ?) ここは完全密室である。「下から」とは、どういう意味か?
いわれるままに下をみてみると、実は、扉と床とには、微妙な隙間があって、そこから、ウエイターさんの指がみえている。 完全密室ではなかったわけだ。
というわけで、そのウエイターさんの指に鍵を渡して、外側から開けてもらって、一件落着――
後の友人の話だと、僕がドアをドンドン叩く音は、お店のほうにまで、きこえていて、ちょっとした騒ぎになっていたそうだ。 ウエイターさんも怒鳴るわけである。 (これだから東洋人は……) と、悪態をつかれたかもしれない。
だから、もし、いま、そのミュシャのレストランで「東洋人お断り」の札がかかっていたら、僕のせいである。 申し訳ない。
「せめて日本語で何かいってもらえば、私からお店の人に説明したのに……」 と、友人はいった。 友人は女性だったので、男性トイレに入って事実を確認することができなかったのである。
言語能力が半減する海外では、ちょっとしたトラブルが、とんでもない大事件に発展することがある。少なくとも、僕の場合はそうだ。だから、海外旅行は嫌いである……。
この話には、おまけがある。
その後、レストランを出て地下鉄の駅構内に入ると、チェコ語の案内板の前に、その日、プラハ入りする予定だった研究室の後輩が、一人、立っている。 その後輩は初めての海外旅行なので、連れがいたはずなのだが、なぜか、いまは一人――
プラハの街は決して小さくない。 その街でバッタリ出会うのは、信じられないくらいの僥倖である。 「どうしたの? こんなところで……」 と、話し掛けると、その後輩は、心から安堵した表情を浮かべて、いった。 「――ああ、みつけてくれて、ありがとうございます」 どうやら、連れとはぐれて、迷子になっていたらしい。
僕がトイレに閉じ込められて足留めをくったのが20〜30分―― これがなければ、僕たちは、間違いなく出会うことはなかった。 僕らに出会わなかったら、この後輩が、その日のうちにホテルに辿り着けていたかどうかは、大いにあやしい。
僕がミュシャのレストランのトイレに閉じ込められたのは、後輩を救うためだった―― いまは、そう考えるようにしている。
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2004年9月13日 (月) |
ワイパーなし? |
一昨日、顔なじみの整備士さんのいるガソリン・スタンドにいったら、 「――お安いですよ」 といわれ、ホニャララという名の車洗浄サービスを勧められた。 普段は七、八千円するところを、いまなら、ほぼ半額だという。その値引きの大胆さにつられ、つい、 「お願いします」 と、いってしまった。
そして、発見――
最近、タクシーの運転手さんたちは、雨が降ってきても、なかなかワイパーをかけようとしない。下手をすると、3〜4分は、そのままである。 (なぜだ! 危ないじゃないか!) と、ずっと思っていたのだが――
――つまり、こういうことだったのね……。
最近のワックス仕上げは、ガラス窓の水滴を勢い良く弾くので、実は、ワイパーなどかけなくても、十分に視界は良好なのである。 むしろ、ワイパーをバンバンかけていると、ワックスが剥がれる……。
僕の車に関する技術の知識は、古臭い。 何しろ、つい3年前まで、80年代のセダンに乗っていたくらいである。いま乗っている車も、立派な十年モノだったりする。 だから、知識の鮮度は、推して知るべしである。
顔見知りの整備士さんに、 「それは、だいぶ前の話ですね――」 と、何度も笑われた。
かのバブル期は、皆、いま振り返ると、信じられないくらいの勢いで車を買い替えていたのだという。 2、3年に1台が当たり前だったとか……。
その間、当然、部品や消耗品の類いに至るまで、モデル・チェンジやバージョン・アップが、頻繁に繰り返されていたことであろう。 車の技術サービス革新が、ちょっとしたものも含め、爆発的に進行した時期――それが、バブル期だったのではなかったか?
僕は、車のことは、よく知らない。 だから、全然、見当違いなことをいっているのかもしれない。
……しかし、多分、僕が車世界の浦島太郎であるということは、間違いない。僕は、所詮、15〜20年前の常識に、よりかかっている。 だから、ホニャララという車洗浄サービスごときで、驚いてしまう。
それにしても――
極力、ワイパーをかけないのがよい時代とは……。 そのうちに、ワイパーの必要が全くなくなる時代も、やってくるのだろうか?
ワイパーなしというのは、予想もしなかった技術革新である。それだけに、驚きは新鮮だ。 よっぽど、ハンドルなしの車のほうが、ありふれている。そういう車は、SF小説やSF映画の世界では、すっかりお馴染みだからだ。むしろ、郷愁を誘うくらいである。
こういうのを「テクノスタルジア」という。 たしか、作家・精神科医の香山リカさんの造語だった。
僕の好きな言葉である。
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2004年9月12日 (日) |
大学生の試験シーズン |
毎年、9月は大学生の試験シーズンなので、近所のファミリー・レストランでは、深夜になると、多くの若い人たちが、一心不乱に勉強を始める。 なかには、友人同士で気楽にお喋りしながら、まったり勉強している人たちもいて、 (おいおい。大丈夫か……?) などと、勝手に心配したりもするのだが、まあ、それくらいがなくては、とてもやってられないようなことを、あの人たちは、やっているのである。
僕自身、学生のときは自宅にこもって勉強するタイプだった。 といっても、先輩や同級生から毎回欠かさず、試験資料を集めて回っていたので、一人でコツコツやるタイプではない。基本的には、集団で試験に挑むタイプだった。
大学に入ってからの試験ほど、無駄なものはないと思っている。 いまでも、あんな下らない試験にエネルギーを注がなければならなかった学生時代を思い出すと、腹が立つ。
何が下らないかといえば、要するに、講義に忠実な知的営みの強制という点である。わかりやすくいえば丸暗記の強制ということ―― おそらく、出題者に知恵がないので、そういう試験になる。
まれに、素晴らしい試験の話をきく。 どういう試験が素晴らしいのかというと、例えば、講義ノートなどの手製資料の持ち込みが許されていたり、あるいは、教科書の類いの持ち込みが許されていたりする試験である。 それでも、不合格者が出る試験――それこそが、最も素晴らしい。 つまり、ただ知識を吐き出すだけでは点数に結びつかず、吸収した知識を有機的に組み合わせ、論理的に思考しない限り、得点に結びつかない試験――それが優れた試験である。 昨今の大学入試は、そうなっているのに、なぜ、大学に入ってからの試験は、そうなっていないのか? ほとほと理解に苦しむ。
もちろん、そういう試験は、非常に創造的に作られる必要があり、出題者に要求される力量は、並大抵のものではない。だから、無能な大学教授は、安直な丸暗記型試験でも作って、お茶を濁さざるを得ないのである。 学生こそ、いい迷惑である。 そういう教授は、少なくとも教育の場からは、ご退場願いたいものだ。若者に才能を浪費させる搾取者以外の何者でもない。
しかし、当の学生たちにとっては、そんな理屈はモノの役には立たない。
学生時代、僕の友人は、学内で催された教育シンポジュームの場で、学内外の教授陣に向かい、 (――あなたたちは、学生にとっては、権力者以外の何者でもないのだということを、まず自覚して頂きたい) と、正論を吐いた。
大学というところは、講義や実習・演習などの教育を実践する者が、それらを受講する学生の評価までしてしまう。 だから、大学の教育者は、専制君主さながらの狂暴性を有し得る。 本来なら、講義や実習・演習の担当者と学生に試験を課す者とは、わけるべきであろう。でなければ、いつまでたっても、大学の教育者に緊張感はもたらされず、独り善がりの無意味な教育が継続される。
学生時代に、僕らがいいたかったこととは、そういうことであった。
しかし、いくら強固な論陣を張り、教授陣を言い負かしてみせたところで、自分自身が進級できなければ、結局は負け犬である。 だから、学生は、下らないと思いつつ、苦虫を噛み潰して無意味な勉強をすることになる。
今日、ファミリー・レストランで試験資料と格闘していた人たちが、どうなのかは、知らない。 しかし、深夜に、ファミリー・レストランで、ウンウンうなりながら勉強している様子は、到底、幸せにはみえなかった。 現在の大学教育の歪みを、あの人たちが、一身に背負っているのではないか?
逆に、もし、この時代に、真に、勉強の喜びを享受している学生さんがいるとすれば、その人は幸せである。 おそらく、素晴らしい教育システムをもつ大学に在籍している人か、丸暗記が好きで好きでたまらない人かの、どちらかであろう。
僕は、どちらでもなかった。
だから、大学には悪い思い出のほうが多い。 もう一度、大学生をやらせてやるといわれても、多分、丁重にお断り申し上げるだろう。
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2004年9月11日 (土) |
日本語の発音 |
僕は、興奮すると、日本語の発音がうまくできない。 自分でも、妙な言葉を発しているのが、わかる。
例えば、
――小学生のとき、朝顔の観察をしたでしょう?
と、いうかわりに、
――小学生のとき、朝御飯の観察をしたでしょう?
と、なってしまう。 あるいは、
――そんなの、微々たるものだよ。
と、いうかわりに、
――そんなの、美味たるものだよ。
となってしまう。
どちらも、うまく発音できないゆえに起こる失言である。
こういうミスは、わざとゆっくり喋ることで、予防することが可能なのだが、当たり前のことながら、興奮しているときほど、そういう予防線を張るのは難しい。 だから、僕の場合、よく「朝顔」が「朝御飯」になったり、「微々」が「美味」になったりする。
僕は、話すことには、書くことほどには、コダワリがないので、実は、それほどは気にはしていない。 しかし、それでも、いちいち、嫌味っぽく訂正する人に出あうと、さすがに腹が立つこともある。
もっとも「美味」の場合は、もう少し話が複雑で、僕が「微々」と書いて「びみ」と発音すると誤解しているんじゃないかと思う人も、いるようだ。
それくらい、聞き流せばいいのに……。 もちろん、そう思いたければ、思ってもらっても構わないけれど……。
ああ――でも、たしかに「雰囲気」は「ふいんき」だと思っていた。
高校生の頃、「ふいんき」の漢字を知りたくて、一生懸命、国語辞典で探したのだが、なかなか、みつからなくて困った記憶がある。 他にも、例えば、「シミュレーション」を「シュミレーション」だと思っていたり、「ジュラシック・パーク」を「ジェラシック・パーク」だと思っていたり……。
こういう誤解は、全部、書くときに気が付く。 話すときは無頓着なクセに、なぜか書くときだけは、結構、マメに辞書で確認するので……。 僕の話し言葉の軽視は、死ぬまで、なおらないかもしれない。
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2004年9月10日 (金) |
そんときは頼んますわ…… |
最近、誕生日のお祝いというものが、よくわからない。
何を隠そう、今日9月10日は、僕の31回目の誕生日なのだが、
――僕も、今日まで、31年間、生きてきた……
という多少の感慨はあっても、なぜ、それが無条件でお祝いにつながるのかが、よくわからない。
いや。 皆から祝ってもらえること自体は、僕も嬉しい。 問題は、なぜ、それが誕生日なのか、ということである。
例えば、結婚記念日などは、よくわかる。 僕に結婚経験はないが、巷できく限り、結婚生活というものは、真面目に維持しようと思ったら、かなりのエネルギーを要する。 結婚までいかなくても、男女が付き合うということは、それなりに手間がかかる。 生まれも育ちも違う赤の他人同士が協力し合って生きていくのだから、当然だろう。
だから、
――今日で結婚生活も5年目だね。
という感慨であれば、素直に、お祝いと結びつく。
――今日まで、よく頑張ってこられたよね。
という、ある種の達成感が絡んでくるからだ。 ところが、誕生日では、そうはいかない。 少なくとも僕の場合、達成感はない。
――今日で人生も31年が終わったね。お疲れさま。
ということか? 何か変だ。
毎日、無理して頑張って生きている人はさておき、適当に息抜きをしながら、人生を十分に楽しんで生きている人にとっては、31歳の誕生日は、単に、楽しみの時間が31年間に及んだというだけのことである。
――お疲れさま。
ということにはならない。
はっきりいってしまえば、どんなに怠惰に生きても、31年間は31年間である。 誕生日を無条件で祝うということは、その怠惰な31年間を、意味もなく祝うということに、なりはすまいか?
幼子の頃は、それでもいい。 多分、幼子は、無事に生きているだけで、立派である。
しかし、少なくとも二十歳をこえれば、そうもいくまい。 だから、1歳児や2歳児の誕生日というもは、多分、大部分が親のためのお祝いである。 赤ん坊を、1年間も2年間も世話するのは、大変なことである。 お祝いの一つもしたくなろう。
それは、それでよい。
でも、二十歳をこえれば――いや、自分で自分の生計を立てるようになれば――少なくとも、誕生日を親から祝ってもらうというのは、ちょっとピントがずれている気がする。 まして、友人や恋人から祝ってもらうというのは、ちょっと……。
というわけで、最近、自分の誕生日をきかれても、ゴニョゴニョ……と誤摩化している。
もっと真っ当な口実ができたら、 「そんときは頼んますわ……」 という感じだ。
もちろん、誕生日に限らず、誰かに関心を払ってもらえるということは、素直に嬉しいことなのだけれど……。
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2004年9月9日 (木) |
夏の終わりがいい |
気のせいかもしれないが、ここ1、2週間、いやに喪服姿の人を多くみかける。 気のせいかもしれないが、毎年、夏の終わりになると、お葬式の類いを頻繁に目にする。
実際、体力が限界に近づいているご老人や病の重い人たちは、夏の終わりに亡くなることが多い――そういう話をきいたことがある。 夏は、そういう人たちにとっても、体力を消耗する季節なのであろう。
以前の『道草日記』で、夏の終わりが一年の終わりだ――みたいなことを書いたのだが、もしかしたら、一生の終わりは夏の終わりなのかもしれない。 ちなみに「夏の終わりが一年の終わりだ」というのは、誕生日を9月に迎える僕の勝手な思い込みに過ぎない。 念のため。 人間は、いつ、どういう形で、生を終えるのか? 通常、それは誰にもわからない。 それゆえに、自分らしく死にたいと思う人は、多いようである。
僕も、そう思う。
ただ、いまの僕は、あまりにも人生を散らかして生きているので(自分の部屋と同様……)まだ、死ぬに死ねないという事情がある。
だから、実は、どういう終わり方が自分にしっくりくるのか、よくわからない。 そのことについて、真剣に考えるほどの余裕が、まだ、ないからだ。
昔、TVをみていたら、こんなシーンにであった。 ある戦国大名家の老将が、焦りまくっている。かつての僚友たちは、皆、華々しく戦場で散っていった。なのに、自分だけが死に遅れて、生き恥をさらしている――ありがちな設定である。 そして、ある夜、その老将は、野盗に襲われ、道端で切り死にする。死に際し、その老将は、野盗に向かって、こう、いい残す。
――礼を申すぞ。
こういう死に方も、その老将にとっては一つの理想だったと、脚本家はいいたかったのだろう。
僕は、辻切りにあって死ぬのが美しいとも、凄惨だとも、壮烈だとも思わない。 ただ、この老将のように、どう死ぬべきかについて、懸命に悩んだ挙げ句に、死ねるというのは、決して悪いことではなかろう。 羨ましいとさえ、思う。
死は、突然にやってくるから、残酷なのである。
スティーブン・スピルバーグ監督の映画『プライベート・ライアン』の冒頭のシーン――オマハ・ビーチの攻防戦が残酷なのは、若い兵士たちの死が、あまりにも突然だからである。
あのような死が、現実のオマハ・ビーチに存在したのかどうかは、しらない。 それでも、あのシーンは、人の死の恐怖を、最も端的に表しているように思える。
裏を返せば、ジワリ、ジワリとやってくる死は、その死を、よりよいものにしようとする意志さえあれば、かなり幸せなのではないだろうか?
多分、「よりよい死を」という志を持つことが難しいのである。
こんな文章を書いている僕自身、まだ、ちゃんと死に向き合う準備はできていない。
いうは易く、行なうは難し……か。
一つだけ―― 僕が死ぬのは、夏の終わりがいい。 涼し気な虫の音をききながら、一人、静かに息を引き取るのがいい。 そう思う。
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2004年9月8日 (水) |
大好きなクリームあんパン |
――いまの自分を変えたいと思ったら、いまの自分が一番好きなことを諦めることだ。
と、いわれたことがある。
なんでもいいから、とにかく諦めるのだそうだ。
例えば、自分は勉強ができない――すぐに怠けてしまう。 そんな自分が、イヤでイヤでしょうがない。 でも、どうすればいいのか、わからない。
そんなときに、例えば、いつも夕方のおやつで食べている大好きなクリームあんパンを諦めればいい。そうすれば、何かが変われるかもしれない――
そういう話である。
――なんだかなあ……と思った。
時々、いまの自分を変えたいと思うことはある。 しかし、それをするのに、いまの自分が一番好きなことを諦めなくてはならないというのは、どうも、腑に落ちない気がした。
まあ、いまは、自分を変えたいとは思わないので、別にどうでもいいことなんだが……。
好きなものを止めることで、自分を変えられる――これは、嘘ではなさそうだ。 好きなものが、好きじゃなくなるというのは、かなりの大事変である。
しかし、大好きなものを我慢するというのは、どうも消極的に過ぎる。 どうせ止めるなら、好きなだけ堪能して、飽きて、それで止めればいい。
つまり、夕方のおやつで食べていた大好きなクリームあんパンを、夕方といわず、昼といわず、夜といわず、常に食べ続ければよい。 そのうち、飽きがくるだろう。 そうすれば、自然と止められる。
自分に無理を強いるやり方は、多分、よくない。長続きしない。
無理なく自分をかえる。 そういう方法をこそ、模索するべきだろう。
自分に無理を強いるくらいなら、始めから「好きなものを諦める」なんて回りくどい方法をとらなくても、十分に自分を変えられるのではないか。
とはいえ――
人間は、簡単に変われるものである。 むしろ、放っておけば、必ずや、変わっていってしまうものである。それが人間だ。
昔話などで、たくさん耳にする。 昔の約束を破ったばかりに、悲惨な目にあう男の話―― 逆に、昔の約束を律儀に守って、望外な幸せに浸る男の話――
どちらも、人間がずっと変わらずにいることの難しさを説いている。
むしろ、簡単に変わっていってしまうから、人間は厄介なのである。 五年前にいっていたこと、いま、いっていることとが、違うから、困るのである。
そういえば、 「自分を変えたい!」 と、切望する人は、若い人に多いようだ。 人間は、どんどん変わっていくものであるということに、まだ、気付いていない人たちであろう。
僕自身、冒頭のお説教をきいたのは、たしか、17歳か18歳のときだった。 一度、大人になってしまうと、人間は、なかなか変われないものである――そう考えていた頃のことであった。
そんなわけはないのに……と、いまの僕なら思う。 むしろ、一つのことに変わらずにいられることのほうが、数段、難しい。たとえ、それが「勉強嫌い」というようなものであっても……だ。
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2004年9月7日 (火) |
冷蔵庫を開けたら |
冷蔵庫を開けたら、豚の頭が入っていた――そうである。
「もう、びっくりっすよ」 「そりゃそうだよね」 「さっき、僕らが食べたサラダとかは、あの冷蔵庫に入っていたわけですよね」 「ははははは!」
何の話かというと――
先日、近所のラーメン屋に入ったとき、僕の後ろの席では、OL風の女性客が店員さんに注文をし終えたところだった。
僕も、注文を終え、しばらく、携帯電話のメールをチェックしていると、その女性客が、 「あら。珍しい――」 と、声を上げた。 みると、 「……あ、どうも」 と、青年サラリーマンが笑顔で会釈した。
どうやら、この二人、会社の同僚らしい。
「まさか、こんなところで会うなんてね」 と、女性客がいうと、 「そうですね。よくここに来られるんですか?」 と、青年サラリーマンが問う。 「たまにね」 と、OL風の女性はいった。
この二人、おそらく、プライベートでは、あまり話をしていない。 お互いに好感はもっているようだが、これまでは仕事上の付き合いしかしてこなかったようだ。
僕も経験があるが、こういうとき、会話は妙にハイテンションになる。 一生懸命に会話をつなげようと、必死になるからだ。
青年サラリーマンが、先週、中国の村に遊びに行ったときのことを話し始めた。 「なんで、そんなところへ?」 と、女性が問うと、 「いや。友達が招待してくれて……」 という。その友達というのが、中国人で、昔、一緒に仕事をしていたことがあるらしい。
冷蔵庫の中に、豚か何かの動物の頭をみつけたのは、そこでの話であるという。 「文化が違うから、しょうがないとは思うんですけどね」 と、その青年サラリーマンがいった。 「そうだよね」 と、女性が相槌を打つと、 「でも、その頭、いつから、そこに入ってるんだよ? ……って感じだったんですよね」 というから、 「ええ? やだあ」 と、笑った。
ちょうどそこに女性のラーメンが届けられたので、以後、二人の会話のテンションは、少しずつ落ちていった。 そして、最後は、すっかり無難な会話に落ち着いていたが、それにしても、ラーメン屋で、そんな中国の村の話をきくとは、夢にも思わなかった。
昔、まだ、インターネットはおろか、TVや電話や新聞もなかった時代、人が動くということは、情報が流れるということだった。
人こそは情報であり、情報とは、すなわち、人である。
ラーメン屋で会話していた二人から得た情報は、多量である。しかも、ディテールがしっかりとした生の情報だった。もちろん、その正確さには限りがある。しかし、それはTVや新聞や本にもいえることだ。
人は、情報の媒体としては、かなりユニークな存在のようだ。 同じ内容を、TVや新聞や本で知ったとしても、ここまで印象に残ったかどうか……。 人は、人から直に得られる情報が、一番、心に響くに違いない。
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2004年9月6日 (月) |
気付かぬふり |
メールの返し忘れというのが、最近、多い。
することも多いが、されることも多い。
どのように返事するかを考えていたり、あるいは、誰か他の人と相談したりしているうちに、何だか、返したつもりになってしまうのだ。
僕の場合、いまのところ、メールの返し忘れで、痛い目にあったことはない。
基本的に、自分が返し忘れたときだけが、問題となる。 相手に返し忘れられたときは、辛抱強く待つか、あるいは、丁寧な催促のメールを出せばよい。
インターネットやコンピュータの発達で、世の中、かなり便利になったものだが、人間の些細なミスを防ぐ方向での技術革新というのは、それほどでもない。
重大なミスは、些細なミスよりは、防ぎようがある。
例えば、書きかけのファイルを保存しないで閉じようとして、パッと警告音が出るなどという仕掛けは、コンピュータはお得意だ。 しかし、一見、返事をしなくてもよさそうなメールに、返事をしようとして、返事し忘れ、パッと警告音が出るなどという仕掛けは難しい。多分、人間にも難しいだろう。
なぜ、難しいかというと、場合によっては、その返事のし忘れを、みて、みぬふりをする必要があるからだ。 もしかしたら、故意に、し忘れようとしているのかもしれない。そういうときに警告を発しても、煙たがられるだけである。
結局、コンピュータの類いは、みて、みぬふりをすることができないわけだ。
人間は、例えば、中途半端な知り合いとすれ違うときに、微妙な距離をとり、わざと気付かぬふりをすることがある。 そうすることで、ことさら、丁寧な挨拶をしなくても、
――何も、あなたを無視しているわけではないのですよ。
というメッセージを、曖昧に送り出しているわけだ。 僕は、これが下手なので、大抵は、逃げる相手を追いかけ、つかまえてしまう。 その都度、きまり悪い気持ちを味わってきた。
学生時代に、そうした対処がお上手な先生がいて、先輩がとても感心していたのを思い出す。
今後、仮に、あと何百年もたって、アンドロイドが普通に町中を歩き回る時代がきたとしても、曖昧に誤摩化すことで相手に悪い印象を与えずに、その場を取り繕うという人間の所作を真似するところまでは、到底、発達していない気がする。 そういう社会は、間違いなく、人間には居心地が悪いであろう。
昔、TVのニュースで、選挙に負けた元代議士の人が、支持者に向かって、
――何としても、次の選挙では、屈辱を期し……
と、力強く演説しているシーンをみかけた。 もちろん、「雪辱を期し」のいい間違いなわけだが、誰も、そのことに気付かない。いや、気付かないふりをしている。 これが、陽気な場であれば、きっと誰かが、
――もう一回、屈辱を味わってどうするんだ!
と、野次でもとばし、周囲の笑いを誘ったことだろう。 でも、選挙の敗戦後の挨拶では、そういう茶化し方が、全く意味をなさいということを、人間は瞬時に判断し、気付かないふりをしてあげることができるのである。
恐ろしく、洗練された能力だ。
こんな能力が、コンピュータ上に再現され得るとは、正直、ちょっと思えないのだが、例えば、認知ロボット工学の分野では、その辺のメドが立っていたりするのだろうか?
案外、凄く単純なアルゴリズムで実現できたりして……。
いや。そんなことはないだろう。 少なくとも、そんなアルゴリズムが構築されているような未来では、人間は既に脳の中の仕組みを100%理解しているに違いない。
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2004年9月5日 (日) |
理想の男女関係 |
――女の子は、自分を好きになってくれる男性と、一緒になったほうがいい。そのほうが、絶対に幸せになれる……。
高校時代、授業の合間に、そういう雑談をした先生がいた。 中年の男性の先生だった。
口ぶりからいって、ご自分の実体験だけでなく、他の様々な事例を参考にした上での、ご結論のようであった。
殊更に「女の子は」といわれたのは、おそらく、結婚後にお産を控えているのは、女性だけであるということ―― また、女性は、母性本能の絡みから、必然的に、子育てにおいて、重要な役割を果たすということ――以上の二点からだろう。
つまり、家庭では、多かれ少なかれ、女性が主導的な地位を占める。それを前提にしての話であった。
あるいは、男女の総体的な心の動きなど、多少、文学的な要素も入っていたかも知れない。
ちなみに、ご自分と奥さんとのなれ初めについては、一切、語られなかったが……。
家に帰って、妹と、その話をした。
自然と、
――うちの両親は、どっちだろうね?
という話になった。
結論は、すぐに出た。 多分、母親が父親を好きになって、一緒になっている。
普通、自分の両親のなれ初めなど、考えたくもないものだが、まあ、うちの兄妹の場合は、なぜか、そういう話をした。 そして、改めて、うちの母親は幸せなのかと、考えた。
(そこそこ、幸せなんじゃないの?) というのが、当時の結論であった。 しかし、あれから、十何年が経ち、父親は、もう、この世にはいない。
いま、母が幸せかといえば、答えは、限りなく、 (――否) に近い。
もっとも、本人には、その自覚がないだろう。 それなら、それでいい。 もしかしたら、息子に、こんな一文を書かれている時点で、幸せではないのかもしれないが……。
僕が、母親を幸せでないと感じるのは、もう還暦が過ぎているというのに、いまだに、人生を、自分の価値観では生きていないように感じられるからだ。借り物の価値観で生きている。 でも、本人は、それに気付かない。立派に「自分の価値観」で生きていると思っている。 だから、息子にも、その「借り物の価値観」を押し付ける。 もし、それが、本当に「自分の価値観」であったら、そんなものを、おいそれと他者に押し付けるはずはない。
それは、多分、若い頃のツケなのだと思う。 これからの人生を、自分の意志で生きていこうとはせず、誰か適当な男性の人生に寄り掛かって生きていこうと決めたツケなのだと思う。
男である僕にいわせてもらえば、女性にとっての男は、基本的には、いても、いなくても、いい存在なのだ―― という気がしてならない。 それが、理想の男女関係ではないか?
――別に、一人で生きてもよかったのよ。でも、どうしても、一緒に生きていきたいっていう男が寄ってきたから、しょうがなしに、一緒になったのよ。
そういう女性のほうが、そうじゃない女性よりも、いくらか幸せなような気がする。 ――男なんて、いても、いなくても……。
という女性は「自分の価値観」を確立する可能性が高い。そして、「借り物の価値観」――それは、往々にして男の価値観であるが――に惑わされる可能性が低い。
もちろん、人生は複雑怪奇な旅程なので、そこに生じる差は微々たるものであろうとは思うけれど……。
とにかく、いまの僕は、
――女の子は、自分を好きになってくれる男性と、一緒になったほうがいい。
という意見に、かなりの実感をもって、賛同する。
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2004年9月4日 (土) |
変わるということ |
実は、昨日から東京に来ている。
昨日、今日と、どうも暑いなと思ったら、それは、気候が変わったからではなく、僕が仙台から東京に南下したからだ。 やはり、仙台と東京とでは、だいぶ、暑さも違う。
今日、JRお茶の水駅から、三省堂の方に歩いた。 11年前、東京で予備校生活を送っている頃は、よく、一人で、あの辺りをブラブラと散策した。
以後、仙台に居を移してからも、何回か、三省堂の界隈を歩いているが、一人で歩いたのは、多分、予備校時代以来であった。
一番、様変わりしたのは、明治大学か。
11年前は、古い造りの建物が、風情ある情緒を醸し出していたが、いまは、ホテルさながらの現代的ビルディングに様変わりしている。
変わるということに、僕は、良い意味も悪い意味も持たせたくはない。 しかし、こればかりは、何だか、残念な気がした。
――日本の大学人は、学内に居を構えないのがいけない。
そういう主張をきいたことがある。 いつだったかは、忘れた。 だいぶ前のことだ。僕が、まだ、大学に希望を持っていられた頃のことである。
――大学の教授陣が、学内に居を構えれば、学内の佇まいにも、おのずから風格が生じる。
それが、その主張の根拠だった。
例えば、欧米の伝統ある大学では、総長(学長)以下、相当の首脳陣が、在職中、学内に居を構えるという。 ちょうど、国家元首が公邸に居を移すのと同じような感覚なのか。
そのように、自らの住まいを学内に移すことで、在職中の緊張感を、維持しているのかもしれない。 また、そのような緊張感の維持が可能になるように、学内の佇まいにも、気を使うようになるということなのだろう。
古来、居は気をかえる、という。
たしかに、ホテルみたいな大学に寝起きしていたのでは、学問に挑む心意気みたいなものは、消沈するに違いない。
もっとも、学問をするのは、人であるから、その人に風格があれば、建物はどうでもいい、というのも、多分、正論である。
戦国の武将・武田信玄は、
――人は城、人は石垣……。
といった。 実際、信玄は、たいそうな城塞を構えることなく、甲斐の国全体を堅固な要塞と化したといわれる。 その子・勝頼は、父と異なり、大がかりな城を築き、それが、かえって、甲斐の滅亡を早めたといわれる。「人は城、人は石垣……」の訓に従わなかった二代目は、家臣団の和を乱した。
要するに、大事なのは人である。
そんなことを考えながら、僕は、11年前の自分が、大学に真剣に思いを寄せていたことを、改めて思い出した。
あの頃は、大学を外から眺めているだけだった。 だから、憧憬の念ばかりが沸き上がり、大学の中のドロドロの現実からは、目を背けていられた。
その後、僕は、10年にわたって大学に身を置いた。 そのことで、僕の大学観は、良い意味でも悪い意味でも、変わった。
変わるということに、正負の意義を持たせたくはない。 ただ、変わった―― そう、いいたいのは、例えば、僕の大学観の変化が、ひと言では言い表せないほどに、複雑だからである。
おそらく、変化とは、すべからく、そういうものである。
明治大学がホテルみたいに立派になっているのをみて、僕は、何となく、 (嫌だな……) と、思った。 しかし、多分、それは、短絡に過ぎる。
変化の意義は、正か負か、一意に決まるものではない。もっと複雑な価値の変動が伴う――そう思いたい。
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2004年9月3日 (金) |
父は娘に |
――十九の冬に愛する人と別れたのは、新宿駅のプラットホームだった。
作家の浅田次郎さんのエッセイの一節である。 JR東日本が発行している車内雑誌の『巻頭エッセイ』だ。
繰り返すが、エッセイである。 小説ではない。
しかし、それと見紛うほどの筆致だ。
エッセイと小説とに本質的な差はない――と、僕が感じてしまうのは、こういうエッセイに触れるときである。
明確な記述はないのだが、おそらく、浅田さんは、恋人に見送られたのではなく、恋人を見送った。
――恋人は山手線のドアごしにずっと手を振ってくれていたが、私は応えずに佇んだままだった。
と、浅田さんは語っておられる。
それから数時間もの間、若き日の浅田さんは、ぼんやりとベンチに座って、考え事をした。 よほど、別離が堪えたのだろう。 月日はたち、今度は東京駅のプラットホームで、十九歳の娘さんを見送ることになる。 娘さんは、医学の勉強をするために、陸奥(みちのく)に旅立たれることになった。
浅田さんは語る。
――一緒に新幹線に乗りこみ、せめて大宮まで行こうとして叱られた。かつて恋人とはあれほど潔く別れることができたのに、娘に対してはくどくどと、思いつく限りの言葉を並べてしまった。
そして、娘さんの乗った新幹線を追って、プラットホームの端まで歩き、浅田さんは、
――まさかと思うそばから顔を被って泣いた。
という。
大切な人との別離の嘆きを乗り越える雄々しさが、若き日の自分にはあったのに、いまの自分には、それがない。
――齢はとりたくないものである。
と、エッセイは結ばれる。
結びの一文には、なぜか、あまり、説得力が感じられない。 でも、そこがいい。
本当は、十九のときの恋人と、十九歳になった娘とを、比べることなど、できはしないだろう。 それを、敢えて、比べてみせることで、自分の涙を齢のせいにする。 そこが、実にいい。
本当は違う。娘が相手だから、自分は、こうも情けなくなったのだ、と――。 でも、それは書けない―― 書きたくない――
そういう思いが、この一文からは感じ取れる。
正直にいって、冒頭、十九のときの恋人の話が出たときは、
ほう――
と、思った程度だったのである。 しかし、話が娘さんとの別離に及ぶと、なぜか、僕の気持ちまで、平静ではいられなくなった。
そうか! 浅田さんは、これを書きたくて、十九のときの恋人の話を持ち出したのか――
本当は、最初から、娘さんのことを書きたかった。でも、そこからは入れずに、まずは、恋人の話から入る――その技巧が、娘さんへの思いを、鮮烈にする。 「巧い」などというものではない。
もちろん、これは、僕の一方的な解釈。 御本人に問い合わせたら、全く違うことをおっしゃる可能性は大きい。
とはいえ、エッセイにも小説にも、こうした感性の読解があってもいいのではないか。 人は、これを「誤読」と呼ぶかもしれない。 そうかもしれない。 けれど、こうした読み方があってこそ、エッセイも、小説も、色香を放ち得る。 もしかしたら、読み手は、こういう形で、書き手の仕事を完遂させているのかもしれない、
このエッセイを、僕は何回も読み返した。 読み返したあとで、一番、印象に残ったのは、次の一文である。
――売店でお茶を買って戻ると、大きなバッグを抱えた娘が、ちんまりとベンチに座っていた。
そうか―― 父は娘に、そういう眼差しを向けるんだね――
娘どころか、子すら持たない僕にとって、父娘関係は深遠なる謎である。 しかし、それが、今日、少しは、わかったような気がした。
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2004年9月2日 (木) |
手品 = 魔法? |
とある英文エッセイを読んでいたら、頭が混乱した。 「magic」についてのエッセイである。
最初は、「magic shows」の「magic」についてだったのに、いつの間にか、「to summon supernatural helpers」の「magic」になっていた。
「magic shows」とは「マジック・ショー」のこと。
――女の人を箱に入れて剣を刺しても平気!
というヤツである。
「to summon supernatural helpers」は、ちょっと、わかりずらい。「summon」は「召還する」という動詞で、「supernatural」は「超自然の」という形容詞だから、「supernatural helpers」は「超自然的援護者」くらいの意味か? 要するに、
――いでよ、精霊たち! 我に力を!
というヤツである。
おい、おい。 いくら何でも、違い過ぎやしないか?
そこで、ネイティブ・スピーカーのロバートさん(Robert)にきいてみる。ロバートさんは英会話の先生である。
――このエッセイの「magic」という言葉の意味が、それほど明確ではないようですが……?
と、問うと、
――たしかに、混乱しているようですね。
と、ロバートさんはいった。
――「magic」という言葉は、随分、広い意味を持っているんですね?
と、問うと、
――そうですね。「magic」には「wizardry」と「illusion」との2つの意味があります。
と、お答えになる。
もちろん、「wizardry = 魔法」は「to summon supernatural helpers」の「magic」であり、「illusion = 手品」は「magic shows」の「magic」である。
日本の和英辞書をみると、「手品」という日本語は、「illusion」よりは「conjuration」に近いようだが、一方で「illusionist = 手品師」という言葉もある。
おそらく、ロバートさんは、日本語の「手品」の意で「illusion」という英語を持ち出されたのだろう。
もう少し時間があれば、「wizardry = 魔法」と「sorcery = 妖術」との違いなどについても伺いたかったが、それは、またの機会。
しかし、手品と魔術とを同じ言葉で著わすとは……。
日本人が、マジック・ショーをみて、
――あ、魔法だ。
と思うことは、まず、ないだろう。「手品」と「魔法」――あまりにも、違い過ぎる。
しかし、例えば、英語圏では、語彙力の未発達な幼児は、両者を、同じ「magic」という言葉で理解するわけだ。
人々の「手品」観は、日本語圏と英語圏とでは、かなり違うに違いない。
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2004年9月1日 (水) |
推敲 |
素人は、推敲に推敲を重ねて、巧い文章を書く―― 作家は、一発で、巧い文章を書く――
そういうものだと、幼少時に習った。
本当だろうか?
プロの作家さんの中には、筆の早い人と、遅い人とがいる。 1ヶ月に1冊書いてしまうような人や、毎日の新聞連載を苦もなくこなす人は、筆の早い人である。 そういう人は、もしかしたら「一発で、巧い文章を書く」人……なのかもしれない。 しかし、そうでない人は、多分、いくらプロの作家さんであっても、やはり「推敲に推敲を重ねて、巧い文章を書く」のではないか?
もちろん、これは僕の推測に過ぎない。
しかし、例えば、どんなに偉い作家さんであっても、その人の講演を録音し、それを、そのまま文字に書き起こしたものは、まともな日本語ではないそうである。 ということは、やはり、プロの作家さんでも、推敲という段階は、必須なのではないか?
僕は、自分で書いた文章は、書いた直後以外に、1週間くらいたってから、再度、推敲するようにしている。 1週間というのは、経験的に結論付けたもので、根拠はない。 とりわけ、勢いに任せた書いた文章などは、ほぼ例外なく、そうしている。そういうときは、主に、無駄を省くタイプの推敲になる。
僕の場合、勢いに任せて書くと、どうも、無駄の多い文章になるようだ。 その傾向は、英語において顕著で、僕の書いた英文をネイティブに加筆させると、半分くらいに縮まったりすることがある。
――そういうときは、さすがに、へこむ。
けれど、まあ、しょうがない。
だから、 (今回は、ちょっと勢い任せだな……) と、思うときは、必ず、1週間後くらいに、手を加える。これで、大抵の失態は防げる。 ちなみに、この『道草日記』は、もう少し気楽にやっている。念のため。
推敲は、発掘作業に似ている気がする。 といっても、発掘作業など、僕は経験したことがない。
要は、こういうこと――
つまり、推敲に推敲を重ねると、あるときを境に、それ以上の推敲を、全く必要としない文章に出あうことがある。 少なくとも僕の場合、これには、確かな手応えがあって、例えば、十年前に書いた文章であっても、 (これは、手を加える必要がない) と、思う文章が存在するのだ。
もちろん、 (これは、手を加えないとまずい) と、思う文章も、多量にあるのだが……。
全部が全部、 (これは、手を加えないと……) と、思うなら、話は簡単である。 単に、その十年間で、自分の文章のスタイルが変化したということだろう。 しかし、十年経っても手を加える必要のない文章とは、いったい、何を意味するのか?
それが、完璧な文章というヤツなのかもしれないと、僕は思っている。
つまり、推敲とは、そうした「完璧な文章」に近づくための手続きではないか? そう思いたいのである。
では、一発で「完璧な文章」を書く人は、いるのだろうか?
もちろん、いるだろう。 ただし、単発的に……であると思う。
例えば、ある一定の長さの原稿を考えたときに、その原稿を、全て「完璧な文章」だけでまとめるのは、並み大抵のことではなかろう。 よって、いかなる推敲もなしに、「完璧な文章」だけからなる原稿を書き上げる人というのは、ちょっと、この世には、いない気がする。
もし、いたとしたら、是非、お会いして、お話を伺いたい。 そんな素晴らしい技術を、どうやって確立されたのか、是非、きかせて頂きたいと思う。
でも、そういう人に限って、
――いや〜。生まれたときから、そうだったんで……。
などと、おっしゃるかな?
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