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道草日記

過去の道草日記は『マル太の書斎』で
御覧になれます

 2004年8月29日 (日) 夢というやつは
 夢というやつは、どうにも不合理で、おかしい。

 昨夜、僕は、昔、自分が通っていた高校の町にやってきていた。
 どうやら、高校時代の友人たちと電車の中で話し込んでいたら、自宅と反対方向にきてしまったらしい。

 高校から自宅まで、二時間かかる。
 乗ってきた電車は終電――
 いまからでは、帰ろうにも、帰れない。
 どこか今晩の宿を探さないといけない。
 しかし、所持金は5000円足らず……。

 うーん。

 そうだ!
 いま流行のネットカフェだ。
 24時間営業をしているところもあるはず……
 たしか、料金はそんなに高くなかった。
 5000で十分にいける。

 僕は、友人たちと別れ、駅の近くで、ネットカフェを探し始める。

 ところが、それが、そんなに簡単にはみつからない。よく知っている町なのに、どこにありそうか、見当もつかないのだ。
 何しろ、僕が高校生だった頃は、インターネットすらなかった。ネットカフェのありそうな場所など、覚えているはずがない。

 延々、二時間くらい歩き続ける。

 ――ふー、しんどいなあ〜。

 と、思いつつ、突拍子もないことの連続なので、そろそろ僕は、これは夢ではないかと気付き始める。
 多分、その頃には、半分ほど目が覚めてきているのだ。

 そうは思いつつ、でも、

 ――早くネットカフェみつけて、寝たいよ〜。

 などと喚いている。

(いや、いや。お前は、いま寝てるから……)
 と、自分で、自分に突っ込んだ。

 僕の場合は、だいたい3分の1くらいの確率で、自分がいま夢をみていると気付く。
 残りは、まったく気付かない。

 ――やべー。人殺しちゃったよ。早く逃げないと……。

 とか、

 ――今度、あの人と結婚することになったよ。……ま、いーか。

 とかいうように、夢の世界に、かなり真剣に浸かっていることもある。

 他の人は、どうなのだろう?
 毎回、夢だと気付くという人もいれば、全然、気付かないという人もいる。
 多分、千差万別なのだと思う。

 もちろん、不合理を感じるのは、いま、自分は夢をみているに過ぎないとわかっていても、その中の状況に巻き込まれていくケースである。しかも、たいていはヤバい状況である。
 ネットカフェがみつからない――程度なら、まだ、いいのだが、例えば、

 ――中国の大統領を暗殺しなきゃ……。

 とか、

 ――選挙に海底人が立候補した。演説をききにいこう。

 とか、わけのわからない状況にも、すんなり適応する自分がいる。

 もちろん、中国に大統領はおらず、海底人が選挙に出るわけはないのだが、
(まあ、こういうことも、あり得るか……)
 と、妙に納得してしまうのだ。
 もしかしたら、
(どうせ、夢なんだし……)
 と、心のどこかで、思っているからかもしれない。

 人間の脳は、睡眠中に記憶の整理を行っているという学説をきいたことがある。記憶の整理は、睡眠の浅い時間帯に行われ、その過程で二次的に人間の意識下にのぼるもの――それが夢であるという説だった。
 十年近く前の話である。その後、その学説がどうなったかは、知らない。

 もし、僕らの頭が、本当に夢の最中に記憶の整理をやっているのだとしたら、僕らの頭は、夢の最中に、ものすごく活発に働いていることになるのではないだろうか?
 その処理には相当なメモリをくうので、何らかの機能的なひずみが生じ、それで僕らは変な体験を自覚するのかもしれない。
 脳を、一千億の神経細胞からなる巨大電算機とみなせば、そういうメタファーも、しっくりくる。
 2004年8月28日 (土) 捨ててしまった
 10年ほど前、あるTVドラマをみていたら、主人公の女性に向かって、父親が、

 ――父ちゃんはなあ、子供の頃に自分で作った曲を、全部、捨ててしまって、いまでも、それを後悔しているんだ。

 みたいに語りかけるているシーンに出あった。
 たしか、その父親は音楽家という設定だったと思う。

 もちろん、脚本家のメッセージでもあろう。
 その脚本家も、自分の過去の作品を捨ててしまい、後悔していたのかもしれない。

 別に、捨てようと思って捨てたわけではないだが、過去の『道草日記』を捨ててしまった。
 永久に失われたのは、2004年7月4日以前の日記である。
 ご覧になりたいと思って下さる方には、大変に申し訳なく思う。

 あの過去日記のファイルは、非常に要領が大きかったので、セーブしたり、呼び出したりするのに、時間がかかった。
 その時間を待たずに、ぱっぱ、ぱっぱと、処理していたら、こういうことになった。
 最近、やけに、スムーズだなとは思っていたのである。

 前述の父親の台詞が身にしみる。

 もちろん、失われた過去の記録は、決して、戻らない。

 だが、その重要性に、僕は、かなり若い頃から、敏感だった。
 その証拠に、高校時代に書きためたものは、いまでも、取り出そうと思えば、取り出せるところにある。

 いや。
 いま、思い出した。
 すべてではない。
 一部は、やはり、永久に失われてしまっている。

 どうして、もう少し慎重に残してこなかったのだろう。
 今回の『道草日記』の件といい、これまでの不徹底ぶりといい、悔やまれてならない。

 とはいえ、ひとしきり落ち込んだ後で、思った。

 一度、書かれた文章は、いってみれば、既に固定されてしまった標本のようなものだ。それは、過去の自分の思考記録に過ぎない。
 過去の自分など、いまのこの世のどこにもいない。いるのは、いまの自分だけである。

 となれば、既に、一度、書かれた文章は、やはり、一定の価値しか持ち得ないとみるべきではないか?
 もちろん、過去の僕を知らない人にとっては、それは新鮮にみえるかもしれない。
 しかし、少なくとも自分自身にとって重要なのは、いまの自分、ないし、これからの自分ではないか?
 いまの自分が何を思考するのか、これからの自分が何を書くのか――それこそが、大事であるはずだ。

 ……などといいつつ、僕は、いま、せっせと、過去の原稿を『たまには道草 いつも道草』のサイト上に公開しようとしている。

 だから、いま、一つ、大事なことに気付いた。

 過去の原稿を、すべて、このサイトに載せるのは、意味がない。
 過去の自分が記したもののうちに、いまの自分、ないし、これからの自分が、多少なりとも記したいと思うことでない限り、載せるべきではない――

 そうか――

 そう思うと、少し、すっきりした。

 やはり、主となるのは、いまの自分、これからの自分である。

 過去の自分は、参考程度でよい。
 もし、失われた『道草日記』に価値があるのだとしたら、必ずや、いまの自分、これからの自分が、同じ内容のものを記すだろう。
 2004年8月27日 (金) 音楽で安全運転?
 最近、車を運転していて、よく追い抜かれる。

 ――運転していて、追い抜かれると、いくら温厚な僕でも、きれるよ。

 と、大学時代の同級生がいっていた。そのときは、

 ――そんなもんかね〜。

 と、ノン気に思っていたが、その後、僕も車を運転するようになり、実際に、脇を追い抜かれてみると、たしかに、

 ――ピシーン!

 と、何かがブチきれるのを感じる。

(何もわざわざ追い抜くことねーだろー!)
 と、思ってしまうのだ。
 ほとんど本能レベルの反応である。理性では、いかんともしがたい。

 僕の性格は、僕をよく知る人たちにいわせると、基本は、温厚なのだそうである。1回や2回、僕の嫌がることをしたくらいでは、ニコニコ笑って済ませてくれそう……であるらしい。
 しかし、それが5回、6回となると、おもむろに、本格的に怒り出す。
 そして、困ったことに、その怒り方は常軌を逸するらしい。

 ということは、1回や2回、追い抜かれる分には問題ないが、5回、6回と追い抜かれるとまずい、というこだろう。
 僕の車が、走行狂器と化す可能性がある。

(それはいかん……)
 というわけで、車の中でCDをかけるようにしたら、不思議と、追い抜かれることが、気にならなくなった。
 音楽を楽しみながらの運転だから、先を急ごうという気が、全く起きないのかもしれない。

 やはり、音楽には、人の心を癒す働き――あるいは、繕う働き――があるのだと思う。

 3年ほど前、僕は交通事故で死にかけている。

 ――この事故で、よく誰も死ななかったなあ。

 と、警官が嘆息するぐらいの派手な事故だった。
 幸い、皆、4ヶ月以下の打撲で済んだのだが。

 あのとき、僕は、車の中で音楽をかけてはいなかった。

 やはり、何か関係があったのだと、いまは思う。
 2004年8月26日 (木) アフリカ人の名前
 先日、ある女の子から、
「アフリカ人の名前を、たくさん、知りたいんですけど……」
 と、相談を受けた。予想だにしていなかった相談なので、思わず、
「なんで?」
 と、問い返すと、
「いま、アフリカを舞台に小説を書いていて……」
 という。
 僕が小説を書くことを知っているので、そういう相談になったのだろう。

 外国を舞台に小説を書くのは難しい。しかも、登場人物の大半が現地の人となれば、なおさらである。
 プロの作家さんの中には、わざわざ編集者に頼んで、その国の大使館に問い合わせたりすることも、あるそうだ。

 だから、普通、海外が舞台になったり、外国人だけが登場人物になったりするような小説は、あまり書かれない。
 そもそも、日本語で小説を書くわけだから、海外の物語を綴るのは、至難の業である。

「なんで、アフリカである必要があるの?」
 と、きくと、
「内戦のこととか、飢餓のこととか、いまの日本では、まずありえないようなことを書きたいんです」
 と、いう。
「アフリカっていっても、広いよね? どこの国?」
 ときくと、僕の知らない固有名詞が出てきた。
 これでは、ほとんど手助けできそうにない。
「お話はそのままに、日本へ舞台を移せないの? 登場人物も全部、日本人にして……」
 と、きいてみる。
「え……? でも、アフリカで起こっていることだから……」
「日本で起こってるってことにしちゃうんだよ。ちょっとファンタジーっぽくなっちゃうけど……」

 実際、僕が、

  広義の幻想小説 = ファンタジー小説

 を書きたがるのは、こういう発想にも依っている。

 いまの日本では、およそ起き得ないような出来事を起きたことにしようと思ったとき、「ファンタジー」という枠組みは便利である。
 日本で起こっていることだから、僕らが、何気ない常識を無意識に挟んみこんでしまったとしても、奇異に感じられることはない。

 何より、人物描写の工夫がしやすくなる。
 同じ日本人だから、相当に好き勝手を書いても、最低限のリアリティーは保たれる。
 遠慮はいらない。

 このことに気付いたのは、実は、つい最近のこと――
 昔の僕は、平気で、日本以外(ヨーロッパとか、宇宙とか、異世界とか)を舞台に定めていた。
 それはそれで、悪くないとは思うけれど、やはり、登場人物の「名前問題」が浮上する。
 英語圏の名前ですら、ポンポン浮かぶなんてことはあり得ない。
 まして、フランス語圏や異世界が相手ではね……。
 日本語圏の名前なら、それらしい名を捏造することも簡単だけど……。

「もし可能なら、舞台を日本に移してみたら?」
「締め切りが9月10日なんです」
 懸賞小説に応募するつもりなのだという。
 それでは、苦しいかな。

「アフリカ人の名前って、どこで調べられると思いますか?」
「とりあえず、インターネットで調べてみる価値はあると思うけれど……」
「でも、うちにインターネットはないんで……」

 ……というわけで、結局、大したアドバイスはできなかった。

 アフリカ関係の書籍をあたるより、仕方ないでしょう。
 2004年8月25日 (水) 節回し
 自宅近くのコンビニエンス・ストア(コンビニ)に、いつも独特の節をつけて、

 ――ありがとーございました〜

 と、客を見送る店員さんがいる。
 多分、お店のオーナーの奥さんで、歳の頃は、四十代――
 ちょっと派手な髪型で、びっくりするぐらい華奢な女性である。

 この人の口から、

 ――ありがとーございました〜

 と、発せられると、いつも、微笑ましい気持ちになってしまう。

 声の音域が、「ありがとー」の「とー」で一旦、下降したあと、「ございました〜」の「まし」で一気に上昇し、「た〜」の最後で、再度、わずかに下降する。

 こういうのを他にも知っている。
 電車のアナウンスだ。

 ――つぎはー、馬喰町、馬喰町で〜ございます。

 というやつである。

 まだ、千葉に住んでいた頃、総武線の馬喰町駅の手前で耳にした独特のメロディが忘れられない。
「つぎはー」の出だしはソフトなバスで――「馬喰町」は「ばくろちょう」ではなく「んばくろちょー」――「んばくろちょー」の「ろちょー」は、空に突き抜けんばかりのテノールである。

 日本語は抑揚が乏しい。英語のような華やかなイントネーションのアップダウンはない。
 もちろん、和歌や俳句という例外はあるけれども、こうした定型詩においてさえ、音楽性よりは文学性が重視される。

 そうしたなか、

 ――ありがとーございました〜。

 や

 ――つぎはー、馬喰町、馬喰町で〜ございます。

 に代表される日本語の節回しは、興味深い。

 コンビニでも、電車のアナウンスでも、節回しをつける人と、つけない人とがいる。
 もしかして、これも、もって生まれた音楽のセンスなのだろうか?

 大昔、まだ人類が狩猟生活に忙しかった頃、首尾よく得物を仕留め、空腹を満たした後に、僕たちの祖先は何をしていたか?

 ――音楽を口ずさんだのではないか。

 そういう説があるそうである。
 粘土をこねたり、絵を描いたり、装飾品を作ったりするよりも前に、まず、音楽を求めたのではないか?
 そういう推測だ。

 日本人は、どうも音楽が苦手である。
 陽気な音楽に合わせて自然に踊りだす――そんな日本人は、ほとんどいない。

 でも、コンビニや電車の中で、妙な節回しをつけて楽しんでいる(おそらくは)人たちはいる。

 どうも、日本人と音楽との関係は、簡単ではない。
 2004年8月24日 (火) 長嶋なき長嶋ジャパン
 おそらく、今宵、最も辛い悔し涙にくれるのは、長嶋茂雄監督その人である。

 アテネ・オリンピック野球日本代表チームが、格下とみなされていたオーストラリア代表チームに敗れ、金メダルへの道が閉ざされた。
 試合をみていない人にとっては、信じられない結果だろうが、つぶさにTV中継をみていた人には、妥当な結果だろう。
 仮に、明日の三位決定戦に敗れたとしても、僕は驚かない。

 敗因は何か?

 日本代表チームの攻撃力、投手力、守備力、走塁力――そのどれをとっても、他チームを上回っていた。
 当たり前だ。
「ドリームチーム」と呼ばれる布陣なのだから。
 しかし、これが大会中のベストチームであったかといわれれば、答えは否である。

 日本代表チームには指揮官がいなかった。
 野球における監督の役割は、サッカーにおけるそれの比ではない。指揮官がいなければ、勝てる試合も落とす。それが野球の道理である。

 思えば、キューバ戦で6−0とリードし、最終回、まずい守備から3点をとられた時点で、
(いまの日本は、それほどには強くない)
 と、現状を正しく認識するべきであった。

 あの日、アジア予選で、手負いの韓国代表チームを、完膚なきまで打ちのめし、オリンピック出場の道を断ってみせた――あの冷酷なまでの強さは、いまの日本代表チームにはない。

 日本は、何よりも、心理戦で負けたのだと思う。
 いや。
 負けるも何も、指揮官がいなかったのだから、心理戦にすらならない。何しろ、チームの心理をコントロールできる人がいなかったのだから、最初から勝負になっていない。

 心理戦とともに、情報戦でも負けた。
 もちろん、技術面での情報戦もあろう。オーストラリア側は、首脳陣が来日し、日本代表選手たちを綿密に偵察したという。
 そのような情報収集を、日本の首脳陣が行ったとは報じられていない。

 それ以上に大きかったのは、敵の警戒と味方の慢心を誘った情報操作ミスであった。
 日本が金メダルに最も近いとマスコミは書き立て、ファンも、それに乗った。
 しかし、そもそも、日本が金メダルに最も近いと断定する根拠は、どこにあったのか? そうしたマスコミやファンの間の雰囲気が、選手たちを追い詰めていったことは間違いない。

 長嶋監督は、優れた戦術家である。選手だけでなく監督としての経験も豊富で、勝負の機微をよく知っている。チームの心理を統率し、マスコミを含めた情報操作も、巧みだ。

 ――日本は金メダル確実ですね?

 などというリポーターの安易な質問に対し、

 ――いや、いや。どのチームが金メダルをとってもおかしくないんですよ。日本は、前回、メダルなしで終わってますからね。挑戦者の気持ちでやりますよ。

 などといって、マスコミやファンの気持ちを、うまく抑制することくらい、長嶋監督には朝飯前のことではなかったか。

 もちろん、長嶋監督のカリスマ性が、日本プロ野球界の興隆に必須である――などと主張するつもりはない。他の指揮官であっても、十分に金メダルをとる可能性はあった。日本には、長嶋監督と同じように優れた采配を行う監督は、何人もいる。
 しかし、今回の日本代表チームは、長嶋監督が編成したチームであった。長嶋監督の指揮下において、初めて、最強の力を発揮するチームだったのである。
 そのチームに長嶋監督がいない。それでは「ドリームチーム」などではあり得ない。
 金メダルはおろか、銅メダルも難しいかも……と、僕が感じるのは、そうした理由による。

 長嶋なき長嶋ジャパンで、予選リーグ一位突破――

 野球が、個人のタレントだけで行うスポーツではない以上、これは、むしろ出来過ぎの結果とみるべきであろう。

 敗報に接し、長嶋監督がコメントを出している。
 選手の方が自分よりも悔しいでしょう――そういうコメントだったと報じられている。

 いや。違う。
 これは、長嶋監督らしい配慮の言葉とみるべきだ。
 一番、悔しい思いをしたのは、間違いなく、長嶋監督その人である。
 勝負を挑めなかった勝負師ほど、悔恨に喘ぐ者はない。
 2004年8月23日 (月) 余生を楽しむために
 近年、若い人の酒量が減ってきているという。
 新聞の土曜版の記事で知った(2004年8月21日付朝日新聞 be on Saturday, be Report)
 1993年には9割近くだった20代男性の飲酒率が、2003年には7割少々にまで落ちてきている。女性も、8割近くだったものが7割弱にまで落ちた。
 仙台に住んでいる限り、あまり実感はないのだが、東京や大阪などの大都市に住んでいる知人の話によれば、そういう傾向も、ないわけではないようだ。

 記事のタイトルには『酔っぱらいはダサい!?』とある。
「ダサい」という言葉を平気で使っている。多分、年配の記者の記事なのだろう。
 いや。よく読み返してみたら「ダサい」は取材先の言葉として引用されていただけだった。
 新聞記事では、タイトルをつける人と記事本文を書く人とは別らしいので、この場合、タイトルをつけた人の時代感覚に、多少の難点があるということか。

 話がそれた。

 最近の若者の酒離れの原因は何か?
 記事によれば、1)収入の減少、2)娯楽の多様化、3)行動様式や価値観の変化、などである。

 1)は、そのまま長引く不景気を反映している。たしかに、十年前と比べ、就職は格段に難しくなった。いい条件の勤め先も、そうはない。
 2)は、携帯電話やインターネット、ゲームなどを指す。「ゲーム」というのが何を指すのか、よくはわからないが、おそらく、TVゲームやPCゲーム、小型携帯ゲーム機のことだろう。
 3)は興味深い。

 かつての若者は、仲間との連帯感、あるいは、「バカになる」「はじける」の無礼講、あるいは、ストレス発散のために、酒を飲んだ。
 しかし、最近では、携帯電話やインターネットのお陰で、酒なしでも、「連帯感」や「無礼講」を享受できる。携帯メールでは、四六時中、コミュニケーションが可能だし、サイト上の掲示板や日記などでは、素の自分を隠し、ひたすら「バカ」な自分を演出することも可能だ。
 そして、何よりも着目に値する指摘は、酒がストレスの発散手法にならなくなってきている、ということである。

 記事によれば、酒がストレス発散の道具であれたのは、右肩上がりの時代である。いまを我慢しさえすれば将来が約束されていた時代なら、

 ――まあ、酒でも飲んで、うさを晴らして、一つ、我慢しようか。

 で、よかった。
 しかし、いまや終身雇用制は崩れ、年金制度は瓦解寸前。将来の安寧の約束など、あり得ない。

 ――それなのに、いまを我慢して、どうすんのよ!

 というわけである。
 つまり、酒を飲んで日頃のうさを晴らす暇があったら、やりたいことをやらなくてはならない。

 要するに、昔ながらに酒を飲んで、うさを晴らす姿が、いまの若者には、現実逃避にみえる、ということである。
「若者なりに、現実から逃げないようにしたら、結果的に酒離れにつながった」
 記事は、そういう分析で締められている。

 なるほど、と思った。

 実は、僕は、昔から、あまり酒を飲まない。
 嫌いではないし、下戸でもないのだが、酒を飲まなくても、十分に人生を満喫できると思っている。

 だから、こうした若者の酒離れを否定的にみるのは、酒造メーカーの人たちだけでよい。
 僕にいわせれば、基本的に我慢した人生を送りつつ、ときに酒を飲んでうさを晴らす生活のほうが、よっぽどおかしい。

 もちろん、将来のことは、少しは考えたほうがいい。
 いまだけを考えて生きていたのでは、将来を犠牲にすることになる。
 しかし、余生の楽しみだけを考え、いまを犠牲にしたのでは、多分、生涯にわたって人生を満喫することは、できない。

 察するに、人生を味わうにも、技術と経験とがいる。
 引退してから、にわかに余生を楽しもうと思っても、すぐに楽しめるものではない。若い頃からのトレーニングがないと、セカンドライフをエンジョイすることはできない。

 現代の若者の酒離れが、不景気のせいか、情報化時代のせいかは、しらないが、多分、この社会が正しい方向に向かっていることを暗示している。

 日本という国も、ようやく豊かになってきた――

 そうみて、よいのではないか?

 くだんの記事は、昨今の若者の酒離れが「希望を抱けぬ日本」の「体現」だという。

 そうではない。
 これまでの「希望」が、安易に過ぎただけである。
 本当の希望とは、日々の現実や困難の隙間に転がっているものである。
 2004年8月22日 (日) 白河の関は
 白河の関は、あんなにも越えられなかったのに、津軽海峡は、軽々と越えていった。
 高校野球、夏の甲子園大会の話である。

 東北・北海道勢の甲子園初制覇として、注目を浴びている。
 深紅の大優勝旗が、未到の地にもたらされたことは、喜ばしい。

 ただ、これを複雑な目でみる人たちがいる。
 ――宮城県の熱心な高校野球ファンである。

 昨日、乗り合わせたタクシーの運転手さんが、
「これで、駒大苫小牧が勝ったら面目丸つぶれだね」
 と、いった。
 決勝の組み合わせが決まった直後だった。

 その運転手さんは、去年の東北高校や1989年の仙台育英高校が、いずれも決勝戦で敗れた記憶を、生々しく思い出している様子だった。
 仙台育英高校にいたっては、2001年春のセンバツ大会でも、決勝で敗れている。
 結局、甲子園の優勝旗は、深紅のものも紫紺のものも、ついに、白河の関を越えることはなかったわけである。

 今年は津軽海峡は越えたが、白河の関を越えた、とはいいがたい。多分、駒大苫小牧高校の優勝旗は、飛行機で一気に北海道まで飛ぶだろうから、陸路、白河の関を越える、という感覚からは遠い。
 少なくとも、宮城県の熱心な高校野球ファンにとっては、そうである。

「あれは、采配ミスですよ」
 と、タクシーの運転手さんはいった。
 今年の甲子園大会の話ではない。
 昨夏の東北高校対常総学院の決勝戦を指す。

 自力で優ると思われた東北高校が、連打で優勢に試合を運びながら、ダメ押しの得点を狙って、慣れない送りバントを命じた。
 結局、送りバントには失敗し、東北高校は、みすみす流れを相手に明け渡した。

 東北高校は、送りバント重視のチームではない。
 今年も、そうしたチームにはみえなかった。

 それは、それでよい。
 ただ、そのようなチーム作りをしているなら、ここぞというところで送りバントなど、させてはいけない。
 そのような形で明け渡した流れを、百戦錬磨の名将――常総学院・木内監督が、見逃すはずがないではないか?

 案の定、東北高校は、すっかりリズムを崩し、そのまま敗退した。

 昨日、タクシーの運転手さんがいっていたことというのは、そういうことである。

 僕も、あのシーンを苦々しく思った一人であった。
 何が苦々しかったかというと、どうも、高校生同士の力量とは無関係のところで、勝負の決着が付いたように感じられたことである。

 もちろん、高校野球の指導者が采配ミスするとは、けしからん――ということではない。
 たしかに、高校野球の指導者は半分以上プロだが、同時に、人間でもある。ミスはさけられない。

 問題なのは、なぜ、高校野球の指導者が、勝敗の決定的な要素に絡み得るのか、ということである。
 
 高校野球に限らず、野球において、指揮官たる監督の影響は甚大である。この高校野球の監督を、なぜ、高校生でない者が担うのか?
 甲子園で、采配ミスと思しきシーンをみる度に、思うことである。

 別に、高校生が采配してもよいではないか?
 指導者は、指導者らしく、試合中はスタンドで観戦するのが自然でよい。
 それでは、つまらない――それでは、高校野球の指導など、したくない――というなら、しなければいい。
 指導者が主役では、あり得ないのだから……。

 采配も含めて野球である。その決断の難しさを高校生にも体験させることこそ、大切ではないか?

 今年の駒大苫小牧高校の見事な優勝に接し、思ったことは、なぜか、そういうことだった。

 毎年、高校野球には、いま一つ熱くなりきれないでいる。
 それは、多分、そういうところによるのだと、僕は再確認した。
 2004年8月21日 (土) 運転していたら
 運転していたら、急に涙が出てきた。
 昨夜のことである。

 ―ーおお。まるで、恋愛小説みたいだ。

 別に、失恋で悲しくなったからじゃないぞ。失恋もしてないし……。

 理由はわからない。
 前夜、ほとんど寝ていなかったということと、運転が長時間に及んでいたということが、絡んでいる気はする。

 とにかく、あとから、あとから、止めどなく涙が流れてきた。それで、
(そういえば、今日は目を酷使し過ぎたかも)
 と、思う。

 さすがに身の危険を感じたので、路肩に止まって、涙を拭う。
 止まったときは、前方の景色が鮮明にみえないくらいだった。

 それにしても、なぜ、涙が流れてきたのだろう?

 無意識のレベルの悲嘆が、落涙となって表出した?

 フロイトじゃあるまいし……。

 フロイトの理論には一目おくが、フロイトの術語体系には疑念を抱く。フロイトは何だって、学問の世界で、あんな性的な言葉遣いをしたのだろう。
 そういうのは小説でやってくれ。

 まあ、よくわからない。

 仮に無意識のレベルの悲嘆が実存していたとしても、それが何のか、僕にはまったくわからないので(無意識のレベルなので)、そういうことは、考えないでもいいことだろう。

 もしかしたら、催涙ガスでも浴びたのかもしれない。
 そういえば、涙が出てきたとき、やたらと目が痛かった。
 2004年8月20日 (金) 強風に思ったこと
 今朝は、台風一過でよく晴れてはいたけれど、風が強かった。
 付近のゴミ置き場のゴミが散乱し、みるに耐えない。

 同じゴミでも、ゴミ置き場に整然と並べられているゴミは「汚い」と感じないのに、散らかっているゴミを「汚い」と感じるには、なぜだろう?
 同じゴミなのに……。

 こんなことを思ったのは、昔、予備校の現代文の先生が問いかけたことが忘れられないからだった。

 ――同じ緑でも、木々の緑と、例えば、看板の緑とでは、大きな違いがある。木々の緑に癒されることはあっても、看板の緑に癒されることはない。なぜなんだろう?

 この問題は、ひと昔前に科学哲学者が指摘した質感(qualia)の問題に通じる。
 その辺の詳しい論証は置いておくとして、そうした背景知識を欠いていた当時の僕には、それは、ひどく謎に満ちた問題設定に感じられた。

 現代の脳科学者、認知科学者たちは、それなりの解を提示するだろう。
 しかし、現代の科学は、まだ、質感を正面からは扱えていない。だから、厳密な解は期待できない。

 僕が今朝、ちらっと思ったのは、もっといい加減なことである。
 散らかっているゴミの山と散らかっていないゴミの山との違い――である。
 看板の緑は散らかっているゴミで、木々の緑は散らかっていないゴミではないか?
 それが僕の直観。

 木々の緑は、瑞々しい生命の結晶である。物質や現象が、細胞という微小容器のなかに、整然とおさめられている。その整然さたるや、人類の文明の利器の精緻さなどの遥か上をいく。
 一方、看板の緑は、例えば、木の板の上に緑色のペンキが塗られているような状態である。一見、整然としているようにも思えるが、そこには、植物の葉にみられるような固有の整然さはない。かけらもない。

 ――人間は、その生命固有の整然さをみて、心を癒している。
 なぜなら、人間は、木の板よりも、植物の葉のほうに、遥かに近い存在だから……。

 それが、僕の仮説―ーというか、世迷い言――である。

 学生時代、実習で、動物の生体組織の一部を顕微鏡観察させられた。観察した内容をスケッチに描き、教官に提出するというものである。
(そんなもん、写真にとっておけばいいじゃんか。なんで、絵に書く必要がある?)
 と、僕が悪態をついたら、生物学に造詣の深い友人が、
(こんなに美しいもの、絵に描いておきたいと思わないか?)
 と、いった。

 当時の僕には、細胞が雑然と並んでいるようにしかみえなかった。だから、
(何いってんだ?)
 というリアクションをとった。
 けれど、いまならわかる。
 たしかに、生命現象の精密さを知った目でみると、細胞は整然と並んでいるようにみえるのだ。

 ああいった細胞たちを、人工物の最たるもの――例えば、デジタルカメラ―ーなどで撮影するのは、ある意味、無粋なのかもしれない。
 同じ自然の一部であるヒトが、肉筆で描き留めるに相応しい。

 生体組織の写真撮影は、綺麗に整頓されたゴミの山を、ブルトーザーなどで突き崩すことに通じる気がする。

 けれど、あのスケッチは面倒だった……。

 喉元過ぎれば熱さ忘れる――というやつだろう。
 2004年8月19日 (木) オリンピック好き日本
 今日もオリンピックの話題から。

 日本は、世界が呆れるくらい、オリンピックに打ち興じている――

 国際報道に目を通していると、そういう見方も成り立つようである。

 たしかに、TV画面などを通して、オリンピックの会場の様子をみていると、やけにガラガラの観客席の様子が目立つ。
 日本でオリンピックが開かれれば、どんなにマイナーな競技でも、もう少し人が入っていることだろう。

 それくらい、日本人はオリンピック好きである。
 これは、いったい、どこから来ているのか?

 子供時代の運動会の記憶ではないか、というのが僕の意見である。

 オリンピックは、いってみれば、各種競技の世界選手権、あるいはそれに準じた世界大会が集まって開催されるものである。
 しかし、奇妙なことに、世界選手権では、それほど注目されないのに、オリンピックだと、やけに注目されるという競技が、いくつもある。女子ソフトボールやホッケー、レスリング、卓球など、例を挙げれば切りがない。柔道や水泳などは、まだ、そうした傾向が少ないとはいえ、それでも、オリンピックで一段と注目されることに、かわりはない。

 ――色々な種目が集まって、皆でメダルの合計数を競う。

 そういう構図が日本人にしっくりくるのは、やはり、小中学校の運動会や体育祭の記憶ではないか。

 各学年、男女に別れ、徒競走やリレー、綱引き、騎馬戦などの勝敗を点数化し、合計で、今年は白組が勝ちとかA組が勝ちとか、いっていた頃を懐かしく思い出しながら、オリンピックをTVでみる。
 そういうことなのではないか?

 もちろん、オリンピックに登場する選手たちは、神憑かり的な存在である。
 だから、オリンピックを小中学校のイベントと比較するなど、一種の冒涜とさえいえる。

 しかし、これは、いい意味でも悪い意味でも、日本人の文化風土なのだと思う。
 例えば、競技のレベルは全然違っても、でも、やっている競技は同じだから、トップアスリートたちに、妙な親しみを感じてしまう。
 あるいは、競技は違っていても、例えば、
「俺も昔、陸上をやっていた」
 というだけで、何となく、オリンピックの競泳選手の気持ちがわかった気になったりする。

 もちろん、オリンピック選手たちは、実は、小さい頃から、鍛練に鍛練を重ね、信じられないくらい狭き門を突破して、あの場に立っている。いってみれば、東大出のエリート官僚たちなど、お話にならないくらいの、超エリート集団である。
 にも関わらず、妙な親近感でもって迎えられる。

 いいとか、悪いとかいうつもりはない。
 それが日本人の文化風土なのではないか、ということである。

 去年だったか、某プロ野球球団の社長に就任した人物が、一軍選手たちを前に訓示したとき、自分の草野球の話を持ち出して、総すかんをくったと報道されたことがある。

 これから球団社長になろうという人物が、その程度の現実認識しかなかったということはさておき、こうしたエピソードも、日本人が、知らず知らずのうちにトップアスリートたちに感じてしまう親しみのようなものを示唆しているのではなかったか。

 実際にトップアスリートと目されている人たちは、こうした日本人気質をどう思っているのだろう?

 もし、そのような機会があれば、是非、きいてみたい。

 でも、ドロドロした本音の部分を引き出すのは、大変なことだろう。
 一様に「有り難いこと」と、感謝されるだけだろうな。
 もちろん、その気持ちに嘘はないと思うけれど……。
 2004年8月18日 (水) ユーモアこそ大事
 今日まで30年ほど生きてきて、そういえば、ユーモアのセンスを磨こうと真剣に努力したことは、なかった――

 司馬遼太郎さんの対談集『八人との対話』(文春文庫)のなかに、アルフォンス・デーケン(Alfons Deeken)さんが登場する。
 デーケンさんは、死生学が御専門の上智大学の先生。ユーモアの大切さを説かれることで有名な評論家、随筆家でもある。
 ドイツ生まれ。
 学位はアメリカでおとりになったが、1958年に来日されて以来、基本的に日本を活動の場とされている。だから、察するに、日本語も大変にお上手である。

 デーケンさんの文章を最初に読んだのは、たしか、中学校の国語の教科書で、だった。

 ユーモアは、ウイットやジョークとは違う。もっと、人間の素の部分が関わってくる――

 とか、

 来日して間もない頃、「お粗末さまでした」といわれ、思わず「そうですね」と返事してしまった。そういう状況でも、ユーモアがあれば、気まずい思いはしないですむ――

 ……などなど、いまでも、そのときの内容は、断片にではあるけれども、鮮烈に思い出すことができる。
(そっか。ユーモアって大切なんだ……)
 と、子供心に得心した。

 もちろん、そのときの僕は、デーケンさんの御専門が死生学などとは、つゆも意識しなかった。
 死生学というのは、ひと言でいえば、人間は、いかに生き、いかに死ぬのがよいかを考える学問である。主にがんの患者の緩和医療(終末医療、ホスピス医療)と結び付けられて議論されることが多い。
 学生時代、緩和医療には興味をもった。父をがんで亡くしたから……ではない。そうなる前に、なぜか、深い興味を覚えた。
 もしかしたら、このデーケンさんの一文との出会いが引き金だったのかもしれない。

 末期がんの患者にとって、ユーモアは大切だろうと推測する。ユーモア溢れるコミュニケーションをとることで、身も心も楽になるといわれる。たしかに、塞ぎ込んだままの人よりも、ユーモアいっぱいの人のほうが、残された時間を有意義に過ごせる気がする。

 ユーモアは心の余裕が生み出すといわれる。
 しかし、その逆もあるかもしれない。ユーモアを保とうとすることで、逆に、心に余裕が生まれる。

 デーケンさんの主張も、多分、そういうところにあった。

 思い出したのは、亡くなる前の父が、僕の旧式の携帯電話の待ち受け画面をみて、
(面白れえな、これ)
 と、笑い出したことだ。
 どうみても、そんなに面白いとは思えない「おバカな犬」が現れ、待ち受け画面の中を、きゃんきゃんと飛びまわるのである。以前の『道草日記』でも触れた(7月26日)

 父が、デーケンさんの著書を読んでいたかどうかは知らない。
 ただ、ユーモアに、末期がんの心を癒す力があるくらいは、知っていたのではないか?
 だから、頑張って、ユーモアの感覚を研ぎ済ませようとしていたのではないか?

 当時、父母と同居していた妹によれば、最後の入院の直前、父は、椅子に座って、つまらなさそうに考え事をしていることが多かったという。
 妹も母も、死生学に格別の関心のある人ではなかったから、対応には苦慮したはずだ。ウイットやジョークで何とか場を和らげようとしたかもしれない。

 しかし、そうではない――

 本当は、ユーモアが大事だったのである。頑張って、機知や冗談を研ぎすませる必要はなかった。

 かくいう僕も「ユーモアこそ大事」という考え方は、当時は、意識していなかった。
 こういうことは、大抵、すべてが終わってから気付くものである……らしい。

 司馬遼太郎さん『八人との対話』は、七、八年ほど前に買ったものである。最初の二、三人を読んで、そのままになっていた。
 デーケンさんは最後の八人目で登場する。

 昨日、突然、デーケンさんの部分を読むことになったのは、何気なく、『八人との対話』を手にとり、パラパラとページをめくっていったからである。そのときまで、八人目がデーケンさんだとは、気付きもしなかった。

 何気ない所作が、新たな展開を生む。

 あるいは、父が引き合わせてくれたのかもしれない――
 こういういい方は、わざとらしい気がして、嫌なのだが、でも、そう思いたい気はする。
 2004年8月17日 (火) 僕がスポーツ中継を好むわけ
 僕たちは、なぜ、オリンピックをみるのだろう。

 いや。
 人様のことはいい。

 なぜ、僕は、オリンピックをみるのだろう?
 ときにかじりつくように、TV中継に魅入ってしまう。
 それは、なぜなのか?
 もちろん、オリンピックに限らない。いわゆるスポーツ中継全般に関わる問題意識である。

 こんな疑問を持ったのは、もちろん、8月13日に開幕したアテネ・オリンピックの様子が、ここのところ、毎日、TVや新聞、ネットなどで、さかんに伝えられているからである。

 スポーツ中継の類いは、絶対にみない、という人は結構いる。
 理由を問うと、おしなべて返ってくる答えは、

 ――だって、所詮、他人ごとでしょう。

 と、いうものである。

 なるほど。
 一理ある。
 予選リーグ敗退が決まった男子サッカーにせよ、予選リーグ敗退が濃厚になりつつある女子ソフトボールにせよ、現場にタッチできない僕たちファンは、ただ、送られてくる映像を前に一喜一憂するだけである。自分の声援が選手に届くことすら、ない。

 ――そんなん、時間の無駄じゃん。もっと、自分のことに時間を使おうよ。

 スポーツ中継に否定的な人は、多分、そういうことがいいたいのだと思う。

 もちろん、スポーツ中継は所詮、他人ごとである。
 しかし、その他人ごとに、心の底から一喜一憂できる人というのは、ある意味、人間的に大きいともいえるのではないか?

 とはいえ、例えば、日本チームが負けて露骨に不機嫌になったりするようでは、困りものだが……。

 僕は、スポーツをTVでみるのが好きである。実際に競技場やスタジアムにいくことよりも、TVでみることのほうが好きなのは、多分、TVのほうが、現場で起こっている自体を把握しやすいからである。

 僕が、スポーツに興味があるのは、それが、物語としての枠組みに十分に馴染んでいながらも、ときに激しく、その枠組みを揺さぶるからだと思っている。
 手垢のついた言葉でいえば、スポーツは、
(筋書きのないドラマだから)
 である。

 人間は普段、虚構の世界に生きている。虚構がなければ、社会というシステムは存在し得ない。
 毎日、会社に行き、あるいは学校に行き、働いたり、学んだりしているのは、僕らの頭の中に、虚構として、会社はこういうところ、学校はこういうところ、という枠組みが存立しているからである。
 その虚構を、皆で共有しているものだから、僕らは、普段、その虚構性を意識することがない。
 でも、本来、例えば「会社にいく」といった場合の「会社」というのは「〜株式会社」という虚構上の組織に所属している人々が集まって、何かをしているところ――に過ぎない。「会社」は、僕らの心の中にしか存在せず、自然界のどこを捜しても「会社」の実体を指し示すことはできない。

 もちろん、スポーツも、人間のすることだから、かなりの部分、虚構に満ちている。しかし、スポーツを実際にやっている人はもちろんのこと、みている人たちも、人間の肉体がもつ物理的ないし生理的な限界を意識せずにはいられない。
 それは、むき出しの現実であり、虚構に対立する要素といってよい。

 僕がスポーツ中継に魅入るのは、多分、そうしたむき出しの現実に触れたいからだと思う。
 むき出しの現実というのは、まっとうな社会生活を営んでいると、なかなか触れる機会がない。

 いや。一つだけある。
 人間の心(感情)だ。

 あれは、ある種、むき出しの現実といってよいだろう。

 もちろん、この種の「現実」は、人をあまり愉快にはさせない。実社会で、むき出しの人間の心に出会うときとは、かなりの場合、不快な気持ちを伴う。
 少なくとも、スポーツ中継よりは、遥かに高い確率だろう。
 だから、僕はスポーツ中継を好む。
 
 以上は、何も僕に限った話ではないのではないか?

 人がスポーツ中継に夢中になれるのは、多分、そういう事情による。
 2004年8月16日 (月) よき敗者、再び
 アテネの悪夢――とでも呼ばれるのだろうか?

 サッカーの日本五輪代表チームが、決勝トーナメント進出の望みを絶たれた。
 初戦のパラグアイ戦、および第二戦のイタリア戦で、連敗した結果である。

 ドーハの悲劇――
 マイアミの奇跡――
 ジョホールバルの歓喜――

 なかなかに面白い言葉遊びである。一歩間違えると、狭量なナショナリズムに毒されてしまうだろうが……。

 念のために書き添えると、

 ドーハの悲劇――1994年のアメリカW杯アジア予選の敗退が決まったとき。
 マイアミの奇跡――1996年の五輪予選リーグ、対ブラジル戦で金星を挙げたとき。
 ジョホールバルの歓喜――1998年のフランスW杯アジア予選を突破したとき。

 である。

 先頃のサッカー・アジア杯での記憶が蘇る。
 あのとき、中国は、開催国でありながら、優勝杯を日本にさらわれ、一部の中国人サポーターたちは、悔しさに我を忘れ、「よき敗者」に成り損ねた。
 そうした中国人サポーターたちを非難する声は、日本国内を中心に、次々と上がっていった。

 僕も『道草日記』で非難がましいことを書いている。

 しかし、今回、こうして日本チームが、なす術なく敗れ去ったのをみていると、たしかに、あのときの中国人サポーターの気持ちも、わからなくはない。

 もちろん、こういうときこそ、僕らは「よき敗者」であらねばならないわけだが……。

 審判のジャッジに不審な点があったとか、単に相手につきがあっただけだとか、日本も十分に闘えたとか、そういうことをいっていてはいけない。

 五輪では、強いチームが勝ち、弱いチームが負けるのではない。勝ったチームが強く、負けたチームが弱いのである。

 もちろん、僕はサッカーは門外漢で、単なる一ファンでしかない。だから、専門的なことはわからない。

 ただ、TVの画面でみる限りは、例えば、ボールを受け止めたり、シュートを打ったりするといった基本的な技術に差があるように感じられた。
 やはり、イタリアもパラグアイも、その辺は日本とは段違いである。

 だから、少なくとも僕の視点では、
(負けて当然でしょう)
 という感じである。
 より正確には、そう感じるように努力している……という感じである。

 やはり、子供の頃から、サッカーボールだけを唯一の玩具にしているくらいでないと、イザというときの底力にはならないのではないか。

 しかし「よき敗者」を演じるのは、なかなかに厳しい。
 昨夜、日本五輪代表の予選リーグ敗退が決まった瞬間、僕は、かなり普通に、ガッカリした。
 ああした心境におい込まれてなお、「よき敗者」であろうとすることは、簡単なことではあるまい。

 当事者なら、なおのことだと思う。

 今後の巻き返しを期待したい。
 2004年8月15日 (日) よき読み手
 よき書き手は増えたが、よき読み手が減ってきた――

 さる識者の、そんなコメントが、記憶に残っている。10年近く前の話だ。新聞の対談記事か何かだったと思う。

 インターネットが登場したことで、状況は、さらに様変わりした。
 自前のホームページをもうけ、日常の中で考えたこと、感じたこと、思ったことなどを書き綴る人々が急増した。もちろん、僕もその一人。

 だから「よき書き手」は、あれから、ますます増えたことと思う。
 では「よき読み手」はどうか?

 そもそも「よき読み手」とは、どういう読み手を指すのだろうか?
 実は、その10年前の記事では、どういう読み手が「よき読み手」なのか、何一つ議論されていなかった。おそらく、対談の中で、暗黙のうちに了解しあえた事項だったのだろう。

 当時「よき書き手」たらんとしていた僕にとって、「よき読み手」という概念は、とるに足らないものだった。
(何をもって「よき読み手」とするかも説明しないで、お気楽なことを……)
 と、反発した。

  よき読み手 = 正確な読解ができる人

 という図式が、当時の僕の頭の中には存在していた。だから、
(そんなん、当たり前じゃん)
 と、思ったわけである。

 ここでいう「正確な読解」とは、大学受験の現代文のような読解ということである。

 ――大学受験?

 と、呆れることなかれ。大学受験の現代文は、他のどの教科、どの科目よりも高度な知性を要求する。
 優秀な受験生ほど、現代文の難しさをよく認識している。

 ――現代文なんて、フィーリング。

 などといっている受験生は、かなりの確率で、ヤバい。

 だから、「正確な読解」を「大学受験の現代文のような読解」に限ってみたところで、世の中の多くの人たちは、そうした読解力を身に付けていないはずである。

 もちろん、世の中の多くの人たちが駄目だといっているのではない。
 それだけ、大学受験の現代文が高度だといっているのである。

 だから、「よき読み手」が減ったという指摘に、僕は、

 ――そもそも、最初から「よき読み手」なんて、そうはいない。

 と、反発を覚えたのだ。

 いまでも、基本的な考えは変わっていない。
「よき読み手」とは、まず「正確な読解」ができる人――つまり、大学受験の現代文の問題に、きちんと正解を与えられる人――である。もっといえば、大学受験の現代文の問題を精密に出題できる人である。

 ただし、これは必要条件ではない。十分条件である。
 つまり、上記のような意味で「正確な読解」ができれば、たしかに「よき読み手」といってよいが、そうでなくても「よき読み手」たらんとすることは、十分に可能ではないか?
 最近の僕は、そう考えている。

「正確な読解」が論理に基づく読解であるなら、感性に基づく読解があってもよい。これを、仮に「正直な読解」と呼ぼう。

「正直な読解」は、感性に基づくものであるから、例えば、面白くないと思った本を、きっぱり投げ捨てることは「正直な読解」である。あるいは、よくわからないものを「よくわからん」と断じることも「正直な読解」であり、よくわからないが、何か重要そうだと曖昧に感じることも「正直な読解」である。

 このような読解ができる人も、「よき読み手」と呼んでよいのではないか?
 それが、僕の最近の持論である。

 では、「よき読み手」でない「あしき読み手」とは、どういう読み手のことか?

 曲解する読み手である。あるいは、自分の思想や哲学に基づき、身勝手に批評する読み手である。筆者のメッセージを受け止められず、一方的に自分のメッセージをまき散らす人である。

 決して、他人ごとではない。おそらく、誰でも、一歩間違えれば、こうなり得る。
「よき読み手」たらんとすることは「よき書き手」たらんとするよりも遥かに難しい。

 10年前「よき書き手」たらんとする秘訣だけを追いかけていた僕は、おそらく、間違っていた。
 2004年8月14日 (土) 第一印象の恐さ
 プロ野球巨人の渡辺恒雄オーナーが辞任した。

 チームのスカウト陣が、今年のドラフトで目玉になる大学野球の投手に、現金を渡した。
 その不祥事の引責辞任だそうである。

 手渡された現金は、わずかに(と、いったら変だが)200万円――
 組織のトップが首をとられるほどの大事とは思えない。

 ――何か、お家の事情でもあるのでしょう。

 と、憶測も飛んでいる。

 真相はさておき、正直、渡辺オーナーが辞任して、やれやれ、という感じだ。
 もちろん、今後も「院政」を敷く可能性は否定できないが、そのときはそのときで、また、非難すればいい。

 学生時代は哲学を専攻していたそうだ。
 よくものを考えるタイプの人らしい。
 勉強家でも通っている。
 巨人のオーナーになった辺りから、プロ野球のことを、他のどのオーナーよりも、真剣に学んだと伝えられる。

 巷間、悪役のイメージばかりで語られているが、実際の人となりは、もう少し違うのだそうである。
 温かい一面もある――
 渡辺元オーナーを、よく知る人は、そう証言する。

 そうなのかもしれない。
 人は複雑な存在だ。
 そういう一面が渡辺氏にあったとしても、不思議はない。

 とにかく、読売新聞という巨大組織の頂点に登り詰めた人である。劣悪な人格の持ち主に、そんな出世は不可能であろう。

 ただし、遠目には、品性下劣な人である。
 発言に品がない。
 相手を思いやる気配もない。
 TVカメラの前でマイクを向けられても、平気で粗雑な言葉を使う。

 もちろん、無遠慮に迫ってくる記者の類いにやさしく接するほうが無理なのだが、渡辺氏は、そうした記者たちの元締の一人である。常人とは違った配慮をみせても、よさそうなものだ。

 自身過剰の人でもある。

 これは、勉強家で、よくものを考える人ほど、引っかかりやすい陥穽だ。
 行動の前に学び、真剣に熟考する。そういう人ほど、過信に傾きやすい。

 ――あれほど調べ、熟慮した。自分は正しい。

 と、思ってしまうからであろう。

 青臭い欠点といえる。
 だからなのか、渡辺氏を「老害」と称する人はあっても、「老獪」と称する人はいない。
 当然だと思う。

 僕は、実はこういう人は嫌いではない。
 むしろ、好きである。
 対等な人間関係を結べるなら、本格的な親交を始められるかもしれない。

 しかし、こういう人を上司に持つと悲惨である。
 部下でも、悲惨かもしれない。
 公人として、多大な影響を及ぼし得るポジションに長居されても、困る。

 要するに、深く付き合って初めてわかる人格が、いくら魅力的であっても、それだけでは通用しない場合というものが、世の中には、いくらでもあるということだ。

 第一印象の恐さ、である。

 もちろん、第一印象ばかりがよく、深く付き合ってみたら最悪だった、というのも頂けない。
 が、そういう人は、自分が他人から、どうみられているかを客観視できている分、まだ、ましであろう。第一印象が優れている人が、救いようのない人格の持ち主であるということは、まず、ない。

 渡辺氏の第一印象は、どうか。
 少なくとも、僕が感じた限り、かなり悪い。ここまで第一印象が悪い人も珍しい――ぐらいの勢いであった。

 読売新聞のトップに就いた人である。
 そんなことはない――と、わかってはいる。

 しかし、思わずにはいられない。
 あの人は、救いようのない人格の持ち主なのかもしれない、と。

 御本人と会って、直接にお話をするでもない限り、僕の中で、こうした評価は変えようがない。
 2004年8月13日 (金) 牛丼屋で『スタートレック』
 今夜の夕食は、とびきりの美人と一緒だった。
 ノースリーブのライトブルーは鮮やかで、二の腕の肌は、純に白く、まぶしい。

 その女性は、僕の隣に座って、食事をとった。
 あんまり美味しくはなさそうだったけれど……。

 そう。
 今夜、僕が夕御飯を食べた店は、牛丼屋。
 科学行政上の都合で、牛丼を出せなくなっている牛丼屋である。

 正確には「僕の隣」ではなく「僕の隣の隣の隣」くらい。
 その牛丼屋は、牛丼が出せなくなって以来、滅多に混まないので、僕と彼女との間に誰もいなかったことは確かである。

 もちろん、その女性と面識はない。
 牛丼屋に入ったら、その女性が豚丼を一人で頬張っていた。それだけ。

 僕が仙台に来た頃は、まだ、女性が一人で牛丼屋に入るなど、ありうべからざることだった。
 大学の同級生の女の子が、一人で牛丼屋に入ったといったら、
(女を捨てたの?)
 と、からかわれていたのを覚えている。

 いまでは珍しいことではない。
 男女比率は、さすがに半々には及ばないものの、3:7は超えているように思う。

 とはいえ、「とびきりの美人」が、一人で牛丼屋に入っている光景は、やはり、何とも切ない。

 ――君みたいな奇麗な人が、こんなところで、一人で食事をしているなんて。

 ……みたいなことを、アメリカの俳優 Alexander Sidding さんが、日本の声優 藤原啓治さんの声で、物憂げに、いってくれると、楽しい。
 ――要するに『スタートレック/ディープ・スペース・ナイン』のドクター・ベシアがいってくれると――ということである。

 別にドクター・ベシアじゃなくても、気になる光景だろう。
 こぎれいな女性が一人で牛丼屋とは……。

 そんなとき、店の奥から男性登場。
 トイレを済ませてきたようである。プロサッカー選手のようなふてぶてしさで、こちらに歩いてくる。

 なーるほど。
 彼氏なわけね。

 そりゃ、そうだよな。こぎれいな女性が単身、牛丼屋に入るわけがない。

 男性は、女性の傍を過ぎ、先に外に出た。
 女性は、ゆったりと支払いを済ませ、後を追うように外に出た。

 ところが、女性は店を出ると、男性とは反対方向に歩き出す。
(何やってんだ?)
 と、一度は仰天したものの、僕も店を出て納得。
 男性は、店のすぐ近くで、別の男性たちとつるんでいた。とてもデートの最中という感じではない。

 ――じゃあ、やっぱり……?

 先ほどの女性は、一人で牛丼屋で豚丼を食べていたことになる。

 再び、ドクター・ベシアの声。

 ――もったいない。君みたいな奇麗な人が、こんなところで……。

『スタートレック』は1966年に最初のシリーズの放映を開始したアメリカのSFTVドラマ・シリーズ。日本では考えられないくらい、手間と金とをかけた作品だ。
 最初のシリーズは、日本では『宇宙大作戦』の名で通っており、後発シリーズは『新スタートレック』や『スタートレック/ディープ・スペース・ナイン』や『スタートレック/ボイジャー』の名で知られている。

 ドクター・ベシアは、その後発シリーズの『スタートレック/ディープ・スペース・ナイン』に軍医役で登場する。主役ではない。レギュラーの脇役の一人。
 すぐにヒーローに成りたがる軽薄男として登場したのだが、放映回数を重ねるうちに、誠実で、バカ正直な一面がクローズアップされ、「軽薄男」のレッテルが、徐々に剥がされていく。

 今日、牛丼屋でドクター・ベシアを思い出したのは、先日、そのドクター・ベシアが主役級に活躍する第81話『ドクター・ノア』(原題"Our Man Bashir")をみたからだろう。

 懐かしかった。
 数年前、仙台ローカル局が深夜枠で放映していたのをみて以来である。

『スタートレック』はアメリカ文化の本流の一つである。しかし、全然、アメリカンらしくない。
 第81話は『007は殺しの番号』のパロディである。パロディといっても、原作を引っ掻き回す茶化し方はせず、十分に原作に敬意を表した作りになっている。もちろん、ドクター・ベシアがジェームズ・ボンドに扮し、大真面目にキザな台詞を吐くわけだが……。

 アメリカン・コメディは子供っぽい、との寸評がある。しかし、なかなかどうして、この第81話は違う。大人をニヤリとさせる感性に満ちている。もちろん、これまでのエピソードも伏線になってはいるのだが……。

 僕は『スタートレック』のコアなファンではない。
 それでも、語り出すと止まらないだろう。

 今日は、この辺でやめにしておく。
 2004年8月12日 (木) 一年の「終わり」
 仙台は、昨日あたりから、夜が涼しくなってきた。
(そろそろ、一年が終わるな)
 と、思いはじめる。

 何をバカなことを……とお笑いになるだろうか?
 年の暮まで、あと何か月もあるではないか、と。

 実は、僕にとって、一年の終わりは夏なのである。
 誕生日が九月なのだ。

 だから、僕は、十代最後の年は夏でしめ、二十代最後の年も夏でしめ、三十代最初の年も夏でしめることになる。

 昔から、夏の暑さが和らぐと、
(ああ、終わりなんだな……)
 と、感じていた。
 もちろん、小さい頃は、単に、
(夏が終わりなんだな……)
 と、思っていたわけだが、ここ数年は、
(一年が終わるんだな……)
 と、思うようにしている。

 何ごとに付けても「終わり」というものは、少なからず、寂しいものだ。
 どんなに辛いことでも、いざ、終わってみれば、寂しい。「終わり」の代わりに、何か達成感のようなものがあれば、その寂しさには気付かないで済むのだが……。

「一年」とは、単にる人工的な時間区間である。それが「終わり」を告げるだけなのだから、「達成感」など得られるわけがない。

 時間の流れの残酷さだけが、際立つ瞬間である。

 そもそも、いったい、時間とは何なのか?

 混迷の度は深まっていく。

 まあ、よい。
 人は、時間に押し流されそうになりながらも、懸命に生きていくより路はない。
 今年よりも来年の方が幸せな一年になるように、努力するだけである。
 2004年8月11日 (水) 日本語を愛する理由
 最近、よく利用するファミリーレストラン(ファミレス)がある。
 自宅からは遠く、車でないといけない距離なのだが、昔、バイトをしていた学習塾の近くなので、後輩たちの様子をみにいきがてら、よることが多い。

 昨日、そのファミレスに入ったら、中東風の若い男性たちが、一つのテーブルを囲って、わいわい、騒いでいた。

 留学生である。
 近所に大学の留学生寮があるので、驚くにはあたらない。

 よくみると、みるからに中国人という女性も、幾人か混じっていた。
 総勢、7、8人といったところだ。

 面白かったのは、全員が、日本語を使っていたこと。

 たどたどしいイントネーションで、
「それ。違うよ」
 とか、
「面白いねえ」
 などといっている。

 英語も、それ以外の外国語も使われていないところをみると、全員に共通の言語は日本語しかないようだ。

 さらに驚いたことに、その7、8人の中に、日本人とみられる人は誰もいなかった。
 日本人が一人もいないのに、皆で日本語を喋っている。
 不思議な情景であった。

 自国に留学生を呼ぶ理由の一つは、自国語を世界中に広めることだという。少なくとも、政府レベルの思惑は、そうであるらしい。
 アメリカが、せっせと留学生を受けいれている目的は、言語を含むアメリカ基準を、世界中に広めようというところにある。

 その効果は、数十年のレベルで発揮される。

 昔、大学にいた頃、「アメリカでは……」と、ことあるごとに啓蒙したがる教授をみてきたが、まさに、あれが「留学生受けいれ効果」なのだ。
 彼らは、だいたい20年から30年くらい前に、アメリカ留学を経験している。

 そうした事実が頭にあると、昨日、ファミレスで、日本語を喋っていた外国人たちの様子が、有り難くもあり、気の毒でもある。
 彼らは、日本語を使いたくて使っていたのだろうか? それとも、嫌々で使っていたのだろうか?

 少なくとも、僕は、英語を嫌々で使っている。
 もちろん、使う以上は、ちゃんと使いたいと思う。ある程度は、楽しんで使いたいとも思う。
 けれど、英語を使わなくても、外国人とコミュニケーションがとれるなら、英語は使わない。

 もちろん、英語を学んだことは後悔していない。
 ある程度、英語をきき、よみ、かき、話せるようになったことで、逆に日本語のことが、よくわかった。モノを日本語的に考えるということが、どういうことか、よくわかった。

 これは大きい。
 もし、あのまま日本語しか知らなかったとしたら、見落としていたであろうことが、たくさんあった。
 少なくとも、僕は、そうである。

 けれど、日本語を捨ててまで、英語に馴染もうとは思わない。死んでも、思わない。
 それは、僕の言語生活が破綻することを意味する。
 英語しか使えない生活の、何と不自由で、味気ないことか。
 日本語を母国語にしてしまった以上、それは仕方のないことだと思っている。

 2、3年前、

 ――アメリカの力は強すぎる。皆で英語を使わないといけないのは理不尽だ。

 というようなことをいったら、研究室の後輩が、

 ――そうじゃないんですよ。アメリカの力が弱かったから、俺たちは苦労しているんです。

 と、いった。
 理由を問うと、

 ――だって、アメリカがもっと強かったら、日本語が駆逐されていて、僕らは英語を母国語にしていたわけですから。

 つまり、悪いのは、中途半端にしか日本を占領できなかったGHQというわけである。ブラックジョークとしては面白いが、よく考えると、何とも恐ろしい話である。

 たしかに、僕が日本語にこだわるのは、それが母国語だからである。もし、英語が母国語だったら、日本語のことなんて考えもしなかったろう。

 日本語が母国語だということ以外に、日本語を愛する理由が見当たらない。英語を学べば学ぶほど、英語の可能性、日本語の限界がわかってくる。
 もちろん、どちらが優れているか、という話ではない。両者は根本的に違う――ということである。
 無邪気に日本語のよさだけをアピールするわけにはいかない。

 留学生たちの日本語の会話を小耳に挟みながら、そんなことを思った。
 2004年8月10日 (火) 「すぐに理解できてしまう」
 よい小説だとは思うが、どこか物足りない――

 そういう書評に突き動かされ、小川洋子さんの『博士の愛した数式』(新潮社)を購入、読了した。

 そして、くだんの書評を思い出し、改めて、なるほど……と噛み締めた。

 よい小説である。
 真似しようと思ったって、そうはいかない。

 けれど、なぜか、
「うわー! すごー!」
 とは、ならなかった。
「もう一度、読もう!」
 とも、ならない。

 和膳で、上品な味付けの吸い物を満喫したときの感じである。
 特上の海老のテンプラにかぶりついたときの感動とは、ちょっと違う。

 あるいは、洋食で、素材を活かした前菜を楽しんだときの感じである。
 上質の牛ヒレのステーキを頬張る充実とは、ちょっと違う。

 良質の吸い物であり、高級の前菜であるのだが、どこか、物足りない。

 多分、密度が薄いのである。

 その低密度が、現代のトレンドなのだ――という指摘がある。
 良い意味でも、悪い意味でも、まさに、その通りなのだと思った。

 じゃあ、海老のテンプラや牛ヒレのステーキに相当するものは何なのか?

 そう、問われれば、僕は、古典に答えを求めてしまう。

 例えば、『源氏物語』を、ゆっくり噛み締めて読んでいくときの緊張感――である。

 ――繰り返し読んでいるからだろう?

 という向きもある。

 多分、当たっている。
 例えば、僕自身、『源氏物語』は、過去に何度も読んでいるし、原典以外の解説本や副読本の類いも、たくさん読んでいる。だから、話の筋はよく知っている。

 それでも、ときどき、読みたくなる。
 何度、味わっても、味わえ尽くせない密度が、そこにはある。

 だからといって、現代のトレンドを卑下するつもりは、ない。

『博士が愛した数式』だって、一千年後の人たちには、僕らとは全く違った感慨で迎えられるはずだ。
 むろん、もし、一千年後も残っているならば、の話だが……。

 時々、思う。
 もしかしたら、平安の世の人たちにとって、『源氏物語』は、どうしようもなく低密度な物語だったのかも知れない、と。

 実は、僕らは、一千年の時が育んだ風味を、ただ、有り難がっているだけなのかも知れない。

 僕らにとって、現代の物語は、容易にアクセスしやすい。
 一方、『源氏物語』はアクセスしにくい。様々な古典常識が必須だからである。

 結局、読んで、すぐに理解できてしまうものを、人は、物足りなく感じてしまうものなのかも知れない。
 現代のトレンドは、その「すぐに理解できてしまう」を、肯定的にとらえよう、ということなのだと思う。
 もちろん、僕らは、「すぐに理解できてしまう」と思い込んでいるだけで、実は、理解できていないのかもしれないのだが、そうした議論は、ひとまず、おいておいて、たしかに、文脈が違えば、僕も、そうした現代のトレンドには賛成である。

 ――きみ、学術書は、難解で、複雑であるほど、よいのだよ。

 などといっている大学教授を、僕は、たしかに、古臭いと思った。
 難解で複雑なものなら、誰にでも書ける。
 平易で単純なものを書ける人こそが、偉い。
 そう、思っている。

 でも、そういうものを、文芸には持ち込みたくない。

 難解で複雑で。
 でも、重要そうで、面白そうで……。

 そういう小説が、至上の小説だと、僕は思いたい。

 残念ながら、『博士の愛した数式』は、そんな風に難解で複雑で、というわけではなかった。

 現代のトレンドが抱える矛盾だろうか?

 実は、そんなに気にしなくいいこと、とも思う。
 2004年8月9日 (月) よき敗者 good loser
 7日土曜日の夜、サッカー・アジア杯の決勝をみて、何ともいえない気分になった。
 結果は、日本代表がアジア王者の座を守ったのだが、やりきれなさは消えない。

 試合前のセレモニーでは、相変わらず、現地の中国人サポーターから、日本の国歌斉唱に、ブーイングが浴びせられた。

 この時点で、すでに勝負あり、である。

 かの中国人サポーターたちは、ゲームで負け、スポーツマン・シップでも負けた。
 仮に、あのあと、中国代表が勝利を収め、アジア王者の座についたとしても、中国人サポーターに真の勝利はもたらされなかったに違いない。

 むしろ、日本代表に負けたときこそ、絶好のチャンスであった。
 よき敗者として、心から勝者を讃えていたならば、僕たちは中国の文化的底力を感じ取ることができた。

 実際は逆である。
 日本の国旗を焼いたり、日本代表の選手たちに罵声を浴びせたりして、恥の上塗りをした。
 心ある中国人は、非常に恥ずかしい思いをしたに違いない。

 もちろん、1998年のフランスW杯予選の日韓戦で、「一緒にフランスへ行こう」と呼び掛けた韓国人サポーターたちのような度量の広さは、微塵も感じられなかった。

 あの中国人サポーターたちには、もう、何をいっても無駄であろう。
 それでも、僕たちは、彼らと付き合っていかなければならない。

 あんな連中とは、適当に付き合っておけばいい――

 ……そんな態度をみせたら、あの中国人サポーターたちと同レベルに堕す。
 世の中には色々な考え方の人間がいる。徳の高い人がいれば、品性下劣なる人もいる。けれど、僕たちは、それら、どの人とも、等しく付き合っていかなくてはならない。

 いまに始まったことではない。
 人の世の常である。
 悲観することはあるまい。

 今回、改めて考えさせられたのは、「よき敗者」という概念である。英語では「good loser」である。
 僕は、この概念の価値に、なかなか気付けなかった。
「よき敗者」の概念は、勝負がついた後には、真の勝者も敗者もない、という考え方が、基礎を成しているように思う。

 もちろん、勝負に決着をつけない、ということではない。
 小学校の運動会の徒競走で、最後は皆で手を繋いでゴールしましょう、というようなものではない。

 勝者も敗者も、スポーツという枠内での一時的な役割に過ぎないという認識である。
 もちろん、その枠内では、勝者は派手にガッツポーズをしてもいいし、敗者は我が身の不運に涙してもよい。むしろ、勝者は勝者らしく、敗者は敗者らしく、振る舞うのがよい。
 だが、ひと度、スポーツという枠内から飛び出したなら、勝者も敗者もない――対等な人間関係に戻る。
 そういう考え方が、「good loser」の根底にあるように思う。

 もちろん、あの中国人サポーターたちには理解され得ない考え方であろう。
 それは、いい。
 要は、ああいう人たちが中国のマジョリティにならなければいいのだ。

 中国国内で「よき敗者」の価値が声高に叫ばれる日を望む。そのための助力なら、喜んでしよう。
 2004年8月8日 (日) 風呂の掃除で豊かな人生を
 今日、風呂の掃除をした。

 風呂の掃除のような重労働家事をやっていると、昔の貴人たちが、家事を召し使いに押し付けていた気持ちがわかる。
 純粋に大変だ。

 とくに、食べていくための仕事が多忙だと、昔の貴人ならずとも、家事は人に押し付けたくなる。
 夫がまったく家事をやらないという家庭は、まだ、少なからず残っているようなのだが、そういう夫のいい分は、多分、大枚を稼いでくるのに、外で過酷に働き詰めているのだから、家事くらい、やらなくてもいいだろう、というものだと思う。
 家政婦を雇えるくらいの稼ぎがあるのなら、そのいい分も通るだろうが……。

 家事を楽しむ贅沢というのが、あってもいいのかなと思う。

 誤解のないようにいっておくが、僕は、家事の類いは苦手である。
 東京で一人暮らしを始めたばかりの頃は、こまめに料理したり、掃除したり、色々と甲斐甲斐しくやっていたものだが、大学に入ってからは、やらなくてはならないことが呆れるくらい増え、すっかり、手を抜くようになった。
 最初の内は、それでも我慢して続けていたのだが、ストレスが溜まる一方に感じられたので、いよいよ、しんどくなって、手を抜いたわけである。

 それで、少しは楽になったのだが、部屋が散らかったり、外食ばかりだったりすると、それはそれで、ストレスは溜まるものである。

 そうかといって、また、以前のような生活に戻すには、まず、時間がない。
 やらなければならないことがたくさんある。しかも、そうしたことは、通常、対外的に重要な意味をもってくるので、おいそれと手を抜くわけにはいかない。自然、内向きのことが、おろそかになる。

 こうして、荒んだ一人暮らしになってから、かれこれ七、八年になる。途中、女性と半同居状態になったこともあったが、ついに一度も、僕の部屋が住居スペースになることはなかった。
 当然といえば当然。

 そう。
 だから、家事をする贅沢というのは、例えば、会社での労働時間を、家事が苦にならない程度に限っても、生計を成り立たせられる贅沢、ということになる。

 朝早くから夜遅くまで研究機関に務めている人たちの話をきいていると、なかなか信じられないことなのだが、この不景気で、人手不足の時代にも、朝9時までに出勤し、夕方5時には帰宅できる生活が保証されている人たちもいる。
 業種によっては、24時間労働、休みは反日単位――のような生活が珍しくないこの時代に、9時−5時は贅沢だ。

 それが、けしからんというつもりはない。

 そもそも「贅沢は敵だ」なんていうスローガンが喝采を浴びる程に、この国の文化程度は低くない。

 むしろ逆で、現代は、そういう贅沢にこそ、価値を置き始めているのかもしれない。

 十分に家事に手間をかけ、子育てを満喫し、それでも、社会的地位を失わず、生計を維持できる道があるとしたら、それは、かなり豊かな人生を送るチャンスに通じる。

 もちろん、社会的地位の頂きを目指して、出世階段をかけ昇ることしか眼中にない人にとっては、魅力的な可能性ではないのかもしれないが。
 2004年8月7日 (土) 蛇とカタツムリ
 昔、中学校で英語の勉強をしていた頃、

 ――いいえ、違います。それは馬ではありません。オレンジです。

 などと、わけのわからない例文を訳させられたりしたものである。

 いったい、誰が、馬をオレンジと間違えるのだ?

 もちろん、英文法の基本を学ぶための例文だから、意味的にナンセンスでも問題はないわけだが……。

 しかし、今朝、メールボックスをあけたら、

 ――いいえ、違います。それは蛇ではありません。カタツムリです。

 みたいな指摘を受け、思わず、溜め息まじりの苦笑いをもらす。

 本名で書いたインタビュー原稿で、どういうわけか、僕は「カタツムリ」を意味する「snail」という英単語を、「蛇」だと思い込んでしまった。

 ……「蛇」は「snake」である。念のため。

 この勘違いに最後まで気付かず、某サイトで原稿を公開後、三ヶ月くらいたった昨日、僕のところにクレイムがきた。

 いったい、誰が、蛇をカタツムリと間違えるのだ?

 ――僕だ。

「わ〜ん」と泣きたい気分である。

 だって「snail」と「snake」……だよ。
 発音記号で書くと「sneil」と「sneik」。
「snei」違いだった、というわけか……。

 インタビューは英語で行われた。
 だから、僕は、この「snail」を「sneil」という発音の英単語としてインプットした。そのとき、明らかに、僕の頭の中では、

  「sneil」という発音の英単語 =「蛇」

 という図式が成立したようである。別に「snake」という綴りの英単語も「sneik」という発音の英単語も、知らなかったわけではなかったのだが……。

 予備校時代、某有名講師が、黒板に「they is」と書いた。
「they」は複数扱いの代名詞なので、単数名詞を受けるbe動詞「is」と一緒に用いることはない。明らかなイージーミスである。

 しかし、その先生は美しい英語を話す人で、英文法や英単語の知識も超一流だった。その先生が書いたのだから、あるいは特殊な状況では、「they is」になることもあるのかと考え、授業後、質問しにいった。

 憮然とした表情で「ありがとう」といってくれた。最大限に配慮してくれていたのはわかったが、イラダチやショックは隠せないでいたように思う。
 その先生は、翌週の授業で、

 ――「そんな間違えするわけないだろう」っていうレベルのミスなんだけど、たしかに「they is」と書いた覚えがあるんだよ。しかも、そのときは間違いに気づかなかったんだよ。

 と、率直に経緯を語ってくれた。

 どうやら、後日の自分はすぐに気付くのに、そのときの自分は全く気付かない――ということが、あるらしいのだ。

 僕も、今朝、その事実を思い知った次第である。

 というわけで、僕の英語力はアメリカの小学生レベル未満であることが証明された。多少の自覚はあったけど、やはり、気分は暗くなる、
 しかも、誤りを指摘してくれた方にはキチンと礼を尽くさないといけない。それが当然のことだとわかっていも、何となく億劫である。

 一生、気付かないでいられたら、ある意味、幸せだったのに……などと思ってしまうからなんだろうな。

 そんなことでは、文筆業は無理である。

 精進に精進を重ねるしかあるまい。
 2004年8月6日 (金) 一度、ひずんだら、元には戻らない……かも
 早起きができると、何だか嬉しい。
 時間を得した気分になる。

 もちろん、無理しての早起きは駄目である。
 自然と目が覚め、時計を見たら、いつも起きる時間の二、三時間前だった……というのが最高である。

 僕は、いわゆる夜型だ。
 いつまでも寝ないで頑張ることは容易である。
 反対に、頑張って起きて、早朝から活動を開始するのは、苦手だ。

 今日、久々に朝寝坊した。

 電車の発車時刻の30分前に目が覚めた。
 さあ、大変――である。

 時間との闘いが始まった。
 朝一番から時間と闘ったりすると、精神的に消耗する。
 結局、今日一日、何となく元気がでなかった。

 こういうストレスがない生活を送りたいなあ……と夢想した。

 でも、おそらく、人として生きていく限り、こういうストレスは、死ぬまでつい回るのだろうな、とも思う。
 生きていてストレスを感じなくなった人間は、もう、人間とは呼べないのではないか?

 先日、似たようなことを、さる大作家がエッセイで書いていた。手元に文献が残っていないので、正確な引用はできない。
 要は、ストレスを後ろ向きにとらえるのはやめましょう、ということだったと思う。

 とはいえ、ストレスは、良い意味でも、悪い意味でも、ひずみである。つまり、良いストレスなど、存在しないのではないか?
 人間は、時間の経過とともに、老化という衰えから逃れられないように、ストレスからも逃れられないのではないか?
 それが命を削っているとわかっていても、とりのぞけない。それが、ストレスではないか?

 ……何だか、恐ろしい。

 いやいや。

 たしかに、ストレスはひずみである。だから、ひずんだら元に戻してやればよい。それが、いわゆるストレス解消である。

 そういう考え方もあろう。

 でも、どうかな。

 僕は、一度、溜まったストレスは、一生、消えないんじゃないかと思っている。一度、ひずんだから、元には戻らない。
 いや。
 ちょっとは元に戻るかもしれない。
 でも、完全には戻らない。そんなイメージがある。

 こうやって、人は歳をとっていく……と、考えても、よいのかもしれない。
 少なくとも僕は、妙に納得できる。
 2004年8月5日 (木) 過度な反日行動に思うこと(前編)
 サッカー・アジア杯における中国人の反日行動が問題になっている。

 日本人観戦客に嫌がらせをしたり、日本国歌斉唱時にブーイングを浴びせたりしたことが、スポーツの枠をこえているとの指摘だ。

 中国政府は、日本のマスコミが、一部の過激な反日行動を誇大に報じたと、不快感を隠さない。

 ここまでこじれると、あとは泥仕合いである。

 これで、日本人と中国人との間に、少なくとも、マスのレベルでは、消しがたいしこりができたのではないだろうか?
 このままいけば、当面、解消は難しいだろう。

「マスのレベルでは」と注釈をつけたのは、僕が、例えば、ある中国人と個人的なつながりをもとうとするときには、このことは、そんなには尾を引かないだろうという憶測があるからである。
 その辺は心配していない。
 人間、そこまで愚かではないと思っている。

 そう。
 国家間対立や民族間対立は、いずれも、マスでみたときに、事態の深刻さに憮然としてしまう。

 スタジアムで、日本の国歌斉唱にブーイングを唱えた中国人たちも、マスであった。

 あれは、やり過ぎだ。

 良識がなさ過ぎる。
 誇りがなさ過ぎる。

 かつて、全世界から尊敬された中華帝国の偉容は地に堕ちたといってよい。

 ただ、向こうには、向こうのいい分があろう。

 自分たちの国が、かつての後進国日本に蹂躙された。国をあげて恨みを晴らそうとする感情は、わからないでもない。

 ただし、過去の歴史認識を巡る問題で、日本政府が、中国人の国民感情を逆なでする態度をとってしまうのは、やむを得ない。
 政府の仕事のメインは、国益の保持である。あくまで、日本の国益を守ろうとする以上、中国人の感情面を最大限に尊重するわけには、到底、いかない(日本政府が、これまで、ちゃんと国益を守ってこれたかどうかは別問題――)
 そもそも、「国益の保持」自体が、ある意味、賎しい行為なのだから、そこに、他国人の感情的な怨嗟が集まるのは、仕方のないことである(とはいえ、首相の靖国神社参拝などで、必要以上に中国人の感情を逆なでするのはどうか? あれで、守られる国益とは、何なのか?)

 政府が、自国の国益を守るために行動していることを、決して忘れてはならない。
 これは、優れた政府とは、決して善意では動かないということを意味する。つまり、大人の良識に照らして行動する政府など存在しないということである。皆、己の利益だけを確保し、保全しようとする。それでよいということになっている。

 だから、僕たちは、政府の声明などを鵜呑みにしてはいけない。
 声明だけではない。政府のありとあらゆる行為には裏がある。国益の保持という本音が透けてみえている。

 いってみれば、国家間のやり取りというのは、子供のやり取りに似ている。それも、自分の利益だけしか考えない子供である。社会性が著しく欠如した未熟な子供である。気に食わないことがあると、すぐに暴力に訴えようとする子供である。だから、この情報化時代になってさえ、国家間戦争は耐えない。まさに、子供の発想なのである(もちろん、ブッシュ大統領によるイラク戦争のことをいっている)

 そうした「子供心」に徹する国家政策に、良いも悪いもない。ただ、現実がそうなっているというだけである。

 さて、今回の一連の騒動をどう打開するべきか?

 報道によれば、日本政府は、邦人保護の要請という名目で、中国政府に、アジア杯での中国人ファンの無礼を戒めるように、申し入れた。
 それに対し、それはごく一部の人間のしたことだというのが、中国政府の反応であったわけだが、もちろん、それは、中国政府の「子供心」に基づく声明であり、それ以上のものではない。中国政府は、中国政府なりに、自国の利益を守るために必死なのだ。それは、理解する。

 ただ、日本代表に対する無礼な態度は、スタジアムの一部の人間のものではない。
 たしかに、スタジアムにきている人間は、中国人のごく一部かもしれないが。

 中国の良識ある人は、あのようなスタジアムにおいて行き過ぎた反日行動をとっている中国人だけが中国人ではないということを、雄弁に示す必要がある。
 そのための、有効な手立ては何か?

 それは、日本代表対中国代表の決勝戦が行われる7日に、北京のスタジアムにおいて、中国人が、日本代表に礼を尽くすパフォーマンスをみせるしかあるまい。
 例えば、1998年のフランスW杯予選で、「一緒にフランスに行こう」と、横断幕を掲げた韓国人サポーターのように。(以下、次節)
 2004年8月5日 (木) 過度な反日行動に思うこと(後編)
 外野は関係ない。
 もちろん、政治問題などにするべきでない。
 マスコミも、ことさらに、書き立てるべきでない。

 成すべきことはただ一つ――サッカーのTV中継で伝わるレベルで、
「ああいう連中だけが、中国人ではない」
 と、いうメッセージを、国外に発信すればよい。

 そもそも、日本代表への無礼な行為は、サッカーのTV中継が、間接的に伝えてしまったものである。
 だから、その同じ土俵で名誉を挽回するのが、良識ある中国人に託された可能性だと思うが、どうだろうか?
 2004年8月4日 (水) 亡くなった祖母は
 亡くなった祖母は、宇和島の人である。
 祖父につれられ上京してからは、大半を千葉で過ごした。

 この国において、西から東に伝わる文物は多いけれど、東から西に伝わる文物は少ないように思う。
 ことに、東北から四国に伝わったものなど、ほとんど存在しないのではないか。

 その数少ない例がカマボコだ。
 宇和島のカマボコは、仙台のカマボコが原形だと、生前、祖母は何度も僕にいった。

 ――ほれ、伊達政宗の子供で、妾の子がおったろ? あれ、妾の子だというので、仙台の伊達は継げずに、宇和島にいきよったが、そのときに、カマボコの職人も連れていったんよ。口寂しかったんじゃろうよ。

 宇和島藩の祖は独眼竜・伊達政宗の妾腹の子・秀宗である。
 だから、祖母の話は、まあまあ、史実に基づいている。

 僕が仙台に移った頃は、祖母は、まだまだ元気だった。
 仙台の笹かまぼこを買っていくと、

 ――うん。宇和島のとおんなじ味。

 と、笑っていた。

 そして、

 ――知ってるか? 宇和島藩というのはな、伊達の……。

 と、例の話が繰り返されるのである。

 先日、祖母の納骨で宇和島にいってきた。
 そのタクシーの中で、運転手さんにこの話をしたら、
「いや。宇和島のカマボコはオリジナルです」
 と、いってやまない。
 祖母が明治生まれの宇和島人だというと、
「ああ、じゃあ、そうかもしれません」
 と、運転手さんは自説をまげた。
 どこまで本気だったかは、わからないが。

 宇和島城にはいっていない。

 7月30日の日記で触れた「ご飯粒大王」(甥=妹の長男)の事件のため、宇和島城観光はオジャンになった。

 ――宇和島の城は一見の価値がある。

 と、父は妹にいっていたそうである。
 父は、神経解剖学者だったが、寺社仏閣や東西の名城にうるさい人だった。

 その父が亡くなったのが3年前。
 その母である祖母が亡くなったのが2年前。

 ちょうど、岡山で、父の「偲ぶ会」があった日のことだった。
 ご来場の方々に、祖母が乳児だった頃の父を抱く写真をおみせし、
(まだ、祖母は元気です)
 と、挨拶した頃には、すでに他界した直後だったらしい。

「ご飯粒大王」は、その父の孫、祖母のひ孫にあたる。
 鎌倉期以来の父系家政制度が崩壊し、母系の繋がりが復活しつつある現代、「ご飯粒大王」は、我が家の本流といっても、よいかもしれない。

 いつの日か、妹は、大きくなった「ご飯粒大王」を連れて、宇和島城を訪れるだろう。

 祖母や父のことを考え、僕は、そう思った。
 2004年8月3日 (火) 勝負の流れ(前編)
 今日も勝っている。
 サッカー・アジア杯・日本代表のことだ。

 仕事の合間にちょっと中継をみていたのだが、何度も決定的な得点チャンスを外し、これでもか、これでもかと、相手チーム(バーレーン代表)に試合の流れを渡しかけていたのに、結局は、延長戦の末、4ー3で辛くも勝利を収めている。

 2002年W杯・決勝トーナメント1回戦で、あっさり敗れた日本代表の面影はない。

 あの日、僕は、研究室で実験をしながら、後輩たちがセミナー室にセットしたプロジェクターで、試合中継をチラチラとみていた。
 日本代表の失点は、僕が実験標本の溶液を交換しにいっている間の出来事だった。
(ああーあ)
 という後輩たちのため息で、だいたいのことはわかったが。
 結局、そのまま一矢報いることなく、トルコ代表に敗れ去った。

 同じ日、アルバイト先の後輩たちは、部屋に集まってTV観戦をしていた。
 日本代表の敗戦が決まった直後、僕がその部屋に電話をして、感想を尋ねると、プロスポーツ・ネタに強い後輩が、

 ――采配ミスじゃないかって気がするんですよ。

 と、いった。
 ときの日本代表監督はフィリップ・トルシエ氏。

 僕は、トルシエ氏の監督手腕は一定の評価ができると思っていたが、あのときばかりは、

 ――采配ミス。

 という指摘は当たっていると思った。
 トルシエ氏は、決勝トーナメント1回戦で先発メンバーをいじった。本大会予選リーグを好成績で突破し、とくに最終戦は快勝したにも関わらず、トルシエ氏は、先発メンバーをいじった。

 その先発メンバー変更の報に接し、烈火の如く怒ったと伝えられる人物がいる。
 ジーコ現日本代表監督である。

 ジーコ監督は、今アジア杯大会では、徹底して先発メンバーを固定している。戦術家としてのこだわりが、そうさせているのだと思う。

 そうしたジーコ監督の頑な姿勢を非難する声は少なくない。

 たしかに、大会は最長6試合の長丁場である。その都度、コンディションの最良の選手を起用したり、試合の重要度に合わせて柔軟に先発メンバーを入れ替えたりすることをよしとする風潮は、サッカー界には根強い。
 2002年のトルシエ氏も、おそらく、そうした風潮に従ったのだろう。

 しかし、サッカーも人間対人間の勝負である。
 そのような臨機応変の選手起用が、勝負の流れを決定的に動かしてしまうことがあるということを、勝負師はよく知っている。

 勝負事では、先に動いた方が負ける。
 先に動いて勝つのは、不意打ちのときだけだ。

 サッカーの試合に不意打ちはあり得ない(強いていれば、早いリスタートがそうか? でも、相手チームが気付かないうちに得点を奪うということは、試合のルール上、あり得ない)
 ならば、先に動くのは愚策ということになる。
 とくに、状態が膠着しているときは尚更だ。

 これは、戦術理論ではない。
 戦史が教える経験的事実である。

 動くことで、多少なりとも味方を動揺させ、敵には隙をみせるのだろう。
 そのような例は、日本の戦史においても、枚挙に暇がない。
 川中島の戦い(武田信玄vs上杉謙信)、山崎の戦い(明智光秀vs豊臣秀吉)、小牧・長久手の戦い(豊臣秀吉vs徳川家康)。
 いずれも、先に動いたほうが苦戦を強いられた――と伝えられる。

 日本のプロ野球でも、よくみられる話だ。
 2002年の日本シリーズ、西武ライオンズの0勝3敗で迎えた第4戦、西武ライオンズの伊原監督は、好投していた先発の西口投手を5回で降板させ、松坂投手に切り替えた。その直後、大量に失点し、西武ライオンズは4連敗の屈辱を味わった。
 5回の交代は試合前に決めていたという。
 試合の流れをよまずに、試合前の予定に基づき、先に動くことが、いかに危険なことか。

 サッカーにも忘れられない事例がある。
 1998年のフランスW杯予選。国立競技場での対韓国代表戦、当時の日本代表・加茂監督は、先制点をあげ、試合を押しぎみに進めていたにもかかわらず、先に動き、一部の先発メンバーを交代した。その途端に、チームのリズムが崩れ、結局、逆転負け。のちの加茂監督解任の遠因をつくった。
 このケースでも、試合前の予定――先制したら、守備要員を増強し、守りきるという戦術プラン――に従ったのだという。

 いま、そこで起こっている勝負の流れをよまずに、先に動くことが、いかに危険なことか、嫌というほど思い知った瞬間だった。(以下、次節)
 2004年8月3日 (火) 勝負の流れ(後編)
 もちろん、僕は、勝負師などではないし、所詮、野次馬に過ぎない。
 だから、トルシエ監督や伊原監督や加茂監督を批判する資格はない。

 ただ、先発メンバーを固定するというジーコ監督の方針を批判するスポーツ・ジャーナリストを批判する資格くらいはあるだろうと思い、この小文を書いている。

『YAHOO! JAPAN sportnavi』のアジア杯関連企画で、宇都宮徹壱さんという方のエッセイが組まれている。
 なかなか共感できるところも多く、面白いエッセイだと思うのだが、ジーコ監督の先発メンバー固定が、よほどお気に召さないらしく、かなり皮肉っぽく指弾しておられるのが気になった。

 勝負の流れをよみ、ここぞというときに、半ば、必然性に突き動かされて動くことで、味方を勝利に導くやり方は、それほど不自然ではない。むしろ、常套手段である。
 そうした常套手段に感情的批判を加えても、益は薄い。
 そうした常套手段が、意味もなく軽視されているのなら、感情的批判も理解できるが……。

 いまのところ、ジーコ監督は結果を出し続けている。
 だから、宇都宮さんも、それ以上の批判は差し控えておられるようだ。
 賢明な判断といえる。

 勝負の流れをよむ。
 よみきらない限り、先には動かない。

 その当たり前のことに敏感なジーコ監督が、結果を出し続けていることは、僕の視点からみれば、至極、当然のことである。

 たしかに、ジーコ監督の戦略家としての手腕を疑問視する声は、傾聴に値する。
 しかし、戦術家としては、豊富な経験と希有の才能とをあわせもった人だ。
 戦術家として当たり前のことに敏感になっている指揮官を糾弾するのは、いかがなものだろう?
 少なくとも、結果が出てから、極めて控えめに指摘するくらいが、丁度よいのではないか?

 でなければ、当たり前のことをないがしろにするスタンドプレーばかりが時代を席巻してしまう。

 そういう風潮を、僕は好まない。
 2004年8月2日 (月) 松山の野菜カレー
 JR松山駅のカレー屋で食べた「野菜カレー」が忘れられない。

 先週の火曜日、祖母の納骨の法要のために、愛媛県宇和島市を訪れた。
 その途上、松山市に立ち寄る。
 15年ぶり、2度目の訪問であった。

 前回の訪問のことは、よく覚えていない。
 よい印象をもたなかったことだけは、たしかである。

 当時の僕は、岡山に移り住んで半年。
 父親の転勤に従って、意にそわぬ形で、住み慣れた千葉を離れたのが、何とも残念で、悔しかった。

 ――子は親に無条件で従うものだ。

 と、頭ごなしにいわれたことにも、腹を立てていた。

 そんな時分での家族揃っての松山訪問である。
 面白いわけがない。

 松山の各名所を訪れたが、何一つ、印象に残っていないというのが、正直なところだ。

 そんな嫌な思い出も、一遍で吹き飛んでしまった。

 それくらい、JR松山駅のカレー屋で食べた「野菜カレー」は、強烈なインパクトを放った。
 
 そもそも、皿の上の光景に圧倒された。

 ニンジンが、まるごと一本、入っていた。
 ジャガイモも、小振りなのが、まるまる一個、入っていた。

 おそらく、圧力釜などで、柔らかく、煮込んであったものである。
 いずれも、煮込み不十分の野菜に特有の臭みとは無縁であった。

 旨かった。

 視覚的にも、味覚的にも、満たされた。

 食の威力は凄まじい。
 たった一食で、その町のイメージをも変えてしまう。

 食の魅力が凄いのか、僕の食欲がいやしいのか?

 まあ、よい。

 僕は、元来、食には、いい加減であった。
 食えれば、どうだっていい、とさえ思ってきた。

 さすがに、三十路が近づいてくると、食にこだわる人の気持ちも、徐々に、わかるようにはなってきたが、自分の実感としては、まだ、本物ではない。

 とはいえ、人は、ときに、食を通し、己の心を耕すことができるのかもしれない。
 だとしたら、毎食毎食、一期一会の心境をもって、料理に接することの価値を、認めたくなる気がする。

 もっとも、いまの僕には、そこまで食にこだわる覚悟はない。
 もちろん、いつか、そうなる日が来たら、僕は、そんな自分を、容易に受け入れる気がする。

 食を侮るわけにはいかない。
 食い物の恨みは恐ろしい――などという。

 まったくもって、戯れ言などでは、断じてない。
 2004年8月1日 (日) マル太 管理人モード
 本日、仙台に帰ってきました。
 やはり、愛媛や岡山に比べれば、仙台は涼しいほうです。

 今回、ノートPCをもっていかなかった理由の一つは、「大王さま」でした。何をされるかわからないと思ったので……。

 もっていかなくて正解でした(笑)
 2004年7月31日 (土) 0−2からPK戦を制したエリートたち
 大王陛下は、本日も、お元気である。
 例えば、昼過ぎ、僕が出かけようとすると、

 ――ウウ、イエエ、ウウ!(余をおいていくでない!)

 と、床に背をお付けになり、ダダをおこねあそばされる。

 妹は、むやみに甘やかし申し上げたりはせず、しばしば思い切った諫言を申し上げるので、たまに御前に参上する僕などには、何かと御用事をお申し付けなさり易いようである。

 その後も、大王陛下のご機嫌は、すこぶる、うるわしくあらせられた。
 例えば、ティッシュ・ペーパーを、「ちぎっては投げ、ちぎっては投げ」なさり、部屋中をティッシュ・ペーパーだらけになさったり、

 ――オ……ア……ハイ!(抱っこをせい!)

 と、おっしゃったかと思うと、おつきの者の腕の中で、ブリブリと脱糞あそばされたりする。

 本日の大王陛下は、ときに大魔王陛下におなりであった。

「しょうがないよ。大王さまは偉いからね」
 と、僕がいうと、妹は、
「その『大王さま』の母親である私は、なぜ、一般庶民なのか」
 と、やや真剣に訝っていた。

 けだし、それが子育てというものなのである。

 さて、そんな妹と、久々にプロスポーツのTV観戦をした。

 ――まさか、0−2から盛り返すとはねえ。

 サッカー・アジア杯準々決勝・日本vsヨルダンのペナルティ・キック合戦(PK戦)である。
 アジア杯は、サッカーのアジアNo1を決める大会であり、日本は前回大会の優勝国である。
 サッカー・ファンの期待は大きい。

 しかし、連覇など、そうそうできるものではあるまい。
 準々決勝に進出しただけでも、凄いことではないか。

 日本は、どうもPK戦に弱いという印象がある。
 多分、シドニー五輪での記憶が鮮明なのだと思う。
 あのときは、手詰まり状態のなか、延長戦でも決着はつかず、PK戦にもつれ込み、そして、負けた。
 今回も、PK戦になれば負けそうな気がする。
 シドニー五輪のときと同じような「手詰まり状態」が感じられるからだ。

 そんな話をしていたら、本当にPK戦になった。

「あたし、PKになったら、みない」
 と、妹はいった。
 選手がボールを蹴るたびにドキドキするのが、しんどいからだという。

 日本側の中村選手とアレックス選手が最初の二発を外した時点で、

 勝負あり――

 と、僕は思った。妹も、そうだったと思う。

「まだ、わかりませんよ。あきらめてはいけません」
 と、解説者はいう。
 それはわかる。でも、僕らはあきらめた。だって、みているほうは、そのほうが楽だ。

 結果は、ゴールキーパーの川口選手のファインセーブが炸裂し、4−3で日本代表の逆転勝ち。

「僕は信じてましたよ」
 と、解説の人。

 たしかに、簡単にあきらめてはいけない。
 思わぬ形で、人生の勉強になった。

 もっとも、もし、僕らのリアクションが、ピッチの選手たちに伝わるんだったら、僕らだって、絶対にあきらめたりはしないだろうと思う。
 だって、そのほうが、楽だから。

 当事者は、物事の白黒がつくまでは、実は、あきらめないほうが楽なのである。しかし、傍観者は違う。早い段階であきらめるほうが楽である。

 そういう意味で、日本代表チームのTV中継の解説者は酷だ。
 多分、両者の中間に位置している。
 さぞ辛いことだろう。

 今夜のPK戦は、もちろん、大王陛下もご覧なっていた。
「大王陛下。もし、この選手が外しますと、日本代表チームの負けになるのです」
 と、御注進申し上げても、

 ――……。

 と、終始、無言。
 TV画面のほうを、じっと眺めておられるだけである。

 大王陛下は、TV観戦などという下賎な嗜みは、もたれないのだ。

 それは、それでいい。

 そもそも、大王陛下は生きることに非常に一生懸命であらせられる。
 一生懸命、お食べになり、一生懸命、お眠りになり、一生懸命、お笑いになり、一生懸命、お泣きになる。
 そこに、諦観などない。後悔などない。

 無心。

 まさに人の原像が、そこにはある。

 その「人の原像」が、今夜、0−2からPK戦を制した日本サッカー選手のエリートたちの姿に重なった。
 自分でも、妙なことをいっていると思う。しかし、たしかに、僕の中で、両者は重なった。

 人は無心になるのではない。
 多分、無心に帰るのである。

 無心に帰れる人は、強い。
 2004年7月30日 (金) ご飯粒大王陛下
 いま、岡山にいる。
 母のマンションから、車で15分ほどいったところのネットカフェからだ。

 火曜日は、朝一番の飛行機で、松山へ飛んだ。
 ただし、仙台-松山間は直通がないので、伊丹(大阪)で乗り継ぎ。

 松山からJRの特急に乗り換え、一路、宇和島へ。

 前回の宇和島入りは15年前。
 祖父の納骨だった。
 今回は祖母の納骨。

 そう。
 我が家のルーツは、愛媛県宇和島市にある。

 宇和島への特急で、伯父、母、妹、甥と合流。
 伯父は千葉から、母、妹、甥は岡山から。

「甥」というのは、妹の子で、今冬で2歳になる。
 しばらくみないうちに、随分、大きくなっていた。

 松山や宇和島の親戚たちと15年ぶりに再会。
 15年前、僕は高校1年。
 もちろん、親戚の顔は、まったく覚えていなった。
 挨拶のタイミングを失い、高校生っぽい応対に終始する。

 ちょっと反省……じゃない。
 かなり反省。

 寺で納骨の法要を済ませ、そのままJR宇和島駅近くのホテルへ。

 夕食時、甥がご飯粒大王と化す。
 自分の居場所半径50センチに多数のご飯粒を従えているのだ。もちろん、顔面にも……。

 妹によれば、甥は、つい最近、常食を口にできるようなった。数ヶ月前までは、刻み食や離乳食の類、その前は哺乳瓶である。
 大人と変わりない食事をはじめてからというもの、とにかく、食材を散らかす。うまく、食器が使えないのだ。
 ぎこちない手つきで、大量に飯を詰め込む。
 詰め込んでは、満面の笑みで勝ち誇る。

 食事時、ご飯粒大王陛下のご機嫌は、たいそう、うるわしい。

 ところが、次の日の朝、妹が、御身をお抱きかかえ申し上げているところで、

 ――ゲロゲロ、シャー。

 と、御内容物をお戻しになる。

 それはそれは、滝のような見事な御嘔吐であった。

 下々の者が後始末を仕る。
 お戻しになった大王陛下、さぞかし、お加減がすぐれないのであろうと思いきや、ケロッとなさっている。
 一応、大事をとって、その日、午前中いっぱい、ホテルで待機。

 ご飯粒大王陛下をお連れしての長旅など、するものではありませぬな、妹よ。

 岡山への帰途も、大王陛下のご機嫌は優れず、おつきの者(要は妹、母、僕)に、あれこれとお命じになる。

 せんべいがほしい。
 特急の客車は退屈じゃ。
 お茶がほしい。
 おもちゃ遊びの供をせい。

 もちろん、御年1歳の大王陛下は、僕たち下々の言葉は、お使いにならない。

 ――アア、ウウ、バア!

 と、のたまうのみである。その御詔勅を拝察申し上げ、しかるべき対処をとらせて頂くのである。

 宇和島-岡山間は特急で4時間。
 ラスト一時間が勝負。大王陛下のご機嫌が最悪になる時間帯である。
 ラスト15分で、大王陛下はおつきの者を足蹴にされた。
 そのラスト15分が待てずに、うっかり、大王陛下の御足に御靴をお履かせ申し上げてしまったので、さあ、大変。
 おつきの者のズボンが、泥埃で汚れた。

 それでも、赤ん坊は可愛いのである。

 何でだろう?

 不思議だ。
 不条理ですら、ある。
 2004年7月27日 (火) マル太 管理人モード
 今日から、今度の日曜日まで、仙台を留守にします。

 今回は、わけあって、ノートPCも持っていきません。
『道草日記』は、しばらく中断です。

 例によって、旅先で端末をみつけたら、打ち込みます。
 ときどきフォローしていただければ、幸いです。
 2004年7月26日 (月) おバカな犬
 携帯電話の機種交換をしようとして、やめた。

 理由は色々あるが、一番、大きな理由は、思いきり私的な理由だと気付いた。交換する前に気付いて、よかったかもしれないと思う。

 僕のいまの携帯電話は2000年の夏に購入したものである。
 2000年の一月に購入したものを、研究室の年度始めの掃除のときに壊してしまった。それで、急きょ、買え変えたものが、現在も手元にある。

 携帯電話(PHS)が、かなり普及しても、僕は、かたくなに拒み続けた。
 電話のヒモ付きになるなんて嫌だね、と思っていた。

 それが、持たざるを得なくなったのは、父の病気がわかったからである。

 父が末期の癌だとわかったのが、2000年の1月だった。
 身内に根治不能の病気がわかると、家族はドタバタする。

 ――これからは、こまめに連絡しないといけないから、携帯電話をもちなさい。

 と、母からいわれ、僕は、とにもかくにも、携帯電話のショップに走った。

 だから、僕の携帯電話は超旧式である。
 2000年の段階で、すでに旧式だったはずである。それなのに、立派に電子メールも打てるのだから、凄い。

 その超旧式の携帯電話の待ち受け画面に、すんげえ不細工な……じゃなかった、すごく可愛らしい犬が登場する。

 おバカな犬だ。
 キャンキャンいいながら、画面のなかを、所狭しと駆けずり回っている。
 もちろん、本当に「キャンキャン」いうわけではない。なにしろ、5、6年前の機種である。

 その犬をみて、病室の父は、少年のように笑った。

 ――なんだ、これ、おもしれえな……。

 何が面白いのか、全然、わからなかった。
 が、本当に面白そうに犬をみているので、僕はそのままにしておいた。

 その2年後に父は死んだ。

 いまでも、その犬は、僕の携帯電話の待ち受け画面を、コロコロと遊び回っている。

 やれバレンタインデーだ、やれ子供の日だと理由をみつけて、画面のなかで、無意味に、キャンキャン、騒いでいる。

 実をいうと、いまでも、父が、なぜ、この犬に、そこまでオカシミを覚えたのか、わからない。

 だから、いまも、この携帯電話を手放すに気になれないのか?

 ――そんなバカな……。

 と、思ったが、案外、そうなのかもしれない。

 こういうことは、一度、気付くと、なかなか頭から離れない。

 とりあえず、携帯電話の機種交換は、来月以降に延期することにした。
 2004年7月25日 (日) 色々なことをし忘れた日
 今日は、色々なことをし忘れた日であった。

1)返すべきレンタルビデオを返し損ねた。
2)携帯電話の機種変更をする予定が、ショップに行き損ねた。
3)リンスがきれていたのに、買いに行き損ねた。
4)今日までに仕上がるはずの夏物の礼服を引き取りに行き損ねた。
5)部屋の掃除をし損ねた。

 5)は故意である。念のため。

 1)〜5)をしないで、何をしていたのかというと、マミリマガワさん(仮名)と2時間程、喫茶店でお喋りをした。

 マミリマガワさんは、大学3年生の女の子――
 お歳は伺っていないが、多分、僕より十は若い。

 去年、英会話教室で知り合った。
 ときどき、教室の皆で、飲みに行くことがある。その席で、よくご一緒していた。

 昨日、携帯電話にメールをくれた。
 来月からイギリスに留学にいかれるのだそうである。
 期間は10ヶ月――

 僕が、明後日から、しばらく仙台を留守にするので、今日を外すと、お話をする機会がない。
 壮行の意味もこめて、今夕、お茶にお誘いした。

 留学は、
「何となく……」
 で、きめられたのだという。
「『何となく』……ですか? 凄いですね」
 と、僕は応じた。

 豪気な方である。

 僕は、特に留学したいとは思わない。
 幼少時に、なまじ、海外経験をしているので、
(海外生活なんて、苦しいだけ……)
 という思いが、拭いがたい。

 大学時代や大学院時代の知人には、何人も留学した人たちがいる。あるいは、留学している人たちがいる。
(お前は留学しないのか?)
 と、かきかれる度に、曖昧に誤摩化してきた。

 本音は、

 ――留学なんて、ケッ!

 である。

 とはいえ、留学したいと思う気持ちは、わからないでもない。やはり、外の世界は、一度は、みておきたいものだろう。僕とて、幼少時の海外経験がなかったら、いま頃、
(留学したいよー)
 と、思っていたかもしれない。

「最初は楽しみだったんですけど、段々、イヤになってきたんですよね」
 と、マミリマガワさんはいった。
「わかる、わかる……」
 と、僕は相槌を打った。

 僕も、例えば、海外の学会などにいくときは、日にちが近づくに連れて、次第に、億劫になっていく。
 ピークは、日本を発つ直前……。
 空港の出発ロビーで待っているあたりが、一番しんどい。
(いきたくないよー)
 と、心の中で、わめいている。

 一旦、離陸してしまえば、楽になるのだが……。

 人間、追い込まれるまでは、弱くて、脆い。
 背水の陣を敷きたくなった漢の将軍・韓信の気持ちは、よくわかる。

 ――留学、楽しみでしょう?

 と、きかれるのが、何より辛いのだと、マミリマガワさんはいった。
 好んで留学を志望したのだから、当然、留学を楽しみにしていると、周囲は思うものらしい。
「本当は、イヤになっているって、なかなか、いえなくて……」
 と、マミリマガワさんは笑った。

 まあ、そうですよね……。

「特に頑張ろうとしなきゃいいんですよ。イギリスで、10ヶ月間、ブラブラしてくる……くらいの気持ちで、いかれたらどうです?」
 と、いい加減なことをいった。

 ちょっと反省。

 最後に、
「今日は、本音でお話できてよかったです」
 と、おっしゃってくれた。
 何だか、こちらも救われた気分。
 薄汚い格好で、ノコノコと出かけていったかいがあった。

 イギリスでのご健闘を、お祈りしたいと思う。
 2004年7月24日 (土) 今日も議論は7月22日に帰っていく
 映画にいってきた。

 最近、月に一度くらいのペースで映画にいくのが、慣例になっている。毎回、ミヤーンさん@ツーフォトンくん(仮名)が誘ってくれる。

 ミヤーンさん@ツーフォトンくん(以下、ミヤーンさん)は、僕が去年まで所属していた研究室の後輩だ。
 学年は3つ違いで、歳は1つ違い。高校卒業後、社会人生活を経て、大学に進学した。異色の経歴の持ち主だ。

 僕は映画は好きではない。
 それでも、ここ何ヶ月か、定期的に映画館に通っているのは、やはり、映画人にも、物語の担い手として、大いに頑張ってもらいたい、という気持ちがあるからだ。

 映画の、物語の担い手としてのパワーは、絶大だ。
 ある作家さんが、どこかに書いておられた。
 例えば、舞台の芝居などで語られる物語は、最初から作りモノとして観賞されるが、映画で語られる物語は、現実に起こり得るモノとして観賞される。
 ただし、アニメ映画は例外――

 今日、みてきたのは、そのアニメ映画である。

 ――『スチームボーイ』。大友克洋さんの監督作品である。

 19世紀のイギリスが舞台だ。
 蒸気機関が産業の中心だった時代――

 アニメ映画の人たちは、例えば、蒸気機関のディテールの描き込みには、相当の熱意をこめられるらしい。
 絵のことはよくわからないが、少なくとも、ミヤーンさんは、絵がよかったとコメントし、僕も反対はしなかった。

 しかし、物語のほうは、いま一つ。

 蒸気技術に代表される科学と、軍事産業や国家権力に代表される社会との相克を論じているのだが、そうした図式自体、手垢がついている。
 何よりも気になったのが、

  科学 = 科学技術 technology ≠ science

 という文脈で物語が語られること。

 大学院一年目の夏に、国内の科学専門誌に、日本では、science と technology とが混同される傾向にあると投稿したところ、

 ――科学と科学技術とを分断したい気持ちはわかるが、それは幻想だ

 と、編集者から反論された。

 どう幻想なのか、その編集者からのメールではわからなかったが、おそらく、科学の発展は科学技術の発展を必然的に引き起こすから、というのが、その理由だろう。

 しかし、待って欲しい。

 科学とは英語の「science」の訳語だが、そもそもは「知ること」が原義である。
「世界の理を知ること(科学)」と、「知ったことを利用して社会に利益還元をすること(科学技術)」とが、なぜ、同一なのか?

 おそらく、「世界の理を知ること」の営みの実態を知らない人が、両者を混同するのだと思う。

 ――そんなことはない。例えば、アインシュタインの理論は原子爆弾を生み出したではないか! そして、アインシュタインは、そのことに心を痛めていたではないか!

 ……という人があるかもしれない。

 たしかに、アルベルト・アインシュタインは、一見、科学技術者としての顔をもっていた。
 晩年のアインシュタインは、核兵器廃絶運動にも尽力した。それは、自分の理論が、核兵器開発という科学技術を呼び込んでしまったことを反省したからだと伝えられる。

 しかし、アインシュタインのもたらした知は、社会に様々な恩恵をもたらしていることも事実である。

「知ること」に悪の要素が入り込む余地はない。人類が知ってはならないことなど、存在しない。
 むしろ、知ることのできるものは、すべて、十分に知っておく義務がある。
 知ることと、知ったことをどう利用するかとは、別次元だ。

 世の中には、よく知っているがゆえに、敢えて実行に移さない、ということが、いくらでもある。
 むしろ、危険な営みは、無知ゆえに起こる。

 アインシュタインの晩年の平和活動は、科学者としての活動であり、科学技術者としての活動ではない。科学者の立場から、各兵器開発に突っ走った科学技術者の無知を批判したものである。
 自身にも責任があるように振る舞ったのは、むしろ、政治的判断ではなかったか。自分のことは棚にあげて……などと思われるのは損な話である。

 僕らは、アインシュタインの責任を問うべきではない。それは、むしろ、人類の無知を促進することになりかねない。人類の無知が、社会を悲惨な末路に導く。
 中途半端な知が、科学技術がもつ負の刃を、社会に突き付けるのだ。

『スチームボーイ』は、そんな科学論の文脈を、まるで無視しているように思えた。

 もったいない。
 もっと深みのある物語が描けたものを。

 しかし――

 思い出して欲しい。7月22日の日記を。
 他人の仕事の欠点は、みえやすいものなのである。

 今日も議論は7月22日に帰っていく。

 この問題、いったい、どうやって解決すればいいのだろうか?
 2004年7月23日 (金) 1995年の小泉さん
 この人が、最初に自民党の総裁選に立候補したとき、まさか、本当に総理大臣になるとは思っていなかった。
 1995年の自民党総裁選である。

 当時、「プリンス」と称されていた橋本龍太郎さんとの一騎討ちに破れた小泉純一郎さんは、例えば、自民党小数派閥を率いた河本敏夫さんと同じように、大衆の記憶に残るような政治家になることはなかったはずである。

 そんな昔話で始めたくなったのは、チェ・ジウさんが来日したからである。御存じ、韓国ドラマ『冬のソナタ』のヒロインを演じた女優さんだ。

 僕は『冬のソナタ』はみていない。
 コラムニストの天野祐吉さんが、『CM天気図』の中で、テリー伊藤さんのコメントを紹介している(7月22日付朝日新聞)。テリーさんによれば、『冬のソナタ』の人気の秘密は、

 ――コロッケとか肉じゃがの人気に近い

 ……のだそうである。
 たしかに、DVDの表紙に移っているチェ・ジウさんの表情は、いかにも純和風の「コロッケ」や「肉じゃが」を彷佛とさせる。
 もちろん、普通にプロフェッショナルに美しい人だとは思うが……。

 そのチェ・ジュさんと、すっかりご機嫌に握手をかわした小泉総理の様子が、TVのニュースなどで流れた。

 あの小泉さんは、多分、1995年の小泉さんとは、別人である。

 僕は、総理になってからの小泉さんも嫌いではない。
 自分の言葉でモノを語れる希有な政治家として、とても好意的に受け止めていた。
 しかし、それとは別に、政治家としてのスタンスには賛同できないところがある。だから、僕は、現政権を支持するつもりはないのだが、それでも、小泉さんのキャラクターを貶める気は、さらさら、ない。

 ただ、あのチェ・ジウさんとのパフォーマンスは頂けなかった。
 今回に限ったことではないのだが、一国の総理としての驕りが、すっかり表に出てしまっているように感じる。
 相手は韓国を代表する女優さんなのだろうから、もう少し、下手に出たほうがよかった。
 1995年の小泉さんなら、そうしていたような気がする。

「思ったより気さくな方でした」
 というのが、チェ・ジウさんのコメントだそうだが、要は
「馴れ馴れしかった」
 ということではなかったか?

 チェ・ジウさんは、『冬のソナタ』とは全く違ったメイクで、いわゆる韓流女優の「キリリ美人」に変身していた。
 小泉さんは、そんな「キリリ美人」に、すっかり子供扱いされていたように思える。

 ――このオジさん、思ったより大したことないわね。

 僕の思い過ごしだろうか?
 2004年7月22日 (木) 他人の仕事は
 他人の仕事は、長所がみつけにくく、短所はみつけやすい。
 自分の仕事は、短所がみつけにくく、長所はみつけやすい。

 この大問題をどうするか?
 最近、悩み始めている。

 昔は、舌鋒鋭い批判が大好きだった。
 他人の仕事をコテンパンにやっつける批評をみて、自分もスカッとすることに、何のためらいもなかった。
 とくに、何となくは違和感を覚えたけれど、うまくは言葉にできないで、ムシャクシャしていたときなどは、なおさらである。

 しかし、これは、まずい。

 そもそも、人の仕事のアラはみえやすい。
 だから、そういうスタンスの批評は書きやすいのである。

 そういう批評をかいたり、みたりして、スカッとするのは勝手だが、そういう批評に絶対的な価値を置くことは間違っている。

 でも、いくらみえやすいとはいえ、誰かが、それを声高に叫ぶことは大事である。
 裸の王様を称して「裸の王様」と断定することは、卑下されるべきものではない。
 裸でいる王様をみて、一切の指摘をせず、
「まあ、人の失態は、みればすぐにわかるからね」
 と、高みの見物を決め込んでいるのも、タチが悪い。

 要は、人の仕事を評価するときは、その人の仕事をよりよくするための評価でないと意義が薄いということである。
 とくに、その人の仕事をマイナスに評価するときほど、そうである。

 では、どうすれば、その仕事はもっとよくなるのか?
 そこに、建設的な提言が盛り込まれていなければ、マイナスの評価は単なる悪口に成り下がる。

 しかし、人の仕事に対する建設的な提言など、簡単にできるものではない。その仕事については、間違いなく、批評者よりは本人のほうが詳しく知っているし、思い入れもあるし、こだわりもある。
 そんな本人が有り難く思うような提言など、そもそも可能なのか?

 徹底的に、本人と話し合う必要がある。
 仕事そのものだけでなく、その仕事の背景に隠されているものも含めて、徹頭徹尾、把握する必要がある。
 そうでないと、建設な提言など、夢物語だと思うのだ。

 そこまでいったら、批評者じゃなく、共同作業者だよね。

 ――批評は難しい。

(この世に批評なんて、なければいい……)
 そう思うこともある。
 しかし、まったく批評がない世界も、恐ろしい。

 どうやって、バランスをとるべきか。
 結論は出そうにない。

 一ついえることは、批評を絶対視しないこと。
 所詮、批評とは、行為の実践よりは簡単なのだと、認識することである。

 でも、批評だって、真剣にやれば、難しいよなあ。

 とにかく、安易に批評してはいけない。
 いつか、自分に返ってくる。
 2004年7月21日 (水) 安易なお説教
 用事があって、紳士服専門店に入ったら、携帯電話が鳴った。
 正確には、振えた。
 僕の携帯電話は、いつも、バイブ・モードにしてある。

 もし、街頭だったら、迷わず、出ていた。
 もし、電車の中だったら、迷わず、出ていなかった。

 しかし、店の中というのは、なかなかに判断しずらい。
 もし、デパートやスーパーの中で、周囲が程よく混雑していたら、出たかもしれない。
 混雑していなかったら出ない……かな。

 今日のように、紳士服専門店だと、判断に迷う。
 結局、出なかった。
 理由は、うまく説明できない。

 基準は、空間的広がりであろうか?
 でも、それだけでないのは、明らかだ。
 例えば、空いているときのデパートやスーパーが説明できない。

 もちろん、混雑具合だけでも、不十分である。
 例えば、満員電車が説明できない。
 むしろ、他に乗客がいなければ、電車の中でも、電話に出るかもしれない。

 携帯電話に出るか出ないかの基準は、酷く複雑怪奇といわざるを得ない。
 多分、人によっても違うだろう。

 昔、携帯電話(PHS)が出始めの頃、

 ――みんなを電話にする会社。

 ……みたいなコピーがあったと思うが、たしかに、いま、僕らは、電話になっている。

「みんなが電話になった」ことで、得たものもあれば、失ったものもある。
 しかし、僕は、人や社会が変わるということに、ポジティブな意味も、ネガティブな意味も、含ませたくはない。
 ただ、変わった――それだけである。

 いま、TVをつけていたら、テリー伊藤さんが、電車の中で携帯電話のマナーを説いていた。
 携帯電話会社の啓蒙CMだ。

 この手のCMには違和感がある。

 もちろん、テリーさんの本心はわからない。契約通りにパフォーマンスをしている可能性もある。
 だから、このCMの作り手に対する疑問として、投げかけよう。

 携帯電話のマナーというのは、いったい何なのか?

 例えば、空いている電車の中で、僕の携帯電話が鳴ったとしよう。
 僕は、多分、その電話に出ない。
 自分一人で携帯電話に向かって喋るのを、他の乗客にみられるのが恥ずかしいからである。
 決して、マナー違反だから、ではない。
 つまり、こういう状況で、他の人が携帯電話に向かって喋り始めても、僕は、マナー違反だとは思わない。
 実際、それほど迷惑でもない。
 もし、あれが迷惑なら、乗客同士の会話だって、迷惑である。

 では、満員電車の中で鳴ったらどうか?
 そりゃ、出ないに決まっている。
 もちろん、マナー違反だからだ。
 しかし、これは特に携帯電話のマナーということではない。
 携帯電話であろうと、なかろうと、満員電車の中で何か話をすることがマナー違反だと思うからだ。

 要するに、携帯電話のマナーって、何なのさって話――

 本当は、そんなものは、存在しないのではないか、というのが、僕のいいたいことである。

 満員電車の中で携帯電話に出る人は、満員電車の中で連れの乗客に話し掛けるだろう。
 空いている電車の中で携帯電話に出られる人は、空いている電車の中で屈託なくお喋りに興じることができる人だろう。

 携帯電話は、たしかに、僕たちの生活を変えた。
 コミュニケーションの基本概念も変えた。
 しかし、マナーの本質まで変えたとは思わない。
 何か未知のマナーをもたらしたとも思わない。

 テリ―伊藤さんが出演する携帯電話会社のCMに違和感を感じるのは、多分、このCMのメッセージに、熟慮の痕跡がみられないからである。

 ――もしかして、結構、安易に作ってないかい?

 この世に、安易なお説教ほど、聞き苦しいものはない。
 2004年7月20日 (火) 39度をこえたって……
 今日は暑かったそうである。
 仙台は、曇天だったということもあり、それほど暑くはなかったが、夕方のTVニュースをみて、全国的な酷暑だったことを知った。
 39度をこえたという。
「異常気象」だそうである。

「異常気象」が取り沙汰されるとき、大抵、議論になるには、環境破壊である。
 つまり、人間の活動が地球環境に悪影響を及ぼし、そのひずみが「異常気象」となって表れているのではないか、という議論である。

 子供のころ、地球温暖化は、人間が排出した二酸化炭素が原因だと習った。
 しかし、実は、現在、想定されている地球温暖化のメカニズムは、多分に状況証拠を含んでいる。つまり、経験科学的に完全に証明されたメカニズムではないということである。
 少なくとも、僕が高校を卒業した頃は、そうであった。
 
 その後、地球温暖化のメカニズムがどのように加筆されたかは知らないが、おそらく、科学の世界に完全ということはないので、現在でも、

  大気中の二酸化炭素濃度の上昇→地球上の平均気温の上昇

 というストーリーには、ある種の推論が盛り込まれているはずである。

 ちなみに、「大気中の二酸化炭素濃度の上昇」や「地球上の平均気温の上昇」は、おそらく、経験科学的に全く正しい。「ある種の推論」というのは「→」に込められている。

 例えば、Aという出来事が起こり、次いで、Bという出来事が起こったとする。一見すると、Aが原因でBが結果だと思われるが、それは単なる推論に過ぎない。それが推論でないことを示すには、実際に人工的にAを起こし、本当にBが起こるかどうかを確認すればよい。つまり、実験である。

 しかし、そうした実験ができなければ、議論は推論のレベルで終わりである。

 地球温暖化についていえば、実際に人工的に「大気中の二酸化炭素濃度の上昇」を起こし、本当に「地球上の平均気温の上昇」が起こるかどうかをみる実験は、とても現実的なプランではない。だから、推論のレベルで終わらざるを得ない。

 状況証拠は揃っている。だからこそ、多くの科学者が、「大気中の二酸化濃度の上昇」が「地球上の平均気温の上昇」を引き起こしていると考えることに違和感をもっていない。僕も、そうである。

 でも、大切なのは、これな推論にすぎないという自覚である。

 僕は、心のどこかで、たかが人間ごときチッポケな存在が、本当に地球環境に影響を及ぼし得るのか、懐疑的である。
 人間って、そんなにすごい存在かな?

 だから、僕は「地球にやさしい」というフレーズは好きになれない。人間は驕っているだけかもしれないと思うからだ。

 もちろん、二酸化炭素の排出は抑制したほうがよい。
 例えば、二酸化炭素の排出が地球温暖化をもたらしている証拠はないから、二酸化炭素は、じゃんじゃん排出しよう――という主張は、お気楽に過ぎる。
 たしかに、二酸化炭素の排出は地球温暖化に関係ないかもしれないが、関係あるかもしれない。もし関係があったときに、後悔するのはアホなので、大事をとって、二酸化炭素の排出は抑制したほうよいに決まっている。

 そういう社会的、政治的な判断とは別に、地球温暖化のメカニズムは既成事実ではないという意識をもっておくことも重要ではないか。

 気温が39度をこえたぐらいでヒステリックに「異常気象」と叫ぶマスコミをみていたら、何だか、少し、不安になった。
 2004年7月19日 (月) ときには小説ネタもエッセーで
 よせばいいのに、回転寿司屋に入った。
 仕事帰りに、である。

 なぜ、「よせばいいのに」か、というと、僕の場合、一旦、回転寿司を食べ始めると、食べ終えどきというものを見失うからである。
 目の前に食べ物がある限り、どこまでも食べ続けてしまう。

 ――というわけで、食べ過ぎてしまった。
 まあ、ストレス解消にはなったから、いいか……。

 子供の頃から、太りやすい体質だった。
 心配した母親によって、常に摂食制限をかけられていた。
 たしかに、それがなかったら、僕は間違いなく、肥満児になっていた。

 後遺症は、いまでも残っている。
 腹八分目で食べ終えるクセはついたものの、その分、食事の度にストレスを溜め込む気質になってしまった。
 だから、溜まったストレスが溢れ出すと、一気に「ドカ食い」をする傾向にある。

 いや。そんな話は、どうでもいい。

 今日、回転寿司の話をしようと思ったのは、不思議な二人連れをみかけたからである。

 仲良く、回転寿司のカウンターに座っている。
 一人は50代の男性。Tシャツに野球帽というラフな格好。
 もう一人は20代の女性。ライトグリーンのカーデガンに白いブラウス。

 女性は、いまにも男性に寄り掛からんばかりに身を乗り出し、微笑みかけている。ときどき、頬杖などをついて、男性の横顔を伺っている。

 ――単なる不倫カップルじゃーん!

 と、思うなかれ。

 この二人、明らかに親子である。
 顔がそっくり。
 男性の顔を若返らせ、当世風に可愛らしくしたら、その女性の顔になる。

 まず、親子だろう。
 あんなに似ていたのだから……。

 娘をもたない男にとって、父娘関係というのは、いかんとも想像しがたい。

 娘って、父親にあんな態度をみせるものなのか?
 女性が男性に、あんな態度をみせていたら、普通は恋人同士とみるのが自然である。
 でも、二人の顔は、そっくり……。
 何とも、不思議な感覚だ。

 お父さん、楽しそうだったなあ――
 うらやましい。

 もっとも、仮に僕にも、30年後には、あんな年頃の娘がいたとして、一緒に御飯を食べにいくことになったとしても、Tシャツを着て、野球帽をかぶって、娘を回転寿司屋に連れていく、ということは絶対にしないと思うのだが、でも、正直、あのお父さんが、ひどく、うらやましかった。
 その娘さんが、化粧っけもないのに妙に綺麗だった、ということもあるかもしれない……。

 いったい、どういう経緯で、回転寿司屋に入ることになったのだろう?
 想像は尽きない。
 小説の一編や二編は書けそうである。

 でも、小説にはしない。

 かつて、作家の田辺聖子さんは、やはり作家の宮本輝さんを評し、

 ――小説の素材を、惜しげもなくエッセーに書いてしまわれる

 と、嘆じておられた(宮本輝著『二十歳の火影』講談社文庫、解説)。

 たしかに、宮本さんのエッセーは小説筆致で瑞々しい。
 これが小説に化けたら、さぞかし凄い作品になるだろうと思われるものばかりである。

 でも、それらを小説にしなかった宮本さんの気持ちも、何だか、わかる気がする。
 一見、小説のネタにうってつけの素材というのは、かえって小説にしないほうがよいのかもしれない。
 小説に加工する間に、鮮度が失われてしまうからだ。

 こういう話は、生のままだから面白いのではないだろうか?

 今日、回転寿司屋で不思議な親子連れをみたときに、僕は、その思いを新たにした。
 2004年7月18日 (日) みんなと同じという喜び
 明日は仕事で早起きをしないといけない。
 なのに、やけに賑やかな夜だなと思っていたら、世間は明日まで三連休なのだった――

 いいなあ。

 もちろん、自分で自分のスケジュールを、ある程度、コントロールできる僕は、かなりの幸せ者だと思う。
 毎朝、決まった時間に起き、決まった時間に仕事に出かけ、決まった時間に家に帰ってき、決まった時間に寝なければならない人に比べれば、ずっと幸せに決まっている。

 僕が、
「いいなあ」
 と、思うのは、世間と同じスケジュールで動ける喜びみたいなものだろうか?

 そんな喜びがあるのかって?

 どうやら、失ってみるまでは、わからないものらしいが、
(たしかに、ある)
 というのが、僕の見解――

 みんなと同じ時間に起き、みんなと同じ時間に仕事し、みんなと同じ時間に眠る。
 安心感のようなものか。

 考えてみれば、小学校以来、僕たちは、学校というところで、みんなと一緒に行動することをしつけられていたわけだ。
 その頃の原体験が、この安心感の源なのかもしれない。

 しかし、さらによく考えてみたら、みんな、同じ時間にきて、同じことを勉強して、同じ時間に帰っていた生活というのは、ある意味、無気味だった。
 全員の年齢が一歳違いでおさまっているというのも、無気味である。
 もう少しバラついていてもいいよね。

 しかし、しみ込んだ原体験は、簡単には拭いとれない。
 だから、みんなと同じように行動すると、喜びみたいなものを感じてしまう体(頭?)になってしまった。

 別に、それがいいことだとか、悪いことだとかは、思わない。
 いまさら過去はいじれないので……。

 いま、小学校時代に戻るとしたら、どういう生活がいいだろうか?
 一人ひとりは全然違うってことが、ありありとわかる生活がいいかもしれない。

「タカタくんは、いつも三時間目から来てるよね」
「ヨシコちゃんなんか、昼休み終わってからくるよ」
「朝、起きれないから、しょうがないよね。その代わりに、夜まで学校にいるみたいだよ」
「そうか。いいな。僕もそっちにしようかな」
「俺は、朝四時からの授業がいい!」

 ……みたいな小学校だったら、楽しいだろうな。

 先生は、何人いても足らないが。
 2004年7月17日 (土) 「隠し味」のフィクション
 最近、学術っぽい原稿と格闘しているので、「物語ネタ」が思いつかない。

 先日、自分を「物語おじさん」かと、いぶかったこともあったが、そんな僕でも、頭の中がノンフィクションばかりで埋まっていると、意外と「物語ネタ」は出てこない。

 もちろん、随所で指摘されているように、実は、フィクションとノンフィクションとは、そんなに明瞭に区分けできるものではない。

 ノンフィクションのコンテンツであっても、一旦、言語化ないし映像化してしまうと、そこに、わずかなフィクションがまじる。
 その「わずかなフィクション」というのは、結局、ノンフィクションのコンテンツを、わかりやすく伝えるための隠し味なのだが、案外、この「隠し味」に無頓着な人が多い。
 ノンフィクションだろうと、フィクションだろうと、過去に、徹底して表現者たろうとした経験のある人なら、すぐにわかってくれることなのだが……。

 一時期、TV番組の「やらせ」が問題になったことがあった。
 最初から100%「やらせ」であると宣言しているドラマなどを別にすれば、「やらせ」は慎むべきものであろう。誰しも、ニュース番組やドキュメンタリー番組に「やらせ」は期待していない。

 しかし、これっぽっちの「やらせ」のないTV番組というのも、多分、面白くない。
 例えば、ある有名人の一日を追うドキュメンタリー番組だとして、その有名人にピタリと張り付き、その身辺で起こったことを24時間録画し、24時間放映したとしても、大部分は退屈なだけである。
 だから、面白いところだけをピックアップするわけだが、でも、実際には、24時間の大部分がつまらない時間なわけで、そのつまらさなが、その有名人の一日の本質だともいえる。

 まあ、その程度のささやかな操作を称して「『隠し味』のフィクション」と呼んでいるわけだが、なかなかどうして、この「隠し味」は重要である。

 文章に話を戻そう。

 昔、大学受験生の小論文を指導したことがある。いまも、時々、指導している。
 面白い文章を書く人というのは、この「隠し味」の功罪をよく知っている人である。
 逆に、この「隠し味」に疎い人は、本当につまらない文章を書く。平気で、書いてしまうのだ。

 そういう人に、なんといって指導したらよいか?
 これが難しい。
 いくら面白い文章をみせても、「隠し味」は伝わらない。

 まさか、「やらせ」をしろ、ともいえないし……。

 結局、面白い文章を書くということが、世の中を生きていく必須条件というわけではないので、そんなことは気にしないのが一番だと思うようにしている。
 そもそも、ある人が面白いと思った文章であっても、別の人が面白いと思うかどうかは、大いに怪しいのだし……。

 というわけで、僕は、大学受験生の小論文を指導するときは、
「とにかく、たくさんの日本語を書こう」
 としか、いっていない。
 他に、伝えるべきことはないように感じられる。

 もしかしたら、文章を書くという行為は単なる芸なのだと思いたいだけなのかもしれない。
 2004年7月17日 (土) マル太 管理人モード
 仙台に戻ってきました。
『道草日記』再開です。

 7月15日執筆分を追加します。
 2004年7月17日 (土) どうしようもない理不尽
(2004年7月15日、記)

 新潟県を中心とする集中豪雨のニュースが報じられている。
 TVや新聞などで、被害状況をみていると、世の中にはどうしようもない理不尽が、たしかに存在するのだということを、しみじみと思った。

 畳の上に、土砂が降り積もっている。
 ソファやテーブルや椅子が、泥をかぶっている。
 グラスや茶わんや皿が、床に散乱し、泥水に浸かっている。

 これ以上にないくらい、散らかっている。

 実は、僕の部屋も散らかっている。
 僕の自宅は1Kのアパート――
 消防の点検のため、半年に一度くらい、検査員の人が、部屋に入ってくる。あまりに散らかっていて、いつもの状態をみせるのは気が引けるので、毎回、その日が近づくと、重い気持ちで、部屋の後片付けに取りかかる。

 最高に憂鬱である。

 しかし、新潟や福島で被害に遭われた方々の憂鬱は、こんなものではあるまい。

 僕の部屋が散らかったのは、自分のせいである。
 しかし、今回、被害に遭われた方々の部屋が散らかったのは、ご自分たちのせいではない。
 それなのに、散らかり方は、多分、僕の部屋の数倍はひどい。
 僕の部屋は、泥水や土砂をかぶっていない分、後片付けは楽である。

 泥まみれに荒れ果てた部屋の中で、
「私らだけじゃ駄目だ。親戚を呼ばないと」
 と、虚脱していた中年男性の顔が忘れられない。

 人には、ときに、どうしようもない理不尽が襲い掛かるのだということを、改めて思い知る。
 次が我が身でないと、どうしていいきれようか。

 そんなことを考えると、気が重くなった。

 こういう理不尽な目に遭わずに、天寿を全うする人は、どれくらい、いるのだろうか?
 そういう統計値があれば、是非、みてみたい。
 そんなに多くはないと思うのだが……。
 2004年7月14日 (水) マル太 管理人モード
 管理人・マル太です。

 今日も(あるいは、今日は)『道草日記』をご覧頂き、ありがとうございます。

 本日から、仕事で4日ほど、仙台を留守にいたします。
 ネットのつながらないところに参りますので、『道草日記』は、今度の週末まで、しばらくお休みです。

 もしかしたら、ネットカフェ等をみつけて書き込むかもしれませんが、スケジュールを考えると、ちょっと苦しそうです。

 ノートPCはもっていきますので、明日や明後日の『道草日記』を残しておくことは可能です。帰ってきてから、追加更新をするかもしれません。

 今後も、よろしくお願いします。

 ご意見、ご感想は、ゲストブック(ちょっと不便ですが)やメールまで、お気軽に――
 2004年7月13日 (火) 古典的マンガ観は根強い
 最近の大人は、平気でマンガを読んでいる。
 もっと面白いものをみつけていてよいはずなのに、なぜ、いまだにマンガを手放せないのか?

 ……という意見を、耳にすることがある。

 どうも、

  マンガ=子供の娯楽

 という図式が、崩せないようだ。

 そのようなステレオタイプな古典的マンガ観からは、いい加減に、解放されたいものである。

 もちろん、現代においても、子供の娯楽に徹してるマンガは、たくさんある。
 それは、それでよい。

 僕がいいたいのは、マンガという表現手法に、子供の娯楽以上の可能性が見い出されて久しいのに、なぜ、その示唆が広く社会に浸透していかないのか、ということである。

 もしかしたら、まだ、そうしたマンガの可能性を十分に示唆するだけの傑作が、出ていないから、なのかもしれない。

 ただし、この問題に関しては、世代間の格差が大きいような気もする。
 30代ぐらいまでの人では、マンガの芸術性を無視しようとする人は、ほとんどいない。
 マンガを積極的におとしめようとするのは、40代以上の人に多い。
 多分、真に良質のマンガ作品に触れていないからであろう。

 今日、日本のマンガについて、英語でディスカッションする機会があった。その中で、

 ――電車の中でマンガを読んでいるサラリーマンは、intellectualにみえない。

 という発言が飛び出し、暗澹とした気持ちになる。
 発言者は日本人。みたところ、40代より上の世代だった。

 いいたいことはわかる。
 でも、ちょっと待って欲しい。
 多分、現代の日本のマンガは、あなたが子供時代に知っていたマンガではない。
 僕らだって、昭和30年代のマンガは退屈だ。

 どうしたら、現代のマンガのレベルの高さを、上の世代にも、わかってもらえるのだろうか?

 いまのところ、時代を突き抜けた大傑作が生まれるのを待つ、ということ以外に、これといった妙案はない。
 2004年7月12日 (月) 「おぼっちゃん」
 高校入試の勉強をしているときに、国語の問題を解いていて、次のような文章に出会ったことがある。

 ――日本という国は、おぼっちゃんである。こういうと、多くの日本人は、怒るかもしれない。しかし、そのことが、何よりの証拠なのである。おぼっちゃんである者ほど、そう指摘されると怒る。

 中学生のときに使っていた問題集など、どこかにやってしまっている。だから、これは正確な引用ではない。

 日本の歴史を振り返ると、例えば、ペストの大流行や十字軍の遠征などを経験していない日本という国は、おぼっちゃんである……というような文脈だったと記憶している。

 そうした日本史観はさておき、僕が気になったのは、
(おぼっちゃんである者ほど、そう指摘されると怒る)
 という命題であった。

 自慢ではないが、僕は、子供の頃から「おぼっちゃん」といわれることが度々あった。
 それが嫌だったことも事実である。

 いま、冷静に振り返ると、あの両親に育てられたのだから、「おぼっちゃん」っぽくなってしまったのは、無理もないことだと思う。

 とはいえ、父は学者だったので、金銭的に裕福ということはなかった。
 もう少し裕福な家庭だったら、「おぼっちゃん」という呼称も、素直に受け入れられたのにと思う。

 そう。
 学者稼業はもうからない。学界の人間には常識である。

 金銭的に貧しいのに、なぜ「おぼっちゃん」っぽくなったかは、今日のところは、置いておいて、
(おぼっちゃんである者ほど、そう指摘されると怒る)
 という一文にかえろう。

 これは確かに、あたっている。
 まともな感覚の持ち主なら、自分が「おぼっちゃん」といわれたら、まず、笑ってしまうに違いない。
(「おぼっちゃん」? 本当に「おぼっちゃん」だったら、どんなにラクだろうね)
 と、いう具合である。

 もし、「おぼっちゃん」といわれて、笑えないのなら、やはり「おぼっちゃん」の自覚があるということだ。
 だったら、堂々と
「僕は『おぼっちゃん』だよ」
 と、認めればよい。
(どうだ? うらやましいだろう?)
 という具合だ。

 でも、真性の「おぼっちゃん」には、そうした開き直りは、難しいかもしれない。
 だいたい、どれが「おぼっちゃん」で、どれが「おぼっちゃん」でないかなど、多分、真性の「おぼっちゃん」には、見分けがつかない。

 かつての「おぼっちゃん」で、いまは普通のお兄さん、あるいは、ただのオヤジさんになっている人は、見分けがつく。
 だから、開き直ることは容易である。

 今日、職場の同僚にお菓子を勧められた。
 大きな蒸しダンゴのような菓子パンだった。
 これを、かぶりついて食べず、ちぎって食べたら、「おぼっちゃん」といわれた。

 同僚といっても、実は、年配のオバさまたちがほとんどで、今年31になるような僕が、お子さんたちと同世代になるような方々である。
 そういう人たちに「おぼっちゃんですね」といわれても、腹は立たない。

 いや。
 多分、いまなら、女子高生にいわれても腹が立たない。

 だって、いまの自分に「おぼっちゃん」の資格があるとは思えないから。

「ええ。僕、『おぼっちゃん』なんで……」
 と、答えたら、皆、笑っていた。
「普通、否定するのに、否定しないんですね」
 と、意外そうに笑う。

 だって、久しぶりに「おぼっちゃん」ていわれたのが嬉しかったので……。

 こういうわけだから、多分、僕は、もう「おぼっちゃん」ではあり得ない。
 また、「おぼっちゃん」の日々に還るのもいいかな……なんて思っている30男が、「おぼっちゃん」であるわけはない。
 2004年7月12日 (月) 参院選
(2004年7月12日午前1時、記)

 参院選が終わった。
 自民党の苦戦が伝えられている。
 一連の年金問題やイラク問題では、自民党支持者でさえ、小泉総理のやり方に愛想をつかしている人もいるそうだ。自然な流れかもしれない。
 
 公示されて一週間ほどたったある日、JR石巻駅で電車を待っていたら、
「皆さん、こんにちは」
 と、マイクで大声を張り上げる人がいた。
 衆院議員の安住淳さんである。

 石巻市は宮城県第二の都市。
 安住さんの地盤だ。

 参院選に、なぜ、衆院の安住さんが……と思ったが、自分のホームタウンで、同僚の候補者の応援演説をするというのは、そんなに珍しいことではないらしい。

 安住さんは、TVの討論番組などで、みたことがあった。
 政治番組の討論会は、なかなかに厳しい。きちんと議論に参加するためには、標準以上の知力が必要だ。標準の知力では、愚かにみえかねない。

 安住さんは、TVでみる限り、遜色ない表現力、説明力を備えた人だという印象をもっていた。
 加えて、昭和37年生まれ……だそうである。
 まだ、若い。
 いわゆる、親父・爺さん系の人情型の政治家ではなく、若造・兄さん系の論客型の政治家である。

 これまで、若造・兄さん型の政治家の街頭演説というのは、きいたことがなかった。
 親父・爺さん型の政治家の街頭演説はつまらない。
「私に投票して下さい」
 ということ以外に、何がいいたいのか、わからないのである。
 だから、つまらない。
 耳障りのよい言葉を連呼するだけでは、バカにされた気分になる。

 さすがに、若造・兄さん系の論客は、人をバカにしたような話はしなかった。
 何がいいたいのかが、ちゃんと伝わってくる演説だった。

 安住さんは民主党なので、演説は、例の年金一元化案を主張する内容だったのだが、これが、思いのほか、わかりやすい。話の筋が整っていて、ある意味で、非常に論理的なのである。
 あまりにもわかりやすいので、僕の隣に立っていた中年のご婦人が、
「議員年金は、どうなるんでしょうね?」
 と、呟いた。
 通りがかりの人から思わず、そんな言葉を引き出したということだけでも、きく価値のある街頭演説だったと思う。

 ただし、政治家がわかりやすい話をするのは、当たり前――
 ようやく、普通の政治家が増えてきたか、という感じである。
 TVのブラウン管を通しては感じていたことだが、生で感じたのは、このときが初めてのことだった。
 2004年7月11日 (日) 「くん」付け
 高校生の男の子が、友人のことを「くん」付けで呼んでいたとしたら、どのような印象を与えるだろうか?

 自分が高校生だった頃を思い出す。
 あの頃、友人を「くん」付けで呼んでいると、何だか他人行儀な感じがした。親しくしているようにみえるけど、本当は、そんなに親しくはないんじゃないか……と。
 だから、無理して呼び捨てにしたこともあったのだが、いま思うと、間違っていた。
 別に「くん付け」のままでよかった。

 たしかに、呼び捨てにし合っていたり、アダ名で呼び合ったりしている男の子同士は、非常に仲がよいようにみえる。
 しかし、本当は、そういうことは、どうでもいいことだ。
 要は、二人がどういう会話をしているか、である。

 どれくらい、深い会話をしているか。

 どれくらい、自分のことを語っているか。
 どれくらい、相手のことを考えているか。

「くん」付けで呼び合っている友人同士で、非常に仲が良い例を、いくつか知っている。
 彼らは、「くん」付けで呼び合っている点以外は、互いに歯に絹きせぬ発言を応酬し合い、他人が介入できない雰囲気を醸し出す。

 さらに、興味深いことがある。
 片方は、相手を「くん」付けで呼んでいるのに、もう片方は相手を呼び捨てにするケースが結構、あるということだ。
 特段、二人の間に不均衡はない。対等な付き合いにみえる。

 ある意味、不思議だ。
 が、そういうケースは、決して珍しくない。

 相手をどう呼ぶかは、二人の関係を端的に表す指標だと捉えがちだが、実際は違うのかもしれない。
 呼ぶ人間が、相手をどのように位置付けているのかを、ただ表層的に示しているに過ぎないのではないか。

 高校時代の一番の親友(と僕が思っている人物)を、僕は、途中から、無理して呼び捨てするようにした。
 しかし、どうも、すっきりしない。
 それまで「くん」付けだったのを呼び捨てに変えるというのは、やはり、無理があった。
 結局、以来、名前で呼び合うことはなくなった。

 先年、その彼が結婚式に招待してくれた。
 嬉しかったので、スピーチをかってでた。

 若造が披露宴でスピーチをするのは勇気のいることである。ご親戚やご親族、職場の上司、同僚などは、大半は年配の方々である。
 そういう人生のベテランたちを相手に、壇上で話をするというのは、気が引けるものだ。余興とは違ったプレッシャーがある。
 だから、皆、やりたがらない。

 それだけに、「若造」のスピーチは、思いのほか、感謝される。
 それを見越して、かってでたのだが、さて、かってでて、しばらくして、僕は後悔した。
 その彼とは、披露宴のスピーチのネタになるようなドラマティックな思い出が、何一つ、なかったのである。
 結局、高校時代の彼との関係を、ありのままに話するより仕方なかった。
 その「ありのまま」がよかったのか、等身大のスピーチにまとめることができて、そこそこに好評のスピーチとなった。
 まずは、一安心である。

「くん」付けに引け目を感じて、呼び捨てにしたこと――
 そして、それをいまは後悔していることを、話せばよかっただろうか?

 いや。
 まだ早い。

 こういう話は、お互いに、もう少し枯れてきてから、するのがいい。

 しかし、いつがよいだろうか?
 まさか、葬式の弔辞では遅すぎる。
 僕が先に死ぬかもしれないし……。

 何かよい機会が巡ってくるとよいのだが……。
 2004年7月10日 (土) 「大学に行くとバカになる」?
 昔、「大学に行くとバカになる」というのが、世間の常識だったという。
 解剖学者・養老孟司さんの言葉である。
 1、2ヶ月ほど前に読んだ『スルメを見てイカがわかるか!』(角川oneテーマ21)に登場した言葉だ。

 目新しいフレーズではなかった。
 多分、以前、何か別の文献で、養老さんの同様のご指摘に、触れていたのだと思う。

 養老さんは、『スルメを見てイカがわかるか!』の中で、

 ――「大学に行くとバカになる」という言葉の意味が、最近になって、よくわかった。

 というようなことを、述べられている。

 簡単にいうと、こうだ。
 例えば、大学では、スルメはよく扱っているが、イカはそうでもない――

 学問は、その手法原理上、イカをスルメにすることでしか、成立し得ない。
 実験や観察や調査の結果をデータにまとめ、それについて、論文や本の中で考察を書いたり、あるいは、人の書いた論文や本を詳細に検討したりなどということは、スルメとの格闘に等しい。
 もちろん、大学人は、そうした「格闘」を通して、リアルなイカの有り様を想像するわけだが、現実は、スルメのレベルで終わることが多い。

 僕自身も、最近、「大学に行くとバカになる」の言葉の意味を、養老さんとは少し違った意味で、理解し始めている。
 仙台の大学生たちと、大学の講義や実習について話をする限り、僕の考えは、そんなには間違っていない気がする。

 例えば、大学の講義の中で、スルメを通してイカに触れてもらうことが、いかに難しいか、ということである。

 実に難しい。

 仮に一時間の講義で学生にイカを体験してもらおうと思ったら、多分、準備に百時間はかかる。

 しかし、大学の教官に、そんな時間はない。
 学者として生き抜くためには、論文を書き続けないといけない。また、大学の運営のために、煩雑な事務を大量にこなさないといけない。

 仮に、その時間があったところで、スルメからイカを感じさせるような講義など、簡単にできるものではない。
 そもそも、創造的な講義は、超人業である。

 大学時代にお世話になったある教授の先生は、講義上手で有名な方だった。
 ところが、その方が、ある酒の席で、
「今日の講義はうまくいった、という日は、年に数える程しかない」
 と、いっておられ、僕は驚愕した。

 講義は、ライブである。
 チャンスは、一度きり――
 芝居やコンサートと同じである。
 毎回、毎回、最良のパフォーマンスを披露するなど、無理に決まっている。

 だから、大抵の大学の講義というものは、スルメをみせる程度で終わってしまう……。

 これでは、「大学に行くとバカになる」のも、道理ではないか。
 多分、大学の先生にそういう意図はないのだが、現実問題として、講義や実習に欠かさず出席する真面目な大学生ほど、スルメとイカとの違いがわからなくなり、ついには「バカ」になってしまう……ということに、なりかねない。

 困ったことである。

 だから、いまの大学生や元教え子には、僕は、こう説明するようにしている。

 大学は、卒業しておくべきところかもしれないけれど、何か教えを乞うべきところではないよ、と。
 何か、きっかけをつかむところに過ぎないよ、と。

 日本の大学だけではない。
 おそらく、世界中の大学の実態は、そうなっている。
 2004年7月9日 (金) 時間と創造と
 昔から、時間に追いまくられるのが不得手である。

 いつまでに、何々を片付けなくてはならない、というプレッシャーが、最悪に我慢ならない。

 だから、学生時代はテストが大嫌いだった。

 いまでも、「いつまでに、何々を……」という約束は苦手である。
 一応、守ることは守るのだが、そのために、余分なところに負荷がかかる。

 休みの日に、ひたすら寝るようになったり、毎度の食事の量が極端に跳ね上がったり、小さな約束を「ブッチ」しまくったり、色々である。

 こうした負荷は、健康上かつ精神衛生上、はなはだ、よろしくないので、極力、時間に追いまくられる状況はつくらないようにしている。

 しかし、時として、そうもいっていられない。
 だから、時間に追いまくられる日々は、絶えることがない。

 大学院時代、研究室の後輩が、
「半年くらい、山奥にこもって、思索に耽りたくなりました」
 と、いったことがある。

 茂木健一郎さんの『心が脳を感じるとき』(講談社)を貸したときのこと。
 彼は、この本を読み、以後、生活のし方が変わったように思う。
『心が脳を感じるとき』は、脳科学・神経生理学の本なのだが、多分に哲学っぽいテイストを合わせもっている。
 彼が、
「半年くらい、山奥にこもって……」
 と、いいたくなった気持ちは、よくわかる。

 ある種の人々は、何か重大な考えごとにブチあたると、時間をフンダンに使って、その懸案を考えようとする。
 研究室の後輩の彼も、多分、その一人だ。そして、僕もそうである。

 真に創造的な仕事をする人は、仕事をしているとき以外は、「グータラな」毎日を送っているものだと、大学時代の友人がいっていた。
 十以上も歳上の友人だったので、僕は素直にその言葉を受け入れた。

 僕は、自分が「創造的な仕事をする人」だと、うぬぼれたくはないが、でも、常に、そうありたいとは思っている。

 だから、時間に追いまくられると、何だか自分の大事な領分が侵食されているような気がして、不快に感じ、ストレスが生まれるのだろう。

 いつも同じことを考えていないと、創造的な仕事はできない。
 同じ対象を、長時間かけて、考えに考え、さらに、考えに考え抜いたときに、創造は起こる。
 だから、真の創造性を手に入れるためには、「半年くらい、山奥にこもって……」みることも、必要だろう。

 つまり、「創造」にコダワリをもっている人々は――いいかえるなら、「創造」の喜びに魅入られた人々は――時間の浪費を恐れたりはしないのである。
 むしろ、時間を浪費したがるのである。

 もちろん、本人たちは「浪費」だとは思っていない。
「投資」だと思っている。

 このことを、すぐに理解してくれる人と、そうでない人とがいる。

 すぐに理解してくれる人、あるいは、すぐに理解してくれそうな人の中には、創造的な仕事をしている人が多い。
 すぐには理解してくれない人、あるいは、すぐに理解してはくれなさそうな人の中には、創造的な仕事をしている人が少ない。

 そのような、はっきりした傾向が、僕個人は感じ取れるのだが、もちろん、真実はわからない。

 僕の勝手な思い込みだったとしても、不思議ではない……。
 2004年7月8日 (木) ローリーさんとの話(前編)
 大学院に入り、本業で英語を使うようになってから、週に二度ほど、ネイティブ・スピーカーと話をする機会をもつようにした。

 いまは本業が変わったので、その必要もなくなり、週2回が週1回に変わっているが、それでも英語のネイティブ・スピーカーと定期的に話をする機会は有意義だ。
 日本語だけに浸かっていると、たしかに心地はいいのだが、いつか痛い目にあいそうな気がしてならない。

 といっても、ただでネイティブ・スピーカーと話ができるわけではない。
 いまの英語力では、ネイティブ・スピーカーに僕との会話を真に楽しんでもらうのは無理である。

 だから、相応のお金を払って、話をする機会を確保している。

 早い話が、英会話学校に通っている。

 今日まで、色々なことを学んだ。
 もちろん、英語を学んだのであるが、文法とか、言葉とか、表現方法などは、意外と忘れるものである。
 忘れないのは、ネイティブ・スピーカーと僕たち日本人との、常識の差異。

 一番、驚いたのは、やはり、ファースト・ネームの呼び捨て。

 彼らは、よほどよそよそしい関係でいようとするとき以外は「Mr. ……」や「Ms. ……」ではなく、ファースト・ネームで呼び合う。
 だから、初対面でも、場合によっては、
「ファースト・ネームで呼んで欲しい」
 と、彼らはいう。

 こちらは、むこうを「先生」と思っているから、なかなか、ファースト・ネームでは呼びずらい。
 歳下の人なら、何とかなるが、歳上となると、かなりの違和感がある。

 そりゃ当然だ。
 歳上の日本人を、「サトシ!」とか「ケイコ!」とか呼ぼうものなら、即、険悪ムードである。

 ところが、英語圏では違う。
 二十歳の女の子が、還暦の上司をつかまえ、平気でファースト・ネームで呼ぶ。
「Tony is my boss!」
 というように。

 つまり、Englishの「Tony」は日本語の「トニーさん」に相当する。
 何だか、ややこしい。

 ――そんなことで、いったい、どうやって敬意(respect)を表すのか?

 と、きいてみたことがある。
 そうしたら、
「We don't have to express the respect」
 と、いわれた。
 たしかに、人への敬意は、もっていればいいのであって、いちいち表す必要は、ないのかもしれない。

 さて、今日は、ローリーさん(Laurie)と、例の日本のプロ野球の合併問題について、話をした。

 ローリーさんは、シカゴ近郊のご出身で、大学時代は政治学を学び、その後、メジャー・リーグのデトロイト・タイガースの球団職員を経て、つい先頃、英会話学校の講師として来日されたばかり。

 仙台は暑いと、いっておられた。
 シカゴでは、30度をこえる日が数える程だというのに、もう二度も越えている、というわけである。
 しかも、シカゴにいるときは、ほとんど車での移動だった。
 仙台では歩き……。
 だから、暑さもひとしお、とのこと。

 東京や大阪はもっと暑いですよ、というと、天井を見上げて笑っておられた。

 ローリーさんにいわせると、日本のプロ野球チームの数が減る理由は、わかりやすい。きっと、球団経営が思わしくないからだろう。メジャー・リーグにも、そういう球団はある。
 問題は、なぜ、1リーグ制へ移行しようとしているのか、ということだった。
「One league makes one money」
 1リーグに減らすことが、収益アップに繋がるとは思えない、というのである。

 そこで、僕は、何十年も前からあるリーグ間格差を説明し、近年では、フリーエージョント制度の導入によって、優れた選手がパ・リーグからセ・リーグに次々と移っていき、パ・リーグの収益が極度に落ち込んでいるということを説明した。
 すると、
「Ah...」
 と、うなずいておられた。

 ついでに、読売ジャイアンツに富みが集中するシステムになっていることにも言及。
 その理由として、TVメディアが読売ジャイアンツを集中的に扱うからだ、とも説明した。

 ローリーさんは「Yomiuri Giants」という固有名詞を知っておられた。僕が意地で「Tokyo Giants」といったときは首をひねるばかりだったが、「Yomiuri Giants」といった途端、すぐにそれとわかった。

 恐るべし、読売パワー……。
 
 一局集中構造は、ニューヨーク・ヤンキースにもいえると、ローリーさんはいう。

 ――でも、例えば、札幌にいても、大阪にいても、福岡にいても、読売ジャイアンツの試合がTVで流れている……みたいなことは、アメリカではないでしょう?

 と問うと、

 ――たしかに、例えば、デトロイトでは、通常のTV放送はタイガースのゲームを流しているが、ケーブルTVは違う。ニューヨーク・ヤンキースの露出度は、高い。(以下、後節に続く)
 2004年7月8日 (木) ローリーさんとの話(後編)
(前節からの続き)ニューヨーク・ヤンキースの露出度は、高い。

 とのお答え。

 では、なぜ、ニューヨーク・ヤンキースは読売ジャイアンツほど、横暴な振る舞いをしているようにはみえないのか?

 ローリーさんはいう。

 ――メジャー・リーグ機構が力をもっているからだ。

 それをきいて、
(なるほど)
 と、僕は納得。

 結局、最後は、そこに行き着くのだ。

 要は、メジャー・リーグには各球団のオーナーたちのエゴを抑えるシステムがあるけれども、日本のプロ野球には、それがないというわけである。

 簡単なことなのである。

 ――日本のプロ野球には、オーナーたちをとりまとめる人はいないの?

 と、ローリーさんがおっしゃるので、

 ――いることはいるけれど、どういう人だか、皆、知らない。多分、そんな力はないのだと思う。

 と、答えると、
「Ah...」
 と、ローリーさんはうなずいた。

 日本のプロ野球のコミッショナーは、リーダーシップの欠片も持ち合わせていない。
 多分、ローリーさんには信じられないことであろう。

 日本のプロ野球は遅れている。
 そのプレーが、という意味ではない。
 その仕組みが、である。
 2004年7月7日 (水) なぜ、急ぐのか?
 プロ野球が混迷の度を深めている。

 近鉄とオリックスとの合併問題から、1リーグ制への移行が真剣に議論されているようだ。

 1リーグ制への移行の牽引役とみなされている巨人の渡辺恒雄オーナーは、今日のNHKのニュース番組の中で、
「このままでは、プロ野球全体が沈んでしまう」
 というような内容の発言をした。
 このままでは全体が駄目になるので、部分的な切り捨てを行い、全体が生き延びるよう、苦渋の決断をすべきだというのが、主旨らしい。

 その問題意識が本物なら、部分的な切り捨てはやむを得まい。プロ野球のビジネス的側面を無視することはできない。ある程度の経営判断は、仕方のないところだ。

 しかし、一般企業とプロ野球球団とを一緒に考えるのはどうか?
 本来、プロ野球は純然たるビジネスではない。

 読売新聞社とその購読者との関係は、読売ジャイアンツとジャイアンツ・ファンとの関係とは違う。
 読売ジャイアンツのゲームの勝敗に一喜一憂するのが、ジャイアンツ・ファンである。負けが込み、優勝争いから脱落すると、それだけで塞ぎ込んでしまうのが、ジャイアンツ・ファンである。
 一方、読売新聞社の毎期の業績に一喜一憂する購読者がいるだろうか? 業績が悪化しても、気にとめない。そもそも、業績に関心は向けない。
 もちろん、読売新聞社の社員は一喜一憂するかもしれないが。

 要するに、プロ野球球団は、オーナーのものであり、選手のものであり、球団職員のものであると同時に、ファンのものでもある。
 ファンの支持があってこその繁栄という点は、プロスポーツ業界の基本中の基本ではなかったか。

 渡辺オーナーのいうように、もし、このままではプロ野球全体が危ないというのなら、どう危ないのかを、きちんとファンに説明する義務がある。
 その辺の説明をすっ飛ばして、ただ、
「危ない」
 と、危機感だけをあおっても、
「何をいってやがる!」
 と、ファンの反発を招くだけであろう。

 どうやら、渡辺オーナーは、そうした認識を、全くお持ちでないようだ。もし、お持ちなら、今日のNHKのニュース番組の出演を絶好のチャンスと、お考えになったことだろう。

 どうして、このままではプロ野球全体が危ないのか?
 どうして、規模を縮小してまで生き延びるという悲しい選択肢をとらなくてはならないのか?

 いま、オーナーたちが抱えている危機感を、選手も、球団職員も、ファンも共有することができれば、今度の合併問題に端を発した1リーグ移行問題も、すっきりと、カタがつくと思うのだが……。

 まあ、無理だろうな。
 以上は、日本のプロ野球をスポーツとみなせると仮定しての話。

 そもそも、日本のプロ野球がスポーツでない可能性がある。
 少なくとも、Jリーグよりはスポーツっぽくない。

 この国に真のスポーツは存在しない。あるのは、運動や体育、興行だけ――

 そういう指摘をきいたことがある。

 たしかに、日本で最も伝統のあるプロスポーツ界が、このような有様なのだから、指摘はあたっていたとしか、いいようがない。

 実際、「sport」の訳語もないしね。

 このまま日本のプロ野球が衰退していくとしても、僕は驚かない。
 2004年7月6日 (火) 家の電話
 最近、家の電話をほとんど使わなくなった。
 僕だけではないと思う。
 これだけ、携帯電話が普及しているのだから……。

 自分からかける場合は、まだ、使うほうである。

 かかってくることが、ほとんどなくなったということ。
 たいていは、携帯電話にかかってくるものね。

 とりわけ、プライベートの用事で、家の電話にかかってくることは、まず、なくなった。
 たいていは、セールス絡み。

 僕の場合、ちょっと事情があって、家の電話番号が、ある団体の名簿に載っている。それで、よく、セールスの電話が、かかってくる。

 いつだったか、それで、大げんかになったことがあった。

 大げんか?

 違うな。
 向こうが一方的にヒートアップしていた。
 あんなにヒートアップされたら、「うん」という人も、いわないだろうに……。

 だいたい、セールスする側が怒るって、どういうことだよ?
 逆なら、わかるけど……。

 とにかく、嫌な思いをしたので、それ以来、家の電話が鳴っていても、いまいち、とりずらい。

 だから、常時、留守番電話状態である。

 この前は、非常勤の職場の上司から、かかってきた。
 ちょっと、びっくり……である。

 セールスマンが留守番電話に残す記録は、たいていは無言――
 バックグラウンドに「ガヤガヤ」という雑音が入っているので、いかにも「オフィスからかかってきた」という感じが、わかる。

 そうした無言の記録にまじって、上司の残した電話の記録があった。
 かなり、焦った。

 そうだよ。
 セールス以外の電話だって、かかってくるかもしれないじゃーん!
 原稿執筆依頼だったら、どうすんだよ!

 ……まあ。
 当面、そういう依頼がくることはないな。

 杞憂、きゆう。

 ところで、今日から、家の電話も積極的にとろうと思った。
 というのは、今日、シャワーを浴びていて、とり損ねた電話があったのである。
(誰からだろう?)
 家の電話は、十年前に買ったもので、しかもそのとき、既に旧式モデルだったので、かなり、古い。
 当然、ナンバー表示機能など、ない。

 とり損ねた電話は、気になる。「逃がした魚は……」の心境か。

 自分の家の電話番号は、意外と、あちこちに教えていることを思い出した。
 もしかしたら、いつか「凄い電話」が、かかってくるかもしれない。
 だから、とれるときには、ちゃんと、とっておかないと……。

 でも、あんまり家にはいないからな……。

 モノを書くときは、たいてい、外――
 家で書くのは、深夜――

 日中、家にいるようにしようか?
 せっかく、フリーで仕事をしているんだし……。
 2004年7月5日 (月) 「事実は小説よりも奇なり」
 先日、僕が小説を書くことを知っている友人が、仙台にやってきて、
「事実は小説よりも奇なり」
 という言葉を信じるかと、質した。
 飲みの席での話である。

 僕は、即答。
「もちろん」
 と。

 世界ランク35位の代表チームが、欧州チャンピオンに輝いた。

 サッカーのギリシャ代表チームのことである。
 日本の世界ランクが23位であるから、この結果は驚きである。

 サッカーの欧州チャンピオンを決めるユーロ2004は、先月から、ポルトガル国内で開催されていた。

 終わってみれば、波乱ばかりが目立った大会だった。

 開幕戦のカードは、ポルトガル対ギリシャ。
 ポルトガル絶対優位の前評判のなか、しかし、勝ったのはギリシャ――
 過去のW杯や欧州選手権で、一勝もしていないギリシャ――
 ……である。

 そして、大会最終日、決勝の顔合わせも、ポルトガル対ギリシャ。
 勝敗は、開幕戦と一緒――

 欧州選手権の開催国が、同じ国に続けて二度も負けることすら異様なのに、それが格下のチーム相手とは……。

 いやはや。
 あいた口が塞がらない。

 ポルトガルは、過去27年間、無敗を誇った首都リスボンで、一敗地にまみれた。
 悪夢としかいいようがないだろう。
 ポルトガル人に友人はいないが、もし、いたとしたら、しばらくは電話もできそうにない。

 ところで――

 作家が、こんな物語を作ったら、多分、総すかんだろう。
 ギリシャがポルトガルに勝つような物語は、やはり、物語として、破綻している。

 事実は小説よりも奇なり――

 これは、まったくもって、真実である。
 なぜなら、小説は、つねに、リアリティを糧とするからだ。
 どんなに突拍子もない設定で始まった物語であっても、
「そんなの、嘘に決まってるだろう?」
 みたいなエピソードばかりで塗り固められた物語は、稀である。

 考えてみれば当然で、最初から嘘だとわかっている話が、徹頭徹尾、嘘っぽかったら、訳がわからない。
 小説は、常に、事実に近づくように、努力しているのである。

 ところが、もちろん、事実は、事実に近づく必要はない。
 事実は、どんなに奇抜なものであっても、事実としての重みをもつがゆえに、精彩を放つ。

 ユーロ2004の決勝戦で主審を務めたドイツ人のメルク氏は、ギリシャ代表チームのドイツ人監督レーハーゲル氏の主治医だそうな。
 メルク氏は歯科医師でもあるらしい。

 そんなアホな……。

 こんなキャラクター設定をしたら、みんな、しらけちゃうよ……。

 でも、これが事実。
 
 ちなみに、この主審問題には前哨戦がある。

 決勝戦前夜の記者会見の席で、ギリシャのレーハーゲル監督は、決勝戦で笛を吹くメルク氏が、自分の主治医であることなど、おくびにも出さず、
「メルク? 知っているよ。彼は、私を退場処分にしたことのある審判だ。ホームに有利なジャッジをするような男じゃない」
 と、いったとか、いわなかったとか。
 戦前に、しっかり開催国のホーム・アドバンテージを牽制するあたりは、戦術家としても抜け目がない。

 レーハーゲル監督の言葉は、物語の台詞としても、秀逸である。
 2004年7月4日 (日) 政治家の評価(前編)
 政治家の評価は難しい。
 その気になれば、いくらでも悪意をぶつけることができる。

 イラクのフセイン元大統領の話である。「元大統領」といっても、フセイン氏本人は、いまでも「大統領」を名乗っているそうだが……。

 今日の朝日新聞のコラム『風 バグダッドから』に、印象深い逸話が出ていた。
 朝日新聞というと、
「地に足のついていない議論ばかりする」
 とか、
「たった一つの側面を取り上げ、全体の議論にすり替える」
 とか、何かと評判の悪い一面をもつが、『風 バグダッドから』は署名入りコラム(中東アフリカ総局長・川上泰徳さんという方のもの)なので、知的に不誠実という印象はない。

 タイトルは『首都陥落「なぜ」ばかり』――
 旧イラク軍の軍情報部中佐だったという人物の話だった。

 この中佐は、開戦後、間もなく、アメリカ軍の戦車をバグダッド近郊で目の当たりにし、愕然とした。
 味方の守備が、そんなに簡単に突破されるとは、思っていなかったからだ。
 バグダッド陥落の日、アメリカ軍が大統領宮殿に入ったという事実を知らされ、この中佐は涙する。
 開戦前、イラク軍に緊迫感はなかった。
 将校の退役は希望通り認められ、予備役の召集もなかったそうだ。およそ、開戦前夜の雰囲気からは程遠い。
 この中佐は、情報部の将校だったので、そうした軍部の空気に危機感を抱き、首都防衛の強化策を上申していた。
 しかし、中枢部は動かなかった。この中佐の直属の上司は、フセイン氏の息子クサイ氏。上申が中枢部に届かなかった可能性は薄い。
「フセインは始めから戦争する気はなく、自分が助かるために首都を米軍に明け渡した」
 と、この中佐は推論している。

 この中佐だけなく、「フセインに裏切られた」という思いを抱く元軍幹部は少なくないのだそうだ。

 さて、このコラムを読んで、僕たちは何を考えればよいのだろう?

 一見すると、フセイン氏はとんでもない悪者である。独裁体制を敷き、小数民族をいたぶり、巨万の富みを手にいれ、いざとなったら自分の保身に一生懸命――
 ハリウッド映画の悪役にもなれないクズ――
 ……ということになる。

 しかし、政治家を安易に断罪すべきではない。

 僕たちは、多分に操作された情報にしか触れていない。
 本当にフセイン氏が悪政をしいていたかどうかは、僕らにはわからない。イラクの人たちにきくしかない。
 もちろん、イラクの人たちの中には、フセイン氏を悪くいう者が多い。しかし、良くいう者もいる。きわめて抑制された表現で――
 例えば、
「サダムは、少なくとも無法者はとりしまってくれた」
 と。
 フセイン氏の評価は単純ではない。

 先日、亡くなった漫画家の横山光輝さんが、歴史上の人物の描写に関し、示唆に富んだコメントをしておられる。
 たしか、ご自身のマンガ『三国志』の解説文での言及だった。

 ――最初は、登場人物たちを悪玉、善玉に色付けしようと思っていたが、描いているうちに、そんなことはできなくなった。一見、ひどい悪玉であっても、例えば、大勢の将兵を統率した武将であったりする。曲がりになりにも大勢の部下を率いていたのだから、それなりの人間的魅力はあったはずである(記憶を頼りに要約)

 フセイン氏にも同じことがいえる。
 人間なので、酷いことをするし、間違いも犯す。だからといって、フセイン氏を「悪の権化」と、本気で名指しする者がいたとすれば、その者は人間をよくわかっていない。

 湾岸戦争当時、クウェートに侵攻を命じたフセイン氏について、
「非常に理知的な男なので、無闇に不埒を働いたとは思えない」
 と、ある研究者がコメントした。TVニュース番組でのことである。

 僕は、フセイン氏の本性など知らないし、イラクの政治の実態や人々の生活の実際も知らない。
 ただ、人間――とりわけ政治家――は、簡単に断罪できる代物ではないということを、歴史から学んでいる。

 バグダッド陥落前の昨年3月、イラン人の友人のいった言葉が忘れられない。
 当時、アメリカ政府は強大な武力をちらつかせ、フセイン氏らに無条件降伏を呼び掛けていた。
 イラン人の友人はいった。

 ――フセインが、アメリカのいう通りに国を明け渡すことはない。しかし、アメリカが武力を行使し始めれば、フセインは戦うことなく逃亡するだろう、と。

 友人の真意は確認していない。
 ただ、それまでの彼との会話から、僕は、その言葉を、フセイン氏の臆病を揶揄したものとは、とらなかった。

 アメリカ軍の脅しには屈さないが、いたずらに戦って、国土を疲弊させるほど愚かではない――

 そういう意味に、僕は理解した。

(以下、後節に続く)
 2004年7月4日 (日) 政治家の評価(後編)
(前節からの続き)

 フセイン氏だって人間だ。我が身可愛さに、なりふり構わず、首都を脱出したとしても、責められない。
 アメリカ軍が打倒を公言した政権の国家元首なのだから、アメリカ軍にみつかれば、いずれは殺される身である。誰よりも死に恐怖していたことだろう。

 イラク全土に徹底抗戦を呼び掛けたことも、アメリカ軍相手に玉砕しようとする強硬派へのポーズと解釈できないこともない。
 前述のコラムの内容が真実だとすると、少なくとも、中枢部が本気で徹底抗戦しようとした事実は、ないのだから……。

 もちろん、そんなフセイン氏を「悪の権化」とみなす現アメリカ政権を、バカだと断ずるつもりはない。
 彼らも、ある政治的意図をもって、そのように公言しているに過ぎない。

 大切なことは、そうした「公言」を、僕たちは、決して、真に受けてはならない、ということである。

 人間に対する尊厳は、どんなときでも、しっかりと胸中に抱いていなくてはならない。
 とりわけ、特定の政治家を評価するときには……。

 つまり、人間が人間を評価するときには、必ず、謙虚にならなくてはならないということである。

 自分が当事者だと、結構、これは難しいことなのだが……。
 2004年7月3日 (土) 東京都美術館にフェルメールの絵を
 東京都美術館にフェルメールの絵をみにいったときに、僕は、つくづく、物語が好きなのだと思った。

 フェルメールとは、ヨハネス・フェルメール。
 17世紀オランダの画家である。
 今回、東京都美術館に展示されていたのは、『画家のアトリエ(絵画芸術)』という作品。括弧内の『絵画芸術』という作品名は、フェルメール自身が名付けたものだという。

 絵画をみるときに、人は何を思うのだろう?

 僕は、ひたすら物語を夢想している。
 その絵の登場人物たちの物語である。

 なぜ、その絵の中に、そのような構図でおさまるに至ったのか、その経緯を物語る。
 あるいは、これから、この絵の中で、どのような事件に巻き込まれていくのか、その未来を物語る。

 もちろん、絵画の絵画たる側面に、全く興味がないわけではない。
 例えば、これは『画家のアトリエ(絵画芸術)』に限らないが、僕は、絵が光を表し得ることに、いつも驚かされる。
 写真が光を表し得るのはわかる。光はとらえどころがないけれど、この世に光は溢れている。とにかく、カメラのシャッターを切れば、どこかに光はおさまるだろう。
 しかし、光が絵の中にもおさまることが、どうにも不思議でならない。どうやったら、絵の具で光が表現できるのか? 光を見事に描いた実物の絵画作品を目の当たりにしてさえ、謎は深まるばかりである。

 ところが、僕は絵画を描かない。描けない。
 だからなのか、僕の「絵の中の光の不思議」は、一過性で終わってしまう。光の表現技法に目を見開くことはあっても、その驚きは、一瞬で終わってしまうのだ。

 それで、気になるのは、やはり、その絵画作品が語っていると思われるストーリーなのである。

 絵画をみていると、いつしか、目の前の絵画を忘れてしまう。
 考えているのは、自分の物語ばかり。
 だから、あとになって、展覧会で自分がどんな絵をみたのか、思い出せないで困っているということは、ザラである。

 最近では、物語の着想を得るために、絵画をみるということがあってもいいだろうと思っている。
 半ば諦め気味の納得である。

 しかし、問題なのは、せっかく、そうして考え練った物語を、どこかに発表することもなく、忘却の彼方へと押し流してしまうことである。
 もったいない。
 何とか、此岸につなぎ止める努力をしたいと思う。